【奄美・沖縄】琉球方言・琉球語4【宮古・八重山】
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奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島で話されている
琉球方言・琉球語について総合的に語るスレです。 421 名無しさん@1周年[sage] 2017/01/09(月) 11:24:57.41 ID:jD6Rto4H0
>>1
駐韓日本大使に対して
※韓国政府が日本との軍事情報包括保護協定の署名式を非公開にしたことに対して、なぜか日本の大使にこの態度。
http://img.yonhapnews.co.kr/etc/inner/JP/2016/11/23/AJP20161123002300882_01_i.jpg
駐韓アメリカ大使に対して
※この晩餐会の後、大使は自国の公用車で、テロリストは救急車でそれぞれ病院に向かいました。
http://blog-imgs-72.fc2.com/b/i/l/bilbaoch/20150305083545_bodyfile.jpg
外国の要人に対してこのような扱いをする国、韓国・・・ 琉球新報社代表の富田詢一曰く「子どもを里子に出して、子どもはつらく苦しい思いをしているのに、その里子に出した日を、親が主権回復の日として祝う。
毎年やる予定だったはずだが、沖縄県民の強い反発にあい、式典は一回きりである。われわれは四三年前に、戦後のアメリカによる占領下で、父と頼り、母と慕った祖国に帰りたいと日本への復帰運動を展開して、ようやく祖国に帰ることができた。
しかし、帰った祖国は、思い描いた祖国ではなかった」だそうだ。
さすが、戦後に「オーシマー」の人間が犯罪を犯した!「オーシマー」による風紀紊乱!「オーシマー」による暴力事件!と「オーシマー」を連呼して、平然と奄美差別を紙面で展開したした沖縄の屑ヘイト新聞の代表だ。
沖縄のレイシズムメディアによるプロパガンダ被害者ヅラを指導するコーチか監督と言った役割だろうか。
1609年に薩摩の直轄植民地となった奄美の島々は沖縄本島の琉球中山王府の版図であった。
しかし、その島々は直轄植民地として忽然と琉球史から姿を消したが40年どころか、100年経っても200年経っても奴隷の島々であり続けた。
奴隷たちは戦うこともなくいとも簡単に薩摩の直轄植民地の奴隷として献上した琉球を祖国と思っただろうか、親だと思っただろうか、自分たちを里子と思っただろうか。琉球に帰りたいと思っただろうか。
自分たちは辛い里子に出され、父と頼り、母と慕った祖国日本と言ってのけながら、次の瞬間その親の本意を悪意で捻じ曲げ踏みにじり罵倒する。
そんな屑なことが出来る琉球を親だと兄弟だと認めることが出来るだろうか。
忽然と琉球の歴史から姿を消した同胞を見殺しにしながら誇らしげに琉球の先住民族などと宣う人間を鼻で笑っているのが真実である。 沖縄本島人によるレイシズムとは、対立する意見に「オ(ウ)ーシマー」、「ミャーク」という奄美や宮古などの離島のレッテル、「幸福」、「桜」などの思想や信仰のレッテルを貼り他人を貶める暴力的レイシズム。
例をあげると、恵隆之介や奥茂治などのように対立する発言者が奄美からの移住者の子や孫、そして先祖が奄美から来た場合に、それをあえて持ち出し都合の悪い対象にだけ『奄美』などの離島のレッテル貼って貶める。
酷い場合には例え沖縄で生まれ育っていても偽沖縄人など「偽物」呼ばわりさえするレイシズムで貫かれている。
悪質なのは、普段は内地に侵略にされた、植民地にされたと言って内地を批難しているが、当のナイチャーが沖縄の大便者ヅラして周辺離島をヘイトするような言説をしても、沖縄本島小中華主義者はナイチャーを批難するどころか一緒になってヘイトするレイシズムぶり。
琉球民族独立などと看板掲げていても、それは民族主義に名を借りた沖縄本島小中華主義者による本島中心主義のスターリニズムであることが透けて見える
彼らのヘイトが立脚するところは、沖縄のためでもなく、南西諸島全体のためでもなく、いわば沖縄本島首里小中華主義によるスターリニズムであり、選民主義なのだ。
捏造の民族主義によるスターリニズムであるところは、恣意的な「民族」視観にも見られる。
彼らの論理で「奄美」のレッテルを貼るとすれば、例えば沖縄芝居の藤木勇人も奄美人と言えばいいのにそうは言わない。
自分たちに都合のいい人間は「本物」の沖縄人で、都合の悪い人間は「偽物」だという血統に基づいた党派主義であり、選民スターリニズムだ。
そんなレイシズムが許されて良いわけがない。
自分たちが憎む対象に対してだけ「幸福」や「桜」などの思想信仰のレッテル、そして「奄美」などのレッテルを貼って離島をヘイトする。
それが沖縄本島で猛威を振るっているOKINAWANレイシズム
FUCK THE OKINAWAN RACISM!! ひーさん〔寒い〕
ひーさいびーん〔寒いです〕…びーみ?〔…ですか?〕
ひーくなてぃちょーん〔寒くなってきた〕…ちょーいびーん〔…きました〕 奄美では、ひぐるっさっち言うや。
寒いっち意味よ。 【BS11:紀行・教養】 <尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究>放送時間:毎週水曜日 よる8時00分〜8時54分 #bs11 http://www.bs11.jp/education/post-74/ ひーさうまー
〔寒がり〕沖縄 国頭
じーる 〔囲炉裏〕国頭 沖縄語オノマトペ
ぶるぶる〔寒くて…〕
沖縄語 ガタガタ
きらきら〔満天の星が…〕
沖縄語 クヮラクヮラ
ざくざく〔食材を…切る〕
沖縄語 グスグス
ごほんごほん〔…咳をする〕
沖縄語 オホオホ 太鼓の音 ぼんぼん
銅鑼の音 けんけん くぇんくぇん
雑踏 わさわさ
男女がいちゃいちゃ
ちーゆいゆい けーゆいゆい 純粋な沖縄口ではeは無くiになるので「先生」が「しんしー」だが、ウチナーヤマトグチになると「しぇんしぇー」という発音になるよな?
でも若い人は普通に「せんせー」だろうからここ何十年かで一気に「しんしー」→「しぇんしぇー」→「せんせー」と変化を遂げたのかな。 ウチナーグチにも〔せ〕〔せー〕の発音は一部地域にあるよ
大昔の首里でも男言葉には〔せ〕〔せー〕はあったらしい。 神社関係のパンフレットを読んでいたらハミ、ハムは蛇のことって書いていた
日本ではベビを表す古い表現がたくさんあるけど、
この一つがそのまま残って現在のハブだけをハブと言うようになったんですよね?
日本本土のマムシも噛む、ハム、ハミから変化したってことみたいですけど
人が考えることはだいたい同じだから、沖縄でもハム、ハミという言葉が先で
単に結果的に同じような言葉の変化を遂げただけなのか 関西の田舎やけどわしの婆さんの世代はマムシのことをハメ言うで 比嘉とか地元でポピュラーな苗字を本土の連中は「ひか」とか「ひが」とか
言うけどさ。地元だと「ひぃーじゃあー」じゃね?なぜ、地元の言い方を
全国標準にしないんだろ? 比嘉バイロンは最近イントネーションがおかしくなってきたな。 沖縄ではホーミーエルグランド売ってないべ
ホーミー自体放送禁止用語なんだべさ 3月30日木
旧3月3日 さんぐゎちさんにちー
さんぐゎちみっちゃ イジャイしーがいちゅんな?
(潮干狩りに行くの?) 流ゆる水に桜花受きてぃ
色ぢゅらさ有てぃどぅ
掬うてぃ見ちゃる ながりゆるみじに 赤サナジながち 橋しちゃぬガニぬ くうてぃすんち。 浜降い、か
ところで、>>350 の歌意は何ですか? 小川に浮かぶきれいな桜を手に掬ったとの琉歌をギャグ的になぞったもので小川に赤褌流したら蟹が引っ張ったとの意味。 サナジが褌?
琉球王国時代は褌だったの?
屏風絵とか見ても、男は下穿きは もも引き みたいなのもので、褌の絵は見たことがない ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 沖縄語を学ぼう(動詞活用タイピング練習アプリ)
https://game.
niconico
video.jp/atsumaru/games/gm3954 沖縄語を学ぼう(動詞活用タイピング練習アプリ)
https://game.niconico
video.jp/atsumaru/games/gm3954 >>335
沖縄名字が本土読みなのは日本政府の政治的な思惑と沖縄住民の差別回避の思惑で
造られたもの、けっこう本土姓も多い、名字以外にも大和読みが広がってる、
大和読みどころか全国各地の地名が沖縄のあっちこっちに沢山、松山、若狭、松本、愛知他
欧米が自国語を世界中にマーキングしたのと同じ >>168 >>226
現代日本には標●語はありません 現代日本にあるのは共通語です
wiki「標●語」
https://ja.wikipedia...99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>標●語(ひょうじゅんご)とは、公共の言説において人々の集団(民族、共同体、国家、組織など)によって用いられる言語変種である。
■各言語における標●語
日本語
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基に標●語を整備しようという試みが推進された。
>これに文壇の言文一致運動が大きな影響を与えて、「標●語」と呼ばれる言語の基礎が築かれた。
>なお、「標●語」という用語は岡倉由三郎によるStandard Languageの日本語訳である。
>官公庁の公式文書などには、普通文が主に用いられる。
>太平洋戦争以後は国家的営為としての標●語政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「標●語」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本には標●語を定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式には標●語は存在しない。
wiki「共通語」
https://ja.wikipedia...B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「標●語という用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
>柴田は、1980年に出版された『国語学大辞典』において、共通語と標●語の定義の違いについて、次のように述べている。
>「共通語は現実であり、標●語は理想である。共通語は自然の状態であり、標●語は人為的につくられるものである。
>したがって、共通語はゆるい規範であり、標●語はきびしい規範である。
>言いかえれば、共通語は現実のコミュニケーションの手段であるが、標●語はその言語の価値を高めるためのものである。」――国語学会編『国語学大辞典』東京堂出版、1980年9月 616年、南島の夷邪玖(イヤク)(流求)人30名、大和朝廷に服属
630年、第一回遣唐使(奄美語通訳付)
698年、文忌寸博士ら8名が武装、南方新領土と新航路発見
677年、天武天皇、種子島島民を近江宮に招宴
681年、天武天皇、種子島島民を再び近江宮に招宴。多彌(タヤ)人(種子島人)、国の地図を
朝廷に献上
682年、九州南部の隼人を近江宮に招宴
688年、東北の蝦夷を近江宮に招宴
699年、種子島、屋久島、奄美、徳之島、、朝廷に宝物を献上(続日本紀)
714年、朝臣・遠健治(とおけんじ)が南島(沖縄)、奄美、信覚(石垣)、球米(久米)の人、
52名を連れ帰る みなさん、ご存知と思いますが、
昨年末の国立遺伝学研究所の斎藤教授の遺伝子研究により
沖縄人は日本本土人と同じ縄文人の末裔であることが科学的に
証明されました。 >>127 >>168 >>226
現代日本に標●語はありません 現代日本に定められてあるのは共通語です 共通語と関東弁は違います
wiki「標●語」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>標●語(ひょうじゅんご)とは、公共の言説において人々の集団(民族、共同体、国家、組織など)によって用いられる言語変種である。
■各言語における標●語
日本語
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基に標●語を整備しようという試みが推進された。
>これに文壇の言文一致運動が大きな影響を与えて、「標●語」と呼ばれる言語の基礎が築かれた。
>なお、「標●語」という用語は岡倉由三郎によるStandard Languageの日本語訳である。
>官公庁の公式文書などには、普通文が主に用いられる。
>太平洋戦争以後は国家的営為としての標●語政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「標●語」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本には標●語を定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式には標●語は存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「標●語という用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
>柴田は、1980年に出版された『国語学大辞典』において、共通語と標●語の定義の違いについて、次のように述べている。
>「共通語は現実であり、標●語は理想である。共通語は自然の状態であり、標●語は人為的につくられるものである。
>したがって、共通語はゆるい規範であり、標●語はきびしい規範である。
>言いかえれば、共通語は現実のコミュニケーションの手段であるが、標●語はその言語の価値を高めるためのものである。」――国語学会編『国語学大辞典』東京堂出版、1980年9月 【重要なお知らせ】
8月6日より、NGワードが含まれるスレッドの埋め立て作業が行われます。
スレタイまたは本文にNGワードが含まれるスレッドは、すべて埋め立ての対象になります。
NGワードは「標準語」「カッペ」です。
ご理解とご協力をお願いします。
なお、このお知らせは対象となるスレッドにのみしております。 東夷は最低のバカと認めるしかないのでは?
中国四国の人達に謝れよチョンホグ屑土人 「ヤマトンチュウ」=「ヤマトの衆」
「ウチナンチュウ」=「うてな(台=台地)の衆」 ? 琉球方言は地域ごとに差が大きいのは言うまでもないと思う。例えば下記の通り。
頭 荒木binta 諸鈍hamatɕ 国頭tɕiburu 麦屋ɸaɾaʥi 今帰仁tɕimbu 首里tɕiburu 砂川kanamaɿ 大神kanamaɯ 波照間amasukuru 祖納mimburu
垢 荒木çiŋɡuː 諸鈍çiɡɾu 国頭aː 麦屋ɡoːɾa 今帰仁piŋɡu 首里ʔaka 砂川naba 大神napa 波照間futaɾɨ 祖納ɡaba
兄 荒木jakkiː 諸鈍jakmɘ 国頭miː 麦屋jaka 今帰仁miːmiː 首里ʃiːʣa 砂川aʣa 大神suta 波照間ɕama 祖納sunati
しかし差が大きいにも関わらず、全ての方言で母音のeがiに、oがuに変化してるのは何故だろうか?精々奄美に一部変化してない語彙がある位で基本的に琉球諸方言の全てでこの変化は起きている。
弟 東京otoːto 名瀬ʔututu 亀津ʔuttu 江島ʔuttuː 首里ʔuttu 池間uttu 石垣utudu 祖内ututu
手 東京te 名瀬tï 亀津tiː 江島tiː 首里tiː 池間tiː 石垣tiː 祖内tiː
実際の所は/e/が/ï/や/ɿ/になることで合流を避けたり、有気音/無気音で区別する地域もあるので合流してるとは限らないが、それでも其の儘の地域は無い。主に14〜15世紀に進んだ変化のようだが、地域差が大きい筈の琉球方言で起きてない地域が無いのは何故なのか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています