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理由も言わず家に押し込む高知保護観察所の溝川公平
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0001冤罪被害者
垢版 |
2018/05/17(木) 07:29:49.81ID:qjc/2qMC0
本件のスレッドは、ここで告発している「無実の私は犯罪者にでっち上げられました。」に
関連することです。

私はこれまでと同様に、四月から私の担当になった高知保護観察所の保護官で
ある溝川公平に裁判資料のすべてを見せ、私は悪いことは何もしておらず、保護
観察下におかれる理由はありません、裁判資料を見せていますから、私ががどん
な悪いことをしたのか言ってください、何も答えられないのであれば私に対する
保護観察などできないはずです、と溝川公平に何度も言っています。

しかし前任者の横山豊と同様、保身に駆られた溝川公平は私の問いを無視し、
何も答えず、何も答えられず、ただ一つ言うことは「裁判で有罪になったから」
それだけをおうむ返しに答えるだけです。それでいて私から個人情報を強引に
引き出そうとし、私の私生活のことについてしつ こく聞き出します。そして頻繁
に会うことを強制します。 その上質問をする私へのいやがらせのために私の家に
強引に押しかけるのです。これではまるで強盗です。

そもそも何も悪いことをしていない普通の社会生活を送っている善良な人間に、
保護観察にある「社会復帰」とか、「更生」とかの保護観察をいくら行っても
無意味なことは子供でも分かることです。しかし溝川公平にとってはいくら
無意味でも、いくら人権侵害になってもそんなことは関係ないのです。

保護観察官は人権を守る立場にいながら、その人権を溝川公平は、私の質問への
嫌がらせとして故意に私の人権を踏みにじっているのです。これは犯罪行為です。

その上私が悪いことは何もしていないことを承知しながら(そうでなかったら私の質
問に「裁判で有罪になったから」以外何か答えるはずです。)、溝川公平は横山豊た
ちと同様保身や自分のことしか考えないなんとも情けない人間です。

結局溝川公平は、同じ保護観察官である横山豊や山下作一や伊波裕と同じ、自己の
職務に対するプライドも信念も良心も持たない、人間としての価値もない人間の
皮を被った冷酷漢にすぎません。溝川公平はとても保護観察など務まる人間ではあ
りません。
溝川公平は、私の窮状や守るべき人権よりも自分が大事であり、保身しか考えていない
のです。

相手(私)がどのような悪いことをしたか何も答えられない、私が悪いことをした
とは思っていないのにその無実の私に対して職権をちらつかせて無意味で害しか
ない保護観察を強引に押し付けることは法的にも倫理的にも絶対に許されないこ
とです。

無益な保護観察を続けることは、税金の無駄遣いでもあり、何よりその者の人権を
侵害することになります。
しかし溝川公平はそんなことは平気です。

このことは開示のホームページの「告発」の26から27ページでも詳しく述べていま
すのでご確認ください。(但し原稿が間に合わず溝川公平のことはまだ記載して7いません。)


      http://an.to/BOE7456
0183傍聴席@名無しさんでいっぱい
垢版 |
2018/06/18(月) 19:17:21.27ID:nrVBOsJh0
>>98
亀レスですが、世間での偏見を持たれる事や理解されない事は辛いですよね
ここで憲法の条文を持ち出すのはナイーブかも知れませんが、
全体の奉仕者であるはずの公務員にも現実には国民に差別の
目を向ける人がいるというのは辛いですよね

私は、福祉関係者ですら精神障害者の症状を理解せず悪口を
言っているのを見た事があります
私は以前障害者のための就労支援施設に通っていたのですが
そこで、統合失調症の方の恋愛妄想(念慮)と思われる症状を
本人のいないところで自意識過剰だと言っていた職員がいるのを目撃しました
私は思わずその人達に、それはこういう症状なんじゃないのかと説明しました

ずっと思考が止まらない特質をお持ちなのですね

私は10代の頃、抗精神病薬の離脱症状で
一時期思考が止まらなくなった事があります
色々な思考が絶えず湧いてきて自分でコントロールできないのです
私の場合は薬の離脱症状でしたから苦痛でした

また、少しADHDの傾向があるせいか
目の前の事に集中できず意識が逸れて考え事をしている事がしょっちゅうあります

ですが、あなたのは私の状態とも違いそうですね
私の場合は寝ている時までは思考していないと思います
0184傍聴席@名無しさんでいっぱい
垢版 |
2018/06/18(月) 19:59:58.22ID:nrVBOsJh0
>>98
これは前にも書いたかも知れませんが昔は哲学という1個の学問しかなかったそうですね
また、現在は宗教とは縁遠い数学も元は数に神秘性を見出だす
ピタゴラス達の教団によって発見された定理もあると言います

私は昔自然科学の考えが唯一絶対だと思っていた事がありました
ですが、ある哲学に詳しい人と接する機会があってからは
実は
近代合理主義という枠組みの中で考えているに過ぎないと気がつきました
近代合理主義以降、自然を観察して理論を組み立てて行く学問が出来上がったと言います

今現在の社会では自然科学の考え方に沿って物事を考える方が
上手く行くからそうしています
ですが、もしかしたらそれが何百年・何千年後も常識とは
限らないかもと考える事があります
中世から近代に以降したような思想の変化がまた起こるかも知れないです

西洋の唯一神の存在を認める宗教も、唯一神を信仰せず悟りを求める仏教も
人間が自分の力ではどうしようもない自然の摂理の中に生きているという
前提は同じだと思います

語弊を恐れずに言うとキリスト教徒はどうしようもない自然の中で
神に助けを求め、仏教徒は悟りを開く事で、自分の力ではどうしようもできない
世界の外に飛び出そうとした
私はそう思っています

話は少し変わりますが中村元先生という仏教学者の書いた
『釈尊の生涯』という本があります
この本中で中村先生は釈尊は悟りを開いた後も実は煩悩に
悩まされていたのではないかと書いています
だからこそ、沢山の戒律を設け、自身や信者を戒め、
生涯修業を続けたのではないかと書かれていました

私は中村先生の考えるこの釈尊像が好きです
一切智者になってそこで終わりではなく、生涯求道心を絶やさず
一途に真理を追い求め続けたと言う方が凄いと思うからです
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