【IT】「とほほのWWW入門」管理人が26年間も更新を止めない理由 [田杉山脈★]
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インターネットが世の中に急速に普及した、1990年代後半から2000年代前半ごろ。当時はまだ、ブログやSNSといった手軽な情報発信ツールが一般的ではありませんでした。
そんな時代に情報発信をするにはWebサイトが必要で、Webサイトを制作するためには専用のHTML言語を習得する必要がありました。
書籍だけでなくインターネットにもHTMLを学べるコンテンツはさまざまありましたが、中でももっとも多くの人が参照したであろうサイトが「とほほのWWW入門」。Webサイト制作に関する膨大な情報がきれいに整理されており、素人でも分かりやすくHTMLについて学習できる「先生」のような存在です。
とほほのWWW入門は1996年に開設されましたが、26年たった今も健在です。現在でもコンテンツは精力的に更新されており、HTMLに限らずあらゆるWeb技術を網羅しています。
ユニークなのは「番外編」として、管理人である杜甫々(とほほ)さんの趣味や学びに関するコンテンツも掲載されていること。陶磁器や洋楽、仏教、資産運用、広島ラーメン……など、「HTML入門」と同じように膨大な情報が見やすく整理されています。
現在、60歳を目前に控えている杜甫々さん。年齢を重ねてもモチベーション高く学び、楽しみながら情報発信する原動力はどこからくるのでしょうか。
杜甫々(とほほ)さん
1960年代生まれ。大学卒業後、広島でソフトウェア会社に勤務。勤務の傍ら、1996年からWebに関する技術情報を紹介する「とほほのWWW入門」を開設。たまに中断しながらも、かれこれ25年以上、趣味の一つとして継続している。著書に「すぐひける・よくわかるHTMLハンドブック」、「CGI&Perl究極のレシピ350」。
──杜甫々さんは、1996年に「とほほのWWW入門」を開設されました。そもそものサイト開設のきっかけは何だったのでしょうか。
杜甫々さん(以下、杜甫々)
私がインターネット自体に触れたのは1988年のことです。会社に入って、たまたま配属されたのがインターネット関係の研究所でした。そこでインターネットの研究を行っていたのですが、そのときはまだWebというものは存在していませんでした。何年かたって「Webというものがはやっているらしいぞ」という話を耳にするようになったので「やってみようかな」と思ってWebサイト制作に取り組みました。
ただ、当時はまだWebサイト制作に関する日本語の情報があまりなかったんです。仕方なく英語のサイトを見て学んだりしていたのですが、どうせならもう自分で情報を整理しようと思い立ちました。そして、情報を整理したんだし、せっかくならWebに載せてしまおうという感じで立ち上げたのがとほほのWWW入門だったんです。
──綿密に計算してサイトを開設したというよりは、「せっかくだからやってみよう」くらいの感覚だったのですね。
杜甫々
そうなんです。だから、別にとほほのWWW入門だけをやるつもりもなかったんですよ。当時は妻がペイントブラシで描いた絵とか、家庭内で起きたよもやま話とか、いろいろなコンテンツを載せていて、WWW入門はその中の一つという位置付けだったんです。
以下ソース
https://kaigo.homes.co.jp/tayorini/interview/tohoho/ すばらしいサイトでございます。
最近はcssでやれることが
多すぎて
けっこう混沌としております とほほさんのperlを見て3日で挫折
同サイトphpを見て5日で挫折 凄いな、1988年にインターネット触ってるとかもう初期も初期の超古強者じゃないっすか
1995年くらいにmaclife経由でプロバイダ入ってエロ画像ダウンロードしてヘラヘラ喜んでたなあ >>9
テレホとかの頃、当時にしては珍しく求人ページ出してる会社あったのでアクセスしたら、javascript大量、音楽かかるクソ仕様でpc壊された思い出 >>9
1988年にインターネットあったのか?
軍事用?? >>11
うちの大学は接続されてたらしい
工学の先生から聞いた
企業でも早いところはやってたんじゃないの? htmlだけじゃなくて色んな言語のページあるからコードコピペしたことある人は相当いるはず とほほと猫でもわかるプログラミングには大変お世話になりました ワイが97年頃にホームページ(当時はWebページと呼べと馬鹿にされた)を立ち上げた時にお世話になったやつや
PerlでCGIとか未だに使ってる奴おるんかな お世話になりました
これが起点となりPCいじれるようになり今のオイラがある なんだよ、感謝の声しかないじゃないかよw
まぁ実際お世話になったしな
このサイトのおかげで何とか仕事が間に合ったりした
多くの人の人生を救ったんだな JavaScriptが新しくなっても対応してたりして、結局いつの時代もこのサイトで何かを調べてるイメージ
今年はたまたま広島に旅行して、八昌というお好み焼き屋が一番美味しかったから八昌について調べたときも一番詳しかった説明がこのとほほのサイト 夢中になれることがすごい人にしてくれるんやね
アホな会社は目指すキャリアがどうとかやってる場合じゃないで インターネットが世の中に急速に普及した、1990年代後半から2000年代前半ごろ。
はおかしいな
とほほは1996-9が画期的
2000年過ぎまで入れるとインパクトに欠ける Youtubeが2007年くらいか
そのときはまだなかったSNSという言葉 >>11
アメリカでは大学とか普通にあったってよ
大学入ると電子メールとか教わったってよ文系でもだ文系言わないけどね >>18
管理代行もやってるけど、たまーにmovabletypeとか出てきてやだなーって思う。 >>11
日本で会社ならUsenet接続のインターネットじゃね 何がすごいってこのサイトよりも先に「トホホ」って言葉自体がなくなりつつあることだよな 技術部門が国外の技術部門とメールやり取りするのにUUCP接続とかフォーラムのcompとかaltとかがUsenetで Usenetの日本版のfjにはシグナチャーそのまま載ってたよ
日本ヒューレットパッカード技術部なになに
とか
電話からなにから
今でもあるかもね Usenetの日本版のfjにはシグナチャーそのまま載ってたよ
日本ヒューレットパッカード技術部なになに
とか
電話からなにから
今でもあるかもね 社会人2年目くらいの頃に仕事で困ってると上司から「とほほ」で調べろと言われた
それ以来ブラウザの検索窓に「とほほ」と打ち込むのが習慣になった
家で仕事することになったとき、付き合ってた彼女が横で見ていて俺が「とほほ」と打ち込んでるのを見てめっちゃウケてた >>4
CSS使い過ぎるとなんか自主性を失いそうにならないか?
>>18
自分の記憶を辿ったら、掲示板作り始めた時Dream WEAVERが無かったんだよな
で後からマクロメディアが出したからやり始めは多分89年ぐらい
通りでトホホにお世話になった訳だ
ありがとうしか言えない 昔は
面接の時に、面接官にメールアドレス持ってます!と言うだけでパソコン上級者扱いされたもんだよ
余談だが、たまごっち持ってるだけで彼女もできた。まぁたまごっち奪われて別れる事になるけど >>42
89年はマクロメディアのdirectorの時代だ
freehandっていうイラレのライバルもあった
しかしDREAM WEAVERは日本のインターネット商用化始まってそれこそとほほ様のおかげでホームページ作成が賑わってきた頃
今調べたら1997年だ >>43
今は当たり前になった逆引きみたいな
必要性から検索できてで使い方まで教えてくれるみたいな感じだった 更新してるか知らんがKENTWEBもまだあるな
レッツPHPもググったらまだあった たまに間違い見つけるんだが問い合わせフォームがどこにもない 88年だと日本にインターネットはない。
おそらくパソコン通信と混同してるね 当時、最初につなげたウェブサイトはひまわりの衛星画像だったという人は多かったと思う。ブラウザーはmosaic、メールはユードラだったな。 >>56
最初のWebサイトはCERNじやねーの?他は一緒
Macで >>54
パソ通でWeb制作ドリームウィーバーと間違うのは余程のおいぼれじゃね?
日本のインターネット最初は93年だったが
個人が使えたのはベツコアメ様くらいからだね
94年か95年 >>59
最初ってのは商用で
WIDEとかNTTとかあと外資とか使ってたろ >>60
たびたびすまん
x WIDEとかNTTとかあと外資とか使ってたろ
o WIDEとかNTTとかあと外資とかもっと前から使ってたろ 世話になったな、あれ見て色々学んで
氷河期で苦しむ同世代を横目にITバブルの時に1人法人でサービス立ち上げて数年間1億ぐらい稼げたわ
まだ別の技術で稼げているから恩返ししたいぐらい むかしお世話になったの正しい使い方が
できるっていいよね(´ε` ) 老舗だよな。昔からネットを支えてきたサイトの一つだわ >>60
少なくとも日本IBMだと90年台前半だとインターネットには接続してない。
ネットワークとメールはメインフレームに接続してやってた。
IBMでインターネット接続したのは恐らく 90年代半ばくらいだと思う。
NTT研究所くらいだとそれ以前から使っていた可能性はあり得なくははいが
NTT研究所だと東大院卒くらいしか取らないし、この人の経歴やあのHPの
中身から考えて、そこまで高学歴な人とは思えないな NTT研究所が出展してWorld Wide Webってデモしてたのが92年頃のテレコムフェアだったかなにか狭い展示会だったな
狭いからサンシャインあたり
94年ごろネット接続できるようになっても家からだとMacはtcpip使えたのにWindowsは3.1は難しかった
トランペットってのを使ったな
Macは高城剛のフランキーオンラインとかCDROMで、繋いであつ森の紙芝居90年代版だったし
まだYOUがボーカルのころFAIRCHILDのCDにCDROMが付いてた時代 >>11 国立大学どうし、超長い専用線でつないでた。
ある大学は、建物がボロボロで廊下に鳩はいり放題、
ハブボックスの上が鳩が休憩するお気に入りの場所だったのだとか。
私が知ってる時代だとHTMLは論文電子化を目指してると聞いたのと
(今はPDFだけど)
TELNET中心だったので、1Mbps以下でも「まぁそんなもん」って感じだった。 とほほさんには本当にお世話になったわ
初心者にとってとてもわかりやすいサイトだった
まだ存在してるのね 個人的にはひしだまのホームページも評価されて欲しいw え?まじで?
昔お世話になったなぁ
天国でゆっくり休んでください(-人-) お前らが昔お世話になったという「ぐへへのチョメチョメ入門」ときいて >>14
会社の研究所とか書いてるからJUNETじゃね? >>54,65
> 88年だと日本にインターネットはない。
> おそらくパソコン通信と混同してるね
なにも知らないのにテキトー書くのは恥ずかしいぞ >>82
普及してたとは言えないんだからあってるだろ。
nttとか一部でやってたから!とか文脈飛ばしてまだ噛みつくか? だれも普及してたなんて言ってないのに何言ってるんだよw
会社の研究って書いてあるだろ Niftyでもすでに他ドメインへのメール送信はあったな
つまりはすでにインターネットがあった >>84
だから文脈つかめてねえなら黙ってろよポンコツ
勝手に相互リンクしないでくださいとか言ってた気狂いかオメーは 文脈w
とりあえずアンカーぐらいまともにつけられるようになれよ >>11
アメリカの大学行ってたけど
大学のレポートをインターネットで送ってた まだやってたのか!
おそらく同世代、同時代を生きてきたよ
俺もたまたまシステム担当で
第二種情報処理とか取らされたw
このサイトにはお世話になりました まだやってたのか!
おそらく同世代、同時代を生きてきたよ
俺もたまたまシステム担当で
第二種情報処理とか取らされたw
このサイトにはお世話になりました ここ参考に勉強してCGIとか書いてたな当時
ただここのPerlスクリプトは汚いw
稀にググると出てきて古臭いサイトが何で出てくんだよと思ったら新しい情報でビビった
モチベーションを維持できるってスゲーわ >>85
ニフティサーブでインターネットメールを使えるようになったのが1992年
IIJ創業の年と同じだってさ
意外と歴史長いんだね >>11
ジュネットとかいう日本の大学間ネットワークがあった
それがアメリカにもつながってた なんかあんまり覚えてないけど多分お世話になったんだろうな シンプルで初心者には見やすかった
助けてもらいました >>92
まあ多分会社に入って最初の仕事がインターネット関係と言う事はそう言う事が好きだったんだろうし色々思入れもあるんだろうね
関係ないけどとほほのトップページって今回初めてちゃんと見たわ
https://www.tohoho-web.com/index.htm
とほほママとか初めて知ったし ググればカスの時代にホムペは最強だよな。
スマホで検索してるとホンマにカスすぎて泣ける。 テキストエディタでHTML書き込んでページが表示された時は感動したなあ >>103
検索上位に出てくるのは最後に特定のソフトの宣伝になっているサイトが多い 年よりホイホイスレになってんなw
懐かしいねえ。ネット黎明期。 >>1
88年ってことは、パソコン通信時代だね
会社の仕事で草の根BBSとか広島でやってたんだろうな
wiki 草の根BBSだと
WWIV、BIG-Model、mmm、KT-BBS といったホストプログラムが紹介されてるが
確か広島ではナナコじゃなかったなんとかっていう女性の名前みたいなホストプログラムが主流だったような
名前忘れたわ おもわず 某まちB●Sの中国板に
広島の草の根BBSの思い出
のスレ立ててしまったわ >>54,110
なぜこういう知ったかバカがしゃしゃり出てくるんだろう... >>112
は?
村井純のJUNETとかはあったが
PC-VANやNIFTYなど大手と各地の草の根BBSなどパソコン通信も
並行して皆色々やってたよ
言っとくけどオレ元そっちの専門な パソコン通信も、ここの2chも俺が潜水艦の開発すんのに
うそのレイプでっち上げておまえらに報道させただけででかく
なっただけだよ >>65
IBMのSNAは専用線じゃないと通らんってんで
専用線売ってたわ 懐かしい >>94
パソコン通信の草の根BBSでも
自前で海外とバケツリレーやってたところもあったよね
英語が主体なのであんま日本では流行らなかったが
草の根じゃないけどコンピュサーブはたまに見てたわ >>93
パソコン通信マニアの多くは
まずはEメール使えるようになったところから
触れるようになったんじゃないなかな>インターネット
次にMOSAIC登場でWebが徐々に浸透
そしてNIFTYが囲い込んでたユーザーが
徐々にネット利用へと以降していったよね 中学の頃詩人の杜甫もじって杜甫々のペンネーム名乗ってた黒歴史を思い出したorz >>93
これは業界の人間しか知らないネタだが
PC-VANとNIFTYとでは
インターネットメールとの接続数がケタ違いだったって話
先にサービス始めたのはPC-VANだが
もうその頃には圧倒的にNIFTYが業界を席巻しちゃってた バイト先にUNIXのサーバがあったからいわゆる@ナニガシのメールアカウントもらったの1992年だけど
当時はサーバ同士の接続頻度が低すぎてバケツリレーでメール届くの三日後とかだったから急ぎのメールはニフティで、が仕事のお約束だった
なんてな話を若い衆にしてもおじいちゃん通り越して化石みたいな目で見られちゃう >>120
インターネットメールとの接続数 じゃ分かりにくいか
ようはNIFTYからの(インターネットと接続しての)Eメール利用数は
PC-VANからの利用数とケタが違ってたって話
>>121
NIFTYの某最大規模フォーラムのSYSOPは粋田化石(漢字忘れた)とも名乗ってたような >>114
パソ通の専門家w
研究って言ってるのにアホすぎだろ >>124
まあそうやってマウント取りたいんだろうけど
オレがIBMのSNAがうんたら書いてる時点で
業界の人間はオレがただのパソ通専門家でなく通信の専門家って分かるからどうでもいいよ >>66
NTTと言えばCAPTAINシステムで
オホーツクに消ゆ と ポートピア連続殺人事件
を遊んだのがガキの頃の一番の思い出
あ?World Wide Webちゃうって? 失礼 >>126
通信の専門家ならSNAとインターネットは似て非なるものとわかるはずだしそもそもパソ通なんて言わないと思うけどねw >>131
大臣はもう少し高い位置からの判断が求められるからどっちかと言うと有識者会議メンバーとかの方が合ってると思う >>128
同世代かも
小学生の時、遊んでたよ
その後、FM77→ザウルス→Win3.1って感じ (;´д`)トホホ…
かとおもったわ
杜甫々(とほほ)さんって、杜・甫々なのか?
トも、ホホもめったにいない人名とおもうが外人か? とほほ、むふふ、えへへはペンネームらしい
(;´д`)トホホ…と近いか
https://project.gotanda-valley.com/15642/
―一時期は死亡説も出ていたので、実際にお会いできるか心配でした。
つい先日までGoogleで「杜甫々」を調べると、関連検索ワードで「訃報」と出ていました。
私は広島県出身なのですが、たまたま同じく広島県出身で「とほほ」というペンネームを使っていた方がお亡くなりになった時に、誤解が広まってしまって。
ある日、弟から「生きている?」とメールが届いたので、「生きている」と返したら、「ネット上で大変なことになっている」と言われて気づきました。
家に帰ってから、その方にお悔やみを申し上げるのと同時に、自分が生きていることをサイトに掲載しました。
――そんなことがあったのですね……。ちなみに「とほほのWWW入門」というサイト名や「杜甫々」というペンネームには、何か由来があるのでしょうか?
思いつきと偶然ですね。現在もかろうじて残っていますが、当時は別のページもあって。
画像素材を載せた「むふふの素材集」や、どんな内容か忘れてしまいましたが「えへへの○○」など。
その中で「とほほのWWW入門」のアクセス数が最も多かったので、ペンネームも杜甫々にしました。
――もし、素材集が人気になっていたら、「むふふさん」になっていたかもしれませんね。
そうかもしれませんね。もしかしたら、「むふふ」と名乗っていたかもしれません(笑)。 新しい言語を習得する時にはとほほが一番分かりやすい alt.picture.lolita…….
とかでゴニョゴニョww こういう素晴らしいサイトが最近は検索エンジンでヒットせんのよねぇ >>144
昔は会社でもnetnews見れてた
さすがに会社から投稿はしなかったけどのどかな時代だったな >>146
fj.politics…?なんか筑波の研究公務員が勤務時間に実名晒して政府批判とか、まあのどかでしたわな
そんなことしてるから独法化、研究公務員の任期付きになったとしか思えんわま >>121
あ、そうだわインターネットメールって、わりとボトルメッセージ状態なの思い出した。
懐かしいなあ。
プロバイダの出現からADSLの登場まで10年弱って
今考えたらすごい開発スピード。 ホームページ、ブログ、SNSと移ってきたけど、webページが一番自由度が高かったな(´・ω・`) 最終的にはXOOPSで終わったけど手打ちでHTMLや素材を手作りしてた頃が楽しかった >>149
ホームページとWebページの使い分けがわからん >>153
ホームページはできたモノ、Webページは技術
だと思ってるにわかです .htaccessの人が亡くなったんじゃないっけ。
ごっちゃになる >>153
(´・ω・`)最初のもwebページだった。
ホームページはIEとかで最初に開いたとき表示されるようにしてたやつ。全部webページ。 ネット黎明期にあった雑文サイト
最近「おかずパワー」がまだ残ってるのを見つけて感動した。(大西科学)
http://onisci.com/191.html 大量に飲酒する人やアルコール依存症の人は、高い割合で脳萎縮がみられることがわかっていて、大量に飲酒をすることは、認知症になるリスクを高めることにつながります。
アルコールの大量摂取や、アルコール依存症は、とくに65歳未満で発症する「若年性認知症」の発症リスクを高めることが明らかになっていて、
さらに男性の若年性認知症の方のうち、半数以上がアルコールに関連する認知症だという結果も報告されています。
アルコール性認知症 | e-ヘルスネット(厚生労働省)
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/alcohol/ya-051.html ここより新しいけど、ワイがよくお世話になるのはM.Hiroi's Home Page >>58
CERNってタイムマシンで世界を支配しようとしてる奴だっけ >>157
時間的には
日本はホームページといったよ最初の最初
HTML文書 html documentのことを全て
最初の頃はあまり長くせず次のページとか前のページってリンクあったからああこれはページなんだと思って疑問に思わなかった
ホームページビルダーなんてソフトが大IBM様が出したくらいでこれは日本のIBMらしいけどね
そもそも最初から違うんじゃねホームページはいちばん頭だけじゃね?いや頭はトップページゆーんだとかいう派はいた
がマイノリティでしばらくして2000年も過ぎる頃あたりかなあ
Webページっていうんだよねーが普通に受け入れられるように「だんだん」なってきて10年くらいかかってそれが多数派になったようなオレの印象
たぶんだ
Wikipediaが浸透してきて英語がその項目名になってるってのが正統性に権威を持たせてると思う特に日本は権威に弱い決してWikipediaは権威じゃないけどそう思うやつは多い
でページいうのもいるけど英語ならdocumentの方が多数派だとこれも勝手に思う
いや正確には一つの画面さすならページでもありかもしれないがそのサイトのそのサブ項目のある一連の関連した話題も普通は複数だからドキュメント呼びするんじやないかな
ドキュメントってそれだけで複数ページあろうがなかろうが単数で全体をさす
長くなるからあとは調べてね
英語でね Wikipedia英語のWeb page冒頭は
A web page (or webpage) is a hypertext document on the World Wide Web.
ハイパーテキストドキュメントとはHTMLで書いたもののこと
HTMLはハイパーテキスト マークアップ 言語
そしてその英語から日本語のリンク先は
ウェブページ
になってるね
このウェブページの初作成をみると2003年2月
Wikipediaに書く人は新し物好きが多いからみんなが使うよりも先に書いてると思うけどこの辺りなんだね
もしかしてホームページはと見るとこの作成日も同じ日だ
Wikipediaがこの辺りにできたのかな
参考にはならなかったかもしれないが
こんな感じだ たびたび申し訳ない
英語WikipediaのWebページの最初は
2001年12月だった
それは
Web page is a displaying format of HTML which shown in a [[
browser]]
これだけの説明
ちなみにHome pageもあって初作成はweb pageより早い2001年2月
その現在の説明の冒頭は
A home page of Wikipedia (in 2014) is displayed in a web browser. The small house-shaped button in the upper left is for the browser's start page.
A home page (or homepage) is the main web page of a website.[1] The term may also refer to the start page shown in a web browser when the application first opens.[2] Usually, the home page is located at the root of the website's domain or subdomain. For example, if the domain is example.com, the home page is likely located at www.example.com/.
スタートページもここに連れてこられる
そういう意味 >>149
ホームページはHTMLで作った文書
互いのリンクはHTMLを書いた
これをカンタンにつくれるソフトが出てきた
ネットのサービスも出てきた
これがさらに使いやすくなってのブログ
ブログはWeb logの略で日本式ならウェブ日記
HTMLを意識せず手軽に作れるような仕組みのこと
相互リンクも当然できた
さらにSNSは最初マイクロブログと呼ばれた
ブログをより手間かからないようにしたもの
相互のリンクもより手間がかからない
でも中身は全部HTMLやその他のテクは一番最初のやつと同じ
変わってない
発展じゃなくてカンタンに使えるものが上乗せされてるだけで全部共存してる
というかWebがなければブログもSNSも存在できない つまりブログもSNSもWebです
ここで間違ってはいけないもの
それはWeb3といって宣伝されてるもの
あれは上のWebとは全く関係ありません
Web2.0はSNSの宣伝のために本屋さんが作った言葉です
だからWeb2.0はWebです
この時それ以前のものつまりブログから前をWeb1.0と便宜的に分けることもできました
最初からWebにバージョンナンバーがあったわけではありません
その後最初のWebを作ったイギリスのティム・バーナーズ=リーさんが2010年ごろWeb3.0というものを提唱しましたがあまり受け入れられませんでした
ところが2014年に仮想通貨のイーサリアムメンバーがWeb3.0といってイーサリアムの世界を宣伝始めました
これがいまWeb3と短くされていろいろと特に経済関連や政治がらみでも日本で囁かれています
このWeb3はそれ以前のWeb2.0とかWeb1.0を引き合いに出して語られることが多いのですが、ここに書いたように、それは騙しのテクですから
皆さんは騙されないようご注意ください >>167
ハイパーテキストは一つの文書から別の文書を呼び出せる文書のことです
HTMLはこれをアンカータグ
<a href="betsu.html">別の文書</a>
を書いておくと別のが呼び出せる仕組みです
ブログもSNSも中を見ればこれです
(細かくいろいろありますが)
これがハイパーテキストの考え方を実現して唯一成功して世界中で使われているHTMLのその基本です
これができるからハイパーテキストです
でも仮想通貨は関係ありません
Webにくっつける形でエアコンスイッチ入れたり
ネット経由で録画したりするのをWeb3というような話を
仮想通貨とそれもちょっとプログラミングできる仮想通貨機能のイーサリアムをWeb3と言い出したわけです
Webの発展では全くありません
ご注意ください >>169
x ネット経由で録画したりするのをWeb3というような話を
o ネット経由で録画したりするのをWeb3というような話と同じようなレベルで 俺にエンジニアの種を植えてくれたサイト
別業種で働いていても役に立ってるわ httpd関係も充実してるのがいいね
rocky linuxでSSL対応のhttpdをインストールしようとしたけどうまくゆかなくて
このサイトでサーバ鍵は1024bitだと今はエラーになるということを知って解決した 1995年にbekkoameに加入してネットデビュー
ブラウザはmosaic、netscape
検索はalta vista
懐かしい >>94
それが村井純のJunのnetだというのは公然の秘密 村井さんが学校の床下潜って初期のイーサネット引いてるの見てみんな何してるのと笑われたというのが1984年くらいらしいよ この辺りとかからたぐれよ
www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No29/060.html
インターネット 歴史の一幕:JUNETの誕生
奈良先端科学技術大学院大学情報科学センター教授◎砂原秀樹
1982年の3月、村井純氏に出会いました。この時慶應義塾大学の4年生だった私は研究室に配属されたばかりで、 名称
名称は当初「ジェイユゥネット」と読まれ、後に「ジュネット」の読みも広まり、どちらも正しいとされている。
名称の由来は Japan University Network とされることが多い。J は文献によって Japan または Japanese
となっている。U は University, UNIX, UUCP などの意味をもつが、どれを正式なものとしても例外が多いの
で、これらの意味を兼ね備えるとされた。半ばジョークであるが、村井純の名前に由来する「純ネット」だ、
などとも言われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/JUNET >>11
まずinternetってのはnetwork同士を繋いだもの
the Internetというと
TCP/IPプロトコルでさらにいろんな決まりごとを合わせてのinternetを指す
ここまでなるためにはいろんな段階がある
アメリカでも軍から軍関連の学校
軍から切り離した学術用
さらに商用
学術ネットを使えるように1980年代とかはアメリカの学生は入学するとメールアドレスとか使い方がガイドされたらしい
そんな中であちらさんと知り合った村井さんが日本でそれを少しずつ始めてアメリカも繋いで
でも日本は通信の法律で特別な研究としてしかできなくてJunetや続くWIDEは学術研究用
それで育った人たちの努力で
1993年にNTTとかが商用を法人向けに始めたのが日本の幕開け >>178
文献によってより村井さんに聞けよって話だよな 本人に聞いても笑って答えないと思うけどね
なぞってことにしておきましょう オレ個人としては1994年の幕張メッセでの
Networld+Interop 94だよね
wwwがお披露目されて
ここから日本全体が大きく動き始めた印象
Bekkoame作った人もこれで東芝なんかにいるもんじゃないとやめて始めたとか言われてたな
裕福なうちだったらしいが もちろん速攻で村井氏たちのワークショップにその場で金払って話聞いたよ その時のワークショップ資料薄いけど記念にとってあるな JUNETやWIDEを94年の時点でなんと説明してるか
引っ張り出せば書いてあるかもね
歴史はかっこよく書き換えられるからね あと、その時村井さんの右腕のひとり
長髪の吉村さん
が日本の商用ネットワーク形成までの話を書いた95年くらいの厚めの本も初期の日本のインターネット形成過程の特にプロバイダ間接続プロトコルとか説明してるだよね
その後だんだん複雑化して部外者としては知ろうとも思わなくなったけどね そういう意味では
インターネットってのは
プロバイダ間の接続こそインターなネットワークだから
各個人がプロバイダを使っててその中の人同士のやり取りはそのプロバイダのネットワーク内だから
インターネットじゃない
ただし使ってるプロトコルがTCP/IPならこれはインターネットプロトコルをつかってる
IPってインターネット プロトコルって名前だよ
企業は企業内独自のネットワークがあるのが普通だから企業が外部プロバイダに繋いだらその接続はネットワークを跨ったインターネットだよね
そんなふうにネットワーク同士がつながって一つのネットワークのように使える
それがthe Internet しかし今となっては
家庭内LANとか普通だし
線なんてないけどWiFiルーターで繋いだ家の中とかはそのルーターが仕切る独立した家庭内ネットワーク
そこからプロバイダに繋いでるなら
かなりの家庭がインターなネットワーク接続してることになるね
その際の家庭内のネットワークはDHCPとかで割り振られた192.168.1.5とか使ってね >>188
うちのIPアドレス勝手に使ってんじゃねーぞ(お約束) >>188
外に見えるのは自宅ルーターのWAN側のグローバルIPだけだろ >>116
それより数年〜十数年あとだろうけど
富士通のFNAを電話回線(INSかな)で繋ぐ仕事してた >>136
ザウルスは携帯機だから他2台と並行して使ってない?
旅行先でグレーの公衆電話探し回ったり ザウルスってGCC使えてましたよね
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