戦後日本をグイグイと引っ張り、何百万、何千万もの国民を食わせてきた基幹産業が見る影もない。時代は流れ、「日本製」の文字から往時の輝きはとうに失われた。現場ではいったい、何が起きているのか。
火が消え、人が消えた
「ねえちゃん、いいちこもう一杯くれんか!」

汗と油で顔を光らせた男たちが、煤けた作業着姿で大声をあげる。1600℃の高温で大量の鉄鉱石を溶かし、月に数百万トンの鉄を錬成する「高炉」の周辺は、気温50℃にも達する。

三交代制で働く彼らは、仕事が終わると昼夜となく街の角打ちに繰り出し、イワシを糠味噌で炊いた塩辛い「ぬかだき」を肴に焼酎を呷るのだった―。

鉄の街・福岡県北九州市ではかつて、そんな風景がそこかしこで見られた。昔を知る同地の日本製鉄OBが言う。

「製鉄労働者を乗せて九州東部を縦断する日豊本線の車両はいつも混み合っていて、床一面タバコの焦げ跡だらけでした。

小倉の繁華街には飲み屋だけでなく立ち食いうどん屋、パブが所狭しと並び、毎晩ごった返していた。ヤクザもいたし、諍いも毎日のように起きていましたが、血気盛んな労働者たちがこの街の経済を回していたのです」

'80年代には、北九州市の鉄鋼製品出荷額は年間1兆円を誇った。鉄が無数の人の暮らしを支え、地域を潤していたのだ。

だが令和を迎えた今、その面影はない。昨年夏には、日本初の製鉄所・官営八幡製鐵所に源流をもつ歴史あるこの地で、またひとつ高炉の火が消えた。製鉄最大手の日本製鉄が、所有する2基のうち1基の休止を決めたのである。
以下ソース
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81153