コロナ危機によって一部の企業はテレワークに移行したが、社員がパソコンの前に座っているのか上司が監視したり、オンラインで会議や飲み会を行った際に、上司が家庭の事情にまで介入するという事態が頻発した。テレワークは働き方改革を実現する有力な手段のひとつであり、コロナ危機によって多くの会社がテレワークを実現したことは、日本の会社組織を変える大きなきっかけとなるはずだった。

言うまでもないことだが、テレワークというのは、従来の社内習慣を家庭内に延長するためのツールではない。物事の本質を的確に捉えなければ、テレワークのメリットを享受できないどころが逆効果になってしまう。

テレビ会議がマウンティングの場に
テレワークを実施した場合、一定の頻度でオンライン会議が開かれることになる。当然、画面には背景が映り込むことになるが、場合によっては自宅の様子がある程度、相手にも分かる。一部の社員は「よくそんな家に住めるね」などと、ここぞとばかりにマウンティングに走っているという。異性の上司から、部屋の様子をもっと見せるよう要求されたというケースもSNSで散見された。

会議をしていなくてもずっとオンラインにするよう求められるなど、事実上、上司による監視も行われており、一部の企業では社員がパソコンの前にいるのかチェックできるソフトウェアの導入も検討しているという。

テレワークに移行したにもかかわらず、こうした行為に走ってしまうのは、全員が同じ場所で顔を合わせ、濃密な人間関係を構築するという従来型ムラ社会の習慣から脱却できていないからである。だが、物理的に場所が離れている以上、オフィスという空間を共有している時とまったく同じ環境にはならない。

場を共有するという、従来型価値観から抜け出せないままテレワークを実施すれば、弊害の方が多くなり、緊急事態宣言の解除をきっかけにすべてを元の状態に戻そうとする動きを招きかねない。こうした事態を回避するためには、テレワークが持つ本質的な意味について再確認しておく必要があるだろう。

テレワークの実践は、今回のコロナ危機よりも前から推奨されていたことだが、その前提となっていたのは、先ほども述べたように「働き方改革」である。

働き方改革というのは単に残業時間を減らすための措置ではない。業務のムダを見直し、生産性を向上させることで、収益を落とさずに労働時間を削減することが真の目的である。業務のムダの中には、社員全員が夜遅くまで残業しているのをいいことに、各人の仕事の範囲や責任の所在を曖昧にしてきたという慣習も含まれている。

個人の責任を明確にし、合理的に仕事を進めることに意味があり、これが実現できて初めてテレワークや時差出勤といった措置が可能となる。

テレワークと働き方改革はセットになっている
つまり、多様性の発揮やテレワークというのは、働き方改革とセットになっており、単体では機能しないものである。その証拠に、今回のコロナ危機でスムーズにテレワークに移行できた企業の多くは、コロナ危機の前から働き方改革が進んでおり、社員が互いに顔を合わせなくても業務を進められる体制ができあがっていた。

こうした改革を進められなかった企業が、形だけテレワークを導入すると冒頭で示したようなケースが多発してしまう。社員がパソコンの前に座っているのか監視するというのは、成果ではなく、同じ空間を共有した時間でしか社員を評価できないという現状を如実に物語っている。

全社員が遅くまで会社に残っていると、各人がいつまでにどの作業を終えたのかというタスク管理は曖昧になる。結果として社員の評価基準は成果ではなく、何時間残業したのか、皆と同じ時間を共有したのか、という部分に絞られてしまう。
以下ソース
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72864