外国人コンサルは開発当初から数十人居たがそれなりに良い助言をしてくれた。それで1号機から4号機を試験してアメリカに送った。向こうにいた外国人エンジニアやテクニシャンはとても頑張ってくれた。
ところが787や-800の改善命令などの遡及処置が色々必要になってきた段階になって、日本人エンジニアはどうしていいか意思決定ができなかった。そこから日本の中堅ところを切って外国人エンジニアを増やしていくことになった。
ボーイング、エンブラエル、ボンバルディア、エアバス、その他装備品メーカなどの出来損ないのOBやリストラされた連中を縁故雇用をして行った。
もちろん大手4社の外国人チームもそれぞれ派閥を作っていき、三菱航空機ないの日本人エンジニアを追い出しにかかった。