日本だけでも毎日200冊以上の新刊が出版されていることを踏まえると、素早く本の内容を頭にたたき込める速読術を身に付けたいというのは自然な考えです。しかし、元Googleのエンジニアで、キングス・カレッジ・ロンドンで神経学を研究しているアン・ロール・ルクンフ氏は、「速読術はまやかし」だと論じています。

平均的な大学生は毎分200〜400語で英文を読むことが可能だとされていますが、世の中にはそれを大きく超えるスピードで本が読めるようになるとの触れ込みで、たくさんの速読術の講習やアプリが販売されています。

たとえば、以下の記事に記載されている速読技術「Spritz」を身に付けると、毎分500ワードの速度で本が読めるようになるので、分厚いハリーポッターシリーズの本でも3時間で読破することが可能だとされています。

しかし、ルクンフ氏は「一部の速読術に見られるような、文章を一度に読もうというアイデアは生物学的に不可能です」と断じています。その理由は、人間が本を読む際のメカニズムにあります。人が文字を読む際には、サッカードと呼ばれる眼球運動が行われています。サッカードでは、まずテキストの一部を短時間だけ凝視してから、別の部分に目を移しますが、この際に視点が止まっている時間はわずか25〜30ミリ秒と非常に短い間です。しかし、サッカードで文字を読む間、人間は視界のごく一部しか認識できないようになっているので、複数の単語を一度に認識することは原理的に不可能なのだそうです。

また、多くの速読術で悪者呼ばわりされている現象として「後戻り」というものがあります。これは、文字どおり読書中に視線が前の文章に後戻りしてしまう現象のことで、読書している時間の10〜15%がこの「後戻り」に費やされているとのこと。換言すれば、後戻りしなければ読書時間を10%以上短縮できることになりますが、ルクンフ氏は「後戻りは悪い習慣ではなく、脳が物事を有機的にリンクさせながら理解するのに必要なプロセスです」と述べています。

たとえば、速読術の手法の中には同じ場所で単語を短時間ずつ連続表示させることで、目の動きをなくして読書を高速化させる「RSVP:Rapid serial visual presentation(高速逐次視覚提示法)」というものがありますが、この方法では前の単語は消えてしまって見ることができないので、「後戻り」ができません。PSVPについてルクンフ氏は「全体の理解度にひどい影響を与えます。確かに、単語を読みはしますが、真に理解しているとはいえず、記憶にも残らないでしょう」と述べています。

こうしたルクンフ氏の主張を裏付けるのが、マサチューセッツ工科大学の認知科学者であるメアリー・ポッター氏らが行った研究です。この研究では、視神経の構造や文字を理解する脳の仕組みから速読術を検証しましたが、その結果「速さと精度はトレードオフで、適切に理解するには適切な速度で読む必要がある」との結論が導き出されました。つまり、あまりに速く読み過ぎると内容が頭に入らないので、読む意味がなくなってしまうというわけです。

ルクンフ氏によると、ゆっくりと読むと内容が良く理解できるだけでなく、さまざまなメリットがあるとのこと。たとえば、過去の研究では「ゆっくりリラックスしながら本を読むと、わずか6分間でストレスレベルが68%も低下」することが判明しています。ストレス解消の手段としてよく利用されている音楽鑑賞では61%、コーヒーを飲むことで54%、散歩で42%のストレスレベル低下が見られたことを考えると、読書はストレス解消にうってつけだといえます。

また、ルクンフ氏は読書をすることで「記憶力の向上」「語彙力の充実」「分析力の強化」といったメリットが得られるとしていますが、これらの効果は本の内容がきちんと頭に入っていることが前提となります。

ルクンフ氏は「こんなに読んだと自慢できる本のタイトルをいたずらに増やすよりも、少ない本をじっくり読んで確実に自分のものにすべきです」と述べて、本を速く読むよりも内容の理解と吟味こそが重要だと強調しました。
https://gigazine.net/news/20190912-speed-reading-fallacy/