■わずか7年で会社を激変させた

東京・天王洲アイルの風景が一変している。
散歩道のある運河には水上ラウンジを併設するレストランも整備され、街中はアート作品がずらりと並ぶ。
茫漠とした倉庫街は、洒落たアートの街へ変貌を遂げた。
再開発を主導したのは、「寺田倉庫」という倉庫会社だ。

「日本のアートコレクターで、寺田倉庫を知らない人はいませんね。
ファッションECサイトを運営するスタートトゥデイの前澤友作社長が、現代アートの巨匠、バスキアの作品を123億円で落札したことが少し前に話題になりました。
の作品が預けられているのが寺田倉庫と言われています。
他にも、世界の富豪たちがコレクションする時価数十億円クラスのアートの数々が、この倉庫で大切に保管されています」(都内の画廊経営者)

アートだけではない。
ソムリエの厳重な管理のもと、フランス・ボルドーの5大シャトーをはじめ数百万円クラスの高級ワインの数々が倉庫に眠る。
同社は戦後間もない'50年に創業された。
当初は食料品を預かる一般的な倉庫業だったが、機能を「プレミアム倉庫」に特化させ、ファッショナブルなビジネスに変貌したのは、わずか7年前のこと。
主導したのは代表取締役の中野善壽氏(73歳)である。

創業家である前会長(現オーナー)の寺田保信氏に請われて、2011年に社長に就任した。
台湾に住み、週2回だけ飛行機で日本に戻り、天王洲の本社に出勤する。
世界中のアーティストから「パトロン」といわれる中野氏の名は、物流関係者やアート関係者の間で広く知られる。
だが、ほとんどメディアの取材を受けないため、社員ですら「一時期まで、実在する人物なのかわからなかった」と語るほど、謎めいた人物である。

台湾メディアに掲載された中野氏の近影を見ると、清潔に整髪された黒髪で、ジーパンがよく似合う細身。
身長は181cm。
とても73歳には見えない若々しい風貌で、清潔感溢れるシンプルな着こなしは、米アップルの故スティーブ・ジョブズを思わせる。

「中野さんは、『ミニマリスト』として有名なんですよ」と語るのは、ある寺田倉庫の関係者だ。
「社長に就任してまず手を付けたのは、大規模なリストラでした。
メイン事業のほとんどから撤退し、700億円あった売上高を100億円まで激減させた。
1000人いた社員を、100人に削減。中野さんの就任当時にいた社員は、いま10名も残っていないのです」

寺田倉庫は中野氏の社長就任で、事業も人員も一変するという、断捨離≠ェ実行されたのだ。
「売り上げは100億円くらいがちょうどいい。これ以上、大きい会社なら、面白いことなんてできないぞ」
中野氏は就任直後、社員たちにこう話したという。
その後、法人相手だったビジネスを、富裕層、そして一般消費者にも広げていった。
アートやワインの保管のほかに、ネット上で自分の預けたものを管理できる「ミニクラ」という貸しトランクルーム事業を推進するとこれがヒット。
収益構造を安定させたのだ。

「ミニクラはネット上で預けたものを売買することもできる優れたサービスで、モノを持たない生活を推奨するような事業です。
まさにミニマリストの中野さんらしい発想です」(流通関係者)

寺田氏は、売上高100億円を常にキープしたいと公言。
それを超えたら事業を売却するという。

■建築家の隈研吾氏や寺田倉庫のオーナーが明かす

寺田氏は、私生活でもミニマリズムを通している。
家も車も腕時計も持たない。ワインを手がけるのに、酒も飲まない。
もちろんタバコも吸わない。
蓄財にも興味がなく、稼いだカネは必要最低限を残して、ほとんどを寄付してしまうというのだ。
中野氏の親友で建築家の隈研吾氏が言う。

「そもそも彼には公私の区別などないはずです。
自分の好きなことや、やりたいことに仕事もプライベートも関係ない。
街づくりやアートの支援に稼いだおカネを寄付してしまうのも、自分の夢がそこにあるから。
自由奔放に見えるけど、経営センスもあるのだから、ドリーマーにして、リアリスト。あまり日本では見たことのない経営者です」

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https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57447