現代ビジネス 2018.05.11
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55457


残業代という「魔物」

働く者にとって、労働時間は大きな問題だ。趣味や家族サービス等の自由時間が奪われるし、過労やストレスによる
健康障害の原因にもなる。

その労働時間に関する法的ルールが、いま変わろうとしている。その動きを、大きな関心を持って
見ている人も少なくないだろう。

もっとも、この法改正はスムーズには進んでいない。森友加計問題、セクハラ問題などに足を引っ張られたことも
原因だが、労働時間に固有の問題に起因している面もある。

それは、労働時間はほんとうに短いほうがよいのかについて、労働者間にコンセンサスがないことだ。

労働時間の規制に対する経営者側の姿勢は比較的明瞭だ。

労働時間をいたずらに短く規制されては困る、必要な残業はやらせてもらわなければ困る、でも長ければ
いいものではない、大事なのは生産性であり、労働時間あたりの付加価値がしっかり出ていればよい、というものだ。

ところが、労働者側の姿勢は、そう明瞭ではない。

労働時間に対する労働者側の態度決定を難しくしているのは、残業には残業代(割増賃金)という魔物が
付(憑)いているからだ。なぜ残業代が魔物なのか。

以下、説明していこう。


労働者のアンビバレントな姿勢

法律によると、1日の労働時間は8時間以下、1週間の労働時間は40時間以下が原則だ。この法定労働時間を超えて
働かせた企業は、労働者に残業代を支払わなければならない。これにより労働者の給料は25%増しとなる。

残業が減るのは、冒頭にあげたような生活時間の侵害や健康被害のことを考えると良いことのはずだ。

しかし他方で、残業をするからこそ残業代がもらえて生活が潤う面もある。1週40時間程度の労働なら、
まだ体力的にも余裕があるので、もう少し働いて残業代をもらったほうがいいと考える人がいても不思議ではない。

子供の教育費がかさむ、ローン返済が重いなど家計が苦しいときには、相当長時間の残業をしてもいいと
考える人も多いはずだ。それが知らず知らずのうちに健康をむしばんでいくのだが、そのことに気づかないことも多い。

だから残業代は魔物なのだ。


(中略)


「裁量労働制で残業減少」のおかしさ

政府は、今回の改正で、企画業務型の裁量労制の対象範囲を増やそうと考えていた。その際、反対派を説得するために、
裁量労働制を導入すれば残業が減少すると発言してしまった。

しかし、裁量労働制は、前述のように残業という概念に適合しない働き方を対象としたものなので、
残業の増減を言うこと自体おかしかった。

残業代という魔物は、残業代が払われなければ、企業は労働者を長時間労働に追い込み、健康被害を引き起こすという
想念を国民に植え付けてきた。

だから政府は、その想念を取り払うために、裁量労働制により労働時間が減少するという余計なことを
言ってしまったのだろう。

あげくは、データの不正ということで、裁量労働制を拡大する法案は提出できなくなってしまった。
魔物にやられてしまったのだ。

野党は勢いに乗り、高プロも、同じように健康被害を招くとして反対している。しかし、繰り返し述べるように、
残業代が払われないのは、残業という概念に適合しない働き方だからだ。

この点は裁量労働制と同じだ。残業代がないことは何も問題はない。むしろ成果を追求して自分のペースで働くという
タイプの人に、労働時間に比例して算定される残業代が支払われることのほうが、よほどおかしいのだ。

労働組合のなかには、高プロがいったん導入されると、どんどん適用対象が広がるから反対だという声も強い。

しかし、ルールを決める労働政策審議会は、公労使三者構成で、労働組合の代表者が3分の1いる。
各企業で導入する際には労使委員会(使用者と労働者の代表者で構成される委員会)の5分の4以上の決議が必要だ。

さらに実際に個人に適用する場合には、その労働者の同意も必要だ。ここまでの厳重なステップをふんで
導入されるものなのに、なお心配というのはよほどの心配症か、自分たちが無力であることをさらけ出している
(その自覚はないかもしれないが)かのどちらかだ。


(後略。全文は記事元参照。全4ページ)