日本でもようやく、「生産性」の大切さが認識され始めてきた。
「生産性向上」についてさまざまな議論が展開されているが、『新・観光立国論』(山本七平賞)で日本の観光政策に多大な影響を与えたデービッド・アトキンソン氏は、その多くが根本的に間違っているという。
34年間の集大成として「日本経済改革の本丸=生産性」に切り込んだ新刊『新・生産性立国論』を上梓したアトキンソン氏に、真の生産性革命に必要な改革を解説してもらう。

前回の記事(「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ)では、日本の「最低賃金」が世界的に見て安すぎること、2020年のあるべき最低賃金は1313円だということをご説明しました。

この記事には大きな反響をいただきました。すべてに目を通すことはできませんが、多くの方が今の最低賃金は安すぎると感じており、「最低賃金を上げるべき」という私の主張に賛同してくださったようです。

実は最低賃金が安いことで、日本には「ある犯罪的な考え方」がはびこり、それが経営者の「横暴」を許しています。今回は安すぎる最低賃金が可能にする「高品質・低価格という犯罪」について、解説していきます。


日本の労働者1人あたりの生産性は先進国最低で、スペインやイタリア以下です。『新・生産性立国論』の中でも繰り返し述べましたが、これから人口が激減する日本では、この地を這うように低い生産性を大幅に改善していかなくては、明るい未来は望めません。

私が生産性の話を始めると、必ず同じ論旨の反論が返ってきます。「日本は技術大国だし、皆真面目に働いているから、生産性が低いのは何かがおかしい」。

それを正当化する人は、こんなことを言い出します。「日本の生産性は、低く見えるだけ。日本は品質の良いものを、安く売っている。つまり、日本は高品質・低価格の国で、カネカネとうるさく言わない。これが日本の美徳だ」と。

高品質・低価格は「こじつけ」にすぎない
この言い分には、それなりの説得力があるようにも感じられます。

たしかに日本には高い技術力があります。しかも、日本の労働者の質は高い上、真面目に働くので、作っているものもいい。しかし、一方で生産性が先進国最下位なのもまた事実で、何かがおかしいのは明白です。

そこで、先ほどの反論を考えた人は価格に目を付けました。なぜなら、生産性は金額で表されるからです。そこで、「日本は高品質・低価格ということにすれば、海外に見劣りする生産性を正当化することができる。しかも、それを美徳とすれば、精神論に持っていける」と考えたのでしょう。

素晴らしい「こじつけ」で、考えた人はなかなか頭がいいと思います。しかし、これは完全にデタラメな理屈です。

仮に日本の生産性が低い理由が、本当に「高品質・低価格という美徳」だとすると、全産業の生産性が低くなるはずです。しかし、日本の製造業の生産性は海外と比べてもさほど低くはありません。一方、サービス業の生産性は大きく水をあけられています。

もし本当に「高品質・低価格という美徳」が日本の生産性を低くしているという主張が正しいとすると、「サービスを消費する人と製造業の商品を消費する人が違う」という条件が必要になりますが、そんな事実はありません。

また、彼らがいう「高品質・低価格は日本の美徳だ」というのも、眉唾物です。仮に高品質・低価格が伝統的に日本に根付いた価値観だとしたら、時代を遡ってみても同じ現象が確認できるはずです。

しかし、今は先進国の中で第28位の日本の生産性(人口1人あたりGDP)は、1990年には第10位でした。「高品質・低価格という考え方は日本文化だ、日本の伝統だ」と主張する人たちは、1990年以前の状態をどう説明するのでしょうか。

私には、高品質・低価格が日本の文化や、伝統的な日本的経営に起因しているとは到底思えません。

答えに窮した彼らからは、「デフレの結果、日本は高品質・低価格になった」というさらなる反論が返ってくることも予想されます。

しかし、この理屈も矛盾しています。先ほども説明したように、日本の製造業は他国と比較しても決して生産性は低くありません。この論のようにデフレが原因なら、製造業も同じように生産性が低くなってしかるべきです。理屈が通りません。
http://toyokeizai.net/articles/-/211297