政府は全国民に対して無条件で何の質問もせずに、一定の年収を保証すべきだろうか。これはリベラル系の人々が気に入りそうなアイデアに思える。しかし、現在ほとんどの国でセーフティーネットを構成している多数の現行制度を廃止し、その代わりとして固定収入を導入するとしたらどうだろうか。保守派には受けるかもしれないが、リベラルの拒否反応を引き起こすだろう。この構想は最低所得保障(UBI)として知られているが、米国では「万人のための社会保障」と言い表されることもある。欧州、アフリカ、北米の特定の地域で実験が計画されており、一部ではすでに進行中である。その結果によっては、長年にわたる論争、すなわちセーフティーネットはどのくらいの規模であるべきか、そして勤労奨励策と保護対策をどのように組み合わせればセーフティーネットの効果が上がるのか、という論争の風向きが変わってくるかもしれない。

現状

最低所得(ベーシックインカム)の最大の支持者の何人かは、シリコンバレーにいる。ここでは、マーク・ザッカーバーグ氏やイーロン・マスク氏のようなテクノロジー億万長者が、この制度を自動運転車やロボット工学をはじめとするさまざまな自動化から生じる潜在的な大規模失業(そして、消費者の反発)に対する解決策であると見なしているのである。

ベンチャーキャピタル企業のYコンビネーターは、カリフォルニア州オークランドの100世帯を対象とした独自の実験に、スポンサーとして資金を提供している。他にも、数えきれないほど多くの実験的な試みが世界中で準備または進行中である。フィンランドは2017年1月に、既に失業給付を受け取っている無作為に選択された2000人が参加する2年間の実験を開始した。カナダのオンタリオ州は、17年の夏に3つの都市で試験を開始している。また、オランダでも5つの自治体がさまざまなテストを行う計画を承認した。例えば、生活保護の受給者が給付金を失うことなく収入を得ることを許容するなどである。

おそらく最も厳密な調査はギブ・ダイレクトリーによるものだろう。このニューヨークの非営利組織は、6000人のケニア人に少なくとも10年間にわたって一定の所得を保障する実験を開始したのである。あらゆる人々がベーシックインカムを支持しているわけではない。16年にスイスの有権者は、成人の国民1人当たり毎月約2500スイスフラン(2460ドル)の最低所得を設けるという提案を拒否した。米国では、16年の大統領選挙の民主党候補者ヒラリー・クリントン氏がその回顧録「What Happened」の中で明かしたところでは、経済政策の根幹の1つとして最低所得保障の導入を検討したが、コストを理由として却下したという。

背景

政府が最低所得を約束するというアイデアは、何百年も前にさかのぼり、16世紀に人文主義の哲学者によって発案された見解であるという説もある。英国の哲学者でノーベル賞受賞者のバートランド・ラッセルは、20世紀初期の提唱者の1人であった。1920年の英国労働党の大会では、一種の最低所得が審議され、却下された。しかし、最低所得が初めて政治討論の本流に加わったのは、60年代に、米国のリチャード・ニクソン大統領が「インカムフロア(下限)」を提案した時のことであった。

給付付き勤労所得税額控除(EITC)は、一種の最低所得制度であり、導入以来一定の役割を果たしているが、その目的は低収入労働者の収入を補てんすることに限られている。この税額控除が最初に提案されたのは62年で、発案者は保守系エコノミスト、ミルトン・フリードマンであった。フリードマンの目的の1つは、所得が一定の上限を超えると政府の扶助が消滅する「収入の崖」を解消することであった。そのような上限は、受給者の勤労意欲を失わせるからである。税額控除は効果的な貧困対策の1つであると広く見なされているが、収入の崖の問題は以前よりも複雑化している。米国には、現在、80を超える低所得者救済制度が存在し、それぞれに固有の所得制限がある。

論争
最低所得が保障された人々は怠け者になるという懸念は根拠が薄弱である。70年代にカナダで実施された実験を調査したあるエコノミストの報告によると、受益者の健康状態が改善し、高校卒業率が上昇したという。フルタイムの仕事に就いている成人は、受給後も働く時間の長さに変化はなく、唯一の例外は女性の産休取得が増えたことであった。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-02-13/P42G2Z6K50XT01