1985年9月21日、22日の土日、ニューヨークのプラザホテルに、アメリカの呼びかけで、日本、アメリカ、西ドイツ(当時)、イギリス、フランスの5か国の蔵相と中央銀行総裁が集まった。G5である。

当時の日本は活気にあふれていた。欧米諸国に対して巨額の貿易黒字を出し、世界経済でほとんどひとり勝ちといっていいような状況だった。

しかし、日本から見れば貿易黒字でも、相手から見れば貿易赤字だ。これにアメリカは不満を持ち、対日批判を強めていた。

アメリカは、日本の黒字の原因は、行きすぎた円安だと分析し、それまでの円安を円高に転換しようと考えた。円相場は、1985年8月に1ドル=240円前後だった。いま振り返ると、よくそんな円安だったものだと、改めて驚く。

アメリカはこれを問題にし、G5の会議を開いたのである。G5は、それまでの円安を円高に方向転換することを決めた。日本もそれを受け入れた。これを、「プラザ合意」と呼ぶ。

プラザ合意の26年後(2011年10月)には1ドル=75円52銭になった。2017年、18年の円相場は、1ドル=110円前後で動いている。 240円から110円へ。2倍以上の円高だ。これは、日本で作っていた製品が、家電製品でも、自動車でも、海外で売るときには、値段が2倍を超えることを意味する。販売価格が2倍を超えて、やっていける企業はない。

しかし、日本企業は対応した。どう対応したか。

まずは、円高に負けず、製品価格を値上げしないでがんばることだ。しかし、仕入れ価格を抑え、賃金を据え置いても、コストカットには限界がある。それに、円高がどんどん進んでいては、先が見えない。

そこで、やむなく日本企業は、生産拠点、簡単にいえば工場を海外に移し始めた。工場の海外移転、生産拠点の海外移転だ。

工場が日本からなくなっていったのだ。これが「生産の空洞化」「経済の空洞化」だ。

いま、デパートで、あるいは、家電量販店で、「MADE IN JAPAN」の家電製品を探そうと思うと、非常に苦労する。

パナソニックは、中国に数多くの工場を建て、安い賃金で電機製品を作っている。生産拠点を海外にシフトした後、当然、日本国内の工場は閉鎖される。

三洋電機は、OEM(提携した他社ブランドでの製品供給)や、白物家電で有名だったが、最後には、円高に耐えきれず、パナソニックに吸収合併されてしまった。

そのパナソニックも、切り札として期待をかけたテレビのプラズマディスプレーが、円高のため、サムスンなど韓国勢の液晶テレビに価格的に太刀打ちできなくなり、プラズマディスプレーそのものから撤退した。

シャープは、いち早く、ブラウン管テレビから液晶テレビに移行し、時代の先端を切ったように見えた。しかし、円高のため2010年ごろから韓国企業に負けて経営危機に陥った。2015年にはとうとう、台湾企業の傘下に入った。

戦後の日本を象徴する企業だったソニーは、海外シフトを強め、一時期、本社を東京からニューヨークに移してもおかしくないような状況だった。しかし結局は、得意のテレビで韓国や中国の企業との価格競争に敗れ、業績が悪化した。


海外に移ってしまった工場が、いまもまだ日本国内にあれば、就職活動はもっと楽で、学生が就職に苦労することはなかった。

トヨタもホンダも、パナソニックも、ソニーも、かつてのように日本国内でたくさんの工場を操業していれば、アベノミクスの大胆な金融緩和を活用し、日本国内の工場で設備投資を拡大することができる。そうなれば、日本経済は順調に拡大する。

ところが、悲しいことに、日本には、もう、工場がかつてのようには残っていないのだ。アベノミクスの大胆な金融緩和で景気を刺激しようとしても、企業には、アベノミクスを受けて設備投資を拡大するだけの工場がないのである。

プラザ合意は、日本経済の失われた20年を招いた。アベノミクスは、それに初めて、有効な政策となった。

しかし、せっかく有効な政策となったのに、ほかならぬプラザ合意後の円高で日本経済が空洞化していたため、アベノミクスは息切れしてきた。アベノミクスが、どうしても効果を上げきれない根本的な原因は、日本経済の空洞化にあるのだ。
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