64回生の卒業とともに、定年退職された、故村上千秋先生の言葉を甲陽だより38号より引用させていただく。
なお、村上千秋先生は、作家の村上春樹氏のお父上である。

「私は昭和二十四年四月に甲陽学院に奉職しました。
 当時の日本と言えば、敗戦の傷いまだ癒えず、人心は退廃し、
衣・食・住また思うにまかせず、教育などは二の次ぎのことと思う人たちも多かった頃です。
 そんなとき、「国家百年の計は人を植うるにあり」と、新制度の高校と中学校の教育に情熱
を燃やしておられたのが辰馬育英会でした。
 校長は丸谷喜一先生、教頭は太田登先生、私が担任を命ぜられた中二の学年主任が芥川潤先生
でありました。その頃の香櫨園浜にはいまのような殺風景な防潮提はなく、松林の間から海が見え、
潮騒が聞こえてくるのでした。
 京都に生まれ、大学を出るまで京都に住みつづけた私には海がたいへんな魅力でした。
 
 ”海に海に春さんらんと降れりけり”

 ”春潮の荒きにのりて浮寝島”

 こんな句はそのころできたものです。まるで昨日のことのように覚えています。
 ああ、あれから三十四年、いったい何人の方々が私のつたない講義を聞いてくださったことでしょう。
お粗末なことで申し訳なく思ってます。それにもかかわらず生徒諸君は、あたかも海綿が水を吸うがごとく
吸収し、貧しいものに肉づけをし、伸ばし、輝かしい今日の甲陽をつくりあげてくれたのです。
 中国の孟子は、「天下ニ三楽アリ」と言って、その三つめの楽しみとして「天下ノ英才ヲ得テ之ヲ教育ス」
ることだと書いています。私こときもの、「教育」などとはおこがましいですが、「天下ノ英才ヲ得」たこと
はまぎれもないことです。天下の三楽のその一つを私は甲陽からいただいたのです。
 この三月三十一日、定年の故をもって退職いたしました。ながい間のご厚誼を、この誌上を借りてあつく御礼
申し上げます。
 また、同窓会より餞別を頂戴したり、有志の方々のパーティに夫婦でお招きいただいたり、その他もろもろ
ありがとうございました。

 かへりみる道春光のあふれをり。
(前中学校教頭)」