関西屈指の中高一貫の私立男子校、甲陽学院中学・高校(兵庫県西宮市)。しかし、同じ通学圏に日本最強の進学校といわれる灘中学・高校が存在するため、「灘にあと一歩の子が行く学校」といわれることも。だが、日本を代表する優れた起業家が次々誕生。古くはアスキーを創業、米マイクロソフトの幹部も務めた西和彦氏、最近ではマネーフォワードの辻庸介氏やアストロスケールの岡田光信氏などを輩出し、あまたの進学校の中でも異彩を放っている。西宮にある甲陽学院高校を訪ねた。

西宮の市街地を通り抜け、きつい上り坂を車で進むと、道の奥まったところから甲陽学院高校が姿を現した。マネーフォワードの辻氏が「毎日が登山。夏はみな登校するだけで汗だくになり、上半身裸で授業を受けることもあった」と振り返るほどだ。

甲陽学院は中高一貫校には珍しく中学と高校が別の場所にある。中学は西宮の海岸に近い住宅街のど真ん中。山の手にある高校とは5キロほど離れているが、周辺は夙川や芦屋など関西随一の高級住宅街だ。

同校のOBでもある今西昭校長の案内で校内を歩いていると、授業終了の鐘が鳴り、私服姿の生徒がおしゃべりをしながら、ぞろぞろと廊下に出てきた。校長を目の前にしてもかしこまるそぶりも見せず、中には教科書を頭の上に載せた格好で歩くなど、おどけた様子で脇を通り過ぎて行く生徒もいる。

今西校長は、「良くも悪くもおっとりして和気あいあいとした気質は、昔から変わっていません。俺が俺がというタイプは少なく、そこがよいところでもありますが、逆に物足りないとご指摘を受けることもあります」と笑顔で話す。

そんな和気あいあいとした甲陽学院生らしさをいかんなく発揮するのが、名物の卒業式だ。毎年、簡素で粛々とした公式の卒業式が終わりに近づくころ、何人かの卒業生が大きな掛け声と共にお約束の「乱入」。そこから、卒業生が企画運営する卒業式第2部が始まる。物まね、コント、コスプレなど軽いノリ。時間は公式の卒業式より長い。

「(東京大学や京都大学など国公立の)大学の2次試験の前ですが、仲間との最後の思い出作りの一環として、この日のために一生懸命準備するようです」(今西校長)。最近は京大の「コスプレ卒業式」が話題だが、甲陽学院の卒業式が源流との説もあるという。

質は環境のせいもあるようだ。六甲の山並みを背にした標高170メートルの高台にあるキャンパスは、広々とし、緑にあふれている。校舎3階の教室から窓の外を見ると、阪神間の市街地や港が一望できる大パノラマが広がる。まるで観光地の展望台だ。

しかし、周りから心配されるほどおっとりとした校風の中から、経営にスピードが要求されるベンチャー起業家が次々と生まれるのは、なぜだろうか。

今西校長に聞くと、「ベンチャー起業家は目立つから多いように見えるだけ。全体では、やはり安定した大企業に就職する人が圧倒的に多い」と肩透かしの返事。ただ、「でも政治家や中央官僚になる卒業生は少ないから、確かに在野精神はあるかもしれません」と言葉を継いだ。実際、創立以来、トヨタの販売網の基礎を築いたトヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)元社長の加藤誠之氏や、日本石油(現JXTGホールディングス)の中興の祖と呼ばれた建内保興氏、サントリーホールディングスの佐治信忠会長など、優れた人材を数多く経済界に輩出してきた。

在野精神の源流をたどると、甲陽学院建学の歴史に行き着く。甲陽学院は、高等女学校の校長をしていた関西教育界の第一人者、伊賀駒吉郎が、「官立学校は型にはまった教育しかできない。もっと自由な学校を作りたい」と、1917年に設立した私立甲陽中学が前身だ。

その後、第一次世界大戦後の不況で経営が悪化し、地元の篤志家で「白鹿」ブランドで知られる辰馬本家酒造の辰馬吉左衛門が、私財を投じて経営を継承した。このあたりの歴史が、神戸市東灘区の大手酒造会社がお金を出し合って27年に設立した灘校と、何かと比較される理由だ。甲陽も灘校も酒造メーカーが生んだ学校だ。辰馬家が経営を握った後も、自由な校風や在野精神は綿々と受け継がれてきた。

以下ソース
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO23405950T11C17A1000000