小学校5年の時に父親が死んでからの1年が最低の時期だった。 
生活保護をもらうのは当然だが、家賃なんて払えないから母親は住み込み、兄はこっちの高校に移ってきても寮住まいでアルバイト。
自分は1年間親戚の家に預けられ一家バラバラだった。 自分に養子に出ないかと言う話も聞いたが何もわからずに断った。
親戚の家では暇つぶしに兄譲りの教科書を見たり、国語辞書の連鎖ひきで時間をつぶしてた。
1年すると生活も見えてきて親子3人で住めるようになった。 こんな貧乏な時でもトランジスタラジオを作りたいと言ったら材料費を工面したりしてくれてた。