【つばきファクトリー】秋山眞緒 頑張れ 162イエー
秋山 眞緒 (アキヤマ マオ)
生年月日:2002年7月29日(19歳)
血液型:B型
出身地:大阪府
趣味:アクセサリー集め
好きな音楽ジャンル:洋楽、K-POP
好きなスポーツ:テニス
座右の銘:正直は一生の宝
2016年8月13日:つばきファクトリー加入
公式サイト
http://www.helloproject.com/tsubakifactory/profile/mao_akiyama/
※前スレ
【つばきファクトリー】まおぴんこと秋山眞緒ちゃん頑張れ 161イエー
http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1657851239/ >>105-106までの吐いた駄文の連なりに懲りもせず
再度スキルについて思考してみる
楽曲表現上のスキルは身体における骨のようなものだ
スコアから微妙に外れたメンバーの歌唱の"個性"も
積もり積もれば楽曲本来の意図を歪めてしまう
そういった表現上のヨレを支える骨としてスキルは必要だと思う
そういった意味で「楽曲表現上のスキルとは骨である」と
いったん仮定義してみる
そうなるとスキルに偏重するという思考は
パフォーマンスにおける「骨化への意志」と言い換えることができる 身体中の腱や軟骨が骨化する病気があるそうだが
症状として関節の可動域が狭まっていくそうだ
これを表現に当てはめると表現上の自由度の狭まりとして理解出来る
なのでスキルに偏重すると表現上の自由が損なわれていく
モンドリアンの絵が77年間も上下逆さまで展示されてたという
笑える話がニュースになってるが表現とは本来自由であるべきで
天国のモンドリアンも赦してくれるんじゃないか?w
そういった表現の自由を自ら捨ててまで不自由を目指す骨化への意志は
フロイト的に言い換えれば「死の欲動」に他ならない
"死"という絶対性に対置すべき"アイドル"の表現が
死を欲する方向に捻じ曲げられてるとすれば
コレは正さなければならない
カワイイという自由に