10/3(火) 12:00配信
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日本三大花火大会の一つに数えられる土浦全国花火競技大会が7日に開かれるのに合わせ、企画展「花火と土浦(1)〜競技大会のあゆみ」が、土浦市中央1丁目の市立博物館で開かれている。全国有数の花火大会と評されるようになった「土浦の花火」の成り立ちや歴史に光を当てた。11月13日まで。

企画展は長岡(新潟県)、大曲(秋田県)の花火大会と並び称される土浦の花火の歴史をひもといた。

土浦の花火は、1925(大正14)年、土浦市文京町にある神龍寺の住職だった秋元梅峯(ばいほう)師(1882〜1934年)が、私財を投じ霞ケ浦湖畔で開催したのが始まり。霞ケ浦海軍航空隊と親交が深かったことなどから、航空隊殉職者の慰霊と関東大震災後の不況にあえぐ土浦の経済を活性化する目的があった。大会は商店街に好況をもたらしたことで、地元商業者の協力を得られるようになり、32(昭和7)年には土浦煙火協会が組織され、まちを挙げて年々盛大に開かれるようになった。

会場では、土浦の花火を当初開催した大日本煙火奨励協会の入会申込書や火防宣伝チラシ、1934年の第8回大会の記録簿といった貴重な資料を紹介。26年の第2回大会のプログラム(煙火打上番組)には、秋田県から兵庫県まで300人もの花火師の名前が並び、尺玉(直径約30センチ)、8寸(約24センチ)、5寸(約15センチ)玉の打ち上げを競ったことが書かれている。プログラム裏面には地元企業の広告が載せられ、時代の世相をうかがえる。長岡の花火で打ち上げている3尺(約90センチ)玉の模型も展示されている。

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