そもそも、もし自分が障碍者として生まれていたらどうしたんだ?
自分のときに限って、人権だの福祉だの理屈をこねて生き残ろうとするんじゃないか?
だがちょっと待って欲しい
その論理だと以下のような論理も成り立つのではないか?
「植松の行為を否定して、他の介護殺人・ホームレス殺人・ニート引きこもり殺人を批判する人は、将来自分がもし、事故や病気、加齢で働けなくなった奴の面倒を見る事になったらどうする?
もし自分が障碍者を監督する立場だったらどうしたんだ?
自分のときに限って障害者を監禁したりネグレクトしたり、最悪殺人して生き残ろうとするんじゃないか?」
まず、「ニート引きこもりは殺害するべきであると考えている日本国民あるいは世界人類の大多数」という考えに強固な認知の歪みが見受けられるな。
おそらくは非常に単純な感情バイアスで、閉鎖的な狭い界隈で自分と同じ意見ばかりだと思い込んで、かつ、無意識のうちに自分にとって都合の良い意見ばかりを目で追って、都合の悪い意見を認識せずに『前提の部分で独り善がりな結論を信じ込んでいる』。サイレントマジョリティーと真逆の感覚、とでもいうか。
つまりは、とても幼稚で子供っぽい思い込みかな。
ここ見ると自称健常者の方がよっぽど危険に見えるんだが…
まあアレに共感してる時点でまともでは無いか
ベッドで寝たきりで「あーうー あーうー」とか唸ってる重度障害者を見ると
正直な話、この人は生きてて楽しいのかなと思ってしまうな。
それもそうだが駅とかで突然走り出したり暴れたりして
危害加える知的障碍者を見ると恐怖すら覚えてしまうよ…
実際植松が犯行を実行した理由の憶測としてそういう障害者が起こした事件を見たという話もあるっぽいし