植松の行為を肯定している人も、あるいは他の介護殺人・ホームレス殺人・ニート引きこもり殺人を称賛している人も、将来自分が事故や病気、加齢で働けなくなったら殺されても良いのか?
そもそも、もし自分が障碍者として生まれていたらどうしたんだ?
自分のときに限って、人権だの福祉だの理屈をこねて生き残ろうとするんじゃないか?
だがちょっと待って欲しい
その論理だと以下のような論理も成り立つのではないか?
「植松の行為を否定して、他の介護殺人・ホームレス殺人・ニート引きこもり殺人を批判する人は、将来自分がもし、事故や病気、加齢で働けなくなった奴の面倒を見る事になったらどうする?
もし自分が障碍者を監督する立場だったらどうしたんだ?
自分のときに限って障害者を監禁したりネグレクトしたり、最悪殺人して生き残ろうとするんじゃないか?」