>ヨーロッパ全土に、すべての人々を例外なく巻き込んでしまう笑劇の大嵐が吹きまくっている。人々が主張し誇示する態度のほとんどすべてが、内面的には虚偽である。
>人々が行なっている唯一の努力は、自己の運命から逃れ、運命の明白さと深い呼びかけに対して目と耳をふさぎ、自分がこうあらねばならない姿との対決を回避することである。
>人々はユーモラスに生きており、彼らがかぶっている仮面が悲劇的であればあるほどその傾向は強くなる。
>人間が余すところなく完全に自己を投げ出すことをせず、中途半端な態度で生きるかぎり、それはつねに笑劇となる。
>大衆人は、自分の運命という確固不動の大地に足をふまえようとはせず、どちらかといえば、宙に浮いた虚構の生を営んでいるのである。
>こうした重さもなければ根もない生──おのが運命から根こそぎにされた生──が、最も軽薄な風潮にかつて例を見ないほどやすやすと押し流されてゆくのはそのためである。
>今日は「風潮」の時代であり「漂流者」の時代である。芸術といわず、思想といわず、政治といわず、はたまた社会慣習といわず、あらゆるものの中に吹き荒れている皮相的な旋風に対して抵抗する人はほとんどいない。
>修辞学がかつてないほど栄えているのも、同じ理由からである。シュルレアリストは、他の人々が「ジャスミンとか白鳥とか半獣半人とか」書いたところに、書く必要もない一言を書き加え全文学史を超克したと信じ込んでいる。
>しかし、彼がやったことといえば、今までごみ捨て場にうち捨てられていたもう一つの修辞学をひっぱり出してきた以外のなにものでもないのは明らかである。