>>788
その”身近なひとを大切にする”、ことがよく分からなくなっての問いかけなんだよね
グローバリズムの危うさについて、モヤモヤすらしない身近なひともいるわけでさ
もちろん機会さえあれば、それらの価値を説くことがフックになって
価値観に変化をもたらすひとも少なからずいるのかもしれないけれど、
そうした危機感について無関心なひとの数はかなりの割合だと思う
しかも、中野や柴山からみても効果的な処方箋は乏しいほどの絶望的な状況な訳だしね

SNSは、”身近なひとを大切にしない”身近なひととの距離を必要以上に近づける力を持ってるように感じるから
その”大切にする”ことの想像力を広げづらいんじゃないかって気がしてんだ
惰性への圧力もハンパない
”反”の話は、大切である一方で激しくつまらないからね
家族は仕方ないとしても、大切なひとすら更新せざるを得ないんじゃないのかって気もする
それすら、その惰性の前には難しい気がしてフラフラと眩暈がするほどだよ

反グローバリズムには限界があることは大前提として、
その上でどうにかこうにか
”カウンターグローバリズム”って言葉が適してるのか分からないけれど
抗うとともに、希望的要素を少しでも見出さないと
悲しく辛い撤退戦をひたすら強いられるように感じるんだよね
このレベルの戦いにとどまるようなら、持続させることは困難だし、
無関心層のように惰性に流れても仕方ないと思う

”反”じゃなくて、あくまでも目指すべきは”カウンター”なんじゃねって気がしてるんだ
そのヒントや手がかりが欲しくてレスしたんだ
長文すまん