【ナゾロジー】数学も読書によって鍛えられると判明 [すらいむ★]
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数学も読書によって鍛えられると判明
昔から「読書は大切だ」と言われてきましたが、最近の研究では、読書が数学的能力も向上させると判明しました。
アメリカ・ニューヨーク州立大学バッファロー校心理学部に所属するクリス・マクノーガン氏は、脳の読書ネットワークが、乗算などの一見関係のない活動時にも働いている様子を確認したのです。
文系の基礎能力である「読み書き」は、理系の基礎能力「数学」にも深く関係していたことになります。
研究の詳細は、2月12日付けの学術誌『Frontiers in Computational Neuroscience』に掲載されました。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
ナゾロジー 2021.03.21
https://nazology.net/archives/85379 最近の子は算数の長文の問題が解けないって先生が入試説明会で言ってたわ
長文たって5行ぐらいだがな
スマホとかSNSの短文に慣れてるせいかもな 証明とか論述はそりゃ読書能力必要だろうと思ったが
単純な乗算とかにも影響してるのか ひっかけ問題の可能性が高いと判断して
次に行くだけだと思うが 判明してませんw 結果論ですw
強制的に読書させたらわかります
普通の人間は勉強を「やらなきゃできないです」
いいかえると、やる気スイッチを押せるかどうかですw 数学って大学入試レベルでも、普通に文章の表現力試されるで
論述の流れを文章で示す必要がある
アホの大学は知らんが センセの気持ちを忖度して、教わってない解き方すると
コレナニ! で0点にされちゃうから、読解力は必要だろうね 数学の解法は言語化して論理化して理解し覚えるものだから、何を今更。 本来の読書とは思考がともなうものである
思考を伴うので、始めは第三者が関与するほうがいいのです
問いかけするだけで、思考の極ができあがります
「読書できる人間」と「読書できない人間」を理解してないから、結果論なんです
前者は自分から思考しどんどん学習して行くタイプです
塾の先生ならだれでもわかることがあります
5段階評価で3の生徒を4とか5にするんは割と簡単ですが
1や2を3にするのは大変ですw 3にできればあとは楽です 文系って勉強出来ない奴も含めてるから
文系でも文書読めない奴多いのは当然 ホーキングが相対性理論や素粒子物理学を暗算でやってるのが衝撃的。
京大で無双してた大栗教授も暗算できそう。
天才じゃない人が憧れだけで理論物理に進むとめっちゃ大変なんだよね 左京区の経研に自称理論家なのに異様なほど数学がダメなのはいた
ブラックホール(質問攻めで、自分からは何も出てこない)で
目をつけた他人のネタについて質問、暗記、写すということをやってきたらしい
本は読まず常識も教養もない
周囲と相対比較、気に入らないと陰湿ないやがらせと悪口
関西のモノマネ丸暗記の昔の秀才ですな
学生の弱みを探し、要するに職と学位だが
奴隷奉仕を強要、陰湿なハラスメントを繰り返した挙げ句
勝手な理屈で学会誌編集査読者として盗作盗用行為に走り、
ここで自滅になるはずがなぜか周囲がかばう
しょせんは田舎の二線級の文官養成所だからな
形式的な学歴と格上の外国の大学の学位で装っても低知能、低学力、低倫理
はなおらない
無能文系の最後の逃げ場が外国語、英会話というのは覚えておくといい >>10
そういう事ですね。 でも、図形など扱う幾何の場合は
視覚的な直感能力が大いに効くので「右脳」も鍛えないと
数学力は向上しませんよ。
右脳で諸現象を帰納して、左脳の論理力で整理体系化する。
数学者もそうやってると思いますね。 数学の場合は論理の
部分が厳密かつ透明性が高い。 >>3
だから、マニュアルも動画が多くなってるらしい。
「百聞は一見にしかず」ではあるが、漫画文化から
さらに動画文化へと非言語化に危惧を覚えますな。 ある会社で配布された、「新入社員へうちの会社が求めていること」という資料が、すごい本音だった。
http://dssfe.itleague.com/ywZm/582681687.html 俺は文学嫌いで数学が苦手。
ドストエフスキーの「罪と罰」なんか、買って10数ページ読んで耐え切れずに放り出した。
数学に至っては、小学校の算数からもう怪しかった。
でも哲学の学術書はスラスラ読めるんだな、なぜか。
ヘーゲルの「精神現象学」の序文なんか、何度読み返したことか。
(本文は大して面白くない。読みにくくはないが、各章の繋がりが良くない。) 佐伯啓思
数学者の【岡潔】という人がむかし、奈良女子大にいて・・・
西部邁
あ〜そうそうそう。
佐伯啓思
戦後を代表する数学者の一人でしょうね。数学というのは完全に論理でできているという・・・まぁいちおう、それはそうなんです。
ですから、最初からはじまって論理を持っていけば、最後まで到達して、全てが非常に明晰にわかるはず。
『それでも、納得できない数学というのがある』というんですよ。
西部邁
ほう。
佐伯啓思
どんなに論理的に正しくても、どうしてもそれを受け入れることができないものがあって、じゃあ、「受け入れられることができるか・どうか」の基準は何かというと、岡さんは【情緒だ】と言うんですよ。感覚というか情緒。
だから、どんな論理でも『論理を超えたもの』があって、本当にそういうことが正しいかどうか判定するのは論理じゃなくって『情緒』だというのを、岡さんがしばしば言っておられた。 西部邁
あの人たちじゃないけども、数学というのはね、純粋論理の世界だと思っているけども、どういうふうにして「数学上の発見」をしていくかというね、このクリエイティビティの問題になってくると、各国の国民のね、自分自身が日本列島で育って国語を使って生きていて、果てはね、この日本列島の例えばだけど、「虫の声」とかね、「風の音」とか「光の強さ弱さ」とか、そういう非常に『感覚的なもの』のね、英語で言う必要もないけども、Sensibility(センシビリティ)=感受性っていう、『その「感受性の違い」が、数学的な論理の発見とかなんかに繋がってくる』んだってね。そういうものを捕まえるものとして、実は『国語』があるわけですよね。 正岡子規や太宰治が数学もよくできたことは
周知の事実 高校の時の国語の教師が同じようなこといってたなあ
うちの高校の理系は文系より現代文の時間が多かったのは理にかなっていたのか
まあ単純に授業時間が決まってて古典やるより現代文の方がいいってだけだったんだろうけど >>1
三段論法みたいな論理は数学的な集合論で説明できるし
数学って論理的な表現の一種なんだよな >>20
数学が苦手で哲学得意ってありうるのかねー
分かった気になってるだけでは >>7
そもそもそんなスイッチ無いってハナシだけどなw
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