【邪馬台国】 邪馬台国論争 畿内説と九州説 永遠の平行線 [しじみ★]
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考古学ファンの心を揺さぶる邪馬台国の所在地論争。先日、テレビで九州説と畿内説を対決させる番組が放送されていた。九州説の有力な手掛かりは硯(すずり)。畿内説の方は赤色顔料の原料、水銀だ。
ただ、硯は、福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄さんが今春、大阪府泉南市にある弥生時代の遺跡出土品に含まれているのを確認している。一方、水銀の鉱床も畿内限定ではなく、「丹生(にゅう)」などゆかりの地名は九州にもある。お互い説得力はいまひとつだった。
折も折、九州説をとるミスター吉野ケ里こと高島忠平さんと、纒向(まきむく)学研究センター(奈良県桜井市)所長の寺沢薫さんによる対論が福岡県飯塚市で開かれた。寺沢さんは桜井市の纒向遺跡を邪馬台国=ヤマト国とみる研究者だ。
結論から言えば「議論は永遠の平行線」という印象だ。
重要な鍵は多様な土器が出土している纒向遺跡。遺跡の時期と重なる「庄内式」と呼ばれる土器が登場した年代を、寺沢さんは3世紀初めごろとする。中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」にある女王・卑弥呼の共立時期と同じで、「卑弥呼の都」との見方が強まる。
高島さんは3世紀半ばとみる。卑弥呼が没した時期であり、纒向遺跡は無関係という解釈を導く。2人とも庄内式土器が用いられた時期と纒向に「都市」があった時期は一致すると考えているが、その土器が示す実年代のとらえ方に50年の差があり、対論でもなかなか縮まらなかった。
土器の年代は研究の積み重ねを基に設定されている。実年代に当てはめる場合は一定程度の推測が伴い、各研究者がそれぞれの尺度を持つ。放射性炭素14を使った科学的な年代分析法もあるが、概して従来の年代設定より古い数値が出ており、精度を疑問視し否定的な研究者もいる。
ちなみに庄内式土器も、炭素14測定では卑弥呼が生まれる前の2世紀−との数値も出ている。もっともこの分析法は「100年ほどの誤差を含み、10年、20年単位の判定には不向き」との指摘も聞く。
論争が袋小路に入るそもそもの原因は倭人伝の記述だ。文字通りに進めば邪馬台国は日本の南方海上になってしまう。数々の論者が自分流に読み換え、各地に所在地を求めた。これも永遠の平行線。ドイツ近代政治史が専門の九州大教授、熊野直樹さんは「攻めてくる恐れのある他国に、自国の地理情報を正確に伝えるはずがない」と、国際関係論をベースに邪馬台国側の意図を読み解いてみせる。
交わることなき論争。故に歴史ロマンが生き続けるのかもしれない。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/530555/ 魏の使者がたどたどしい日本語で尋ねました
「卑弥呼さんは何処に住んでますか?」
伊都国のおっちゃんが答えました
「八女たい!」
魏の使者
「おーっ、ヤマタイ」 飛鳥をあっちこっち幾ら掘っても、600年代以前の地層から何も出てこないから困り果てているみたいですよ。 九州説の学者も本当は畿内とわかってるけど、
民間の議論の盛り上がりのためにあえて5%ぐらいの変わり者が九州説側についてるからな
結論を出すための対立じゃないんだよ 民間の盛り上がりに応えてるだけ 時間の無駄だよな。
考古学を地道に検証していれば自ずと浮かび上がってくる話。
よく考えればそれほど重要でもない。 >>9
民間が盛り上がってくれていれば、それを追求する為に考古学に国の資金が投じられやすくなる
みんなが興味をなくせば、発掘などの作業の予算もままならなくなる 答えはもう決着ついてるだろ。北九州だ。奈良は卑弥呼じゃなかったら予算が付かないから粘ってるだけ。 2〜3世紀は、軍事力の担保となる鉄器が九州北部からは良く出土するが、他はあまり出土しない。 俺の仮説
カササギは外来種として九州・佐賀に留鳥として居る
カササギは一定の地域で繁殖する性質がある
魏志倭人伝には「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲 無し。」とある
なぜ、「鳥」ではなく「鵲」(カササギ)が倭国には居ないとあえて記したのか
魏が後に、倭国へ「鵲」を贈っていたと仮説するならば
生物学的なDNAの解析によって、鵲のルーツを特定できるのではないか
銅鏡などの錆びついた物証だけではなく
鵲が現在まで生き継いだ魏の使者ならば
邪馬台国の生きた物証としてロマンがある その頃は風水の重要度がかなりのウエイト占めてるよな
つまり風水的により優秀な土地こそが本命だと思う X文字通りに進めば邪馬台国は日本の南方海上になってしまう
〇字面に惑わされて進めば邪馬台国は日本の南方海上になってしまう >>1
・ BS-TBS 諸説あり!邪馬台国SP
↑この番組の九州説が一番説得力があったわw >>19
東遷説: 邪馬台国は北九州にあり、やがて機内へ東遷したと考えるのが妥当
という説に一票w まあ記述が北部九州を詳述してることからもたぶん北九州に邪馬台国はあったんだろうよ
近畿にはまた別な国があったんだろうけど、玄関口を抑えられてっから外交はしなかったんじゃね?
南部九州に起こった大和朝廷の前身が瀬戸内海を制しながら近畿へ至って王権成立、
代替わりしつつ四道将軍を送ってその一つが北九州の邪馬台国を勢力下に置いたと
中国との交渉をやってたのは専らこの邪馬台国とその後継で、倭の五王の系図と皇室のそれとが符合しないのはそれが原因
ってことで 邪馬台国はいっぱい国がある中の一つに過ぎないが
たまたま海外に目を向けることのできる優秀な指導者がいて
アピール上手だっただけなんじゃないかと思っている
そこで魏に対してかなり盛った話をしたんじゃないかな 邪馬台国論争はもはや考古学にとっては害悪。
優しく言えば雑音。 平行線がイヤなら九州の遺跡から出土したブツをつかって
さっさと炭素年代測定やりまくれっての
いつまでわけのわからん土器編年とかやってんのw >>9
その考古学も「得られたデータを記紀に沿って解釈する」などという
とんでもない状況が未だに続いている
そんな状況を正すべきとする論文を大阪歴博が出したのが昨年 偽書記紀編纂の主犯、不比等の死から1300年
やっと、やっとのことで日本の古代史が正常化への一歩を踏み出した
不比等もまさか日本人がここまで劣化するとは思っていなかったろう 魏志倭人伝には、関西について(その途中も)何も記述されていない。確証的な物証もないし、例の銅鏡も中国産では無いらしい。倭人伝以降の中国側文献では九州の阿蘇山の記述はあるが、畿内のことは何も書かれていない。畿内説は無理筋ではないか。 そもそも畿内は渡来人であって倭人ではないのでは?
卑弥呼は倭人でしょ 弥生時代なんて日本が分裂国家だった記述
畿内説は奈良から九州まで広大な広域統一国家があったという前提
破綻してるでしょ 弥生時代の大和とは?
大和については魏志倭人伝に記述されている通り、単なる市場の監視役だったので、畿内説の学者はフェイク情報配信罪に問われることとなります
■魏志倭人伝
収租賦有邸閣 國國有市 交易有無 使大倭監之
「租賦を収め、邸閣有り。国国は市有りて、有無を交易す。大倭をして之を監せしむ。」
租税を収め、邸閣がある。国々に市があって有無を交易し、「大倭」にこれを監督させている。 >>35
野馬台詩にある「東海の姫氏の国」が邪馬台国だとすれば
卑弥呼含むかなりの「倭人」が太伯の末裔ということになる >>14
そういうこと言ったら奈良なんて卑弥呼に頼らなくても他の時代の遺跡とかでも金引き出せる。
一方で九州こそ卑弥呼でしか金引き出せない。 負けが確定したら
引き分けみたいに見せようとしだすのは
チョンの常套手段だぞ近畿パー
畿内説は否定証明済み
お前らは反論不能状態
これが現実
>>40
九州に「卑弥呼で金を引き出す」と考える不遜な研究者など存在しない
そんなことをすれば即座に出世の道が絶たれる <<論争が袋小路に入るそもそもの原因は倭人伝の記述だ
記述通りなら北九州 帯方郡から1万2千里と明記してある
九州の海岸までで1万里だからあと二千里しかない
畿内説を言うものは 日本国がシナの属国だったと言いたいだけの
マルクス主義者たち
近畿ヤマト政権は当初からシナ国家に対等の立場を取った
シナ人に屈従姿勢を見せた卑弥呼は日本国人ではない >>1
>結論から言えば「議論は永遠の平行線」という印象だ。
西日本新聞の記者が色眼鏡で見てるから平行線なんだろ
この新聞は中立公平に見ようとしない
日田の鉄鏡の記事も同様に、地元贔屓の酷い記事だった 九州説はおらが村の村おこしでやっているから、各地に候補地が乱立する。 邪馬台国板作るかメールでやれ
科学+でやるのは迷惑 邪馬台国畿内説は、否定証明完了済み。
卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。
しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。
はい、論破w
ところで、なんで「末盧國」を「まつら(ろ)」って読むの?
中国人が音写したんだろ?
今の読み方だと、
mòLú か meLú
じゃん ところで、なんで畿内説は否定証明済みで反論不能なのに
「九州説って町おこしだよね」とかクルクルパーなことほざいてんの? 神武が九州から飛び出して、出雲、吉備通り奈良に入る。
豪族のいない新天地が奈良。伊勢・東海系の人を集め開拓が始まる。
その後、九州を脅かすほど、大きくなる。卑弥呼亡き後、トヨと神武の子孫が
結婚し、九州王朝と繋がっただけ。 >>58
酷い妄想だなと思ったら、いつもの捏造野郎だったか >>47
ご自分のことですか?
もう少し丸くおなりなさい。
そうすればみんな少しは聞いてくれるでしょう。 ところで、なんで畿内説は否定証明済みで反論不能なのに
「九州説って町おこしだよね」とかクルクルパーなことほざいてんの? >>63
畿内は有り得ないことは証明済み
はい、キチガイ論破ww もうめんどくさいから九州でいいよ
はいはい九州九州
はいはい決まった決まった ところで、なんで畿内説は否定証明済みで反論不能なのに
「九州説って町おこしだよね」とかクルクルパーなことほざいてんの? ところで、なんで畿内説は否定証明済みで反論不能なのに
「九州説って町おこしだよね」とかクルクルパーなことほざいてんの? 神社(天皇)、寺院(仏教)の出現もあり、古墳が消えていく。 九州上陸後のクニの間隔が、伊都国←約40キロ(100里)→奴国←約40キロ→不弥国
この辺は張政も実際に歩いた地域と推定でき、何十倍もの誤差があるとは思えない地域
これで畿内にたどり着こうとすると、卑弥呼が統括していた30余国が直線的に並んでないと奈良盆地に到着しない
そんな事ありえない 邪馬台国をネタにしたフィクションはほとんど九州説を採用してるね
"伊都国の南に"って記述を素直に読めば九州のどっかだろうし
畿内で遺跡があってもそれが邪馬台国のものかなんて分からないのに
畿内説が有力視されるのが分からない。
九州の地方ローカル王国じゃ嫌だっていう感情論か >>72
畿内説の基本的な考え方は「中国と外交をやっていたのはどこの勢力か?」という観点で、
物証を積み上げた説なんだよ
国交を結ぶのだからその国の最大勢力がまず最有力候補であり、その最有力候補が中国と交流してたんだからもう決まりで
他の勢力の出る幕ではないってこと
一方、九州説は宝探し的な発想に思える
宝がある場所が書かれた文献があって、そのまま読むと海の上になってしまい間違ってるのは明らかだけど
その解読不可能な文献をオレ様が解読してやるんだというアプローチ方法に見える
アプローチ方法が違うんだから理解しづらいかもしれんが >>74
お前らクルクルパーの近畿パーがどう思うとかwww
だからなにwwwwww
間違いに決まってるだろキチガイwwwww 相変わらず漠然な近畿説の物証て何?
リンク先すら上げない。文献も方向変えたり、距離を変えたりする。 まとめ
1 畿内説は可能性が完全にゼロ
証拠になるものが全く何もない(あると言うなら一つでも挙げてみろw)
纏向を調べれば調べるほど魏志倭人伝の記述とまるで合わないことが分かるだけ
おまけに>>55のように論理的に否定証明される始末
畿内説は完全に消えた
小保方のSTAP細胞と同類
2 東遷も東征もない 考古学的に否定済み
(つまり、旧唐書や新唐書にあるとおり九州倭国と近畿日本の二つの国があった)
3 卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で100%間違いない
>>74
日本列島全体が一つの国扱いされてたのか、そもそも本州以北が認識されてたのか
って所が腑に落ちないな。畿内説のアプローチ
大和政権じゃ畿内が中心であっても、
邪馬台国と連続性あるのか、それとも別物か分からないのに 昭和の学者は古代と現代で国境が全く変わっていないという前提で物事を考えているからな。
その影響が今も続いているんだろ 大和は奈良県のことだし邪馬台国も普通に畿内だと思うが >>83
「大和は奈良県のことだし」
このひとことで君の知識の腐臭を感ずる次第 邪馬台 の発音は ヤマト(大和) だろ?
中国人が発音に合う様に卑しい漢字をあてただけで
最初どこにあったかはともかく
後の大和朝廷に繋がる集団ではあっただろう 日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。
明治時代に設定された宮内庁による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。
鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。
鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。
稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
さらに言うなら、古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域だった。
つまり、神武東征によって稲作と弥生土器などの弥生文化が普及したことになる。
邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐
終わり だって九州の学者が九州説で、関西の学者が畿内説なんだろ
そりゃ折り合わんわな
永遠に平行線だわな 倭国大乱次第じゃね。
女王国の前段階のお家騒動に同盟国が介入したというような性格なら、
倭国の王権の問題じゃなくなる。
その上で、女王国が倭国王と認められたら、
トヨの即位は別の意味を持ってくると思う。
卑弥呼に国債感覚があるというより、
魏主導の入貢ではなかったか。 >>85
邪馬台は中国語だぞ
「邪馬台」と書いて「シャマダー」と読む
想像オンリーでヤマトと読んでるやつは池沼 そもそも大和は魏志倭人伝に登場している
■弥生時代の大和とは?
大和については魏志倭人伝に記述されている通り、単なる市場の監視役だったので、畿内説の学者はフェイク情報配信罪に問われることとなります
■魏志倭人伝
収租賦有邸閣 國國有市 交易有無 使大倭監之
「租賦を収め、邸閣有り。国国は市有りて、有無を交易す。大倭をして之を監せしむ。」
租税を収め、邸閣がある。国々に市があって有無を交易し、「大倭」にこれを監督させている。 >>87
九州説を唱える学者なんか九州にもほとんどいないよ
そんなことやったら直ちに出世コースから外される 狗奴国は邪馬台国の南にありました=邪馬台国は狗奴国の北にありました
卑弥呼の邪馬台国と争った国が熊本に 九州説に新解釈
(産経新聞 2019.9.2)
https://special.sankei.com/a/life/article/20190902/0001.html >>1
邪馬台国がブランド化され魏志に書かれた規模以上の大国があったとは思えない自縄自縛論争 大分で出土した鏡は魏王の鏡と同型でした
卑弥呼の鏡「可能性高い」大分・日田で出土の鉄鏡
中国・曹操陵の発掘責任者が見解
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/472520 >>91
考古学やってる時点で既に出世コースから外れてるんだけど? >>83
カムヤマトイワレヒコ(神武)
カムは神。井沢の説で良い。王朝の始祖と言う意味。
ヤマトは邪馬台(山門)。
イワレは謂れ。
ヒコは王。
神武は近畿がヤマトと呼ばれる謂れとなった王であり、王朝の始祖である、
と言う意味。
言い換えると、神武以前は近畿はヤマトでは無かった。
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