>>871
鏡祭祀や日ノ出の方向の山をご神体にすること、滅多に民衆の前に出ないこと
これらは九州と三輪山に共通する祭祀の方法でさらには伊勢神宮も同様だな
男だと足りない何かが在るんではないか
全体感としては原始信仰の延長ではなく神を迎え自分のところに鎮座して頂くといった考えが近いように思う

これは当時の考えとしてはユニークで、のちの仏教やキリスト教伝来に近い考え方だと思うんだ