九州は女王の記述や祭神や逸話が数多い
宇佐八幡や宗像大社やなどなど
それもそれぞれ個性のある輪廓があるため複数の女王が居たことを示しているな
これが日本全域そうだったかというとそういう雰囲気は無い
それもその後畿内勢力と同化するため元来の文化の継続は失われたのだろう

九州の華の時代は半島との交易権を独占できた2世紀半ばまでということであり、倭国大乱は九州の制度変化をもたらしたものだと思う

逆に考えてみよう
畿内勢力は九州を制圧したというより、半島への交易権を奪ったと見た方が自然
それを達成するには鉄輸出の半島南部の港だけ押さえれば良い
それが後の任那なのでは