奄美沖縄から出た「天孫属」が、九州に上陸し、九州東岸を占領。
その後、吉野ケ里の勢力等も吸収して、九州北部から韓国南部を支配地にした後、
出雲から丹波(投馬国)も従えて、最終的に畿内に首都としての拠点を築いた。
それが邪馬台国=大和の国。そのように奄美から畿内に東遷しているので、
魏志倭人伝の書き手は、東と南を混同したり、最終的な直線距離を奄美までの
距離(12000里)にしたりしている。
(ただし、偶然、帯方郡から畿内も12000里)