魏志倭人伝によると、韓国南端から対馬に渡るのが、だいたい千里と書いてある。
それから、割り出すと1里は、60mから80mくらい。
よって、上の方で誰かが書いている75m/里は概ね正しい。
そうすると、帯方郡(ソウル付近)から邪馬台国までは、12000里と書いてあるので、
kmでいうと、900kmぐらいということになる。
次に、この12000里というのを古代人がどうやって算定したかだが、恐らく、
緯度の差(=北極星の高度等)で割り出したと思われる(エラトステネス同じような方法)。
南北の距離だけなら、この方法でまあまあ正確なはずだ。
(というか、古代人には、この緯度差による南北距離しか直線距離は出せなかったろう。)
そして、魏志倭人伝には、はっきりと九州北部から「南へ」と書いてあり、「南」と信じているわけだ。
ということは、邪馬台国の位置は、ソウル付近から南北方向が900kmの地点ということになる。
つまり、12000里というのは、緯度の差を表している。
そうすると、それに相応しい地点は、北部九州も畿内もはずれ、奄美付近となる。
女王あるいは斎王と言っていいかも知れないが、女性の祭祀王を立てる風習は、
沖縄奄美の「ノロ」「ユタ」の風習と共通点がある。
やはり、邪馬台国は奄美大島付近だ。
そのあたりで、卑弥呼の金印が見つかるのではないか。