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許永中と同和利権
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0001名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ d72e-CJ81)
垢版 |
2023/07/14(金) 07:28:46.59ID:hB8B26cw0
かつて戦後最大級の経済事件に関与し、「闇の紳士」「フィクサー」と呼ばれた男がいた。許永中氏だ。
許氏は大阪市大淀区(現・北区)中津の同和地区と在日韓国人地区の混在した場所に生まれる。
国立の大阪大学進学を目指したが、教諭から無理だと言われて大阪府立大学に変更したが入学試験に失敗。1965年4月に大阪工業大学に入学。大学卒業者の初任給が月2万円の当時、大阪工業大学の学費は年20万円も掛かったが、母と姉に工面してもらった。
大阪工業大学では柔道部で活躍するも、麻雀とパチンコに熱中し、3年で中退した。
大阪工業大学中退後は、不動産広告業者の秘書兼運転手として働く傍ら、経営について学んだ。同じ頃に日本人女性と結婚する。「湖山」姓が在日朝鮮人特有の姓であり、ビジネスで不利になるとの考えから交際中に日本人女性の姓である「藤田」を通名とした。
0002名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ d72e-CJ81)
垢版 |
2023/07/14(金) 07:33:09.67ID:hB8B26cw0
許氏がここまでのし上がっていった理由には、やはり「同和」が関係している。
許氏は大学を中退すると、地元のさまざまな人脈のなかで、ビジネスをはじめるようになる。
その人脈のなかには、山口組3代目組長の田岡一雄の腹心といわれた柳川組の元組長・柳川次郎もいたという。在日韓国人の柳川と許は、その後、同じビルに事務所を構えるほどの関係になつた。
そして1975年、28歳で大淀建設という会社の経営を引き継いだという。この大淀建設は「大阪府同和建設協会」(同建協)という同和関係の業界団体に所属しており、一在日韓国人の許が同和関係鮒体のメンバーになれたのは、中津の複雑な人間関係が影響しているというのだ。
許には、人懐っこいところがあり、年配の人間にかわいがられたという。在日韓国人としての自分のアイデンティティも自覚していて、39歳、1986年に大阪と釜山を結ぶ「大阪国際フェリー」を就航させている。
1984年、日本レース株買い占め事件で注目を浴びる。また韓国大統領の実弟とも交友関係を持ち、韓国政界にも人脈を持つ。 1989年、大阪韓国青年商工会設立。
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