2020年12月31日

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 ベイチモ号は今も多くの謎を残す幽霊船である。1914年に進水して以来交易に使用されていたが、1931年のこと、アラスカ北岸で激しいブリザードに見舞われ、氷に阻まれてしまった。

 乗組員らは一旦船を降り近くにキャンプを設営したが、再び激しいブリザードが襲い、その後船は跡形もなく消え去ってしまった。しばらくしてイヌイットの猟師が離れた場所で発見したが、冬を越せないと判断され船は放棄された。

 放棄されたベイチモ号は、その後数十年も燃料もクルーもなしで北極の海をさまよい続け、1961年を最後にその消息がわからなくなった。

 ベイチモ号が現在どうなっているのかは不明のままである。沈没したかもしれないし、いまだに凍った氷山の間を漂流し続けているかもしれない。





貿易船「ベイチモ号」

 ベイチモ号は、もともとスウェーデンで建造された鋼鉄製の蒸気貨物船で、ドイツ・ハンブルグとの貿易路に使用する為1914年に進水した。

 重さ1,322トン、船体の長さ70メートル、動力は三段膨張式蒸気機関、スクーナー式索具も装備されていた。

 第一次世界大戦が始まるまでバルト海交易路で活躍したが、大戦後はドイツの戦争賠償の一部としてイギリス政府に引き渡された。

 その後、1921年にハドソン湾会社が取得、ベイチモ号と改名され、スコットランド、アルドロッサンを母港として、イヌイットの毛皮などを運ぶため、カナダとの間の北大西洋を行き来した。

 1923年、ベイチモ号はいつもと違うルート、北極圏西部のバンクーバーとの間を、ユーコン準州とノースウェスト準州の北部海岸に沿って航行した。

 ベイチモ号は貨物のほかに、ときどき乗客も運んでいたが、法的には人を運ぶことは認められていなかったため、乗客は乗組員として登録され、船上で働く代わりに部屋と往路の乗船を約束された。


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カナダで撮影されたベイチモ号 image by:public domain/wikimedia





ブリザードに襲われ船を放棄

 1931年9月末、バンクーバーに戻る途中のアラスカ北岸バロー岬で、ベイチモ号は激しいブリザートにみまわれた。氷に阻まれてしまったため、クルーたちはここで越冬しなくてはならなくなった。

 ところが、とてもそんなに長期の燃料はなかったため、クルーたちは船を離れて、近くのバローの町でキャンプを設営することにした。10月〜11月の間、数人づつ毎日船に戻って、舵など主要な装備から氷を取り除いていた。



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氷に閉じこめられたベイチモ号から貯蔵品を運び出すクルーたち



 11月24日、再び激しいブリザードが襲いかかった。それが過ぎ去ると、ベイチモ号が跡形もなく消えていることがわかった。

 クルーたちは船は沈んでしまったと思い込んだが、まもなくイヌイットの漁師から、およそ72キロ南を漂っているのを目撃したという話を聞きつける。

 船は見つかったには見つかったが、冬を越せないと判断したクルーは、積荷の中から価値のある毛皮だけ回収して、ついに船を放棄した。

 船長のコーンウェルとクルーは、空路でバンクーバーに戻り、会社は船とわずかな積み荷を損失として抹消した。





その後数十年、海をさまようべイチモ号
     ===== 後略 =====
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