【ドイツ】忘却された第1次世界大戦の記憶 ドイツ帝国復活を狙う極右【オピニオン】[11/09]
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・忘却された第1次世界大戦の記憶、ドイツ帝国復活を狙う極右: David COURBET
【11月9日 AFP】ドイツの極右勢力は、ドイツ帝国と第1次世界大戦におけるその役割を復活させようと試みている。第1次大戦の休戦協定から100年を迎える今、何十年も前の論争が蒸し返されている。
独極右系雑誌「コンパクト(Compact)」は11月の特別号で、連合国とドイツの間で1919年に締結され、ドイツに第1次大戦の巨額な賠償金を科すこととなった講和条約「ベルサイユ条約(Treaty of Versailles)」を特集している。この雑誌は、反移民・反イスラムを掲げる極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」に近い。
「ベルサイユの恥辱―戦勝国はどのようにドイツを奴隷にしたか」という記事のタイトルは、1920年代に帝政時代への郷愁を感じていた人々やナチス・ドイツ(Nazis)が用いた言葉遣いを思い起こさせる。この記事は、20世紀最初の破壊的な大国と長年みなされてきたドイツ帝国(1871〜1918年)の再評価を試みている。
■「強国への道」
独ハンブルク大学(Hamburg University)の歴史学者だったフリッツ・フィッシャー(Fritz Fischer)氏が1960年代初めに発表した論文は、ドイツ国内で論争を引き起こした。第1次世界大戦とソンム(Somme)、ベルダン(Verdun)、ガリポリ(Gallipoli)の戦いの責任は、唯一ドイツ帝国にあるという内容だった。
フィッシャーは著書「世界強国への道―ドイツの挑戦、1914-1918年(Bid for World Power)」で、ウィルヘルム2世(William II)の臣下は人種差別主義者や帝国主義者のエリートが占めており、ドイツを世界の強国にしようとして意図的に第1次世界大戦を引き起こした、と主張した。
フィッシャーは、ドイツが欧州とアフリカを支配するために、オーストリア大公フランツ・フェルディナント(Franz Ferdinand)の暗殺に端を発した危機に乗じてフランスとロシアとの戦争に突入した、そしてその満たされなかった野望が後にナチス政権誕生へと道を開いた、と論じた。この主張は、ドイツが戦ったのは防衛戦争だったと信じていたドイツ国民の考えを覆すものだった。
「ドイツ帝国と軍国主義、帝国主義に対する辛辣(しんらつ)な批判」を核とするフィッシャーの主張は「今日でも左派の間で広く共有されている」と、独フライブルク大学(Freiburg University)のヨルン・レオンハルト(Joern Leonhard)氏は言う。
それとは対照的にAfDは、ドイツ帝国を「近代的で、産業が発達した、非常に保守的な国」として「美化」しようとしていると、歴史学者クラウスペーター・ジック(Klaus-Peter Sick)氏は指摘する。
■ナチズムよりも前の「古傷」
AfDの党員らは演説で、オットー・フォン・ビスマルク(Otto von Bismarck、1815-1898年)と彼が首相として率いた「プロイセンの城々」の時代をたたえている。ジック氏は、ドイツ帝国の「規律と秩序」を重んじる価値観は、AfDの価値観と一致すると言う。
AfDの党首アレクサンダー・ガウラント(Alexander Gauland)氏は、ヒトラーの時代について「ドイツの輝かしい1000年の歴史」における「ほんの小さな汚点」だと言う。
そのナチス時代の最後の目撃者が亡くなりつつある今、「ドイツ人は自国とその歴史に誇りを持ち、あちこちにナチズムの亡霊を見ることをやめるべきだ」と国民に訴えることが、極右勢力の目標だとジック氏は語る。
ドイツは長年にわたり、第2次世界大戦とナチスの残虐行為やホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)を忘れず、罪を償ってきた。だが、第1次世界大戦の記憶はそれに比べてずっと薄い。
アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)独首相は今月10日、第1次世界大戦の休戦協定が締結された仏ルトンド(Rethondes)をエマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)仏大統領と訪れる予定だが、メルケル氏が出席する100周年関連の行事はこれが唯一となる。「ドイツの政治家たちは、古傷を開かないことを重要視している」と、レオンハルト氏は語った。(c)AFP
(独ポツダムで取材に応じる反移民・反イスラムを掲げる極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」のアレクサンダー・ガウラント党首)
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2018年11月9日 15:00 AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3195668 >>1
敗戦時に皇室の財産を満載した列車で国を捨ててオランダへ亡命したホーエンツォレルンを尊敬できるのかな・・・
昭和天皇と真逆だったな すでにドイツは経済で欧州征服して第4帝国築いてるじゃないですか。
何間の抜けたこと言ってんの。 ポーランド人の馬鹿女に10数年首相やらせて
陸軍が1/3に空軍は稼働率1割で壊滅
海軍は、稼働可能な船舶ゼロ完全崩壊みたいな事やってりゃ
保守のファシストに政権任せたくもなるよ ヒットラーとナチスを創り挙げたのは 実はヴァチカンだって話だよ >ドイツに第1次大戦の巨額な賠償金を科すこととなった講和条約「ベルサイユ条約(Treaty of Versailles)」を特集している。
賠償金の額が決められたのはベルサイユ条約じゃないと読んだけどな
それに、実際にドイツが支払ったのは、決められた賠償金の1/10程度だとか
あと、ベルギーに対しては、ドイツは戦争中から賠償すると言ってたんだろ
>「ドイツ帝国と軍国主義、帝国主義に対する辛辣(しんらつ)な批判」を核とするフィッシャーの主張は「今日でも左派の間で広く共有されている」
>それとは対照的にAfDは、ドイツ帝国を「近代的で、産業が発達した、非常に保守的な国」として「美化」しようとしている
両立すると思うけど
ヴィルヘルム2世の本を買ったけど、読んでないなー
おもしろいのかなー
書評での評価が高かったから買ったんだけど 独逸は終わり、最早復活不能な事西班牙や葡萄牙と同様、お仏蘭西も多分これらの後を追い
終了。 さて我が日本はどーか? 国内に巣食う赤・朝鮮を排除できれば大日本帝国復活も
あながち不可能ではあるまい。 これ、安倍なら出来るかなー・・・って見て居ったが、 やはり
難しいかね。 日本も戦争と言ったら第二次世界大戦だけを指して第一次世界大戦に関しては興味ない奴多いな
第二次世界大戦に関しては戦後100年まで毎年式典やってそうだけど第一次世界大戦の追悼式とか全く興味ない奴らばかりでしょ >>10
いる
カイザーと一緒にオランダに亡命したが、
息子達は革命のほとぼり醒めるとドイツへ帰国した
今は孫か曾孫がホーエンツォレルン家の家督継いでる これいまドイツでも問題になってきていて、 でもAfDとは関係ないやつ。
帝国市民っていうテロ組織化している団体があって事件多発している。
彼等はなぜかドイツ帝国市民IDカードというものを独自に発行して所持しているという。
AfDは外国人労働者移民は特に反対はしていない。
難民規制とイスラム排除は訴えて入るが。
ドイツのネオナチ系政党は別にある。 NPDという政党。 ドイツ帝国とか面倒くさいから、
プロイセンとかバイエルンとかザクセンとかに再分割しよう しかしまあ、どこかのスレで帝政派市民問題のことを書いたら、さっそく事実関係捻じ曲げて偏向報道かあw 帝政派とか、社会・共産主義者にとっても敵だろうけど、反ナチスでもあるんだが・・・。
貴族+王党派+宮廷ユダヤ人による民衆支配体制なんだが・・・。 >>1-10
■直接的な殺害
ホロコーストのシンボルとして扱われるガス殺であるが、その割合は圧倒的なものではない。マイダネク強制収容所では7つのガス室をもうけ、ガス車をも利用したガス殺を行ったが、これが行われたのは一年ほどである。ガス殺導入後でも銃殺はかなりの割合を占めており、1943年11月3日にはマイダネクで機関銃によって1万7千名のユダヤ人が殺害されている。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所では1941年9月3日にソ連軍捕虜とポーランド人にたいしてツィクロンBによる殺害が行われた。これは害虫駆除のために用いたストックが十分に存在していたためであり、停止までアウシュヴィッツではツィクロンBが用いられ続けた。しかしラインハルト作戦で設置された三つの絶滅収容所では一酸化炭素が用いられている。
■絶滅収容所
ドイツ国内には、すでに戦前からダッハウやザクセンハウゼンなどの強制収容所が存在したが、それらの収容所は当初は比較的小規模であり、政治的敵性分子や西側の捕虜などが比較的多く収容されていた。のちに収容者たちの労働によって拡張され、ユダヤ人だけでなく、ロマ人その他の人々が雑多に収容され、収容者はのべ20万人を超えることになる。
特にダッハウは薬草農園労働と生体医学実験で有名である。同地には43年に「バラックX」と呼ばれる死体焼却炉付きガス室が建設されたが、完成せず実用には至らなかったと言われる。
しかし、このことはダッハウにおいてガス処分がなかったことを意味するのみで、墓地その他の調査によれば、実験による感染・郊外での銃殺などにより、労働強制収容所であったはずのダッハウから数万人の組織的大量虐殺(ホロコースト、ただしユダヤ人以外をも多く含む)が始まった事実は揺るがない。
■絶滅収容所
絶滅を目的とした収容所としては、1942年からアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所・トレブリンカ強制収容所・マイダネク強制収容所・ベウジェツ強制収容所・ソビボル強制収容所などの収容所が次々と完成し、ゲットーや占領地域から多くのソ連兵捕虜・ユダヤ人が送り込まれた。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所には大規模な軍需工場が付置され、多くの付属収容所を従えた一大生産基地を形成していた。その他の多くの収容所は僻地に建設され、収容者数も多くなかった。
ラインハルト作戦と呼ばれるポーランド=ユダヤ人絶滅作戦に沿って作られた収容所では、ほぼ全員が直接ガス室に送り込まれたとされる。とくにトレブリンカ強制収容所の犠牲者は群を抜いて多く、およそ90万人がそこで殺されたという。
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