■奴隷少女の手記が日本で広範な読者を得ている現象は海外主要メディアの関心も引いている。

約200年前にアメリカで出版された、奴隷少女の回顧録『ある奴隷少女に起こった出来事』
(ハリエット・アン・ジェイコブズ著/堀越ゆき訳/新潮文庫)が、いま、国内外で注目を集めている。

 19世紀にアメリカ南部のノースカロライナ州で奴隷として生まれた少女によって綴られたこの「手記」は、
あまりに過酷で壮絶、そしてドラマティックな内容であることから、本国のアメリカでも、
出版から1世紀以上にわたって「白人著者による創作=小説」と見なされ、忘れ去られていた。

 ところが1987年、その評価は一変する。
ある歴史学者の調査によって、筆者は実在した奴隷少女で、
記された驚くべき体験のすべてが事実であることが証明されたのだ。
それにより、同書は「奴隷文学、アメリカ史、女性史というカテゴリを超えた読者」(訳者あとがき)から
絶大な支持を集め、同時に全米で作品の再評価を求める機運が高まったことで、一躍ベストセラーの仲間入りを果たした。

 日本では、2017年7月に新潮文庫から刊行され、以来、いまも版を重ねている。
奴隷少女の手記が日本で広範な読者を得ている現象は海外主要メディアの関心も引き、
すでに米誌『フォーブス』をはじめ、仏紙『ル・モンド』、英紙『インディペンデント』などで大きく取り上げられている。

 原書に惹かれ、日本でも刊行すべきと自ら邦訳を手がけた、大手コンサルティング会社に勤務する堀越ゆき氏に話を聞いた。

■「父が娘を買い取る」という意味

 この原書との出会いは、たまたま地方に出張に行く際、
海外サイトの古典文学のカテゴリでランキングの上位にこの本を見つけたのがきっかけでした。
前後にはシャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』やフィッツジェラルドの『華麗なるギャッツビー』、
ヘミングウェイの『老人と海』といった名作が並んでおり、その中にぽつんと並んでいたのがこの作品でした。
私はアメリカで高校と大学院を卒業しましたが、そのときまでこの本の存在は知りませんでした。

 最初に「奴隷が書いた本なんて読み通せるのかな」と思ったことを覚えています。
いま思えば、それは完全な偏見でした。
この時、私は当時の社会に「奴隷」と見なされた「人間」の知性を、無意識のうちに軽視していたことになります。

 新幹線の車中で読み始めると、冒頭のこんな一文が目に留まりました。

 奴隷だった私たち子どもを買い取り、自由にすることが父の悲願だった――。

「"父が娘を買い取る"とはどういう意味なんだろう?」。
深く考えないまま読み始めたのに、小さな奴隷少女が、すごい直球を投げてきたような気がしました。
この本には自分がまったく知らない人生が書かれているのではないかと直感し、気付けば夢中で読み進めていました。

 読み終えて気づいたのは、まず自分自身が「奴隷制」について、まったく理解していなかったという事実。
社会が法律で女の子を「もの」と定めたら、必然的にどんな人生を強いられることになるのか......。
とても簡単な問いのはずなのに、それまで一度も考えたことがありませんでした。
自分が他人への共感や想像力に欠けた冷たい人間のように思え、恐ろしくなりました。
そして、現代日本との類似性を思いました。本書の舞台である19世紀アメリカ南部の停滞は、
現代日本の地方の疲弊を想起させます。そして「奴隷制」は、そこから抜け出せない、
現代日本の社会経済的階層格差や社会間移動性の硬直、機会格差に似ていると思いました。

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