キリスト教のラジオ聴いてる
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
, - ( ─‐ 、 、
, -/ ⌒ ⌒ ヽヽ, - 、
{ヘ/´ にノ }
>{ 大 ハ ト、 | `TTヽ
〈∧ノil ヽ{ノ ' ヽ| L| 」`
|Vi| ┃ ┃│ } |
| 八 │/ ハ|
Y :::..._ - ィ/‐〈
\ト/厂>─‐ミ \
_/_ ハ// V∧
/ \レ< ⌒ V 〉
/`ヽ 人 ヽ ‘,
/‐ッ、/ \ ヽ⌒ ',
, '//,/ イ¨´ \ ,
/ /// , ヘ | | ,
_,/ィ彡 , '′ \.| ,
/ { へ´ ./、 \ 、/ ,
Y´/`´ / ヾ、 /ヽ- 、
{ノ / ヾ、 j\} \ |
// / >:. { } |
__ノノ / 〉 :. { } '
(二二´イ 、′ > ヽ.丿 ∧ ノ
. 乂__ ノ \_∠____‘, _)
 ̄ `¨¨¨ ̄ 聖書検索はこちらから
http://ebible.jp/bsrch/srch.html
旧約聖書
(申命記7章1〜2節)(申命記20章10〜17節)
(ヨシュア記6章16〜21節)(ヨシュア記8章1〜26節)
(ヨシュア記10章22〜26節)(ヨシュア記10章29節〜11章15節)
(民数記31章1〜3節)(民数記 31章14〜18節)
神はモーセとヨシュアに殺人と略奪を命令し、モーセとヨシュアが
その命令に従順にしたがって、殺人と略奪を行ったことが、誇らしげに
記録されています。
新約聖書「ヨハネの黙示録」
6章9〜19章21節、に書かれている<未来のキリスト>の姿は、
「自由人と奴隷、小さい者と大きい者」を、剣で殺して行ったり
火と硫黄の中に投げ込んで行ったりする軍神「王の王」です。
自分たちの教えに反逆する者は、最終的に殺されて当然、
神の目から見て正しい、とする考えは、
新約聖書(キリスト教)の教えそのものです。 このように、キリスト教の聖典である
聖書の神自身が殺人を実行したり
殺人や戦争や略奪を命令するのですから、キリスト教史において、
いかに殺人や戦争や侵略が宗教的に容易に正当化されてきたかを
知っても、驚くには値しません。
キリスト教史における頻繁な宗教殺人や宗教戦争は、
聖書の教えに忠実であったがゆえになされたと考えられます。 宗教は抑圧された生物がそれに耐えられないが為に目を逸らそうとした場所にある概念 聖書が攻略されるようになったらいよいよだね 人類の次のステージが 自分たちを虐げている圧政者たちの支配の時代が終わり、我々に永遠の平和がおとずれる、
という彼らの期待を描いた物語が聖書です。
それは、歴史的予測を描いたものではなく、圧政に苦しむ彼らの現実的な祈りであり、
強く切ない願望の表出だったのです。
しかし、これは、広く多くの人々を魅了するいくつかの要因があります。
それは、まず何よりも、我々の敵である悪が滅び、
自分たちの時代がやって来ることがすでに決定している、という考え方にあります。
しかも、その実現が、地道な努力の結果おとずれるのではなく、
超自然的な力で一気になされる、つまり、苦しく面倒くさい努力はしなくてもよい、
というところにあります。理想(敵である悪の消滅)が信仰だけで実現する、
つまり、自分たちのもっとも欲しいものが信仰だけで手に入る --
これは、魅力的な思想です。この思想がいつの時代でも持て囃される理由が
あるように思われます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています