読売新聞2022/08/13 07:52
https://www.yomiuri.co.jp/culture/subcul/20220812-OYT1T50279/

漫画家・手塚治虫が初期作「魔法屋敷」をリメイクした未発表原稿が、今年4月に死去した漫画家・藤子不二雄(A)さんの仕事場に保存されていた。手塚が手本として藤子(A)さんらに贈ったものとみられ、戦後の有名漫画家を輩出した伝説のアパート「トキワ荘」の師弟愛を示す資料としても貴重だ。

原稿は、ページやコマの断片など60点以上あり、藤子(A)さんの東京都内の仕事場に1冊のファイルで保存されていた。手塚プロダクション資料室によると、最も長いものは、手塚の初期作「魔法屋敷」(1948年、不二書房)を描き直した40枚の原稿。未完成だが、ペンは丁寧に入っている。

手塚は、未使用の原稿や削ったコマなどを、後進漫画家やファンに贈ることがよくあったといい、これらの原稿も「トキワ荘」の後輩である藤子(A)さんと藤子・F・不二雄さん(96年死去)のコンビに、折にふれて贈ったものとみられる。

「魔法屋敷」は、手塚が「新宝島」(47年)の翌年に出した152ページの描き下ろし。当時、大阪などで大量に発行された漫画本は「赤本」と呼ばれた。写真製版が普及しておらず、職人が原稿を模写する「描き版」がよく使われた。「魔法屋敷」も描き版で、元の線が正確に再現されず、手塚は不満だったという。元原稿は紛失している。

「『魔法屋敷』は、科学と魔法の対決という、手塚マンガの初期テーマがよく表れた作品」と、手塚研究で知られる竹内オサム・同志社大名誉教授。「この原稿のペンタッチは赤本版より洗練されている。再度出版の話が出て、原稿がなくなっていたので、最初から描き直そうとしたのではないか」と推測する。「魔法屋敷」は52年ごろに別の出版社から再刊されたが、原本の描き版がほぼ流用された。リメイク原稿は未使用のままになったらしい。

同じ場面のリメイク原稿。ペンの線が段違いに美しい。書き文字も手塚自身とみられる(c)手塚プロダクション
 また、藤子(A)さんの自伝的作品「まんが道」に登場する、手塚から届いた原稿の現物も保存されていた。

 これらの原稿は、6月末、藤子(A)さんのめいで、藤子スタジオ代表取締役の松野いづみさん(63)から、手塚の長女、るみ子さん(58)に返却された。るみ子さんは「父と藤子(A)先生の師弟関係に胸が熱くなった。何らかの形で世に出したい」と話している。