2018年02月23日 14時00分
(写真)
日本武道館でのJAM Project国内ツアーファイナルライブ(写真はいずれもランティス提供)


 日本武道館が、小さく見えた。

 17日に行われたJAM Projectの国内ツアーファイナルライブ。満員の客席とステージを見ていて、巨大なはずのステージが小さく見える不思議を感じたのだ。

 彼らの武道館ライブを見るのは、これが初めてではない。2009年の初武道館以降、武道館や横浜アリーナなど、大きなステージに立つ姿を見てきた。
初武道館で、開演直前の客席が一体となってサイリウムを振る姿に、大きな船で船出をするような高揚を感じたり、横アリ内のステージを走り回る姿に「ねえさん(奥井雅美さん、年下だけど姉と呼ぶ)の体力は大丈夫だろうか」とハラハラしたりしてきた。
もちろん毎回いっぱいの感動をもらってきたわけだけれど、これまでの大箱でのライブでは、
いつも、巨大な何かを相手に、小舟に乗ったJAM Projectが戦いを挑んでいるようで、応援する気持ちでライブを見ていた。

 それが、今回はちょっと違った。大きな会場と互角にわたり合っているというか、会場を手なずけ、制圧しているようにすら見えたのである。

 きっとそれは、JAM Projectが、大きな舞台と互角になるほどに、大きな大きな成長を遂げたからなのだと思う。

 JAM Projectの結成は2000年だが、私がメンバーと出会ったのは2008年。だから今年でちょうど10年になる。
10年前、彼らの活動するフィールドは今より小さかった。
小さかったけれど、それは多くのプロのミュージシャンなら納得してしまうほどには十分に大きくて、そして潤沢で、きちんと回っていた。

 でも、彼らはそこに安住しなかった。

 当時、取材の合間にランティスの方から聞いた話を、時々思い出す。「影山ヒロノブにやってもらいたい、と言ってくるアニソンの話があると、それをいったん止めて、JAM Projectでやらせてくれ、と頼むようにしている」と言うのである。
聞いた当時は、「随分無理なことするな〜」と受け止めただけだったが、そうした一見、「無理なこと」に見える幾つもの挑戦を、地道に繰り返してきたからこそ、「今」にたどり着いたのだと思う。
2009年の武道館だって、当時のJAM Projectの(特に国内での)知名度とか人気を考えたら、いささか無謀だったはずだが、スタッフも含めてのJAM Projectという「チーム」は、
そこに賭け、そして、勝ってきた。簡単には届かないくらいのところを目標に見定め、常にそこに戦いを挑んできたからこそ、これほど大きな存在になることができたのではないか。

     ===== 後略 =====
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2018年02月23日 14時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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