バーテンがグラスを磨き続けるのは、お客が落ち着くから。という理由を、バーテンはお客を落ち着かせるために、グラスを磨くのである。と行為の内容を少し組みかえると仮定すると、

例えば、深夜に記述する文章は、なぜか次の日に読み直すと滑稽に思えてしまう。その仮定に準えると、
前に書いたその文意に、詐術性がないからである。思い違いは、自己が詐術的に満足する心理である。
あらかじめに、自己やその纏わる周囲の、消費力の希薄な見当違いを示す場所には、詐術性が働きにくい。

商品は売れるから、次にその価値を準拠する模倣が起こる。偽装を与える効力のない貴族や王侯の詐欺は行えない。
この場合は確信犯であり、外形も自己を倫理的に貶める。翌日の文面が変わらず価値があれば、商品価値の正統性を偽装することになる。詐欺性が介在する余地を生む。

磨くことは値しない容器を手に持つことである。行き届かない自己を磨くことである。
欠けることのない初めから磨かれた価値を磨くことですから、安寧の掘り起こしを意味する。
浄化とは、汚れや穢れの拭いを予告する意味である。カウンターを拭き取る行いも同じく行き届く。精神の内奥に行き届く。

雨は負担である。地の固まることを余所に、その泥濘を生む。手間の残る煩いである。
濡れた地面や立ち昇る湯気が、その場の荒に居場所を与える。まじまじと嘘や深層を写実する。普段は素通りする世情を垣間見る。

雨は人の手の行いではなく、天変地異であり、全てを隠蔽する力を持つ。良くも悪くも、それまでの馴れ行きを組みなすことである。