岡田有希子を語るスレッド 66
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飯島愛(笑)…被害者の顔にマジック
染川智勇容疑者(笑)…湯っ子のお墓にペンキ >>3
実家前の和菓子喫茶の松月が無くなったのは残念。 謙虚で夢を壊さない人を岡田有希子も望んでるでしょう。 >>1
このスレはピュア純粋なる岡田有希子のスレです。 30年以上成満寺で御供え物盗んで歌碑にペンキ塗ってた連中のクソスレですね。判ります。 >>13
真犯人の自己紹介だな。
汚い有希子ファンにこのスレは用はありません。 既存のスレ下記スレが消化されていないので削除依頼出しました。
このスレへの書込を控えて下さい。
書込は下記スレへ御願い致します。
岡田有希子を語るスレッド 65
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/kyon2/1582775898/ >>16のスレは論争討論が好きな方はどうぞ
裁きや叩きの討論がしたくなく純粋な投稿がしたい方はここでどうぞ
ここは朝から夜更けまで裁きや叩きの討論ばかりで攻撃的な脳内ホルモンを過剰に分泌するようになり
特に癌になりやすくなり新型コロナへの耐性も低下するでしょう。
反対に笑い喜びのエネルギーは癌を抑制します。
このスレで楽しい話をしましょう。 >>19
論争討論にゲラゲラ笑い転げるてる君は反対の現象だわな。 癒喜子(ユキコ)
古代中国には華余(カヨ)という女性がいた。華余はたいへんに可愛らしい女性であり、
「星短情(スターたんじょう)」(日本でいう俳句大会)で優勝するや、みるみる内に中国本土に
容姿、知性ある女性という事が知れ渡り男性はしかり女性の憧れの的となった。
皇帝は華余を見るや心が癒され嬉しくなる女性との意味から癒喜子の名を授けた。
美人であった為、プロポーズの言葉も多数受けた。うらやましい限りではあるが、
癒喜子は本命の男性と一途に恋をしたいとの気持ちが強く、多数の人からのプロポーズは本意ではなかった。
現に本命の男性からはもてすぎる為に高嶺の花だと思われ両思いになる事はできなかった。
それが原因で癒喜子は傷心してしまい、自ら命を絶ってしまったのである。
それにより多数の人がショックを受け続けて命を絶ち、混乱を招いた。
混乱を抑えるために皇帝は、癒喜子の話をした者に処罰を科した。そして癒喜子は封印された。
現在世界3大美女と呼ばれている1人に中国の楊貴妃がいるが、癒喜子が命を絶たなければ楊貴妃ではなく、
癒喜子になっていたかもしれない。
民明書房刊「中国の美女〜悲劇のヒロイン」より 【警告】
このスレッドは重複スレッドになります。
本スレッドは下記の方です。
岡田有希子を語るスレッド 66 【正規スレッド】
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/kyon2/1585691544/
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こちらへの書込等はおやめ下さい。
宜しく御願い致します。 当時、テレビや新聞、雑誌で「岡田さんが投身自殺した同じ現場から飛び降り自殺した21歳の浪人生」「岡田さんのプロマイドを胸に抱いて飛び降りた青年」「有希子ちゃんのようになりたいと妹に告げて飛び降りた16歳の少女」など、彼女の熱狂的ファンの後追い自殺の報道があった。
断片的だが間違いなく記憶がある。 ユッコシンドロームという言葉も生まれたくらい連鎖自殺(自殺の方法は、そのほとんどが飛び降り自殺であったそうだ。)があまりにも多かった。
その中にどの位か分からないが、少数かもしれないが、一定数の割合で後追い自死もあったのではないか。 当時、複数の芸能人の人が「後追い自殺はやめてください」などと、「後追い」という言葉を使って若者に訴えていた。
あと警察が「あなたが死んでも、岡田有希子さんは戻ってきません」みたいな言い方で若者に訴えていた記憶がある。事実だから調べれば分かること。 >>25
「岡田さんが投身自殺した同じ現場から飛び降り自殺した21歳の浪人生」
これは間違いなくテレビのニュースで報道されてましたからね。 >>25
その3つ以外にも具体的な報道はありましたよ。間違いなく。本当のことだから分かっている人は分かっていることです。 >>26
岡田有希子さんの後追い自殺の若者の人数で、限りなく正確であろう数字は出ている。「40」人ほどと言われている。 岡田有希子って、本当はシヌつもりなかったんでしょう?
特に1986年4月8日の1度目のジサツ未遂に関しては。。。 (((o(*゚∀゚*)o)))(((o(*゚∀゚*)o))) 岡田有希子はシヌ直前の数日の動向や友人とのやり取りの記録が残っている。
そこからは、彼女はシヌ雰囲気は全く感じられなかった。
岡田さんがシヌ1週間前に同じく投身自殺した遠藤さんというアイドルのジサツのことも、岡田さんは知っていて、
「遠藤さん、恋人の別れを強制されて、それでシヌくらいなら、芸能界やめたらよかったのにね」と友人に語ったという情報がある。
つまり、岡田さんはジサツを決行する前日ぐらいまでは、死ぬつもりなど全くなかった。 >>49
本人に聞かないと分からん。
ただし、彼女に会ったことがある多くの関係者(家族、友人、業界人)の話を総合すると
彼女が亡くなる数か月間前までの、彼女の心境が推測できる。
岡田さんは芸能界への拘りを失っていた。
岡田さんは過密スケジュールによる睡眠不足によって過労で入院することもあった。
岡田さんは仕事の過酷さの割には安い月給に不満を持っていた。
岡田さんは一人でいると孤独で気が狂いそうになることが多くあった。
岡田さんは仕事現場で、番組に出たくないと、スタッフを困らせることもあった。
岡田さんは芸能界を辞める手段の一つに、山口百恵のように若くして結婚する方法を思い描いていた。
岡田さんは22歳くらいで結婚したいという夢があり、その場合、直ぐに芸能界を引退しようと思っていた。 >>51
石原軍団説を信じている奴、未だにいるのか?もう、あほかと。
見る目がなさすぎなんだよ。
>>49
本人に聞かないと分からんが、あえて推定できるとしたら
>>50などの背景も併せてみると、その謎が解けてくる。
1986年4月8日、岡田さんは2度もジサツを決行し、2度目に成功してしまい、帰らぬひとになってしまった。
実はこの時のジサツは二部構成であり、
1度目は片思いであったM岸の気を引くためのものであり、決してシヌつもりはなかった。
2度目は、1度目のジサツ未遂がマスコミに知れ渡ってしまい、事務所にマスコミが殺到し、
事務所が騒然となるなか、岡田さん本人がパニックになってしまい、
飛び降りてしまったというのが本当だと思われる。
そして、1度目の狂言ジサツ(本当はシヌつもりはない)も
>>50に書かれていることも関連してたと思われる。 >>52
>>53
で、お前は何を見たんだ?
文字系列をなぞった想像だろ。 番組で共演していた薬丸と考え方も近くて、よく相談していたらしいな。
彼女の死後、薬丸の発言
「ジサツするくらいなら、芸能界を辞めれば良かったんだよ」
岡田さんは芸能界やめたいって、あちこちで言っていたんだな。。。 唯一の心霊体験。
私は霊感がまったくない。
まったくないので霊的な体験をしたことがないのだけど
一度だけあったのは小学5年生くらいの時。
その時、私は大好きな『お笑いマンガ道場』を観ていて
回答者のうしろに人が立っているのに気づいた。
「なんであんな所に人が?」と思った瞬間カメラが変わって
再びその場所が写ったときにはその人は消えていた。
http://katsuyama.keicomix.com/?eid=1419072
お笑いマンガ道場の幽霊。
昨日、飲んでてひょんなことから思い出したんですけど
今から10年くらい前に部活から帰って来て
ぼーっとテレビを見ていたところお笑いマンガ道場がやってました。
それで解答者が画面に映ったところその解答者の後ろに
暗い表情の人(男か女か忘れたけど)の顔が映ってました。
びっくりしてなんだか分からなかったんですが
その後は映りませんでした。
これって、幽霊?それともスタッフが映ってしまったんでしょうか?
こんなこといまさら行っても誰も覚えてないだろうとは思うものの
なんか知ってる人いたら教えてください。
https://piza.5ch.net/test/read.cgi/occult/956929359/l50
昔、お笑いマンガ道場でセットの裏に立っている青白い女性(幽霊?)を見た事があった。
ふと思いだしググったら同じものを見た人が居たようだ。
https://twitter.com/xdropdx/status/137451714222637056
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 俺がリアル小学生の頃なので、もう十数年前になる。
日テレ系列で放送してた「お笑いマンガ道場」を見てた。
最後のコーナー(団吉なおみのおまけコーナーw)に入る前、ふと画面に目をやると、
回答者席のうしろのセットにやけに暗〜い表情の男(女だったかも)が映ってる。
アーチ型の窓がある壁のセットだったんだけど、そこから顔だけ出すように映ってた。
はじめはスタッフが映ってしまったんだろうと思ったけど、瞬きもせずに、
こっちから見て左の方一点をじーっと見てるのが異常に不自然。
しかもスタジオ収録だから、結構照明が当たってるはずなのに、その人の顔だけやけに暗い。
(表情じゃなくで映りが、照明が当たってないかのように暗かった)
そのカットになる場面が何回かあったけど、ことごとくフレームインしてて、一緒に見てた妹と大騒ぎになった。
結局、まだガキだったし、当時はネットももちろんなかったので、その日の晩飯の話題くらいにしかならなかったが、
あれがスタッフだったのか、あっち側の人だったのかはいまだに謎。
誰かリアルタイムで見てた人or何だったのか知ってる人おらん?
http://kowaitaiken.blog.jp/archives/1075303618.html
902 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/04/24 23:08
スレ違いかもしれないが、謎な話つながりで・・・。
漏れがリアル消防の頃なので、もう十数年前になるんだが、
日テレ系列で放送してた「お笑いマンガ道場」を見てた。
最後のコーナー(団吉なおみのおまけコーナーw)に入る前、
ふと画面に目をやると、回答者席のうしろのセットに
やけに暗〜い表情の男(女だったかも)が映ってる。
アーチ型の窓がある壁のセットだったんだけど、そこから顔だけ出すように
映ってた。
http://prx.afkcz.eu/prx/index.php?q=aHR0cDovL3d3dy5wYXJhbm9ybWFsLWNoLmNvbS9hcmNoaXZlcy8xMDc1MDkyNzU2Lmh0bWw%3D&hl=3ed 早く結婚したいというのはラジオでの発言だな。
あと、彼女と一緒に仕事したことがある業界人も、彼女がそれぽいことを
よく口にしていたことを言っている。 >>58
>>59
これに映っていた幽霊は岡田有希子だよ。
自分は最後にテレビ画面いっぱいの顔の超ドアップも見て
そこで気持ち悪くてテレビを消してしまった。
ビデオに録画しとくんだったと、今では後悔してるな。
ちなみにこの自殺未遂して保護入院した
そこの同じ病棟でリスカで自殺未遂した女性に会い彼女も
この番組で岡田有希子の幽霊を見ていたが
誰も信じてくれないだろうから黙っていたと言っていたよ。 これに映っていた幽霊は岡田有希子だよ。
自分は最後にテレビ画面いっぱいの顔の超ドアップも見て
そこで気持ち悪くてテレビを消してしまった。
ビデオに録画しとくんだったと、今では後悔してるな。
ちなみにこの4年後に俺は自殺未遂して保護入院した
そこの同じ病棟でリスカで自殺未遂した女性に会い彼女も
この番組で岡田有希子の幽霊を見ていたが
誰も信じてくれないだろうから黙っていたと言っていたよ そして後に俺はこのお笑いまんが道場の制作スタッフと出会い奇遇な事が起こったんだよ。 過去スレに書いた事あるから新参者でなければ知ってるだろ >>62
俺がこれで入院してた時に岡田有希子の母は長久手の医大に入院してたのも奇遇だな
当時、それを入院先で知った。
翌年に妹はその医大の看護学部へ入学した。 >>62
平屋の白い家のバルコニーに頬杖を付いて片足をもう片方の後ろに回して爪先でちょんとして顔を傾けてテレビ画面の向こうからこっちを見ていた。
顔や手の肌は生きた人間の色でなく蒼い色をしていた。
あれがアストラル体(幽体)の色なんだろな。 お笑いマンガ道場 の岡田有希子の心霊?
これの動画って、YouTubeに上がっている? >>67
これの回はtubeに上がってない
1986年10月の土曜日に放送されたやつで
何日かは過去すぎて憶えていない。 自分は心霊現象なんて全く信じないけど
仮にそういうものがあったとしてだ。。。
岡田有希子さんの霊は、あの世でどうなっているのか?
あるいは、もう既に生まれ変わっているのか?
心霊現象を信じている人に聞いてみたいよ。 >>63の続き
お笑いマンガ道場の制作スタッフだった人にその後に出会ったんだが
何とその彼はオバケ煙突にステーキのアサクマを爆破した西部警察の
初の名古屋ロケの制作にも携わっていた人であった。
彼は高校時代にクールスのライブの最中に同級生の悪仲間らと暴れてライブを滅茶苦茶にしたそうだ。
そしてクールスのボーカルが彼の顔を憶えていたから西部警察の初の名古屋ロケの打ち上げで彼と
バッタリ会い掴み合いになったそうだが石原裕次郎が止めに入ったそうだ。
そんなこんな話を聞いてて彼と一緒に名東区のビンテージカーショップにいたときに
奇遇にも西部警察の2度目の名古屋ロケの最中であり港区のオートバックスで撮影中に自動車事故を起こしたとニュースを聞いた。
これがそのオートバックスでの西武警察事故映像
https://www.youtube.com/watch?v=xldAs7qsazo
リンクの地図画像の
西部警察の撮影で事故を起こした
スーパーオートバックスに行くには
当時はここに名古屋高速4号線は無く国道23号線の龍宮町インターで降りて行く。
http://s.kota2.net/1593082128.jpg
そしてお笑いマンガ道場の制作スタッフだった彼はこの龍宮町交差点で足に大きな傷が残るほどの事故を過去に起こしていた。
そして俺もこの龍宮町交差点でゼロヨン12秒を切るチューンした車で急加速し玉突き事故を過去に起こしてるんだな。
岡田有希子はおまけコーナーの時にも映っていて
車だん吉と川島直美の間の後ろにいた。
そう、車ダン!吉という名前がまた奇遇だw
ボーカルには兄妹もいてね
ここには書けない事実があって、それを知った時になるほどと思ったな。 >>70の続き
これを書くとリアル岡田有希子ファンが嫉妬するからあまり書きたくないが
ファンでなかった自分は岡田有希子の墓がスーパーサンデーの番組で
成満寺に墓が在るのを初めて知って一度、墓参りをしとかないかんなと思って
3月3日に成満寺に行ったけどの夕刻になり暗くなってきたんで明日に出なおそう
と思い、その日は帰ったんだよ。
そして、その夜の丑三つ時に夢を見たんだよ。
それは岡田有希子の墓がガタガタ凄い振動で揺れてて墓から岡田有希子の衣服も蒼い亡霊が出てきたんだ。
気味が悪くて遠くから眺めてたら岡田有希子の方から〇〇さん!って自分の名前を叫んで声を掛けてくれたんだよ。
それで気味が悪いのが吹き飛んで岡田有希子の方へ駆け寄って行ったら
岡田有希子も自分の方へ駆け寄って来てくれて
その間に岡田有希子の蒼い亡霊の色が生前の元の色に戻り
お互いに何故だか無意識にキスしたら岡田有希子が消えて無くなったんだよ。
そして翌の3月4日に成満寺住職の奥さんに許可を貰って岡田有希子の墓参りをした。 妄想のような話ばかりでよく分からんよ
何を信じたらいいのか そう思うなら、君は何も信じる必要は無かろう
全ては諸行無常諸法無我でしかないからだ。
諸行無常=全ては移り変わり変化し永遠に存在するものなど無い。
諸法無我=全てに於いて本当の我(自分)という存在すら無い。
それすら知らず又は意味不明で妄想と語るなら君は無学で無知だ。
奇しくも命日である4月8日は北伝仏教の釈迦降誕の日であり
マーラーは釈迦が宇宙の真理を悟る手前で悟のを邪魔するため
マーラーが娘を使い唄や踊り色気で誘惑させたからだ。
一切は五蘊盛苦に妄執だ。
以上 いや、そんな事いいから。
有希子さんで夢精したいです。
お願いいたします。(´∩ω∩`) >>74
写真集でも見てオナればいいだろw
俺は死者に対してそんな気にもならんし
生前に興味もなく生前に放送されたドラマも見て無いし
良心の呵責しかない せめて、彼女のお姉さんとその家族には
幸せになってほしい。 亡くなっても記憶に残して、抜いてあげるのが供養になるよ。
本人もその為に水着になってる。 彼女の水着姿は少しもイヤラシさを感じない
岡田さんは純粋なんだろう そのエロくない水着のオマタ部分をずらして挿入、中だししてすぐに生放送。
太モモに垂れて来るのを気にしながら歌ってる。 岡田有希子
今でも時々この仕事向いてないのかなァと思うの。
やたらアガルんですよ。それと私、目が悪いから、あいさつのタイミングが狂って、生意気だと誤解されるのがイヤなの
結婚は30歳くらいでいいです。
それよりもステキな女性になりたい。
何でもできて、かしこくて、でもちょっと抜けているようなカワイイ女。
結婚というよりも、まず恋人が欲しい。恋をしたい!!
最初のシングルのレコーディングのとき、カゼひいて声が出なかったのが辛
いというか悔しかったな。
それと、雑誌のインタビューでうまくニュアンスが伝わらなかったために読
んだ人に誤解されたりしたことが、いちばん悲しかったですよ。
時間があれば映画やお芝居を見て、帰りのショッピングするの。
シルベスタ・スタローンが大好き。
買い物はどこって決めていないけど
「今日はスカートだぞ」って銀行でお金おろして出掛けるの
自分らしさを大切にしていって、小さい子からおじいさんやおばあさんまで
たくさんの人に応援してもらえるような歌手になりたいです。 1度目のジサツ未遂の時点で
病院にぶち込んで、マスコミから隔離しておけば、
2度目のジサツを防げたんだよ。
事務所に戻ったばかりに、事務所にマスゴミが押し寄せて
パニックになって飛び降りた。
事務所は対応を間違えた。
現場にいた専務は対応を間違えた。 まあ、どっちにしろ違約金が発生するだろ
ところで生命保険は入っていたのかな?
入っていたら加入一年以上で自殺でも保険金が支払われるはずだが
それで違約金の補いにはなるが
未遂の場合は支払われない。 事務所はビジネスを優先した。その結果がこの結末。
岡田有希子のシヌ直前の2年のスケジュールみたら過密すぎてブラックすぎる。
高校生の女の子が学業と両立していたと考えると、恐ろしい。
寝る暇なんてないだろう。
あと、本人もバラエティー対応とか苦手で、ストレスかかえまくっていた。
普通、こういうなると、女性アイドルとかは恋愛に逃げるのだが、こっちも、うまくいかなかった。
よりによって、24歳も年上のバツ1の子持ちの中年オジサンに恋するんだからなw
しかも、そのオジサンには婚約者がいて、既にそのオジサンは
その婚約者、自分の娘、自分の母親と4人で暮らしていた。
岡田有希子は、そのオジサンの自宅に入れてもらえなかったのかな? 岡田有希子はジサツする前日の4月7日の夜の11時ぐらいまでは、
とてもジサツするようには見えなかった。
これは電話した友人の石野さんと生田さんの話からも明らかだ。
でも、それから数十分後ぐらいに急激に元気がなくなったことが分かっている。
これは、生田さんとの2度目の電話でも明らか。
その間に、岡田さんはM氏の自宅に電話をかけ、
そこでM氏ではなく、岡田さんの知らない女(M氏の婚約者)が電話に出たことも分かっている。
それから数時間後に1度目のジサツ未遂が起こっている。 ちなみに俺が自殺未遂して七ヶ月の間を入院と通院で仕事を休んだ時は毎月の傷病手当とは別に
生命保険から月に30万円の所得補償が出て240万円の保険金が下りた。
今は精神疾患では保険が下りるか不明だが?
大企業だけあって病等で求職2年以内なら職場復帰できるため
したわけだが、
出世も下の奴等に抜かされて、仕事も糞えらいしまあ辞めた。
あの保険金で買ったようなもうだんだな
>>70の話のドッカンした車は新車で購入してチューンした。 岡田さんの躁鬱なところは、当時の業界内では、ある程度は有名だった。
事務所の社長も言及しているし、M岸氏も言及しているし、
他の一緒に仕事した人の話でも、突然、番組に出たくないと困らせたこともあるらしい。
あと、ビートたけしが自分の番組のスーパージョッキーで
岡田さんの奇行を指摘して、暗に精神病患者扱いしているのが動画で上がっている。
↓
岡田有希子 / 書きゃいいってもんじゃないんだョ! トーク 1
https://www.youtube.com/watch?v=1rWWUaIb88M >>85
>>86
君は純粋だなw
峰岸は相談に乗っていた説がのが濃厚だぞ
婚約者の事は知らん事ないだろ
日記にハッキリと峰岸の名が記されてたと相澤氏は言っていたが
もしそれが実在してたら公表してるだろう。
無いから出せない。
だから金庫の奥にしまい墓まで持って行くという話になったのが辻褄が合う。
まあ明知小五郎もコロンボもそう推理するのが妥当だぞ
当時、週刊宝石にマスコミが真相を書けない理由の一つを記載してたぞ。 >>90
お前、まさか、石原軍団説を信じているのかw? ネットとかで出回っている陰謀論かw?
純粋なのはお前のほうだよw
日記を公表できなかったのは、あまりにも妄想話が多かったからだろう。
それはドラマでM岸と出会う前から、架空の男との妄想話を書いていたぐらいだから。 >>92
それは彼女の日記に書かれてあったポエムだね
もうだいぶ前からネットに一部が公開されてるよ >>92
当時、ある月刊誌に岡田さんの日記は掲載されたそうです。
岡田さんのお母さんが手記の中で語っておられます。
岡田さんは日頃からよく詩を書いていたそうです。
峰岸さんに会う前から、恋愛のような内容の詩は書いていたようです。 >>92
当然、お母さんは岡田さんの日記は読んでいます。内容の一部を手記の中で書いておられますから。 岡田さんは、死の前日の深夜に電話に峰岸の婚約者が出て、初めて峰岸に婚約者がいるのを知ったんだろう。
このへんは友人との電話のやり取りでも分っている。友人のI野とかI田とか。
だから、ショックを受けて、そこから、夜中、峰岸の自宅の前にきて、そこで貼りついていた。
でも、峰岸は電話にも出ず、自宅で、自分の娘と母親、そして、その婚約者と潜んでいた。
そこから一気に1度目のジサツ未遂までいった。 いや、いや。
そのエロくない身体を開発させてあげるのが男の使命。
お布団の中で三時間はクリを舐めてあげれば、入れて欲しいと懇願するはず。 芸能界に入る時も、親の反対、教師の反対を押し切って
ハンストまでして、自分の意思を通したように、結構、頑固な人なんだな。 >>99
頑固というか、それだけアイドルに なりたかったんでしょう
小さい頃から抱いていた夢
どうしても叶えたかった夢 意志が強くて努力家で抜群に頭が良い
そしてのんびり屋のマイペース >>92
で、本当に峰岸の名が日記に書かれてたなら
石原軍団説、陰謀論説を一掃一払するために
公開してるのが世の常識論である。
無いから出せない
替え玉説が濃厚だ。 >>94
愛を下さい
瞳はひみつ色
岡田有希子はなぜ死んだか 上之郷利昭著
これに記されたポエムは既出
これ以外でのが公開されてるのか? >>90
日記ではなくて遺書をサンミュージックの金庫に保管しているんじゃなかったかな >>104
Mさんに振られたという
相手をイニシャルで書いていたという
遺書なら当時の色んなマスコミで既出 死の前日に峰岸の自宅前をつけていたんだから、峰岸なんだろう、Mって。
あと、ゴン中山の奥さんも一緒に同じドラマで共演していたから知っているはず。 >>107
堀越の親友でさえ何も聞いてないんだろ
そりゃ共演者でも有り得んな
あのドラマの最終回は1月で
撮影なんか1985年の中頃までには撮り終えてるから
プライベートで会ってなければ
もう共演者とは半年以上は会ってない事だしな。 >>108
共演者の女の子同士は、よく合ってたらしい。
実際に死の直前の1986年4月7日の映画に試写会は、
ゴン中山の奥さんを誘っているが、中山の奥さんは学校があったので、いけなかった。
ドラマの撮影はいつあったのか知らない。 峰岸とはロケ以外にプライベートでは会ったことはあるんか?
つまり仕事以外で二人だけで
聞いた事が無いんだが 岡田有希子のデビューから死の直前までのスケージュールをどこかで見たけど、ブラックもいいところ。
日本全国で公演しまくり、ドラマ、バラエティ、音楽番組など多数。それで、堀越高校にも通っていた。
休む暇などないし、振付師の先生が「彼女は寝る暇もなくて、可哀想」と言っていた。
事務所はビジネス優先で、全く配慮がなかった。
岡田さん本人も嫌だと言わずに頑張ってしまうタイプだったから、更に悲劇が加速。
周囲が止めてやらないとダメな子だった。だから、周りの仲間も後悔。 >>106
日記でもなく遺書でもない一冊の日記風ノートが岡田さんの死後見つかったことは
相澤社長も認めていて、口頭では峰岸氏がどうだの話していたけど、現物はマスコミ
に公開してないから事務所の金庫に保管されているとかその他にも色々と憶測が
出てきてしまうのだろうね
公開しちゃえばいいのにと思う
相澤社長は10年後に公開すると言ったとか言わなかったとかいう話もあるよね 岡田有希子はデビューから2年ちょっと、女子高生の少女から40代のおばちゃんみたいに容姿が一気に劣化していった。
写真を撮ったカメラマンが、岡田有希子の顔の変わりように唖然としたとか。。。
事務所は何をしていたんだ。今の芸能界の大手事務所なら、高校生のうちは仕事セーブしたりする。
当時はアイドルは10代の仕事。今みたいに30歳超えてもアイドルなんて言っている時代ではない。 岡田有希子超難関名古屋市立向陽高校に合格入学
タレント活動のため堀越学園に転入 「愛をください」って本は絶版になっているんだよな。
どんな内容だったか気になるよ。 峰岸は偉いよな。
男として何にも言わず死んでった。
従兄弟にそっくりな奴がいてさ、
みんなに優しいんだ。男女関係無く。
そりゃあもてるが、遊び人では無いんだよ。 岡田有希子のWikiが書き換えられてる
なんでだ? 岡田有希子の芸能生活のスケジュールがどこかにあったんだけど過密日程すぎてヤバすぎ。
寝る暇もないし、休みもない。
東京メインのバラエティ、ドラマ、歌番組の仕事だけでない。
日本全国公演で飛び回っている。
しかも、堀越高校に通う高校生でもある。 「愛をください」(1988/7.朝日出版社)にお母さんが寄せた手記には、峰岸氏は彼女の自殺の原因ではないと、むしろお詫びの言葉まで添えていますよ。
彼女の遺書をお母さんはちゃんと読んでいますから、これが真実でしなょう。 >>120
しかしサンは峰岸にした理由は何なんですかね? サンが峰岸にしたのは、単純に日記か書き置きかなんかに
峰岸の名前が書かれていたから。
それは岡田さんの家族も認めていること。 >>122
確か茶封筒に便箋2枚の遺書として岡田さんの家族は受け取ってるよ 岡田さんもだけど、ご両親やお姉さんも本当にお気の毒です。可哀想だ。 >>125
「遺書」とは書かれていない。「書き置き」って書かれていたはず。
この「書き置き」ってのは、彼女が中学時代から佐藤家でよくやっていたこと。
自分の目的の達成のために、両親の同情を買う作戦によく出ていた。
芸能界入りを反対されて、それを認めさすのにも、これを最初にやった。
それと同じことを、あの1986年4月8日にやってしまった。 堀越の同級生や仕事仲間らの彼女へのコメントなどを見ると、多くの人に愛されていたんだなと思う。
性格良かったんだな、この人。 >>127
母親が「主人から遺書を見せられました。茶色の封筒にかわいい便箋2枚が入っていました」みたいなことをおっしゃっているんだから間違いないですよ >>129
遺書と書かれていたのか?色々と情報が錯綜しているな。 >>129
具体的には「書き置き」って書かれているもので、
それを報道では「遺書」とか「遺書のようなもの」って報道されていると聞くけどね。 >>130
日本の酷い芸能事務所の中ではマシだという程度で、
結局、アイドル業界ってブラックそのものなんだよ、今でも。
岡田さんの友人の一人のM野が
「当時はアイドルは凄く働かされて、その割には安月給で・・・」っていうぐらいだから。 岡田さんが自ら人生を閉じる2日前の声
↓
岡田有希子 Heart Jack vol.1
https://youtu.be/g0bJKwY5Z1o
岡田有希子 Heart Jack vol.2
https://youtu.be/VRUbN-lY50A ちなみに俺が自殺未遂して七ヶ月の間を入院と通院で仕事を休んだ時は毎月の傷病手当とは別に生命保険から月に30万円の所得補償が出て240万円の保険金が下りた。
今は精神疾患では保険が下りるか不明だが?
大企業だけあって病等で求職2年以内なら職場復帰できるため
したわけだが、出世も下の奴等に抜かされて、仕事も糞えらいしまあ辞めた。
あの保険金で買ったようなもうだんだな
>>70の話のドッカンした車は新車で購入してチューンした。 菩提樹の下で悟りへの禅定に入った釈迦と魔王の対決問答の一部
魔王はその諫言を聞き入れず、娘たちに命じて菩薩を種々に誘惑するよう唆した。
しかし菩薩はどのような媚態にも心を微動だにさせず、女たちはただ恥じ入るばかりだった。
次に魔王の三女が、その美貌で菩薩を誘惑すると、却って説教を受け、老婆に変えられてしまった。
魔王・波旬はこうした諫言を無視し、とうとう自ら菩薩のもとに現れて、まず何を求めこんな場所で坐禅するのか問い質した。
菩薩はこれに応じ、ただ涅槃を得るために独坐していると答えた。
次に魔王は、予言の通り必ず転輪聖王になれるのだから、速やかにここから去るよう諭した。
菩薩は元々五欲を厭離しており、そんな誘いには乗らないと断った。
ブッダの真理の言葉
マガダ国にケーマー王妃という女性がいました。
彼女が執着していたのは、自分の美しさ。
ある日ブッダを訪ねることになったケーマー王妃。
そのことを知ったブッダは、神通力で自分のそばにケーマー王妃よりさらに美少女の幻影を座らせました。
ケーマー王妃はそれを見て驚きます。
私の美しさなど、あの少女に比べたら、到底及ばない。
しばらくすると少女は少し歳をとり、成人、さらに中年、皺だらけの老婆に変わり、ついには骨だけの死体となってしまいました。
この一瞬の出来事でブッダは、人間の肉体は永遠に続くものではない、だから美しさに執着しても意味がないと、ケーマー王妃に悟らせたのでした。
https://note.com/masami_worldsend/n/n5dd22f39623c 重要なのは、M岸に一度でも遊ばれたのか?ってことだな。
M岸は記者会見でも嘘を言っていたからな。 表の情報は何にせよ話半分以下だと思います。字撮字体どうでしょう?真実に近づかせないように定期巡回して誘導書き込みをしておられる方がおられるような気がしてならない。故岡田有希子様のご冥福と今後益々の多幸をお祈り申し上げます。 1986年4月7日の夜に岡田さんが急変したのは
あの夜にM岸の自宅に電話したら、代わりに女(M岸の婚約者)が電話に出たから。
このへんのやり取りは、友人のI野やI田との電話のやり取りから分かっている。
おそらく、それで、岡田さんは、はじめてM岸に女がいることを知った。
そこから、夜中から明け方にかけて、岡田さんはM岸の自宅周辺をストーカー。
でも、M岸の家に入れず、そこから、最初のジサツ未遂まで数時間。 世間で出回っている情報で一番に信用できない情報は、最後の飛び降りまでの数分の出来事。
岡田さんが落ちた地点は、ビルの前の真ん中のほう。
屋上のクリンナップの看板が邪魔して、飛び降りるとしたらビルの端っこで
その地点から、真ん中のほうへ飛び降りるのは困難。
で、考えられるのは、ビルの窓が開くので、そこを空けて飛び降りた可能性がある。
だとしたら、事務所のある部屋の窓から、飛び降りた可能性もある。 遺体は首が落ちた時の衝撃で縮み頭頂から陥没してたから
落ちる時は頭から先に落ちていっている。
競泳のジャンプ台の落ち方を連想するといい。
足から先に行った時は地面へ足から落ちる。
これはアメリカで実際にあった事故死の検証でビルから落ちたのか
地上の車に撥ねらたのかの検証で明らかにされていた事実の話。 >>144
んじゃ、ビル屋上の端っこから飛び降りたのって有り得るのですか?その辺の知りたい。
自分が思うのは、事務所の窓を開けて、そこから飛び降りたのでは?と思っている。 >>145
時分も事務所の窓から頭かいったんじゃないかと思う >>146 訂正
自分も事務所の窓から頭からいったんじゃないかと思う 頭から?窓から投げられたという説を読んだことが、そういえば。 自分の推測・・・岡田さんは芸能界を辞めたがっていた。アイドル業なんて割に合わないと思い始めていた。
休みないし、きついし、その割には収益の大半を事務所に持っていかれるし。
労働時間の長さ、その割には低賃金、しかも、やれる時間が若い時だけ。
自分の人生に不安を感じていたんだろう。その辺のことは、彼女と一緒に仕事ある業界人や
堀越の同級生たちも知っているだろう。 岡田有希子さんはデビューの時から事務所社長の家に他のアイドル仲間と一緒に下宿生活を
している。社長宅から通学通勤していた。彼女のマネージャーは複数人いて彼女をしっかりガード
していたという。人様の大事な未成年の娘を預かっているんだから当然だろうが。(事務所は、
岡田さんの芸能界入りを反対していたご家族を「お嬢さんを3年間だけ私たちに預けてください。
3年かけてたとえ売れなかったとしても、立派になった、成長したと思って頂けるように育ててお返しします。」
と話して親を説得したという。)
岡田さんが社長宅を出てマンションで一人暮らしを始めたのは彼女が亡くなる4日前。死の2日前の
地元の名古屋でのコンサートの時は中学高校生の時の友人と会ってマンションの電話番号を教えている。
実家にも少し寄っている。次の日はオフで映画を見に行っている。(これは記事になっている。)
男と会っている様子はない。
彼女のスケジュールはビッシリ埋まっていたという。時には点滴を打って仕事をし、過労で倒れて入院した時もあったという。
岡田が峰岸氏に出会ったというドラマ撮影の時は睡眠時間が2,3時間の時もあったという。このときも当然社長の家からマネジャーが
付いて通勤しているのであろう。
これをみると、物理的にとても恋愛は無理であり、やはりお付き合いはしていなかったのではないだろうか。峰岸氏は岡田のことを
「妹のような存在だった」と話している。やはり岡田さんの熱烈?な片想いということではないだろうか。
普通の感覚で言えば、片想いをしていて失恋したからといっても、初めはショックで2日くらいはガッカリしても「仕方がないな」「お幸せに」くらいで
立ち直るものだと思うのだが。
しかも岡田さんは、86年2月号(自死は4月8日)の「明星」のインタビュー記事のなかで、将来の夢をいろいろと語っている。あれもしてみたい、
これもしてみたい、やりたいことがいっぱいあります。(具体的に書かれてあった。)とあった。希望に輝く意欲的で前向きで明るいコメント記事内容である。
こういう人(岡田)が、だまされて捨てられたとかではなくて、片想いの峰岸氏に彼女(峰岸の娘はその婚約者に懐いていたという。)がいるということを
知っただけで、パニックになり悲憤慷慨して自暴自棄になり自殺してしまうのだろうか。甚だ疑問で違和感を覚える。(ちなみに、次の日は主演ドラマの撮影
初日であった。)
ちなみに、早朝にガス栓を捻って手首を切ったとする記事もあれば、午前10時や夜中の1時頃とする記事もある。一体、何がどれが真相なのだろうか。 峰岸氏は「岡田さんからは告白はされていない」と言っている >>112
事務所は、その日記風ノートをなぜ有希子さんの遺族の方に返さないのだろうか?
すべては事務所社長が話をされてるだけで、証拠のノートの内容は明らかにされてはいない。ようですね。 >>152
要するに、そのノートを遺族に返せばいい。そうすれば真相がはっきりするのでは。 だって口頭では社長は詳細にことの成り行きを話しをされているのでしょ
だったら、遺族にその日記風ノートは渡したらいいではないですか >>150
一応、岡田さんは成城の社長宅に下宿していて、峰岸氏の自宅も成城にあったので
ドラマの撮影時に、帰る方向が同じだったので、峰岸氏が車で岡田さんを下宿先に送ることもあった。
その時に一緒に食事に行ったこともあったそうだ、峰岸氏によると。。。
この辺は、その近辺の住人の目撃談も多かった。
あと、1986年1月に名古屋に帰省した時も、岡田さんは母親に峰岸氏のことをよく話していたそうだ。
親切な人で、よく仕事でのアドバイスをもらってたんだと。。。 表に出ているものは大抵ウソなんでは?
文な春とかも自分は信用しないことにしてる。 一番の問題は、サ〇ミュージックだな。
岡田さんをスターとして売り出すために、殺人的なスケジュールを組んでいたから。
とにかく、露出増やすために、あらゆる番組に出まくり、歌出しまくり、公演しまくりで
全国を飛び回っていた。そして、堀越高校にもしっかり通学していた。
その結果、睡眠時間も取れず、点滴うちながら、時には貧血で倒れて入院しながら活動していた。
シヌ直前の数か月ごろは、睡眠薬や抗うつ薬を処方してもらていたような表情になっていた。
これらは副作用が怖くて、ジサツを引き起こすリスクがある。(この当時は、この副作用については、あまり解明されてなかった) 岡田さんも努力家で完璧主義者だったので、与えられたものを全部、こなそうとした。
その結果、オバーワーク状態になった。もう少しイイカゲンでサボり癖のある人だったら良かったんだけどな。
でも、晩年は仕事辞めたい的なことを周囲に言うようになっていた。
その仕事を辞める方法の一つに、結婚への憧れを口にするようになっていた。 >>156
その週刊誌だろ女がネタを売り込んで渡部がヒルズのトイレでやってたのスッパ抜いたの
真実だったし 菊⚪桃⚪ フェイクニュースに警告
専門家による調査も検討
「入籍後、周囲の仲間から、色々と私の耳にも入りますが・・・、フェイクニュース(偽りの情報)には、困らされます。信じる方々もいますから」
過激なタイトルや小説のような作り話が常態化しているとして「確実な証拠がないまま、人の心を、家族(子供たち)の心を傷つける行為は犯罪と捉えられます。また、仕事へ影響があれば営業妨害です」と訴えた。
「もっと加熱(原文まま)することん視野に専門家に、調査と、証拠の記録をお願いする検討に入りました。「あなたの仕事柄、関係ないでしょ?」が通じると思わないでください。人を守る法律は平等に整備されています」
「心は意外にもろく、硝子のようだ・・・・・という医学者の言葉もあります。ご注意ください」 ある意味、過労死だよ。だから、サ〇ミュージックに一番責任があると思う。
でも、1986年当時、社会全体でみても、過労死だとか、うつ病とか、そういうものに対しての理解がなかった。
今だったら、ナイナイの岡村、ネプチューンの名倉、キンコンの梶原とか、男のお笑い芸人ですら
休んだりしている。 サ〇ミュージックは、岡田さん、酒井さんのマネージャーだった溝口さんもジサツしているし、
桜〇淳子が統一協会にハマったり、労務管理がダメで、心のケアが全くできてなかったと思われる。
とにかく仕事さえ増えればタレントは幸せだという単純な発想の事務所だったのでは?と疑う。
でも、あの時代、日本社会全体が過労に対する意識が薄かった。諸外国から日本人は働きすぎと批判されていたくらいだから。 >>158
>、晩年は仕事辞めたい的なことを周囲に言うようになっていた。
その仕事を辞める方法の一つに、結婚への憧れを口にするようになっていた
記事とかブログとかでも読んだことないないんだけど、どこに書かれてあったのですか?
岡田さんが自身の日記のなかに、初めのころは「よし、がんばるぞ」とか書いてあったけど、
途中では「どうして、こんな世界を選んだんだろう」と書かれてあったのは知っている
岡田さんの友人の一人、南きよみさんはこんな風に話している
「何でもやっぱりため込んじゃうというか・・・人に言わなくて・・・自分でがんばっちゃうって子だった。
今だから言えるけど学校にいる時にもっとね、今日顔色が優れないけどどうしたの?とかもっともっと
聞いてあげることができてたら・・そうしたら、ねぇ・・・全然違ってきたのかなって・・・」
岡田さんの複数の友人は、岡田さんから相談は受けたことはなかった、何でも一人で抱え込むタイプだった。
自分一人で解決するような人だったというようなことを話していた記事ないしはファンのブログで読んだことがあります
親友の一人荻野目洋子は「なにも相談はなかった」ということを自身のブログの中で書いています
Wikiより引用
↓
自殺の原因については様々な噂が出たものの、真相は不明である[3]。岡田が相澤宅で下宿していた時期と重なる
桑田靖子・滝里美・橋本美加子は女性週刊誌『週刊明星』の取材で、岡田の多忙による睡眠不足や男性との交際が苦手だったこと、
好きな芸能人については語ったものの、岡田が悩んでいることには気付かなかったという >>165
それ伝言ゲームじゃね?どこかのブログとかで、それらしき記事を見た。
ただ、それは具体的にというわけではなかった。 岡田有希子って、医師から睡眠薬とか抗うつ薬を処方されていたらしいけど
あの時代の医師が処方してた、これらの薬って
後に、副作用が強くてジサツを誘発するって研究結果が出ているんだよな。
実際に自分の知り合いも、それでジサツしている可能性が高い。 遺書は警察が遺品として抑えられ、事務所の数人が見た後
最終的には遺族に返却されたそうだな。 >>170
遺書は遺族には返されたけど、お母さんは「今でも、あれを遺書といっていいのかどうか分かりませんが」とおっしやってる。
「べつに誰あてというのでもない。先立つ不幸をお許しくださいというような遺書にふさわしい言葉もありませんでした」とこのようなことをおっしゃっている。
「あの子の性格からして、もしあれが遺書であるなら、必ず、先に死ぬのごめんなさい、とか一言でも書いているはずです。」とおっしゃっているんだよね。 >>171
それそれ、福田専務の言った遺書ってのは。。。
相澤社長も福田専務も全部が全部、見たわけではなくて、結局、遺族に返されたそうだから。
まあ、当たり前だな、事務所の金庫にあるという都市伝説あるけど、普通に考えて家族に返されたほうが正しい。
そこには「遺書」ではなく「書き置き」と書かれていて、
「・・・飛ぶ」なんたら、意味不明なポエムが多く書かれていた。
だからこそ、謎を呼んでいる。 >>171
生前のご性格をよく知っておられる方の言質は重みがありますよね。やっぱり他冊では?でも未だ関係者が生きているので、そんな疑いは消さないとって感じで、自分からだった説を延々と書き込んでいる人も居られると思う。 >>173
岡田さんは長期間にわたって躁鬱だったことは確かで、
それは85年から始まった全国での公演などの過密スケジュールによって
継続的に睡眠不足におそわれていたからである。
でも、彼女は芸能界やめたいと思ったことはあっても、しにたいと思ったことはないはずである。
よく死の直前のテレビ出演の動画を見て「悲しそうだ」とか何たら言って、彼女のジサツに結び付けたがる人が多いが
彼女のシの直前までに会った人たちの証言を見ても、ジサツする気配など全くなかった。 >>172
事務所サイドは遺書は全部読んでるよ。
日記風のノートも岡田さんのマンションから見つかったと社長がインタビューで話したんじゃないか。だから社長は口頭で真相がどうだとか岡田さんの自殺に関する事の詳細を話していたんじゃないか。(ノートは公にしていない)
そのノートは未だに佐藤家に返しておらず、事務所に保管されてるから、佐藤家の人は遺書以外の話しはしていないだろ。
お母さんは遺書について、「茶色い封筒に、いつもあの子が使っていた可愛らしいキャラクター模様の便箋が二枚入っていました。一枚には佳代が日頃からよく書いていたような詩が書いてありました。もう一枚に、心境、といっても決して死を予想させるようなものではありませんでしたが・・・が書いてあった。それもたった十数行のものでした」とおっしやってる。 だから社長も口頭で詳細を話したんだから、もう岡田さんのノートは佐藤家に返したらいいと思うし返さないかんでしょ
なぜだか返さないんだよな 色々と情報が錯綜している。福田専務は遺書は遺族がもっていると言っているぞ。
何が何だか、よく分からない。
普通、遺書とか、日記とかは、警察が押収するものだし。。。 >>177
遺書は家族に手渡されているでしょ。お母さんが語っておられるのですから。 岡田さんの日記、そして遺書。それから社長が記者にインタビューで語ったとされるノート。
岡田さんの日記と遺書は家族は持ってるよね。手元にある。 ノートに書かれてあるであろう真相のことを各記者が社長からあの手この手と聞き出そうとしたけど、最後まで社長は口を割らなかった、とかいう記事も読んだことある。
多くの人が読んで知ってる情報だと思うけど。 ノートに書かれてあるであろう真相のことを各記者が社長からあの手この手と聞き出そうとしたけど、最後まで社長は口を割らなかった、とかいう記事も読んだことある。 グーグったら、2ちゃんの過去ログに残っているが
2005年か2006年かだったか、故・相沢社長が峰岸に対して怒りをぶちまけていたよ。
岡田さんを弄んて捨てたんだと。。。少なくとも、相沢社長はそう見ている。
ただし、ソースは確か日刊ゲンダイだったかで、他の雑誌に後追い記事はなかった。
なんで、日刊ゲンダイみたいなとこだけ記事にしたのかな? >>181
ゴーンが日本を脱出してレバノンへ行った時にマスコミがどのように日本を出国したのか聞いてもゴーンは決して言わなかった。
その方法はハリウッド映画化の脚本の商品だから言わなかった。
それと同じく岡田有希子の真相も隠すことで商品価値が出ると考えたんじゃないのかな youtubeみていたら、岡田さんの小学生時代の写真が多く出てきた。
凄い美少女だった。しかも、学業成績優秀。
こんな子いたら、この子の未来は明るいことは容易に想像がつく。
でも、実際は、この子の未来は、18歳で自ら閉じてしまった。そう思うと、せつない。 M岸さん悪役説は(ご本人も承知の上での?)口裏合わせでは?そんな表の情報は信じない。みんなグルじゃないかと。 >>182
早い話がサンミュージックが社長の言ってたノートを
遺族に返せばいいんだよ。
そうすれば真相はもっとハッキリ分かるだろうし。
岡田さんのノートを遺族に返さないのはおかしいことだ。コメント内容 >>182
大体その社長の話も矛盾してると思わないかい?
社長は自分の自宅に高校生アイドルやタレントを下宿させてるんですよ。
我が子のように接して面倒を見る、育成するという考えからだったらしい。
他人様の大切な子供を預かっているわけです。事務所側は岡田さんの家族とは、
「お嬢さんを3年間だけ私たちに預けてください。 3年かけてたとえ売れなかったとしても、立派になった、
成長したと思って頂けるように育ててお返しします。」 と話して親を説得しています。
そして、岡田さんはポスト松田聖子として期待も高く事務所のエース格アイドルです。
そんな大切な商品でもある、その未成年アイドルを事務所はキッチリガードして守ってますよ。
岡田さんは社長の家から通勤通学しています。職場には常にマネージャーが付いています。
岡田さんのスケジュールは当時一杯だったそうです。時間はやはりキチンと管理されていたのではないでしょうか。
(高校生の)岡田さんが自分の意思だけで長時間、自由に気ままに勝手に行動することは不可能ではないでしょうか。
峰岸氏の自宅も成城にあったので ドラマの撮影時に帰る方向が同じだったので、峰岸氏が車で岡田さんを
下宿先に送ることもあったり、 その時に一緒に食事に行ったこともあったりしたそうですが、その行動のすべては
社長もすべて把握していたはずです。常にマネージャーから岡田有希子の行動予定の連絡、報告は当然あったでしょうし、
社長もすべて了解していたはずです。他人様の大切な娘さんを約束して預かっています。
アイドルにとってスキャンダルは命取りです。事務所にとって大切な期待大きい金の卵アイドルです。大切な商品です。。
事務所は社長は高校生アイドルの彼女をきちんと守り管理していたはずです。
ちなみに、70年代、桜田淳子さんのことを事務所は女性マネジャーを付けてきっちり守れと厳命していたそうです。 舘ひろしは子供ができず
石原プロも衰退し解散の噂もあるな >>186
そのノートは返しただろう、遺族に。事務所にそのノートがあるってのは都市伝説だと思う。 お母様のお言葉が全てだと思うよ。
〜に見せ掛けた〜ってのは多いと思う。
生きていると思われている人達だって、入れ替えられている人達が多いっていうし。○ローンに。 今日はジョン・トラボルタの妻の訃報
若いころのジョン・トラボルタと言えばリーゼント
その頃の日本でリーゼント野郎と言えば舘ひろし 1986年3月3日、高校(堀越学園)を卒業
4月4日、芸能界デビュー時から居候していた事務所社長宅から引っ越し、1人暮らしを始める
4月5日、コンサート(渋谷公会堂)
4月6日、コンサート(名古屋市民会館)
4月7日、オフ日
4月8日朝、ガスとリストカットによる自殺未遂、事務所スタッフに保護される
4月8日12時15分、所属事務所のビルから飛び降り自殺
岡田有希子は亡くなる直前に一人暮らしを始めているが、
1986年4月6日に名古屋でコンサートがあるので、
自殺未遂を行う前日の4月7日は、1人暮らしの生活をまともに始める最初の日に近い状況だった。 >>189
佐藤家はこれまで、”一冊の日記風ノート”(故相澤社長が話していた)のことは全く語ってはいません。
触れていません。
有希子さんのマンションから発見されたとされるそのノートは、佐藤家には返却されていないと思います。
そのノートはこれまで一切、公にはされていません。
その内容については、故相澤社長が口頭でいろいろと話をされているだけです。 関係者の言葉は信用できない。
言わされているか、誤魔化しているだけ。
返したらまずいから返さないんだよね。ノート。 関係者の言葉は信用できない。
言わされているか、誤魔化しているだけ。
返したらまずいから返さないんだよね。ノート。 佐藤家は有希子さんの日記や遺書は読んでいると思います。
日記は当時ある月刊誌に公開したということですし、遺書のことは
お母さんが愛をくださいという本に寄せた手記のなかで書いています。 岡田さんは恋愛風の詩は峰岸さんに出会う前から自身の日記によく書いていたようです。 人の心って他人にはうかがい知れないことは多々あるからね
複雑なんだよ
他人のことってわからんもんだよ ひとが「神」になったとき――アイドルOと慰霊をめぐって
中森明夫+弓指寛治+東浩紀(司会)
https://genron-alpha.com/gb025_01/ ブラック企業に勤めている鬱病患者に近いのかもな。
自分のやりたかった仕事に就いたつもりが、全く違っていたと。
自分のやりたかったことと、周囲から求められるギャップに苦しむと。
過密スケジュールで睡眠不足も継続しており、精神が崩壊しつつあった。
また当時は、今みたいに携帯もSNSもない時代、電話料金も従量制で遠隔地は高額であり
悩みがあっても、社長宅に下宿したうえに、上の理由などから、家族も含めて、誰にも悩みが相談できなかった。 何が闇を知ってしまい、ばらすとでも言ってしまったとか?枕とかじゃない気がするけど。 堀越で仲が良かったN野が当時のアイドル業界の闇を語っている。
当時のアイドルは10代が多いので、アイドルのうちは安い給料で働かされる。
安い給料でブラック企業なみに過密スケジュールで働かされ、常に睡眠不足な状態。
大人になったら徐々に歩合になって、一気に報酬も上がるだろうが、
10代でデビューしたアイドルは、それまでにタレントとしての商品価値がピークを迎えてしまう。
日本の芸能界は事務所の力が強くて、ギャラの中抜きが多い。
また、芸能界やめたくても、契約に縛られて、違約金が発生するという脅しで、やめるにやめられない。 そんなブラックなアイドル業界でも、好きでやっているのなら、まだ我慢できるが。。。
でも、実際にアイドルになってみて、自分が思っていた仕事とは大きく違っていた。
彼女は元々、絵をかいたり、詩を書いたり、表現することが好きな女の子だった。
アイドルになったのも、表現者としての自分を実現するためだった。
でも、実際のアイドルは、周り(事務所、作曲家、作詞家、監督など)が敷いたレールの上を
自分を捨てて、見世物、商品として演じるだけの仕事だった。 芸能界は気を遣う仕事で、先輩のM田聖子のような強いメンタルがないと無理な仕事だ。
でも、彼女はM田聖子とは真逆の性格で、スタッフに挨拶をしなかっただけで、そのことをずっと気にするようなタイプだった。
周囲に気を遣う性格のため、どんどんストレスをため込んでいた。
完璧主義者だったので、真面目に手を抜かずガンバルのも、結果的に良くなかった。 そんなブラックなアイドルだが、潰しのきかない職業でもある。
当時のアイドルは10代のうちの職業で、賞味期限も短かった。
にもかかわらず、若いうちは低収入で働かされる。
しかも、10代のうちに多く働くので、大学進学もせず、下手したら高校中退もあった。
彼女は学業成績もよく、進学を目指せば、そこそこの一流大学に合格できる能力がったのだが
アイドルを目指したために、高卒で潰しのきかないレールに乗る羽目になってしまった。
シヌ直前に名古屋での公演で地元に帰って、そこで地元の友人たちと食事をしている。
そこで大学生活をスタートさせた友人たちの状況と自分の立場を比較して絶望したであろう。 何が闇を知ってしまい、ばらすとでも言ってしまったとか?枕とかじゃない気がするけど。 岡田さんもベッキーも、一人で事務所を背負っていて、
過労ぎみ、そこから男に逃げようとしたところまで、似ているw
この事務所、基本的に労務管理がダメだろう。
岡田さんのマネージャーも後にジサツしているしな。たぶん、これも過労からのジサツだろう。
岡田さんがシヌ3日前かに、事務所の社長宅に立ち寄った時にも、酒井法子をみて、
「私の代わりはいるじゃない」って言ったのが、それ。
その時の社長の言葉が「何を言っているんだ。お前がうちに事務所を背負っているんだぞ」と。
一番、言ってはいけない言葉だな。 ちょっと前に広末涼子が若い頃に芸能界が嫌になって
「誰も傷つけずに芸能界を辞める方法を考えてた」
それでひたすら暴飲暴食して太ったら人気が無くなって
オファーも無くなり事務所からクビにされるかもしれないとかで
毎晩夜中食べたら太りそうなカップ麺やドーナツやらコーラ飲んでたらしい
今は辞めたいとか全然思わないし笑い話ですけど言ってた
岡田有希子はデビュー当時は私服も可愛いいフリフリのワンピースを着てたのに
二年目秋以降メイクやかか保険の営業のおばちゃんみたいな格好してたのは何故だろう
自分の趣味かアイドルが嫌になってアイドルっぽさに無意識に反発してたのかな >>211
保険の営業のおばちゃんみたいなのは、化粧品かなんかのタイアップ。
あれは全部が事務所やスポンサーの方針。
まあ、アイドル業が嫌になったのは正解だな。
芸能界で一番おいしい仕事は、作曲家とか作詞家とかプロデューサーとか。
それらが一番、クリエイティブで楽しい仕事。
作曲家、作詞家なら、印税で稼げるので、労働時間も短く、経済的にも恵まれている。
その点、アイドルなんて、自分がクリエイティブを発揮するところがない、
周りに指示されて、その通りに動くお人形みたいな仕事。
しかも報酬も安くて、そのくせして、労働時間も長い過密スケジュール。 自殺未遂とかしてマスコミにも大々的に知られて何て事をしてくれたんだ。
お前えの先行投資にスポンサーや各方面への違約金などの賠償も大変な額になるぞ
お前は、それを払えるのか!それに、お前は未成年だ。
契約上、お前の借金は、お前の家族も背負う事になるんだ。
どうせなら未遂でなく本当に死んでくれてた方がマシだったんだ
デビュー時にお前に掛けていた生命保険で穴埋めができたからだ。
てな訳でここは何階だったけ?・・・・
私はちょっと部屋を出る。
付き人の君もちょっと出て
彼女をちょいと一人にさせなさい。 可哀想や。。。18歳で自ら命を絶つなんて。。。
当時は携帯もないし、固定電話の電話料金も遠隔地だとすごく高いから、
東京と名古屋の自宅をそう頻繁に電話かけられない。
インターネットも当然ないので、情報飢餓状態だから、10代の女の子が人生を選択するのは難しい。
そもそも、彼女がアイドルに憧れたのも、テレビが王様だった時代に影響されたから。
当然、アイドル業界のブラック企業並みの扱いを知らない。 >>198
訂正
× 日記は当時ある月刊誌に公開した
〇 日記は当時ある月刊誌に掲載した
何が闇を知ってしまい、ばらすとでも言ってしまったとか?枕とかじゃない気がするけど。 ジサツした後に、関係者の色々な話の記事があって
仕事の現場で泣き出して帰ると言ってスタッフを困らすとかそういうことがあったんだな。
つまり、いたるところで危険な兆候があった。
事務所の社長や専務らの関係者、スタッフ、共演者、例の峰岸氏ら、ありとあらゆる関係者から
躁鬱の激しい子として有名だった。 文な春なんかの記事もそうらしいけど
口裏合わせれば何とでもなるようです >>219
あなたは岡田さんのジサツの件について、何が真相だと思っているの? 自殺ではないという強い感覚が来るだけです。
そして有名になるということは恐ろしいことと言い遺した方の言を知る者です。
またブログ『ペリマリのプラプラ講義』を知人に教えて貰い尚更の思いがしています。
読まれるならば、荒神14-20をお勧めします。 >9 名無しさん@お腹いっぱい。 2005/03/08(火) 21:44:37 ID:
>記事の内容からすると遺書に書かれていた男性、峰岸徹に無垢な体をささげたが
>峰岸にとってはただの遊びで、結局体をもてあそばれただけで捨てられ自殺ということですか。
> 遺書に書かれていた男、成城に住む男、峰岸徹しかいないですね。
> 女性誌に自殺後、掲載されていた岡田有希子のメモの
>「私を捨てないでください」「あなたは卑怯だ」とも符合します。
>そのメモによると「これからもいいお友達でいよう、お嬢ちゃん」と言われたとあった。
>潔癖性、完全主義者の女性は自分の体が汚されたと感じた時に自殺すると言いますからね。
https://ikioi5ch.net/cache/view/uwasa/1110203900/ サンミュージック会長、岡田有希子自殺を語る(2005年3月7日付)
> 40年近くを振り返ると、悲喜こもごもの思い出が頭をよぎるが、岡田有希子の自殺はこれ以上ないショックでしたね。
> 彼女がわが社のビルの屋上から身を投げたのは、デビューして2年、わが家から通っていた高校も卒業し、独立し一人住まいを始めた5日後のことでした。
> 今だから言えるが、おそらく無垢(むく)な体だったでしょう。それが初めて一人の男性に恋をして身も心も委ねたが、男性は遊びだったんですね。他に女性がいた。
> 実は僕は自殺する前夜の有希子の行動をすべて把握しているんです。というのも、彼女が前夜使ったタクシーの運転手が、僕に報告してくれたから。それによると、彼女は成城に住むその男性の自宅前で一晩、一人寂しく過ごしていた。そして朝5時頃、タクシーを拾い、東京駅の八重洲口に向かっている。彼女は泣いていたそうです。
> 八重洲口の手前で車を降りた彼女はそれから、一人住まいのマンションに帰った。でも、諦めきれなかったんでしょう。自宅でガスで自殺を図った後、連絡を受けたウチのマネジャーに会社に連れてこられた。その知らせを受けた僕が会社に戻るまでの間に、屋上から飛び降りてしまったのです。
> これも当時は明言しませんでしたが、実は彼女は一冊の日記風のノートを残しているんです。事件後、僕もそれを読みました。その日記には相手の男性の名前ももちろん、彼女がうれしくて喜ぶさま、真綿で首を絞められるような心情が克明につづられていた。最後の「さようなら」の言葉は遺書のようでした。ノートは今も会社の金庫に眠っています。
https://huemat.at.webry.info/200503/article_14.html 日記は複数あり、会社の金庫に眠っているんだな、一つは。
福田専務は否定したがるが、相澤社長はM岸を疑っていたんだな。 M岸で間違いない。むしろ、K田とかI原軍団みたいな無関係な奴を騒いで
張本人のM岸をかばいたがる奴がいるのが異常だった。
実際に見たわけではないので、相澤社長は断定できなかったが、
日記で「私を捨てないで」「卑怯ですよ」とか言うぐらいだからな。 M岸は母が否定してたしな
まあK田もM岸もダミーだわな >>229
岡田さんのお母さんは、日記の一部は持っているんだけど、
M岸と出会った頃の日記はもってないんだよ。
亡くなった相澤社長の話だと、その日記は事務所の金庫にあると。
「私を捨てないで」「卑怯ですよ」と書かれているんだから、ヤリ捨てにされたんだろう。
事務所は、福田専務のほうは、岡田さんの純潔のイメージを守る方向で発言。
亡くなった相澤社長は、低俗の日刊ゲンダイのほうで、M岸に岡田さんがヤリ捨てにされた説をぶちまけ、
別の雑誌のほうでは、プラトニック説を主張することにした。
岡田さんの家族である佐藤家は、娘の純潔イメージを守る方向で動いた。
まあ、確かなことは分からないから、あういう対応するしかなかったんだ。 >>232
果たしてそうかな?w
メディアなんて信用できんわな。
テラスハウスみたいに情報操作を民は真に受け自殺に追い込んだしな。
当時の週刊詩で週刊宝石がこの件の記事に圧力を掛けた噂の人物に
自民党の閣僚で後の都知事になった人物の名が上がっている。
下のリンク先の話のどれかが真実の話だと俺は思っている。
俺が知っていた当時の知人のルポライターも圧力により真実の記事を書けなかった
話を聞いているぞ
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〜岡田有希子さんの噂〜
http://www.g-uwasa.com/toku/okada.html >>233
M岸の件は、故・相澤社長だけじゃなくて
某ジャーナリストとか、警察関係者とか、複数つかんでいるから事実だよ。
どの辺までの関係かは分からないけど、ジサツまでしたんだから、ヤリ捨てにされた可能性がある。
まあ、好きになって先にアプローチしたのは岡田さんからかもしれないが
でも、婚約者が別にいたんだから、直ぐに断れば良いんだよ、M岸は。 >>234
マスコミは嘘だろうが本当だろうが雑誌が売れれば何でも書く世界だ
圧力と金権で偽情報も流す世界
警察は政治家の力で捜査を打ち切りにさせられた噂があったしな
M岸は後の仕事に何の障害も起きていなかった。
しかしサンは色んな災難が襲った
そしてあの芸能プロも衰退し解散か。
祟りかどうかは知らないが
なんでだろうなあw >>233
そんなウソのデマを流す奴らがいたおかげで
M岸はあまり追及されることもなく、あの世にいけたわけだから。
最後は岡田さんを捨てて再婚した嫁を他の男に寝取られて離婚し、
最後は一人で死んでいったそうだが、それでも娘はいたわけだし。。。
かたや岡田さんは自ら18歳で自分の人生を閉じた。当然、子孫もいない。 I原軍団がどうのこうのみたいなデマ、少し調べれば嘘なんてわかるもんだぞ。
こんなもん信じる奴が、巷の嘘くさい、都市伝説を信じたりする。
だいたいだな、K田正輝の子を聖子が妊娠してショックだったからというやつがいるけど
そもそも、それよりも1年前に、K田と聖子が結婚した時点で、ショックだったはずだろう。
でも、その頃の岡田さんは元気だったころだ。その頃は全く異変は見られない。
おかしくなったのは、M岸の共演した某ドラマの頃から異変が見られた。 >>236
峰岸なら峰岸が祟られ仕事などの大障害が起きてるだろな
だが何も受けていない。
しかしサンはマネージャー、ノリピー、スギちゃん、ベッキーを次々と障害が起きた
明かに祟ってるだろ
なんでだろなあ?
おかしいだろ I原軍団説のおかげで、M岸はあまり追及されることもなく、あの世に行けた。
まあ、追及したところで、確かな証拠はないからな。
岡田さんの残した、あの日記をどう解釈するかしかないからだ。
岡田さんとM岸が共演した某ドラマには、ゴン中山の奥さんのI田智子も共演していて
岡田さんとI田智子で「M岸さんって素敵よね」って話をしていたらしい。
あのジサツの晩も、岡田さんがM岸の家に電話をかけたら、風呂上がりの女が電話に出たことも
I田さんが証言したらしい。
ただし、I田さんは、このことは忘れたいのか、最近は番組に出たりしても
「もう昔の事なので、忘れました」としか言わなくなっている。言いたくないんだよね。 >>238
なんだよ、理由が祟りかよw それみい。都市伝説、オカルトの話になってきただろう。
サンミュージックは呪われているとw
サンミュージックに関しては、基本的に労務管理やタレントの管理が出来てないのでは?と思う。
岡田さんの亡くなる前の1年間のスケジュールなんて、過密すぎて、ブラックも良いところだから。 >>237
K田もダミーだろな
これも明らかに祟りだな
https://www.youtube.com/watch?v=xldAs7qsazo
↑
しかもここは龍宮町の隣だ
佐藤佳代が芸能界を目指した乙姫の因縁の町名でしかも名古屋でだぜ
不思議だな >>240
オカルトと馬鹿にしてるが
現実に起きてどれだけの損害出してると思ってるのかな 岡田事件の原因は、
まず、サ〇ミュージックの労務管理がダメなところ。
18歳の岡田さんに過酷なスケジュールをしいていた。
それで精神が破綻、まあ、だから、優しくアドバイスしてくれるM岸に引っ掛かてしまった。
次にM岸。既に婚約者がいるのに、岡田さんと遊んだ可能性が高い。それで、ヤリ捨てで、ぽい。
最後に岡田さん自身の責任。なんだかんだ自分のほうからM岸にアプローチした可能性があるんだから、
自業自得の可能性もある。 >>243
そういやあ
スギちゃんが飛び込みで腰椎損傷事故に
ベッキーがゲス不倫で大打撃を受けた時って
その時も故相澤氏がM岸説を何度も唱えてたからかな
君も注意した方がいいかもね オカルトという言葉を出すのは四谷怪談というフィクション話に印象操作したいんだろうけど
これはノンフィクションの現象なんでね
違うんだな。 >>244
おいおい、ベッキーのゲス不倫の時には既に
故・相澤社長は他界していたぞw
息をするように嘘をついたらいかん。 岡田事件は、信憑性の薄い陰謀論とかトンデモ説のネタになってきたから
そういった嘘がずっと語られてきて、何が嘘で本当かは分からなくしてきた。
でも、それって良くないことだ。
だから、故・相澤社長は定期的には発言してきた。
なぜ、M岸を徹底的に叩けなかったのかというと、日記の解釈について、
どこからが本当で、どこまでが嘘なのか分からなかったから。
でも、相澤社長は疑い、福田専務のほうは、そうではなかったとは信じたくないというスタンスだった。 M技士さんは悪役を被ったからこそ仕事順調だった。簡単な理屈。確か『自殺の80%は他殺』って本があるけど、追い込まれてだけじゃない。表題通りのこともあるのが現実。 ここは当時の真実を知る者がリークしないか監視したり、ジシじゃないかも話を阻止する動きがあるよね、たぶん。という訳で、興味ある人は『ペリマリのプラプラ講義』「荒神14」以降辺りをとりあえず。この世を知る上で何かのヒントになるかも知れん。内容には事実だと思うところが散見できているし確信している部分も多い。では。 岡田有希子はなぜ死んだか 単行本 – 1986/10/1
上之郷 利昭 (著)
故・相澤社長が言っていたことと、このジャーナリストの上之郷さんの調べたことも同じだよ。
ジサツの前日、岡田さんは三根技師の自宅前をストーキングしていたことも、
そこからタクシー拾ったことも。。。ただし、それぞれ解釈はマチマチだが。。。 >>247
故相澤社長と岡田さんのお母さんの言っていることは、全くといっていいほど違うから、相澤社長の話していることを裏付ける、そのノートを遺族の方に返せばいいだけ >>225
口頭だけではなしてないで、有希子さんのノートは佐藤家に返しましょうよ >>224
証拠が無い
これではただの文字列でしかない お母さんは彼女の遺書を読んでいるし、佐藤家には自分の娘である岡田さんの日記と遺書は所有している。 >>254
それ以外の遺書だの日記だのノートだのがあるのなら、事務所が金庫に隠してある、保管してあるのなら、それは全て佐藤家のものなんだから遺族に全て返すのか当たり前 >>225
大体その社長の話も矛盾してると思わないかい?
社長は自分の自宅に高校生アイドルやタレントを下宿させてるんですよ。
我が子のように接して面倒を見る、育成するという考えからだったらしい。
他人様の大切な子供を預かっているわけです。事務所側は岡田さんの家族とは、「お嬢さんを3年間だけ私たちに預けてください。 3年かけてたとえ売れなかったとしても、立派になった、成長したと思って頂けるように育ててお返しします。」 と話して親を説得しています。
そして、岡田さんはポスト松田聖子として期待も高く事務所のエース格アイドルです。
そんな大切な商品でもある、その未成年アイドルを事務所はキッチリガードして守ってますよ。
岡田さんは社長の家から通勤通学しています。職場には常にマネージャーが付いています。
岡田さんのスケジュールは当時一杯だったそうです。時間はやはりキチンと管理されていたのではないでしょうか。
(高校生の)岡田さんが自分の意思だけで長時間、自由に気ままに勝手に行動することは不可能ではないでしょうか。
峰岸氏の自宅も成城にあったので ドラマの撮影時に帰る方向が同じだったので、峰岸氏が車で岡田さんを
下宿先に送ることもあったり、 その時に一緒に食事に行ったこともあったりしたそうですが、その行動のすべては社長もすべて把握していたはずです。常にマネージャーから岡田有希子の行動予定の連絡、報告は当然あったでしょうし、社長もすべて了解していたはずです。他人様の大切な娘さんを約束して預かっています。
アイドルにとってスキャンダルは命取りです。事務所にとって大切な期待大きい金の卵アイドルです。大切な商品です。。
事務所は社長は高校生アイドルの彼女をきちんと守り管理していたはずです。
ちなみに、70年代、桜田淳子さんのことを事務所は女性マネジャーを付けてきっちり守れと厳命していたそうです。 >>239
峰岸氏はやましい気持ちは何も無く、岡田さんのことは女性としては見ていなくて、何とも思っていなかったから電話番号を簡単に教えたんだと思う。
峰岸氏と婚約者は半同棲だかですでに同居していたらしいから、岡田さんが峰岸氏の家に電話をすれば、かなりの確率で婚約者が電話口に出るでしょう。
峰岸氏にしてみたら、別に婚約者の存在が岡田さんに分かっても関係ないし問題ない。
電話番号のやり取りしたのは、ドラマ撮影の時期ではないでしょうか。
85年10月初旬くらいから86年1月中旬にかけての間。
岡田さんが自死される86年4月8日までには、かなり時間があります。 相手が本当に峰岸なら峰岸は活動を自粛させられ芸能界からも干されてるのが筋だわな
まだ堀越在学中の女子高生だった頃からだからな
渡部健のした事なんか甘い
しかし峰岸はCMもドラマも何の問題もなく仕事をこなしているから。
おかしいだろwww ある記者が、岡田さんの死後、2か月後ぐらいに
峰岸に直接に取材したら、
「なぜ、こんなことになったのが、僕にも分からない」
「僕はロリコンじゃない」
「ラブレターらしきものを一通、貰ったので、そこで破り捨てた(たぶん、本人の前で)」
だとよ。 >>258
そんな話が書き込まれると腑に落ちやすい!
感謝です。 >>261
そんな話があるのに、なぜ彼のせいになったのか。裏取引? 国会で問題になっただろう。岡田有希子のデビューからの労働時間の凄まじさ。
ずっと睡眠不足。過労。貧血で倒れて入院することもあった。
デビューから2年ちょっとで、事務所に30億円もの利益をもたらしたのに
本人はまだ高校生だったので、給料制で月給7万円程度だた。 >>266-267
全部、しっかり読んだわけではないが、パラパラめくったら、そんなこと書いてあったな。
↓
闇に葬られた「怪死」の真相 (日本語) 単行本 – 2016/4/27
別冊宝島編集部 (編集) 三浦さんが寺脇康文さんとの対談で役者を辞めたいと思ったことがあるという発言をされているが、この対談も台本ありだったという風に、ブログペリマリ荒神21にはそう書いてあった。ソースはアレだがあり得る話だ。TVはヤラセだらけなのだから。
木村さんの出られた番組も娘はスタッフの言う通りにやっただけだと母親が言われたとか。
この2つが示唆するところは何だろう。又もやなのか。言う通りに真面目にやっていたとしても不幸が。世の中理不尽過ぎる!去年は京アニ。今年も同じ日にこんな。 三浦春馬も真面目で手を抜かないタイプだったんだな。
岡田さんと同じだなと思った。 >>268
そんな酷いことをする人には思えないけど(キッパリあきらめさせるためだったのかな)、それがもし事実なら益々分からなくなる
とにかくその本にしても、全ては証拠に基づいてみていかないとね >>272
訂正
益々分からなくなるということではないな これって、峰岸とユッコに当てはまるな
↓
病的に【モテる性格の特徴】と男が彼女より残念な女と浮気しやすい科学的理由
https://www.youtube.com/watch?v=iGfbCFek02E >>261
>>268
それにしても、なぜ30年後にその情報を書いたのだろうか。その程度の情報なら当時に雑誌などに書いて発表していると思うのだが。30年も温めていたのはなぜなのか不思議だ。今頃書いて何が言いたいのだろうか。
もう少しきちんと読んでいただいて、誰がどんな形で書いていたのかなど、詳しく教えていただけないでしょうか。
よろしくお願いします。 >>275
30年後ではないと思うぞ。
宝島社は不定期で、日本の「怪死」についての書籍を出している。
その中に岡田有希子の記事は定番で出てくるから。
岡田有希子の記事に関しては、目新しい記事ではないと思う。 >>268
「闇に葬られた「怪死」の真相」(別冊宝島編集部/宝島社)
以下引用
↓
本書に掲載された事件で私が最も気になったのは、「岡田有希子が飛び降り自殺」した件の追及記事である。
彼女が自殺した1986年は私もまだ学生であり、無論アイドルにも興味を持っていたのでその事件は衝撃だった。
当時、人気絶頂だったアイドルの突然の死は、後追い自殺の誘発など各方面に影響が及んだが、結局その真相は
ハッキリせず。一説には遺書に「峰岸さんにふられた」と書かれてあり、それが原因だと囁かれた。本書では自殺の
現場を目撃したという記者の話から始まって、核心となる本記事の著者・中野信行氏による峰岸徹氏へのインタビューに移る。
中野氏はどうやら最初から「峰岸原因説」を疑っていたようだが、インタビューでも峰岸氏は岡田との不純な関係はなかったと
一切を否定したという。では本当の原因は何かといえば、やはり明確な答えはない。岡田は飛び降りる前に自殺未遂を起こしており、
その事態の大きさを痛感して飛び降りたのではないかなど、あるのは憶測のみである。新たな事実が出てこない限りは、この状況が変わることはないだろう。
https://ddnavi.com/news/308660/a/ ユッコは日記でも、峰岸にコドモ扱いされていたような記述がある。
実際に、峰岸は中野氏との単独インタビューでも「俺はロリコンじゃない」とユッコを子ども扱いしていた。
あの子は恋愛対象ではないと。。。 ユッコは相当、頑固でしつこかったんじゃないの?
お母さんの手記でも、子供の頃から凄い頑固者だった記述が多く出てくる。
だから、峰岸のことを諦めようとしなかった。
だから、86年の3月の峰岸の映画試写会に、ユッコは封筒もって押しかけて、手渡しでそれを渡した。
その日の峰岸はスタッフに対しても、ちょっとしたことでもキレて、ずっとイライラしていたそうだ。
結局、その試写会は、峰岸とユッコは夜の3時には途中で消えていたらしい。つまり、そこで密会したことが分かっている。
何があったんだろうと思うけど。。。
その封筒にラブレターが入っていたとしたら。。。
峰岸のインタビューだと、直ぐにそれを破り捨てたそうだ。
それって本人の前で? >>279
岡田さんの遺書も読んでるお母さんは手記で峰岸氏との関係は否定してるんだよね
彼女の自死の原因ではないと、むしろお詫びの言葉まで添えています >>278
恋愛対象ではないけど、セックスはしたのかね?
そりゃそうだよな。あれだけ可愛くて若くて見事な肢体だもの。
言い寄られたら、付き合う気は無くても一発ヤリたいとは思うよね。
あの時点で.M岸は42歳で、婚約者は24歳だったと記憶している。
ロリコンではないけど若い女性が好みで、年下の女性からモテる要素を
持っていたんだろうね。 >>283
峰岸は42歳で、26歳のOLだな。
最初の奥さんも12歳年下の女優だった。 岡田有希子は芸能界の中では美人って感じではなく、可愛いって感じ。
共演した俳優陣が、中学生に見えたという感じだった。峰岸の感想のまんま。 岡田有希子は短足。手足が短い。顔もノーメイクだと分かるが、別に美人ではない。
菊池桃子とかのほうが遥かに可愛かった。 岡田有希子の人気は、その容姿よりも、彼女の人柄に惹かれるファンが多かったんだよ。
そんな彼女があういう結末になったので、ファンのショックも大きかった。 「素直な優等生」って風情があったね。
あと絵が上手で、トップテン?で披露した河合奈保子の肖像画が激ウマだった。 2人の甥っ子はどう思っているんだろうね?20代らしいけど。
自分たちが生まれる前に亡くなった、18歳のままの叔母さんをYouTubeで知ると。。。 >>171
>>175
お母様のお言葉は重みがありますね
貴重な重要な情報だと思います >>275
他の岡田有希子スレでも見たので来ました。
あっちは何か趣旨がトンデモなので
本当に破いたのでしょうか
それを本人に伝えたのでしょうか? >>295
知らない。とにかく、下の本をどこかで探して、読んでみること。
↓
闇に葬られた「怪死」の真相 (日本語) 単行本 – 2016/4/27
別冊宝島編集部 (編集) >>296
それゴシップ本と言われてるやつだな
興味本位の冗談半分だな >>297
一応、岡田さん関連の記事では
中野という芸能記者が岡田さん没後一か月後ぐらいに、
直接、峰岸と1対1で取材した記事がある。そういう意味で貴重だよ。
ただし、それ以外にも様々な説を上げていて、真相は謎だというスタンスだけどね。
ちょっとした規模の都市の図書館においてあるだろうし、楽天やアマゾンで検索したら、中古本が多く出てくるよ。 峰岸は冷たい男だという感想を持ったね、>>296の本だと。
「俺はロリコンじゃない」とか言って強く否定だな。 遊びのつもりで一回セックスするも、その後ストーカー化した有希子に
手を焼いて、ラブレターを目前で破り捨てたり冷たくしたら、思い詰めた
有希子が自殺しちゃった。
そんなところだったのかな。 でも、いくら、口頭で否定したところで、それを証明するものはないね。死人に口なしだから。
岡田さんの日記(彼女の晩年の日記で、事務所が保管)には
「私を捨てないで」とか「結婚してくれるって言ったじゃない?卑怯ですよ」とか
「愛の生活に疲れました」とか書いてあるらしいから。
だから、サンの故・相澤社長はずっと峰岸を疑っていた。
会見で、峰岸はそれを聞かされて、呆れた顔して、否定していたけどね。
それで、「彼女は普段は明るいんだけど、考え込むことが良くある」って、
暗に岡田さんのことをメンヘラ認定した。 岡田さんって、結婚願望強くて、ある業界人と戯れに、結婚の約束とか、指切りしたとか。。。
>ただ、生身の彼女を知る人にとって、その死は怪談ではない。
>それぞれが懐かしい思い出を抱えながら生きている。
>たとえば、ある業界人は彼女とたわむれに結婚の約束をした話を語った。
>「私って結婚できない気がするなぁ」「じゃあ、僕と結婚しようか」
>といった流れで指切りをしたのだという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/93d368114bbf8c3c03c48e6d104fbe18ab70d84f?page=2 >>300
ジサツを決行した直接的な原因は、ジサツした日の前日の夜、
86年4月7日の夜11時ごろに、峰岸宅に電話したら、峰岸の婚約者が電話に出て、
峰岸に女がいることを初めて知って、そこからだろう。
それまで別に死ぬような雰囲気は全くなく、1週間前に自殺した遠藤さんのことを冷ややかに見ていたくらいだからな。 役者としては、コメディ刑事ドラマで嫌みな上司役やったり、
2時間ドラマでレイプ役やったり、いまいちパッとしない感じ
だったけど、年下の女にモテる色気があったのかねぇ。
自殺後の囲み取材を受けた後、スクーターに乗ってその場を
立ち去ったのが、印象に残っている。
「このクラスの俳優は、自家用車も持てないのか」
と思ったけど、実際はどうだったのかな。 >>304
というか、岡田さんの好みがオジサンだったからだろう。舘ひろしとか、藤竜也とか、そんなのが好みのタイプだからw
一応、外車は持っていたはず。ドラマの撮影時、岡田さんをサンの社長の自宅の下宿所へ送り届けていたこともあったから。
峰岸は自宅では、8歳の娘、婚約者、それと自分の母親と暮らしていた。
岡田さんのジサツの次の日、86年4月9日には、そのへんのこと、全部、マスコミに公開していたけどね。 峰岸は「むしろ、あんまり好意を持たれないように注意していたぐらいですから・・・」
みたいなこと言っていただろう、記者会見で。
あれで、言っていること、矛盾しているなと思ったけどね。
その会見では「具体的に(告白)されてない。。。。。。抽象的には。。。(モグモグ)」と言っていたからね。
それをみて、やっぱ、岡田さんは峰岸に対して、好きオーラだしていたか、何らかの告白はしただろうと想像できたよ。
そうしたら、その一か月後の中野記者との単独インタビューでは、
「ラブレターらしきものは1通もらったが、直ぐに破り捨てた」と、ジサツ直後の会見での発言を撤回した。
その本に書いてあったのか?遊びのつもりでセックスしたと >>300
その本に書いてあったのか?遊びのつもりでセックスしたと >>307
違う。全面否定。「俺はロリコンじゃない」つまり、全く女として全く見ていないし、好みじゃないってことだろう。
そのドラマの撮影の時も、他の共演者の年配の役者らから
「ユッコちゃんは中学生に見える」と言われて、傷ついていたぐらいだから、岡田さんは。
峰岸も同じように見ていたということだろう。 >>302
これは峰岸以外の人との話だよね
そんな指切りを何人ともしていてそれを全部してくれるって言ったじゃない
と言われたらそりゃ困るわな >>299
>>306
「俺はロリコンじゃない」
「ラブレターらしきものは1通もらったが、直ぐに破り捨てた」
ここの所のインタビューのやり取りをそのままそっくり書き写して頂けませんか
もっと詳しく知りたいので >>313
いま、ここにその本はない。立ち読みでさらって読んだだけだから。
どうしても読みたいのなら、古本屋か、市の図書館とかにあるだろう、たいがい。
自分の住んでいる市は人口50万人以上いるが、そこの市の図書館にあったぞ。
あと、楽天とかアマゾンに中古本が多く出てきた。100〜200円くらいで。
闇に葬られた「怪死」の真相
https://bookmeter.com/books/10794034 >>314
あなたが言い出したんだからあなたが責任とらなきゃ駄目だよ
自分がその本を購入して証明しなくちゃなりませんよ
人の名誉にかかわることだよ
無責任ないい加減な書き込みをしてはいけない >>315
手間がかかると思うけど自分で調べてくれ。
https://tkj.jp/ebook/read/cd/02547901/
そのお詫びじゃないけど、面白そうな記事があったので、ここに書いておく。
そのラブレターの件かどうかは分からないが、岡田さんの86年3月21日の行動に注目。
ちなみに、この翌日にも番組収録があったのだが、その時の岡田さんが泣いているような
シーンがあったと、どこかで見た。そのサイトのソースは忘れたが。。。
つまり、86年3月21日に何かがあったはずだ。
そのソースのブログ記事↓
https://www.idol-forever.jp/%E3%82%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E8%89%B2%E3%81%AE%E3%81%B2%E3%81%BF%E3%81%A4/%E7%AC%AC%EF%BC%96%E7%AB%A0/ >>316
有希子が峰岸のもとへ訪れ、写真が入っているとみられる封筒を直接渡すのを目撃されている。
これが峰岸が会見で言っていた「郵送で送られた」手紙だったと見られている。
イベントが終了し、試写会が始まったのが午前3時すぎ。
スクリーンを見つめる人々の中に、有希子と峰岸の姿がなかった。まるで申し合わせたかのよ
うにミラノ座から消えていた。
新宿歌舞伎町、深夜3時すぎ。42歳の中年俳優と18歳のアイドル。
二人に何が起こったのかは想像するしかない。
おいおいおいおい 女性客の顔には見覚えがあった。
「あれ? あんた、今いちばん売れてる岡田有希子さんか?」
「ハイッ」この時、彼女は元気に笑ったように見えた。
有希子を乗せたタクシーは東京駅にそろそろ着こうとしていた。
都庁(旧都庁・丸の内庁舎)の建物が見え、国鉄(現・JR)のガード下をくぐり抜けたときだった。
「あ、すみません。ここで降ります」
突然、彼女は降車場所を変更した。料金メーターは4千数百円を示す。
彼女は財布から5千円札を差し出し、おつりを受けとる。
「ありがとうございました」タクシーを降り、旧都庁わきの工事現場をすり抜けていく有希子。
運転手は こんなところで降りて危ないな≠ニ思いつつ、現役アイドルを乗
せたことで得した気分になった。このときの時刻は、午前5時55分。彼女が降りた場所
から東京駅までは徒歩で5分ほどの距離だ。
そもそも東京駅には何をしに行ったのだろう。名古屋の実家に帰ろうとしたの
だろうか。一晩中泣き明かした彼女。暖かい家族のぬくもりが恋しくなったとしても不思議ではない。
しかし、彼女は新幹線には乗らずに、南青山のマンション自室に戻っている。この後す
ぐに戻ったのか、さらに街をさまよったのかは定かではない。
タクシーを降りた午前5時55分から、午前10時ごろに押し入れで泣いているところを発見
されるまでの約4時間。この間の岡田有希子の行動はわかっていない。
おいおいおいおい 有希子の2度目の自殺には、ことの重大さに気づいた彼女が、パニックを起こし、発作的
にダイブしてしまった事故の要素が多分にあると思う。
そもそも有希子が願っていたのは、峰岸徹との関係修復であり、ガス栓をひねり、
手首を切ったのも彼を呼ぶための手段だった。
彼女は躁鬱の激しい性格で死の直前、不眠症に悩まされていた。分刻みのスケジュ
ールに身を置き、肉体も精神もギリギリの状態にあったが、生に対する執着がなかったわけでない。
遠藤康子の事件を聞いたとき、有希子は親しい友人に「なにもねえ自殺しなくても...ど
うしてもその男性と別れたくないんだったら歌をあきらめればいいのに」と言っている。
そうは言ったものの、岡田有希子の中には遠藤康子というアイドルのイメージが強烈
に刷り込まれていたはずだ。
9日前に起こった生々しい事件を。
漆黒のビルから羽ばたく美少女の姿を。
遠藤康子は投身自殺をはかった最初の女性タレントである。
それまで飛び降りで自殺した女性芸能人はいなかった。 >>317
ソース元は忘れたけど、翌日の86年3月22日にも、岡田さんは仮装の歌番組の収録があって、
その時に、後ろの控えの席に座っている時に、何かを思い出してか、泣き出すシーンのキャプチャー画像があって、
その前日に何かがあったのでは?と見られている。
その前日に有希子が峰岸に渡した封筒の中に、ラブレターが入っていたとしたら、
後の峰岸の話から想像すると、それを岡田さんの目の前で破り捨てた可能性がある。
峰岸は3月21日の試写会の時も、岡田さんが来ているのを知って、ずっとイライラしていたらしから。 峰岸の証言を信じるのなら、
仮に岡田さんから峰岸に告白したとしても、それは口で言うのではなく、
わざわざラブレターに書いて告白したことになる。
ドラマで共演して仲良くなったのに、そんな回りくどいことしないといけないのか?
それも、峰岸の主演の映画の試写会に、わざわざ駆けつけてだ。目立つだろうw
それが死の20日近く前の話。 >>306
>「ラブレターらしきものは1通もらったが、直ぐに破り捨てた」
真心を込めて書いたラブレターを峰岸氏が目の前で破いて捨てたということなら、
その瞬間に百年の恋も一瞬にして冷めるだろうね。
「なんて酷いことをする人なんだろう」と大いにショックを受け幻滅したことだろう。
何故なら岡田さんは、やさしくて親切な峰岸さんを尊敬し好きになったのだから。
スッパリと彼女の方から去っていくだろうし去っていっただろう。 >>306
>「ラブレターらしきものは1通もらったが、直ぐに破り捨てた」
真心を込めて書いたラブレターを峰岸氏が目の前で破いて捨てたということなら、
その瞬間に百年の恋も一瞬にして冷めるだろうね。
「なんて酷いことをする人なんだろう」と大いにショックを受け幻滅したことだろう。
何故なら岡田さんは、やさしくて親切な峰岸さんを尊敬し好きになったのだから。
スッパリと彼女の方から去っていくだろうし去っていっただろう。 >>323
ショックを受け幻滅した挙句
というのはどうも違和感があるなあ
大体あの男にそんな決断力があるとも思えないが 真相は誰にも分からん。どっちにしろ、峰岸氏は生涯、ずっと色眼鏡で見られ続ける人生だったな。
中尾彬は友人だけど、そんな中尾ですら聞けなかったらしいから。
芸能記者はそれが仕事だから単独で聞きに行った人もいたけど、いずれも全否定だったらしい。
ただし、1対1でインタビューしたら、一部、カメラの回っている記者会見では語られない話も出てきた。
それが、ラブレターらしき1通を貰って、それを直ぐに破り捨てた件だとか。。。 ユッコは自分のことを うつ病だと言っていたけど
現在の医学の知識だと、おそらく、双極性障害U級ぐらいだろうな。
今でも、双極性障害U級は、うつ病と区別つきにくいが、両者は治療法が全く違っていたりする。 >>316
峰岸42才岡田有希子18才女子高生
青少年育成条例違反 >>171
>>175
お母様のお言葉は重みがありますね
貴重な重要な情報だと思います 1986年当時でも、東京都では青少年育成条例はあったんだな。。。
とんねるずが、ユッコの水着写真をいじっている時に、
石橋が「おい、まだ未成年だろう」って突っ込んでいたから。 >>331
お母さんの言葉というけど、父親はあの手記を出版することを反対したらしい。
つまり、夫婦で意見が割れていたということだ。
結局、日記の解釈は人によって違うということだ。どこまで信じたら良いのか意見が割れるということだ。
そりゃな、峰岸は最後まで否定するだろうよ。真偽のほどは別としても。肯定すれば、役者声明は終わりだからな。 >>334
日記の解釈?
自分の娘の有希子さんの遺書の内容のことをお母さんはそのまま書いたんだぜ
遺書だよ
手記の出版?
「愛をください」1988年7月1日朝日出版という本にお母さんが手記を寄稿したんだよ
意見なんて割れてないよ
出版社と遺族とできちんと話し合って決めたことだよ
だいたい意見が割れるも割れないも、遺書は一つではないですか。ご自分の娘さんの遺書についてそっくりそのまま書かれただけですよ
お母さんは、「べつに誰あてというのでもない。先立つ不幸をお許しくださいというような遺書にふさわしい言葉もありませんでした」
「あの子の性格からして、もしあれが遺書であるなら、必ず、先に死ぬのごめんなさい、とか一言でも書いているはずです。」
とおっしゃってますよ
あなたはお母さんが嘘を言っているとでもいうのですか?
それと、日記に関しては、当時の月刊誌にすべて掲載していますよ
本には手記の他に岡田さんの未公開の絵画や詩、日記をすべて収録してあります
遺族の手元にあるのは、有希子さんの遺書と日記です
社長の話していた有希子さんの自宅マンションから見つかったとされる゙日記風ノードは事務所に保管されていて未だにご遺族に返されてはいません。
ついでにもう一つ。
>>328
岡田さんは自分のことをうつ病とは言ってはいないですよ
自分の性格について「躁鬱の激しい情緒不安定な子」とは日記に書いていたり言ってたようです。このことは周りの人たちも知っていたこと
岡田さんは精神科にはかかっていませんから、病気があったかどうかは分かってはいませんよ
なぜあなたは嘘を書くのですか しぐさ、表情筋をみれば、
記者会見で、Mが、どこまでが本当で、どこまでが嘘の可能性があるのか、ある程度は推測できるけどね。 35年とか経って峰岸どうとか
ファンなら静かに時々歌聴いてれば良いんだよ。 関係者の何人かが鬼籍に入ったので、逆にタブーがなくなりつつある。 その記者会見の動画がどこにあるのか分からないので。。。 ビキニのグラビア撮影する度に、沢山の男が自分の巨乳をオカズにして
自慰行為をする事は承知していたと思うけど、それはユッコにとっては
優越感に浸れる事だったのか、それともおぞましい事だったのか、仕事と
割り切っていたから気にならなかったのか? 嫌だったに決まっているだろう。本人はバスト小さめに公表してたから。 >8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/23(木) 20:29:00 聞くところによると、意外に知られていない情報だが、昭和61年3月21日に有希
>子は峰岸徹と密会をしてたらしい。深夜「スタア」の試写会にいたと言われて
>いるんだが、そこで峰岸徹が「スタア誕生」の話をするというのが引っ掛かる
>よね、峰岸徹にとっては3/21が「スタア」の試写会。岡田有希子にとってはそ
>の日がアルバム『ヴィーナス誕生』の発売日と重なる。
>しかも、その前日、3月20日に堀越学園から特別に卒業証書を渡されている。
>さらに、3月22日、フジテレビ?『第6回紅白そっくり大賞』(たぶん死後86/
> 4月放送)に出演している。その時、様子が変なんですよ。
>なんか泣いているような、こう、手を耳にあて下を向いてる場面もあるし、コ
> メントも泣きたいのをこらえてるようなかんじの場面もある。表面上ではにこ
> やかですが。歌のときでもいつもとは違う。
> 手を耳に当て直立で歌っているという奇妙な感じがする。
>となると、考えられるとしたら、86年3月20日に特別に卒業証書を渡され、そ
>の祝いか何かで峰岸徹と次の日に密会をする。しかし、その翌日、22日の表情
>を見てみるとやや暗い。そうなると、21日に本当に密会をしてたのなら、そこ
> で何か異変が起きているはずだ。
>4月7日の夜からの彼女の行動も、成城の峰岸徹の自宅へ行っていたという話も
> あるし、21日に密会をしてたら辻褄が合うよね。
>ま、しかし、峰岸徹のインタビューを聞いていると、岡田有希子が「頭がおか
> しいんじゃないか」とは言えないので、「感情の起伏に波があった」という表
> 現をしているんじゃないかとも思うしね。岡田有希子は峰岸徹には比較的男っ
> ぽく接してたかもしれないね。峰岸徹も「わりとアニキっぽいな」と感じたか
> もしれないし、緊張して話せないような間柄ではなかったみたいだよね。
>でもさ、峰岸徹も本当に自分に責任があるのなら結婚はできないと思うし、そ.
> れでも結婚するんだったら彼はものすごく残酷な男なのだろう。
>9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/23(木) 21:10:55
>↑たしかに、死後直後のインタビューで峰岸はまいったな〜みたいな感じで苦笑いしてたな
https://human5.5ch.net/test/read.cgi/uwasa/1140622439/8-9 >26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/25(土) 02:29:18
>>>2は禁じられたマリコ撮影現場の写真。
> 当時の週刊誌によれば、撮影現場から峰岸徹はジャガーで社長宅まで送った。
> 地理的には撮影現場から社長宅の間に峰岸の自宅がある。
>いつもマネジャーと付きっきりの岡田有希子には珍しく、この時、峰岸と二人だけの時間があった。
> 峰岸も記者会見でこれを認めているし、加えて食事もしたと言っている。
> 岡田有希子が門限を破って社長に怒られていたのはこの時だろうか。
>それにしても、あの悲惨な自殺後、峰岸の他人事のようなあの態度はいったい何なんだろう。
> 相手は未成年であるし、娘を持つ一社会人として説明責任を果たしていないと思います。
> 誰か注意する人はいないのでしょうか。
https://human5.5ch.net/test/read.cgi/uwasa/1140622439/26 >110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 03:02:06
>>>26 5年ぐらい前、番組中に安岡力也さんが峰岸徹を脅かしていました。
> 峰岸はブチ切れしていました。
>この時、峰岸は岡田有希子の物まねをするときにする仕草をしていました。
>それは突然で、前後の脈絡もなく、意味不明でした。
> 置かれている立場からして、人間として最低だと思います。
https://human5.5ch.net/test/read.cgi/uwasa/1140622439/110 >>345
手を耳に当てる仕草は統合失調の患者が幻聴が聴こえてる時にやる仕草と似てるね。
ドットーレ山口医師も精神科医でなくてもそれぐらい知ってるんじゃない。 >115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 19:39:22
> 1986年5月の中旬に朝のワイドショー(TBS)で峰岸徹独占会見がありました。
> 岡田有希子の自殺についてのテレビでの会見は自殺当日と、この時の2回だけだったと思います。
> 女性インタビュアーの岡田有希子とはどんな関係ですかという問いに、峰岸徹は、
> 鼻でフン(ほんとにフンと言った)とバカにしたような笑いを浮かべて「おならを我慢する程度の仲」と答えていました。
>この時の会見も自殺当日同様、中身のない寂しいものでした。
>この時の最後の映像は、峰岸徹が背中を向けて立ち去って行き、そしてこちら(カメラ)に振り向き、
> 「言えないこともあるしね」と言ったのです。この台詞が最後でした。。
> 峰岸徹が岡田有希子の肩を抱いて歩く微笑ましい写真がありますが、この時、岡田有希子の
>血まみれの脳みそが転がり出た悲惨な写真が巷に出回っている時に、この冷たい態度にはとても驚きました。
>116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 20:37:42
>やっぱ人格ゼロなんだな峰岸は・・・
https://human5.5ch.net/test/read.cgi/uwasa/1140622439/115-116 峰岸は49日後に取材を受けると言って、取材を受けてないと言われているけど
一応、5月中旬ぐらいには会見を受けていたんだな。
あと、中野という芸能記者も取材していた。 >126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/07(金) 01:36:53
>岡田有希子の心情で、唯一、真相隠蔽派以外のルートから流れたのは、友人から提出され女性誌に掲載されたメモでした。上の写真にある いいお友達でいよう 以降のものと同じです。
>しかし、女性誌のでは "これからもいいお友達でいよう お嬢ちゃん"でした。
>この違いのからくりは何ですか。
>それにプレイボーイのでは左に引用符がありません。
> 女性誌にはそれ以外に「私を捨てないでください」「あなたは卑怯だ」があり、いいお友達でいようの上の文章はありませんでした。
> 上の文章とはどこで繋がっているのでしょうか。
> 遺書の内容についても真相隠蔽派を介したのしかなく、メモの内容とは開きがありすぎます。
>メモの方が自殺に至る理由として、理解しやすいのです。
>127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/07(金) 01:39:29
>追記 メモの相手は峰岸徹です。
https://human5.5ch.net/test/read.cgi/uwasa/1140622439/126-127 >128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/09(日) 02:46:23
>http://www3.big.or.jp/~moo/yukko/img/img-box/img12.jpg
>http://www3.big.or.jp/~moo/yukko/img/img-box/img6.jpg
>禁じられたマリコ撮影現場での峰岸徹とのツーショット
>http://www3.big.or.jp/~moo/yukko/img/img-box/img10.jpg
>からの引用 顔写真はPTSD
>「死の一週間前、いつものように彼女の出待ちをしていたファンに接したとき、
>普段より口数が少なく、あの笑顔もありませんでした。
>声をかけても終始うなずくだけでしたが、帰り際にファンのほうを振り向き
>『これからもずっと私のことを応援してくださいね』と何かを確認するかのように
>小さい声で囁き、車に乗り込んでいきました」。
>この一言がファンに発した最後の言葉となってしまったわけだが、「今思えば、
>このときすでに死を決意していたのではないかと。今まで自分を応援してくれたファンに
>最後の挨拶として、死んでもずっとわすれないでという意味が込められているような
>気がしてなりません。
https://human5.5ch.net/test/read.cgi/uwasa/1140622439/128 >135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/15(土) 03:47:36
>>132の写真週刊誌フォーカスからの引用
>遺書の宛先は、少女が主演したドラマ、「禁じられたマリコ」で
>共演した、男優・峰岸徹(42)である。
>結婚歴アリ、子供アリ、今年1月から同棲中の愛人アリ。
>女性とのつき合いに関していえば、
>24歳も年下の少女が「あこがれ」るには、いささか危険過ぎる、
>手練手管の持ち主といわれている。
>中年・峰岸はいう(7ページの右上)。
>「仕事を通してのつき合いで、食事をしたり、
>帰りに送ってあげたりする仲。
>仕事上のグチを電話してきたりもしていた。
>彼女が大人の歌うバラードを歌いたいっていったので、
>ボクがそのバラードに詞をつけてやろうといったこともありました。
>まあ、ボクにすればいい兄貴のつもりだったんですが、
>不用意な優しさが、必要以上に彼女の気持をボクに
>向けさせたのかもしれません」
https://human5.5ch.net/test/read.cgi/uwasa/1140622439/135 >136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 02:10:33
>もう相当昔のことですが、さんま御殿に峰岸徹が出ていたときがありました。
> 話の流れで、「死についてどう考えますか」というのをさんまが峰岸にふったのです。
> 間違いなく、さんまがプロデューサーかディレクターにでも指示されたのでしょう。
> 峰岸は「おれか」と腕を組んで答え、何か得意げな感じでした。
>その峰岸の後ろの方には岡田という名字の男性タレントがいたのです。
> 番組の意図はわかります。
>あのさんまも峰岸に関わりたくないのか、突っ込みなく、完全に流していました。
>こういう倫理観の欠如した、テレビ局の番組作りには疑問を感じます。
> 岡田有希子のみならず、後追い自殺の遺族が見たらどう思うでしょうか。
https://human5.5ch.net/test/read.cgi/uwasa/1140622439/136 >163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 01:45:16
>禁じられたマリコの収録終了が1986年1月中旬。
>2月の頭には一人暮らしがしたいと言いだし、そのときすでに顔がむくんでいたとのこと。
>その後、自殺を臭わす発言があり。
> 母親の手記にも最後に会った自殺3日前、様子が変だったとある。
>そしてマンションに引っ越して3、4日後に自殺。
>自殺直前、峰岸徹宅に電話していたという情報あり。
https://human5.5ch.net/test/read.cgi/uwasa/1140622439/ >266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/09(金) 17:01:10
>遺書、日記を総括すると、だまされたと。
> 社長も言っていたけど、処女取られた。
> 体をもてあそぶことだけが目的だったと告発して自殺です。
>あと加えて変態プレーの線もあり得る。
> 有名芸能人カップルの離婚のとき、男が性器を撮影する趣味があるのが原因とか、
> 週刊誌で取り上げられていたこともあったし。
https://human5.5ch.net/test/read.cgi/uwasa/1140622439/266 >493 :ローカルルール議論中@自治スレへ:2006/07/23(日) 04:53:50
>相澤秀禎「スターづくり40年の“つもる話”」1 岡田有希子
>サンミュージックをつくった当時30代後半だった僕も今年75歳です。
>よい区切りだと思い、昨年の創立記念日後の12月1日、社長を息子に譲り、
> 僕は会長に退きました。
> 40年近くを振り返ると、悲喜こもごもの思い出が頭をよぎるが、岡田有希子
>の自殺はこれ以上ないショックでしたね。
> 彼女がわが社のビルの屋上から身を投げたのは、デビューして2年、わが家
>から通っていた高校も卒業し、独立し一人住まいを始めた5日後のことでした。
> 今だから言えるが、おそらく無垢(むく)な体だったでしょう。
>それが初めて一人の男性(峰岸徹)に恋をして身も心も委ねたが、彼は遊びだった
>んですね。他に女性がいた。
> 実は僕は自殺する前夜の有希子の行動をすべて把握しているんです。というのも、
> 彼女が前夜使ったタクシーの運転手が、僕に報告してくれたから。
>それによると、彼女は成城に住む峰岸の自宅前で一晩、一人寂しく過ごしていた。
>そして朝5時頃、タクシーを拾い、東京駅の八重洲口に向かっている。
> 彼女は泣いていたそうです。
> 八重洲口の手前で車を降りた彼女はそれから、一人住まいのマンションに帰った。
>でも、諦めきれなかったんでしょう。自宅でガスで自殺を図った後、連絡を受けた
> ウチのマネジャーに会社に連れてこられた。
>その知らせを受けた僕が会社に戻るまでの間に、屋上から飛び降りてしまったのです。
>これも当時は明言しませんでしたが、実は彼女は一冊の日記風のノートを残している
> んです。事件後、僕もそれを読みました。
>その日記には相手の峰岸の名前ももちろん、彼女がうれしくて喜ぶさま、真綿で首を
>絞められるような心情が克明につづられていた。
> 最後の「さようなら」の言葉は遺書のようでした。ノートは今も会社の金庫に眠っています。
>【2005年3月7日掲載】(日刊ゲンダイ)
https://human5.5ch.net/test/read.cgi/uwasa/1140622439/493 >534 :ローカルルール議論中@自治スレへ:2006/07/27(木) 02:18:54
>自殺前日のロッキー4試写会時のポスターを背景にした岡田有希子の写真を週刊誌で見ました。
>その中でカラーで何枚か並んでいるのはとても直視できるものではありませんでした。
>その表情はとても悲惨で、今風にいえばPTSDです。
>このとき、公衆電話で岡田有希子が峰岸徹宅に電話していたという友人談話がありました。
>また、その後、最後の岡田有希子目撃談も峰岸徹宅近くでのタクシーです。
>自殺直前に峰岸徹宅に電話があったという情報もあるくらいです。
>遺書やメモを周到に準備し、その行動には自分がなんで自殺するのかを何か必死に周りに伝えようとしていた感があります。
https://human5.5ch.net/test/read.cgi/uwasa/1140622439/534 >>357
まずもって、遺族に手渡された遺書の内容と社長の話の内容とが全くと言っていいほど違うんだよね。
これはなぜなのか。まったくもって異常な不可解なことだ。
社長は岡田さんの自宅マンションから遺書でもない、日記でもない、”一冊の日記風ノート”を見つけたと言って、
「そのノートを読んで彼女の自殺の真相が分かりました」といっていたが、それならその有希子さんのノートは
即、遺族に手渡さなくてはならないはずだ。
しかし、なぜか社長は遺族には返還せず事務所に保管し続け、そして雑誌のインタビューには口頭だけで色々と
岡田さんの自死についての詳細を語っていて、かなり際どいことまで話をしていたみたいだから、そこまで話したのなら、
もうその有希子さんのノートは遺族に返してもいいはずだ。いや、返さなくてはいけないでしょう。
ノートは事務所の金庫に保管して、一切、公にはせず口頭で色々と彼女の自殺について、峰岸、峰岸と語っているだけ。
盛んに峰岸、峰岸と煙幕を張って、遺族に教えられない、とても世間には公表など出来ない、なんかとんでもないことが
そのノートに書かれてあったのではないかと言われてもしょうがない。
故社長から本当の真相を聞き出そうとした記者などもいたそうだが、社長は最後まで口を割らなかったという記事もあった。
社長の証言を裏付けるそのノートを遺族に返せばいいだけではないですか。証拠のノートが公になっても社長の話と符合するだけで何ら問題はないのではないか。
それとも、知られたくない本当の真相がノートには書かれてあったのか。
ノートを遺族に返せば本当に真相がスッキリと分かるのではないか。
とにかく、有希子さんのノートなのだから、遺族に返さなければいけないですよね。 >>359
初めて一人の男性(峰岸徹)に恋をして身も心も委ねたが、彼は遊びだった
>んですね。他に女性がいた。
こんなこと言ってたの ? >>360
分からないね
情報はいろいろだからね
彼女をそっとしてあげてほしいんだけどね >>360
日刊ゲンダイの2005年に出た記事らしい。その当時は全く興味なかったので知らない。それも、今から15年も前の話。
グーグったら、その当時の記事はもうないけど、
2ちゃんでは、それに関しての話題になているスレが多く出てきているので、
日刊ゲンダイでは、そう語ったのであろう。 ゴンN山の奥さんが、そのドラマでユッコやM岸と共演していて、まさに、その撮影現場を見ている。
そこでユッコと一緒に「M岸さんって素敵よね」と言っていたらしい。まあ、当時、二人とも18歳だからな、世間を知らんよな。
ちなみに、ユッコが人生の最後に電話した芸能人が彼女であり、ユッコがM岸に女がいることを知って、
ショックを受けてたのを聞いた可能性がある。
だから、彼女はこの話題をふられると「もう昔の事なので忘れた」って言っている、ずっとね。忘れたいんだろう。
その彼女が、爆報!THEフライデーのユッコ特集に出演した時も「もう昔の事なので覚えていないんです」と涙ぐんでいたな。
その彼女がM岸の記者会見のVを見て険しい表情をしていたからな。
https://www.bilibili.com/video/BV1XW411Z7qi?from=search&seid=7225565253553184552 >>355
>2月の頭には一人暮らしがしたいと言いだし、そのときすでに顔がむくんでいたとのこと。
>その後、自殺を臭わす発言があり。
これを読むと峰岸とは関係ない、全く違う理由で岡田は自殺したのかもということになるね >>363
>だから、彼女はこの話題をふられると「もう昔の事なので忘れた」って言っている、ずっとね。忘れたいんだろう。
いや単純に忘れたんだろう。 >>334
日記の解釈?
自分の娘の有希子さんの遺書の内容のことをお母さんはそのまま書いたんだぜ
遺書だよ
手記の出版?
「愛をください」1988年7月1日朝日出版という本にお母さんが手記を寄稿したんだよ
意見なんて割れてないよ
出版社と遺族とできちんと話し合って決めたことだよ
だいたい意見が割れるも割れないも、遺書は一つではないですか。ご自分の娘さんの遺書についてそっくりそのまま書かれただけですよ
お母さんは、「べつに誰あてというのでもない。先立つ不幸をお許しくださいというような遺書にふさわしい言葉もありませんでした」
「あの子の性格からして、もしあれが遺書であるなら、必ず、先に死ぬのごめんなさい、とか一言でも書いているはずです。」
とおっしゃってますよ
あなたはお母さんが嘘を言っているとでもいうのですか?
それと、日記に関しては、当時の月刊誌にすべて掲載していますよ
本には手記の他に岡田さんの未公開の絵画や詩、日記をすべて収録してあります
遺族の手元にあるのは、有希子さんの遺書と日記です
社長の話していた有希子さんの自宅マンションから見つかったとされる゙日記風ノードは事務所に保管されていて未だにご遺族に返されてはいません。
ついでにもう一つ。
>>328
岡田さんは自分のことをうつ病とは言ってはいないですよ
自分の性格について「躁鬱の激しい情緒不安定な子」とは日記に書いていたり言ってたようです。このことは周りの人たちも知っていたこと
岡田さんは精神科にはかかっていませんから、病気があったかどうかは分かってはいませんよ
なぜあなたは嘘を書くのですか >>366
日記風ノートと遺書モドキは別なのか
そっちの方が不思議 M岸から口説いたのではなくて、ユッコから逆ナンパだったんだから、ユッコの自業自得。
向こうから獲物がやってきてくれたら、大多数の男が欲望を抑えられない。
例え、M岸に出わなくても、遅かれ早かれ、別の遊び人のオジサンを好きになって
こういう運命になっていたと思われ。 自分で望んだ夢とはいえ、社長の家に下宿しながら、睡眠時間も満足に
とれないぐらいの超過密スケジュールを課されて、ビキニグラビアで
不特定多数の男にオッパイ見せて中学生からオカズにされて。
そんな日々を送る中、ドラマの撮影現場で優しく接してくれたり、車で
下宿まで送り届けてくれる峰岸さんを好きになるのは必然だったのかも。
自動車学校の指導員がモテるという「吊り橋効果」みたいなものも
あったのかも知れない。
サンミュージックも管理が甘かったね。ちゃんとマネージャーに監視
させるなり、事務所で送迎車を用意するなりしていれば、防げたかも
知れないのに。大切なドル箱アイドルを、最悪の形で失ってしまった。 サンミュージックは、とことん甘い事務所らしいから。
社長(先代の父親も現代の息子の両方とも)の人柄が良いと言われているけど、逆に他者から舐められているんだよ。
強面の事務所なら、ガードが固くて、そんな失態を起こしにくい。
ベッキー騒動の時もそうだろう。
だいたい、31歳(ベッキー)の女性がバンドマン(ゲスの川谷)に一目ぼれってw
しかも、そのバンドマンの男の身辺調査(既婚かどうか)もせず。。。
中学生なら分かるけど、31歳の女がだよw どういう管理体制と教育をしているのか。。。
大事なドル箱タレントだったら、ちゃんと管理しておけよ。 ユッコは可哀想だと思うけど、結局は彼女の性格的な欠陥が最悪の事態を引き起こしたと思える。
真面目で努力家だけど、我が強くて、融通が利かない性格。
勉強できたけど、それは記憶力が良かっただけだろう。
表面的なところしか目がいかずに、物事の裏側を見抜く能力がない。
だから、安易に芸能界とアイドルに憧れ、実際になってみたら、思ってたと違っていた。
ドラマで共演したお父さんくらいの俳優に憧れ、でも実際に、所詮は遊び人の俳優だった。 峰岸てそんな女癖が悪かったかね?
峰岸の女問題の報道て他に聞いたこないな
女優と結婚して離婚した後に一般人と一緒になったんだろ
1986年の時点で前妻の女優との間にもうけた娘もいたし
その娘も今では40歳前後になってんだろ M岸に限らず、昔の俳優って、そんなやつ多いだろう。一部の俳優仲間から陰口を叩かれていたみたいだし。
樋〇可〇子とも噂になったらしい、本当のところは分からんが。。。
最初の嫁は12歳年下、次の嫁が16歳年下なので、ずっと年下が好きなんだな。
でも、ユッコは24歳年下で未成年だったから、それまでとは別格的な若さだな。 年下の女性が好きなのもあるけど、年下の女性から好かれるタイプ
だったんだろうね。ユッコはルックスと身体は極上だったから
セックスフレンドにはなりえるけど、精神的には年相応だったから
恋愛対象にはなりえなかった、という事かな。 ユッコは手足短くてスタイルも良くない。ノーメイクの顔は田舎臭い顔。団子鼻だし。
唯一、胸だけ大きい。 不釣り合いに大きかったね。しかも、ウエストはくびれていて細かった。 ユッコは人気絶頂と言われているけど、同時期で見たら、
菊池桃子とかのほうが人気あったし、おニャン子クラブの子たちのほうが人気あった。
サンミュージックによるごり押しでオリコン上位になるように買い支えされていると噂されていた。
そういう意味でタレントとしての人気に限界があった。 ゴンの嫁が険しい顔をしていたのが全てだな。
自分もユッコと一緒に「M岸さん素敵ね」と言っていたもんだから、責任感じていると思われ。
その黒い現場の近くにいたもんだから、覚えていないことにしていたい。 ゴンの嫁さんもその時は18歳なので、当然、世間を知らない。
でも、ユッコの件を見ていたので、その教訓か、
自分は1学年下の口数の多いゴンと結婚したのが、なんともw
M岸と全く違うタイプだもんな。 >>370
>>372
'68年の創業時から芸能事務所「サンミュージック」を牽引し、現在は同社の名誉顧問を務める福田時雄氏は、自らが発掘、育成に関わった桜田淳子をスキャンダルから遠ざけるために、こんな手段をとった。
「桜田淳子の場合は、ウチの所属になったときはまだ中学2年生でしたが、デビュー前から輝いていた。アイドルは誘惑も多いので大変です。
僕は女性マネジャーを付けて、『淳子を守り通せ』と厳命しましたね。行きも帰りも淳子を家の玄関まで送り届けろ、地方へ行ったときは二人でツインの部屋に泊まれ、と言いました。
当時に比べると、今の芸能界のマネジャーとタレントの関係はドライというか、プライバシーを尊重していますね。
2017.09.24
https://gendai.ismed...icles/-/52830?page=2 >>386
水谷麻里は直ぐに漫画家と一緒になったね。
岡田有希子の件もあって事務所も緩くなったのかな?
桜田淳子は事務所が側が男から遠避けすぎて男がいなかったから姉?に紹介されて入信した宗教に男を紹介されてしまいましたからね。 ユッコも女性マネージャーつけて強い監視下に置いていたけど
それでも、その監視網の綻びをM岸に狙われたからな。
ちなみに、晩年のM岸は再婚した2番目の嫁に
新しい男が出来て逃げられ、バツ2になって、最後は末期がん発覚ですぐに死去した。
たぶん、人間性に問題があるんだろう。切れやすかったみたいだしな、親しくなると。 >>349
「おならを我慢する程度の仲」
もし本当にこう言ったのなら、ひどい男だな。
「アイツが自殺したせいで、こっちは好奇の目に晒されて迷惑千万だ」
という被害者意識があったのかも知れないが、インタビューで言う事
ではない。 事件から2か月後の中野記者とのインタビューでは
「俺はロリコンではない」 >>388
峰岸徹さんは離婚後はずっと独身だったようですよ
wikiによると、峰岸徹さんは1977年に結婚され83年に離婚とありその後の記載はありませんからずっと独身だったのではないでしょうか
当時、婚約者がいたそうですが再婚はされなかったようです
その他の記事にも独身とはありますね >>391
そんなことはない。事件があったので、挙式を遅らせて、再婚したとニュースにあった。
あと、晩年には、二番目の奥さんが他の好きな男の人が出きて逃げられたとテレビで告白していたという
書き込みを見た。
よって、間違いなく、再婚はしたけど、相手は一般人だからね。 とにかく、M岸には嘘の情報を出回りやすい。
なぜ、やつを無理にかばうような書き込みが出るのかな?何か、裏のきな臭いを感じる。
やつのせいで全くの無関係の人の都市伝説が出回って、その人たちには大きな迷惑が出たりした。
ユッコ自死事件は、いろんな意味で不可解なことが多すぎるんだよ。
サンの社長と専務で見解が対立していたしな。 >>387
水谷真理さんの場合は事務所も知っていて周囲公認の真剣交際でありましたよね
日本は信仰の自由を憲法で認めていますよ >>393
検索して調べただけですが再婚とはなかったですが >>393
書き込みは決して鵜呑みにしてはいけないと思います
記事やブログもそこに証拠があるかどうか、証拠がない話しは妄想になります
どこで誰が言ったことなのか、出典が求められ証拠があって初めて推理は出来ると思います 記事やブログもそこに根拠や証拠があるかどうかですよね ユッコのお母さんの著書にも、ユッコの自死のおかげで
M岸は挙式が数か月?(夏だったかな?)遅れたと書いてあるから、挙式はしたのであろう。 芸能界は汚れをして平気でいられる人間しかやれない世界
高級コンパニオンと同じ。
芸能人の枕営業の噂!衝撃32選【アイドル・女優・モデル等】【2020最新版】
https://rank1-media.com/I0000485 >>400
嘘書くなよお前
峰岸の挙式が数か月遅れたなんて書かれてないよ
それにお母さんは本に手記を寄稿されただけだよ
お母さんが書いた本じゃないよ それにしても嘘が多いね、やっぱ5ちゃんは便所の落書きか・・・無責任で酷すぎる酷い
嘘だらけ >>403
すまん、岡田さんの子供のころからの写真や絵画、詩、日記なども提供してるな >>402
朝日新聞や野党の国会モリカケサクラ疑惑と同じ。
言いがかりをするだけで、実際はどうなのかも検証することなく、
そう見えてくる現象。 >>401
これヤバすぎる
「噂」と言っても名誉棄損は成立ことすら知らんの?本当に真実であっても原則は成立だし
こんなの例外的正当化事由も全くないよ グーグったら、再婚予定の女性とは破局したのか??
何が本当の情報かどうか分からん。 ユッコの事件は、サンミュージックが日記を隠したから、いろんな情報が錯綜しているんだよな。
佐藤家が保管している日記は、ジサツするよりも、ずっと前に書かれた日記。
ジサツ直前まで書いていた日記のほうは、事務所が保管している。
よって、そっちの日記は、M岸はクロの可能性高いのでは?
だからこそ、再婚予定の女性との結婚も亡くなった?のかな。 >>407
サイトへのクレームはこちらへどうぞ
https://rank1-media.com/inquiry
その他、週刊誌などにも枕記事は度々掲載されるけど
名誉棄損で事務所が動かないのは
記者が何らかの確証を掴んでるからでないの >>412
だから名誉棄損は事実の真偽は問わないんだよ クレームなんて俺は関係ないどうでもいいし
ただ名誉棄損だよと事実を指摘しているだけだ アホか お前えがそう言うなら
誰でも見れるサイトが有るのが可笑しいだろ
はいはいクレームはサイトへどうぞ 噂はどうでもいいが上原美優の自殺だけはどうも下せんな。
書いたと言う遺書も何だかなあ
あれは自分の意志でなく脅されて無理に書かされたメッセージだったのかとも勘ぐってしまうな。 調べたら
なるほど、そういう事か。
【実は、この遺書を専門家が解読した結果、上原さんのものではなく別人のものだということが分かりました。
また、上原さんの出身地には壁面にメモ書きと同じ文字が刻印されている事が発覚し、自殺とは何の関係もないということでした。
それでは上原美優さんが書いたと思われた遺書は誰のものでしょう?その正体は、漫画家である赤星たみこのお父様の遺書であったことがわかりました。】
https://www.hachi8.me/euehara-miyu-truth-of-suicide/ 上〇美憂の自死に関しては、真っ黒な裏がありそうで、怖いな。
というか、ここはユッコに関するスレなので、ユッコの話をしよう。 >>418
どうした?名誉棄損で動くじゃないの?
示談屋君 >>422
こういう馬鹿
震えて待ってろ
こっちゃ他人事や お前の心配をして糞してろw グーグったら、M岸は最初の公の会見で
また後に話すとか言って、その後、何も語っていないという記事をよく目にするのだが、
更にグーグったら、その後も、何度か取材をうけたりして、何度か話しているんだな。
実際にテレビでも喋ったり。。。芸能記者のインタビュー受けたり。。。
結局、真相が分からないので、M岸を処罰しようがないが、
その後も、ファンに脅されたり、白い目で見られたり、本人は精神的にまいってたのかね。。。 これかあ峰岸徹がレイプ殺人鬼で出演したドラマ
当時、パッとテレビを点けたらそのドラマで峰岸が法廷で
裁判官にでもあの女、腰を使ったぜというセリフをいっていたなあ。
40年の歴史に終止符…女優たちが彩った「土曜ワイド劇場」傑作選!(1)樋口可南子が挑んだ幻の名作
https://www.excite.co.jp/news/article/Asagei_76888/?p=2 >>401
枕は世界中の芸能界や映画界で言われてる罠 ユッコの死はあまりにも突然過ぎるものでした。なんて身勝手なの?というのが正直な思いで、心臓をナイフで突き刺されるかの様な感覚は今でも変わりません。 1986-04-08没の岡田有希子の魂が今の時代に生まれ変わっているとしたら、
1986-06-25生まれの松浦亜弥(34)、
1986-10-01生まれの高橋愛(33)、
1986-10-01生まれの神田沙也加(33)、
1987-05-07生まれの紺野あさ美(33)、etc・・・
松田聖子の娘として生まれ変わっていたら、ちょっと面白いな。 >>430
イイカゲンに、その都市伝説は止めておけ。
K田M樹説は。。。
これ書いた雑誌の記者は、、後で名誉棄損で謝罪しているんだよ、当時は。
にもかかわらず、未だに、そのガセネタは宙に彷徨っている。 >>428
30数年経って今更故人を責める方が身勝手じゃないか? あんなぁ、アイツの声で耳腐るねん、いつまでアイツの動画挙げてんねん、YouTubeのアホ共。いい加減にしとけよ。 色っぽい雌豚。永遠のアイドル?他のアイドルに失礼。 86年(昭和61年)4月6日。生前最後のコンサート。
「いつかスキューバダイビングをやりたい」だと。
サメに喰われてしまえばいい。 スーパーマラドーナ
「落ち武者の霊を見た」
田中: 即死やったん?
即死や。
1986.4.8
午前12時15分。
岡田有希子、合掌。 岡田有希子は、神田〜石原プロ〜慎太郎のルートで、当時の自民党の
大物政治家に「あてがわれた」と言うのを聞いた事があります。
これが一回だけなのか愛人的な断続的な関係だったのかは良く判りませんが、
とにかくこれが自殺の一因になったのだと。
これは当時心理カウンセラーの方に伺ったのですが、一度自殺未遂を
起こして助けられた人が、その場ですぐに自殺を試みる、というケースは
かなり珍しいんだそうです。記事によれば峰岸さんは勿論
同じ事務所の聖子&神田の結婚、その後の不可解な幽霊騒ぎも、すべて
大衆の視線を逸らす為の隠蔽工作だったとの事です。 噂話だけでどんどん話を進めてしまう、頭の悪いパヨク話法と同じw
信じる奴は頭のオカシイ奴だけ リアルタイムでは見てないけど
彼女の歌とか動画とかたくさん見たりして
いろんな事を思うようになった。
人間の悩みなんて、何か1つであるわけはない。悩みの大小はあるだろうけど、1つや2つではないと思う。峰岸さんの事も悩みの1つではあったと思うけど、18歳の女の子だから
憧れていたんだと思う。
やはり1番の大きな悩みは自分の思い描いていた世界と違った事じゃないかと思う。
夢のためにひたすら頑張ってきたけど
夢と現実は違っていた。でも悩みながらも日々の仕事を頑張っていた。もちろん寝不足とかもあっただろうし、体力的にも精神的にもきつかったのも事実だと思う。
社長宅を出て一人暮らしを始め、ゆっくりする間も無く東京のコンサート。翌日は故郷名古屋でコンサート。この日に実家で家族と過ごしていた。そしてその翌日4月7日はオフ。映画などを見ているが翌日4月8日の朝には自宅で自殺未遂。
高校を卒業するのを悲しんでいた記事があったけど、高校で同級生と一緒にいるのが唯一自分らしくいられる場所だったんじゃないかと思う。高校卒業と同時に社長宅も出て一人暮らし。
もう1人暮らしを始めた時点で自殺を考えていたと思う。今まで下宿していたから
勝手な事はできなかったが、独り身になって一気にこれまで我慢してきた事が押し寄せて耐えきれなくなったんだと思う。
彼女の歌声や笑顔を見ると本当に
最後はあんな結末になる事が嘘かと思うほど
とても綺麗だし可愛くて素敵な女性だと思う。
飛び降りて倒れている彼女より
幸せそうに歌っている彼女の笑顔をずっと心に残しておきたいと思った。 私は岡田有希子ちゃんのこと好きだったから敢えて言わしていただきますけど、有希子ちゃんは言いたいことも言わない子だったのね。
私はそれが手に取るようにわかって、有希子ちゃん見かければ、かならず自分から声かけて、なにか嫌なことないかとか、言いたいけど言えないこととかあるんじゃないのって。
それにいつもひとりでいるんですよ。メーク室に壁の方に座って、まわりがちやほやして、豪華なものに取り囲まれているんだけれども、凄く彼女はこうあたらず触らずって感じで、
だから、なんでしょうねああいうのは、空気、空気ですよね。でもね、彼女はいつも、コンタクトつけるの好きじゃなくて眼鏡かけて、こう眼鏡かけたままでメークしているんですよ。
私けっこう図々しくて、「ゆっこちゃん」とか言っていくと「わー明菜ちゃん」とか言ってくれたりして、楽しそうに話すんだけれども、あの子ってなんだか影があるんですよね。
声も素敵だったんだけど、「ん」っていう、なにかがいつも残っていて、ちらっとなにか言いたいんだ
よねって。
今でも、本当にね、私がもうちょっと何か出来たのにと思うと悔しいですよ。
有希子ちゃんが亡くなったときは3ヶ月ぐらい、私は仕事も手につかなかった。
私も人を笑わせるほうが好きなほうでいつもニコニコしてたから、そのギャップに凄く耐えられなかった
んですよね。
なんかこう、私が全部悪かったんだって思っちゃって、なんであの時、分かってあげられなかったんだろうって、オジさんが死んだときよりも自分を責めまくっていた。
私もこのまま立ち上がれないかなあと思ったくらい悲しかったですね。だからその影が見えてたのに、
淋しかったんですけどあとにわかったのに。何か言いたいんでしょうって、もっとお節介でも聞いてあげて
たらとか言ってみたって、きりがないんですよ。
あの時、こうしてあげればもしかしたらとか思いますね。
明菜さん連れていって下さいよ、行こうねとかいってたのに、向こうから連絡くるだろうと思ってて私が
連絡してれば良かったとか思って、全部に悪く、悪く、考えるんですよ。あの時は、ほんとに辛いものがありましたね。
平成7年2月10日付 夕刊フジ
トークエッセイ ふかしぎ歌姫 中森明菜
゙影゙があったあの岡田有希子ちゃん ビキニのグラビア撮影される度に、自分のオッパイの谷間を見て
沢山の男、特に自分より年下の中学生にズリネタにされるんだろうな、
とか考えて、鬱になってたんだろうか? Re:minder - リマインダー | 80年代音楽エンタメコミュニティ、エキサイティング80’s!
「岡田有希子の変化、7枚目のシングル「Love Fair」の謎めき具合」
https://reminder.top/629455477/ >>448
30年経っても今でも誰にも興味を持たれない奴が何か言っとるなw 岡田は84年のレコード大賞で、最優秀新人賞を受賞した。同賞を争ったひとりに、岡田と同じ4月にソロデビューした1歳下の荻野目洋子がいる。彼女が眠っている成満寺(愛知県愛西市)の住職は、成満寺でたびたび荻野目の姿を目撃し、ある時、彼女がアメリカのお土産として一冊のノートと鉛筆を納骨堂に残していったことを覚えていた。一見、どこにでもあるノートだったが、目立たないように後ろから数枚目に荻野目自作の詩と、サインが書かれていた。そのエピソードを荻野目にぶつけた。
「当時、私自身も彼女の死を受け止めきれてはいなかった。心にぽっかり穴が開いたような……。詩については覚えていません。たぶん、その時の私にはそういう形でしか感情をうまく表現できなかったんだと思います。今ならブログやツイッターにその気持ちを書いたんでしょうが。強い精神力と少女の魅力を併せ持った歌手でした」
岡田と同年齢のアイドルで、堀越でもクラスメートだったのが南野陽子だ。南野は、デビュー直前の高校2年生の3学期に堀越に転校した。岡田は、既にヒット曲を飛ばしていた大先輩だった。「学校で顔を合わせる機会というのは、実は少なかったんだけど、お互いに忙しかった卒業の年(86年)の2月、二人して出席日数が足りず、学校で机を並べて自習していたことがありました。その時に『ナンノちゃんはこれからどうしたいの?』とか、『ドラマの撮影っていうのはね……』とか、そんな話をいっぱいしてくれました。それはね、彼女が姉さん肌だったとか、世話焼きだったとかいうのではなく、彼女が抱え込んでいたものをはき出すための、“ゴミ箱”が私だったんだと思う。仕事現場に行けばたくさんの方に囲まれるけれども、年配の方も多く、本音で会話できる仲間って少ないんです」
死の直後、岡田が死を選ぶにいたった真相を巡り、様々な臆測報道が流れた。
「堀越の同級生とは今でも集まるし、ユッコの話もしますが、自殺の真相みたいな話はしません。みんなそれぞれに何度も振り返って、分析したはずだけど、どれが本当の理由かわからないし。ただ、世の中で言われているようなこととは違うなって思ったりします」
同時代を生きたアイドルとして、死後30年が経っても岡田がファンに愛される理由を、南野は次のように考察する。
「アイドルとしての彼女が裏切ることがないからじゃないかな。劣化したなって思われることもないし、誰かのお嫁さんになったわけでもないし……彼女が変わらないでいてくれるからこそ、愛され続けるのだと思います」
3年という短い時を駆け抜けた岡田は、自ら死を選ぶことで永久のアイドルとなった。
※週刊朝日 2016年4月15日号より抜粋 斎藤学のメッセージ2018年1月23日現代家族の問題点とその展望のなかで次のように言っています。
「〜例えば少年の自殺、殺人、一番多かったのは終戦後です。戦後15歳から19歳の犯罪について見れば、殺人だけて数百件ありました。いまは百件足らずというのがずっと続いて、今年もまた去年より減っています。
凶悪犯は減っています。それから自殺も去年までは減っていました。青少年の自殺は、岡田有希子というタレントが死んだときににちょっと増えましたが、だいたい、人口10万対5くらいで、少ないです。
子供の自殺はフランスの方が多いです。だから、マスコミが言っている子供の犯罪増加、凶悪化、自殺の増加というのはみんな嘘。〜」 斎藤学(精神科医、実業家、医学博士)のメッセージ2018年1月23日現代家族の問題点とその展望のなかで次のように言っています。
「〜例えば少年の自殺、殺人、一番多かったのは終戦後です。戦後15歳から19歳の犯罪について見れば、
殺人だけて数百件ありました。いまは百件足らずというのがずっと続いて、今年もまた去年より減っています。
凶悪犯は減っています。それから自殺も去年までは減っていました。青少年の自殺は、
岡田有希子というタレントが死んだときににちょっと増えましたが、だいたい、人口10万対5くらいで、少ないです。
子供の自殺はフランスの方が多いです。だから、マスコミが言っている子供の犯罪増加、凶悪化、自殺の増加というのはみんな嘘。〜」 誰だって「死」は怖い。よほど勇気がないと自ら命を絶つなんてことはできない。ではなぜ、自ら死を選ぶ人がいるのか。
「そこには共通する病気があります。それが『うつ病』です」
うつ病になりやすい人の性格には二つあるという。一つは、まじめで責任感が強く、完璧主義者なタイプ。
もう一つは、人前では社交的で明るいが、一人になると孤独感に襲われるというタイプ。後者は特に人に心を開いて苦しい胸の内を打ちあけることができない。
一人で抱え込み、どんどん自身を追い詰めていく。
https://news.yahoo.co.jp/articles/35a1d83443208360059162bfcc84079089f9f937 >>454
WHO(世界保健機関)によると、自殺した人の97%には、うつ病や躁うつ病などの気分障害や、アルコール・薬物依存、統合失調症、パーソナリティー障害など、精神医学で診断がつく病気があった。
「これは、遺族への聞き取り調査の結果からわかったことです。医療機関にかかっていた人はもちろんですが、かかっていなかった人も、同じようにうつ病などの精神医学的な病気がありました」 >>55
>新宿歌舞伎町、深夜3時すぎ。42歳の中年俳優と18歳のアイドル。
>二人に何が起こったのかは想像するしかない
ちょっと酷い記事だね。
全体的によく調べて書いてる記事けど間にこういういい加減な想像を挟むから噂に尾ひれが付くんだろうね。
この時まだ社長宅に下宿してたんでしょ。
門限あるのにこんなの行けないじゃん。
一度門限破ったらしいけど午前3時に歌舞伎町でホテル入ってから帰ったら門限破りというより朝帰りになるでしょ。
>雨足は強くなり、人々は家路へと急いだ。傘を持たない少女の上着は雨粒でどんどん黒くなる。その袖先をつまむようにして何度も顔を拭った。
>その頬はすでに涙で濡れていた。
そもそもこのプロローグの遠藤康子の記述も酷い。
お母さんがやってる喫茶店を出てから遺体発見まで目撃情報はないのになんで泣いてるのが分かるの?
プロローグだから情緒的に想像で書いたんだとしても真実の中にこういうのを挟むのは止めてほしいね >>457
社長の自宅の下宿生は毎朝、社長とマラソンしていたから朝帰りしたらすぐ分かるね。他のアイドルの子もいたしね。すぐバレるわな。あり得ないだろうね。 『’68年の創業時から芸能事務所「サンミュージック」を牽引し、現在は同社の名誉顧問を務める福田時雄氏は、自らが発掘、育成に関わった桜田淳子をスキャンダルから遠ざけるために、こんな手段をとった。
「桜田淳子の場合は、ウチの所属になったときはまだ中学2年生でしたが、デビュー前から輝いていた。アイドルは誘惑も多いので大変です。
僕は女性マネジャーを付けて、『淳子を守り通せ』と厳命しましたね。行きも帰りも淳子を家の玄関まで送り届けろ、地方へ行ったときは二人でツインの部屋に泊まれ、と言いました。
当時に比べると、今の芸能界のマネジャーとタレントの関係はドライというか、プライバシーを尊重していますね。』
伝説のマネジャーたちが語る「70年代のハチャメチャ芸能界」
2017.09.24
現代ビジネス 講談社 より >>458
書き込んだあと考えたのですが、共演してたということで特別に深夜の外出許可が出てた可能性もあるかなとも思いました。
何せマネージャー抜きで社長宅へ送らせるのを許してたくらいですからね。
ある意味、信頼していたのかもしれませんね。
ただ、深夜のイベントに10代の女の子を一人で行かせるのを許可するかどうかは微妙。
半プライベートなのでマネージャーや付き人はないとしても芸能人友達が一緒じゃないとOKしないんじゃないのかなと思います。
もし歌舞伎町へ一人での深夜外出をOKしてたのであれば、良く言えば大人として認めてた(信頼していた)、悪く言えば親御さんから預かった身としては少々管理がずさんかと。
前々から思っていたのですが、人格者として持ち上げられている相澤社長ですが、同業者と所属タレントへの対応の差が感じられますね。
岡田有希子さんを追い詰めるまで働かせて情緒不安定になってもなおスケジュールを改善しない。
他方、自宅に住まわせるまでして可愛がる。
知っててやってたならサイコパスだし、スケジュール諸々を部下に任せてたのなら監督不行きと思える。
言い方は悪いですが、血統書付きの犬猫を都合良く可愛がる人に似ている。
まあ当時のアイドルの待遇はみんな似たり寄ったりだったようなので、それが業界人としてのスタンダードな対応だったのかもしれませんが。 >>459
70年代はしっかりやってたけど80年代になって面倒臭くなったのかね?
松田聖子さんや早見優さんと人気者が続々と出てきたから一人一人に構っていられなくなったのかな。
もしくはタレント毎に福田さんマターor相澤さんマターと領域があったのでしょうか?
自由しても大丈夫な早見優さん、自由にさせないとダメな松田聖子さん、ある程度自由を奪ってしまってもメンタルケアが必要な岡田有希子さん、個別に対応を分けてほしかったですね。
今さらですし、芸能事務所のプロの方々にこんなことを言うのは失礼かもしれませんが。 >>460
深夜の外出許可はあり得ない。社長は事務所所属のアイドルを我が子のように育成したかったから自宅に
下宿させていたということだし、未成年者を無制限に深夜も自由に行動させて、もし何か問題が起これば
それこそ事務所の大責任問題になる。事務所の信用は地に落ちる。親御さんにも顔向け出来ない。
普通に考えれば、人様の大事な子供を預かっているのだから事務所はきちんと責任をもって所属アイドルを管理育成するでしょうね。
事務所は、有希子さんの芸能界入りを反対していたご家族を「お嬢さんを3年間だけ私たちに預けてください。3年かけてたとえ売れなかったとしても、
立派になった、成長したと思って頂けるように育ててお返しします。」と話して親を説得したということです。社長の責任は重大ですね。
そして、アイドルにとってスキャンダルは命取り。一回のスキャンダルでアイドルは終わりです。せっかく獲得したポスト松田聖子の大切なドル箱商品でもある岡田有希子を
事務所としては、変な虫も付かないように、問題が起きないようにと大切にしっかり守るのではないでしょうかね。
岡田有希子には複数のマネージャー、スタッフが付いていたということです。 >>462
おっしゃる通りで事務所の体面上の方針はそうなんですが、結果を見ると現実とは相違があるかなあと思ってます。
岡田有希子さんは悲しい結果になりましたし、松田聖子さんはデキ婚だったりと。
私生活の領域なので致し方ない点もありますが。
最もそもそもこの歌舞伎町のイベントの話って信頼性があるんですかね?
多くのブログ記事で報じられてますが皆さん引用なんですよね。
元祖の記事は何なんでしょうね?
確認してみたい。
複数人が目撃しているからと信頼性があるように書かれていますが、それが誰なのかハッキリしてないんですよね。
他の話題ではタクシー運転手とか電話相手のアイドルは名前までハッキリしてるのに。
このイベントで必ずリンクされる内容が「手紙の手渡し」なんですが、「渡しただけ」となってるのもあれば 「渡したがその場で破り捨てた」というのもある。
(「破り捨てた」はどうも後日の峰岸会見の内容がごっちゃになっているような。)
で、私が変だなあと思ったブログに至っては途中で二人して消えたとなってる。
私的には当時多数発生したいい加減な話題に尾ひれが付いたのかなと思っています。 ユッコの事件は、サンミュージックが1冊の日記風のノートだかを隠したから、いろんな情報が錯綜しているんだよな。。。 1986年3月21日の深夜に、M岸の主演の映画の試写会に
岡田有希子が封筒をもってM岸のところに駆けつけて、手渡ししているところが目撃されている。
何でも、その日のM岸は些細なことでもスタッフにきれて、イライラしていたらしい。
もしかしたら、一度、門限を破って、社長に怒られたというのは、その時かもしれない。
ただし、その後の話の流れを見ると、その時の密会は、どうもM岸に振られたんでは?と思われる。 M岸の試写会の話は、たぶん、上之郷 さんとかいう社会派のジャーナリストの
書いた本にあったんじゃないの?
この時は1986年3月21日〜22日の深夜なので、高校は卒業していて、
事務所の管理も甘くなりだした時だろうね、おそらく。
ちなみに、その翌日、1986年3月22日には、モノマネ番組かなんかのゲストで
番組収録があったので、その時に何か異変があったというのを、どこかで見た。 >>464
この試写会に駆けつけたって話自体が嘘だったんじゃないかと思っていました。
ただ、事務所の建前(しっかり管理・責任を持って預かる等)を持ち出されると、実態(躁鬱が激しいと感じながらも放置・共演俳優と2人きりで送らせる等)からちょっと納得できなくなりました。
しかし、 >>467 で話の出展が出てきたので事実なのかなと思うようになりました。
あんまり信じたくはないけど。
>>465
私もそう思います。
もっと言えば相澤社長も福田専務も日記風ノート以外も含めて一切だんまりを決め込んでくれればよかったです。
実際は夕刊紙とかにたまに話していてそれも曖昧な持論でなおかつ相澤社長と福田専務で見解が別れてるので余計やきもきしてしまう。
>>466-467
私としては門限破りにしては朝帰りは強烈過ぎるかなと思っています。
18歳とはいえ女性が連絡無しに帰って来なかったら一般人なら捜索願いが出されてもおかしくない事態でしょう。
これでその後何の対応もしなかったのなら管理が甘くなってたんでしょうね。
キッパリ振られたとして自殺未遂までの半月間はだいぶタイムラグがありますね。
自殺前日に電話口に婚約者が出てショックを受けたのが自殺未遂の引き金との見方もありますが、その直前のアイドル友達との電話までは様子に変わりが無かったらしいのでちょっと引っ掛かります。
半月間何も行動を起こさなかったのか、忙しくて何もできなかったのか。
どちらにしても彼女の心境を考えると可哀想でなりません。
モノマネ番組の話も耳にしますね。
ただ、番組を見たことないので私は何とも言えませんが。
>>464-467
色々と煮え切らない書き方になってしまって恐縮です。
あまりスキャンダラスな話は信じたくない反面、そういう話に限って出所が分からないので色々と伺いたいと思っています。 >>466-467
>私としては門限破りにしては朝帰りは強烈過ぎるかなと思っています。
補足するとイベントの時間的に朝帰りに近い時間なるので門限破りで括るのは無理がありそう。
私としては撮影帰りに一緒に飯を食べた辺りか、(考えたくないですが)何かしらの関係があったのならその時かなと思っています。 >>469
自分も「何かある」としたら、撮影期間中のほうが考えられる。
3月21日の試写会の時点は、M岸はユッコに対して逆に迷惑していた頃だろうし。。。
それで、あのドラマの撮影期間って、いつからいつぐらいなの? 当時の週刊誌の話は全く知らないので。。。
自分が彼女の存在を知ったのは、ワイドショーで彼女のジサツの報道を見てから。
しかしながら、私はコドモだったし、芸能界に興味なかったので、
生前の彼女の活躍もほぼしらず、彼女と名前と顔が一致しないくらいの認識だったので。 週刊誌のたった一度の門限破りがいつのことなのか、よく分からない。 >>471-473
試写会に来られてイライラしてたのならその日に関係があるとは思えないですよね。
その頃にはM氏としては会いたくくらいでしょう。
クランクインは分からなかったですが1月中旬に打ち上げをやってるので前年末で撮影は終わってるでしょうね。
撮影期間中だけの関係なら彼女のなかでは大分尾を引いていたんだなと思います。
撮影後もとも思ったのですが彼女は相当忙しかったらしいし、M氏は近所とはいえ親や娘と同居なのでまあ無理でしょうね。
私も当時の彼女に対する知識や印象はあなたと全く同じです。
子供でまだアイドルに興味を持つ年齢でもありませんでした。
ネット社会になる90年代末までは自殺をしたアイドルという印象でお顔よりあの写真だけが唯一のイメージでした。
その後ネットで彼女のプラス面のイメージが湧いてYoutube等で歌ったり話したりする彼女を見てファンになりました。
それからは普通に時々CDを聴いたり動画を見る程度でしたが、コロナで投稿動画が増えて色々思うところが出てきて書き込みをしました。 M岸は最後まで自分は関係ないと言い続けて、しまいには、
「オナラを我慢するぐらいの中」
「言えないこともあるしね」
「俺はロリコンじゃない」
とまで言ったからね。
もし、クロだったら、相当、冷酷な性格の持ち主だよね。 白黒に関わらず冷酷でしょうね、この人。
事実関係の有無に関わらず死者に対してそんな発言をするんですから。
それと自己保身。
これについては分からなくもないですが。
あえて庇うとすればいつまでも付きまとって同じことを聞いてくるマスコミに対してイラついて出てしまった言葉かもしれませんね。
あと当時の俳優特有の尖った対応だったとか。
紳士的に対応して恋愛関係性のところだけちゃんと否定すれば良かったのにイライラする性格が災いしたのかと思います。
ちょうどジャニーズの大御所が無期限謹慎になりましたが彼も30年前の会見でヒンシュクを買った一件をいまだに蒸し返されてますね。
M氏も死ぬまで色物扱いになってしまったので恋愛関係の有無に関わらず、結果的には不謹慎で誠実さに欠ける発言の責任は取らされたのかなと個人的には思っています。 色々と私見を書き込みましたがもう止めることにしました。
最初はいい加減なweb記事に対して怒って書き込んだのですが、最終的には知識がない私が私見を書き込んでいるのも同様だなと思った次第です。
書き込んだ疑問が彼女を冒涜しているようになっていて恥ずかしい次第です。
怒らせてしまった方、色々と紳士にご意見をいただいた方、本当にありがとうございました。
そしてごめんなさい。
しばらくロムに戻って次は良い面の書き込みをするようにします。 一応、当時の出来事を調べたら
彼女の死の直後に、M岸が夜の帰宅時に自宅前で、
その一か月後くらいにテレビの取材で、
更に一か月後に芸能記者が独占取材で、
計3回、M岸は釈明インタビューがあったんだな。
その3回のうちで、徐々に言っていることが変わっていた。 >>478
当事者両人故人なのにそんな憶測詮索して何が面白いんだ? YouTubeが無かったら、完全に忘れ去られるところだった。
実際に彼女の死後、10年くらいは殆どマスコミの露出はタブーだったから。
でも、ちょうど、その頃からインターネットが普及しだし、
死後20年目くらいから動画共有サイトが普及し、生前の動画が出回りだした。
今では、彼女の死後に生まれ世代のファンもいるぐらいだ。 >>481
本当にタブーだったか?
ただ、出す機会がなかっただけじゃないのか? >>482
後追いジサツする若者が増えて、テレビ局が自粛した影響が大きいと思う。
週刊誌、ワイドショーでは騒がれたけど、ほとぼり冷めたら、
彼女の映像を自粛するようになった。 岡田ちゃんの死後の、峰岸氏の会見にしても芸能記者のインタビューにしても、それは峰岸氏の一方的なコメントですからね 岡田有希子はなぜ死んだか
上之郷利昭著
新森書房, 1986.10 岡田有希子の自死はテレビに速報テロップが出たんだよな。ちょうど、笑っていいとも見てるときに出て、ファンじゃなかったけど凄いビックリした。人気アイドルでオリコン1位獲った直後くらいだったし、以前から彼女の名前や活躍はそれなりには知っていたからね。あれは衝撃は凄かったな。 様々な人が様々な記事を書いたり説を話したり岡田有希子さんを貶めるかのような悪意を感ずる記事もかなりあったりと、色々だからね確かに
見極めが大切、見極め出来るか 人の内面なんて複雑で他人がおいそれと決められるものでは無いしハッキリとは分からない、いや、ほとんど分からないものなんではないだろうか。他人のことを簡単に決めつけられるものだろうか。きちんとした証拠や根拠が大切だと思う。
無責任に分かるかのように決めつけたように書き込んでいる人は本当に十二分に気を付けないと、岡田有希子を傷付けて愚弄する事になってしまう恐れあり。(そして、アンチなど悪意を持った人に利用され、更に尾ひれが付くなどしてそれが拡散していく恐れ可能性も) とにかく客観的に広く情報を見ていくことだし、そこに証拠や根拠、整合性や説得力があるかなどに基づいて見ていって、判断して行かないと、自己本位な妄想や勘違い、そして思い込みの方向に行ってしまう危険があるよね。そして、岡田有希子を傷付け、愚弄することになってしまう危険性があるよね。 因みに、自分が書いたものをコピーしてここにも貼り付けました >>500
俺が書いたけど問題ある?
昔はファンじゃなかったしね 今週発売の週刊朝日の「篠山紀信が撮った特選表紙72」にユッコも選ばれてます。
新聞広告の名前の羅列にも出てて久しぶりに活字で “ 岡田有希子 ” を見れて個人的に感動しました。
載ってる表紙画像は1985年の1月か3月のものでした。
ちなみに巻頭カラーだけど1ページに12人分くらい詰め込まれているので画像も小さく、個別に取り上げられている訳でもないです。
写真も大人っぽく撮られているのであまり良さが出てないなと個人的には思ってしまった。
当時を知りたい人も懐かしさに触れたい人もよろしければどうぞ。
まずは立ち読みで確認することをおすすめします。
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=22618 「愛をください」(1988年7月1日朝日出版)にお母さんが寄せた手記には、あくまで岡田有希子の片想いだったと証言していて、峰岸氏は彼女の自殺の原因ではないと、むしろお詫びの言葉まで添えていますよ。彼女の遺書や日記などをお母さんはちゃんと読んでいますから、これが真実ではないでしょうか。 サンミュージック社長とアイドル評論家が語った、岡田有希子の゙あの日゙とベッキー事件 2020.12.31
https://biz-journal.jp/2020/12/post_195667.html >シンデレラ メモリアル
>岡田有希子の死を追って、多くの若者たちが自からの命を断った。いったい彼女の死にどんな意味があったのだろ
>彼女の日記中に、こんな文章がある。断っておくが、もちろん、これは峰岸徹と会う前の日記である。
>あなたの声が聞きたい いつも一緒にいたい
>やさしく肩を抱いてほしい
>だけど あなたに しつこい女だと思われないかしら きらわれないかしら
>そんな不安が頭をよぎる
>自分の気持ちに素直になれない
>あなたを愛しすぎてしまったから
>母・孝子さんの指摘するように、恐らくこれは彼女がイマジネーションの中で、描いていた恋心に対する気持ちだろう。
>だが、夢の世界の恋愛の中でも、彼女の気持ちは積極的ではなく、悲観的である。 >>515
「岡田有希子はなぜ死んだか」
上之郷利昭著
新森書房, 1986.10 岡田有希子を巡る3つの4月物語
https://reminder.top/381145006/https://reminder.top/381145006/ 加トちゃんケンちゃんごきけんテレビに出てたのには意外
亡くなる直前だったんじゃないのかな?
https://youtu.be/CVsvAxb08rg >>514
旺文社の模試で全国1位になったことあるなんて凄すぎるね。頭の良さ本物じゃん。ユッコは東大もねらえたんじゃないのかな >>463
松田聖子と郷ひろみの交際というのは、聖子さんがデビューしてから2年目に入り一人暮らしをしていた時に交際が始まったんですよね。
岡田有希子の場合はデビュー当時から社長宅に他のアイドル仲間数人と共にずっと下宿生活をしていました。そして早朝6時からは社長とみんなでジョギングをするのが毎日の日課だったのだそうです。
ちなみに、有希子ちゃんが一人暮らしを始めたのは高校を卒業した後の4月4日、亡くなる4日前からですよね。 松田聖子は高校3年の7月に中退して上京し、サンミュージックの寮に入って堀越高校に転入、歌手デビューは高校卒業後の80年4月ですね
ちなみに、郷ひろみとは85年1月に破局。神田との婚約は85年の4月。6月に披露宴。 >>523
社長や専務の話によると、マネージャーを岡田有希子と同じマンションかまたはその近くに住まわせる準備をしてる矢先だったそうですね、岡田有希子の自死は。
事務所としては、一人暮らしの岡田有希子を守ろうとしてたんですよね。 福田専務はM岸はシロだと言っているけど、故・相澤会長はM岸はクロだと言っている。
どっちが正しいのか分からない。 もしユッコが生きていたら、『はいからさんが通る』と『アリエスの乙女たち』『ガラスの仮面』の実写版は南野陽子や安達祐実ではなく
ユッコが主役だったはずです! >シンデレラ メモリアル
>岡田有希子の死を追って、多くの若者たちが自からの命を断った。いったい彼女の死にどんな意味があったのだろ
>彼女の日記中に、こんな文章がある。断っておくが、もちろん、これは峰岸徹と会う前の日記である。
>あなたの声が聞きたい いつも一緒にいたい
>やさしく肩を抱いてほしい
>だけど あなたに しつこい女だと思われないかしら きらわれないかしら
>そんな不安が頭をよぎる
>自分の気持ちに素直になれない
>あなたを愛しすぎてしまったから
>母・孝子さんの指摘するように、恐らくこれは彼女がイマジネーションの中で、描いていた恋心に対する気持ちだろう。
>だが、夢の世界の恋愛の中でも、彼女の気持ちは積極的ではなく、悲観的である。 キチガイ一家302岡田 午前4時から騒音女 女のわめき声 謝罪なし 出ていけ 今日中に引っ越せ! この世から消えろ! >>250
ストーキング?人聞きの悪い言い方は改めろ!
誤解が生ずる言い方は故人に対して失礼だ サンミュージック社長とアイドル評論家が語った、岡田有希子の゙あの日゙とベッキー事件 2020.12.31
https://biz-journal.jp/2020/12/post_195667.html 過去に戻れるなら止めたいね
35年前の今頃は何を想っていたのだろうか... イベントなどで撮影したビデオが結構あった
20年以上前になるが、テープの経年劣化や保存を考えると
デジタル化をしたほうがいいと考えていた時期があった。
そして当時そっち方面は詳しくなかったので、
ファンサイトにある掲示板でデジタル化のアドバイスをもらおうと書き込んだが
「デジタル化はとんでもない」「アナログのままがいい」「勝手にデジタル化するのは違法」
だと言われ賛同は少数だったのでデジタル化はあきらめた。
諦めずにデジタル化をしておけばよかった。
YouTubeなどの動画サイトでもユッコの映像を見ないようにしていたのだが、
最近沢山あがっていることを知った。しかし、自分が持っていたのは、イベントで撮影したもの
永遠に見ることが出来なくなってしまった。
84年当時はビデオカメラなんて持っている人は珍しかったからなぁ
たまたま近くに来ていた時見てからだんだんはまっていったな
そのうち隣県だけじゃなくちょっと遠出しては撮影するようになってた
デジタル化していたらみんなにも見てもらえたのかもしれないのに惜しいことをした
それにしても35年か……もうそんなに経ってしまったんだな >シンデレラ メモリアル
>岡田有希子の死を追って、多くの若者たちが自からの命を断った。いったい彼女の死にどんな意味があったのだろ
>彼女の日記中に、こんな文章がある。断っておくが、もちろん、これは峰岸徹と会う前の日記である。
>あなたの声が聞きたい いつも一緒にいたい
>やさしく肩を抱いてほしい
>だけど あなたに しつこい女だと思われないかしら きらわれないかしら
>そんな不安が頭をよぎる
>自分の気持ちに素直になれない
>あなたを愛しすぎてしまったから
>母・孝子さんの指摘するように、恐らくこれは彼女がイマジネーションの中で、描いていた恋心に対する気持ちだろう。
>だが、夢の世界の恋愛の中でも、彼女の気持ちは積極的ではなく、悲観的である。 稀代の霊能者と言われた宜保さんの霊視では有希子ちゃんが自殺したのはたったひとつの理由ではなくて様々な因縁が絡み合って、あんな悲しい結果になってしまった。と。つまり地縛霊、家相、母方の不成仏霊などが重なって自分もまた死の方向に導かれてしまった。と。
有希子ちゃんはとても頭の良い方でした。そして、普通の人にはない感性を持って生まれていました。
享年18歳。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 旺文社の模試で全国1位を取ったこともあるそうだ
第15群の菊里 向陽で受験 合格 >>539
15群合格なら相当な学力だと言える。
ちなみに岡田有希子の地元は金山の近くらしいので通学の便も考えると向陽高校がベストで、菊里はちょっと遠いけど交通の便は悪くないので通えなくはない。
14群の昭和は菊里に比べるとちょっと交通の便が悪い >>540
佐藤佳代が受験した当時は、名古屋市バス77系統(金山-星ヶ丘)という直通バスが走っていたのだよ
つまり菊里高校へも向陽高校へもバス1本 ラストシングルが初のオリコン1位になって人気が更に上昇していましたね。
賢くて、性格も良くて、可愛らしい素敵なアイドルでした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
安らかに 岡田有希子は16~18歳だったんだよね。思春期まっただ中の高校生だったんだよね。大反対していた両親を説得して有希子ちゃんを芸能界に入れた事務所は責任を持って未成年の彼女を全力で守らなくちゃいけなかったんだよなー。守って欲しかった >>546
『’68年の創業時から芸能事務所「サンミュージック」を牽引し、現在は同社の名誉顧問を務める福田時雄氏は、自らが発掘、育成に関わった桜田淳子をスキャンダルから遠ざけるために、こんな手段をとった。
「桜田淳子の場合は、ウチの所属になったときはまだ中学2年生でしたが、デビュー前から輝いていた。アイドルは誘惑も多いので大変です。
僕は女性マネジャーを付けて、『淳子を守り通せ』と厳命しましたね。行きも帰りも淳子を家の玄関まで送り届けろ、地方へ行ったときは二人でツインの部屋に泊まれ、と言いました。
当時に比べると、今の芸能界のマネジャーとタレントの関係はドライというか、プライバシーを尊重していますね。』
伝説のマネジャーたちが語る「70年代のハチャメチャ芸能界」
2017.09.24
現代ビジネス 講談社 より
事務所サイドは岡田有希子を厳しく守っていたはずなんだけどね
社長の自宅に下宿させていたんだし、毎朝6時から社長とアイドルとでジョギングしていたというし、岡田にもマネジャーが複数人付いていて普段から買い物とかでさえマネジャーが同伴してたらしいし。 淳子は同居していた姉の勧めで統一教会に入信してしまった。 日本国憲法第二十条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。 ファティマのスレで発表しといたよ。
岡田有希子については伏せたけどね
秋田の聖母が示す最後の日
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1621077800/
22 名前:101回の涙は東日本大震災と新型コロナと見事にシンクロした。 2021/06/12(土) 23:46:20.50 ID:WbU3m2SN
ファティマ第三の預言を考察する
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1561761947/
155 名前:101回の涙は東日本大震災と新型コロナと見事にシンクロした。 2021/06/12(土) 23:34:46.32 ID:WbU3m2SN
ファティマの聖母マリアは3人の子供達の前に現れ
ルシア、ジャシンタ、フランシスコの三人に預言を託し
秋田の聖母マリア像が流した涙の数101回を
ジャシンタの誕生日1910年3月11日から101年目の2011年3月11日が
東日本大震災・原発事故の日となった。
そしてフランシスコは当時の疫病スペイン風邪で1919年に亡くなった。
それから101年後が2020年で3月11日はWHOが新型コロナのパンデミックを世界に宣言した日である。
そしてジャシンタも当時の疫病スペイン風邪で1920年に亡くなった。
その101年目が今年の2021年である。
東北の秋田の聖母マリア出現はファティマの預言の延長預言である。 私は岡田有希子ちゃんのこと好きだったから敢えて言わしていただきますけど、有希子ちゃんは言いたいことも言わない子だったのね。
私はそれが手に取るようにわかって、有希子ちゃん見かければ、かならず自分から声かけて、なにか嫌なことないかとか、言いたいけど言えないこととかあるんじゃないのって。
それにいつもひとりでいるんですよ。メーク室に壁の方に座って、まわりがちやほやして、豪華なものに取り囲まれているんだけれども、凄く彼女はこうあたらず触らずって感じで、
だから、なんでしょうねああいうのは、空気、空気ですよね。でもね、彼女はいつも、コンタクトつけるの好きじゃなくて眼鏡かけて、こう眼鏡かけたままでメークしているんですよ。
私けっこう図々しくて、「ゆっこちゃん」とか言っていくと「わー明菜ちゃん」とか言ってくれたりして、楽しそうに話すんだけれども、あの子ってなんだか影があるんですよね。
声も素敵だったんだけど、「ん」っていう、なにかがいつも残っていて、ちらっとなにか言いたいんだ
よねって。
今でも、本当にね、私がもうちょっと何か出来たのにと思うと悔しいですよ。
有希子ちゃんが亡くなったときは3ヶ月ぐらい、私は仕事も手につかなかった。
私も人を笑わせるほうが好きなほうでいつもニコニコしてたから、そのギャップに凄く耐えられなかった
んですよね。
なんかこう、私が全部悪かったんだって思っちゃって、なんであの時、分かってあげられなかったんだろうって、オジさんが死んだときよりも自分を責めまくっていた。
私もこのまま立ち上がれないかなあと思ったくらい悲しかったですね。だからその影が見えてたのに、
淋しかったんですけどあとにわかったのに。何か言いたいんでしょうって、もっとお節介でも聞いてあげて
たらとか言ってみたって、きりがないんですよ。
あの時、こうしてあげればもしかしたらとか思いますね。
明菜さん連れていって下さいよ、行こうねとかいってたのに、向こうから連絡くるだろうと思ってて私が
連絡してれば良かったとか思って、全部に悪く、悪く、考えるんですよ。あの時は、ほんとに辛いものがありましたね。
平成7年2月10日付 夕刊フジ
トークエッセイ ふかしぎ歌姫 中森明菜
゙影゙があったあの岡田有希子ちゃん >>547
一次ソースは知らないけど
一度、ユッコが門限を破って、社長がユッコを叱ったことがあったらしい。
それが峰岸と関係あるのかは知らないけど。。。 あの時下は人通りが多かったらしいから巻き添えの人がいなくて本当によかった 動画でも見たけど、86年4月8日12時15分、岡田有希子が自死した直後の全てのテレビ局のワイドショーは急遽、番組内容を変更して彼女のことを報道していたし、梨元氏は生放送でサンミュージックに突撃レポートをやっていた。
NHKを含めた全テレビ局の夕方や夜のニュース番組でも岡田の訃報を報じていたし、久米宏のニュースステーションでも岡田のニュースを報じていたよ。 岡田さんは芸能界へ入ったことを後悔していた。「なんでこんな世界を選んじゃったんだろう。」日記に書いていた。
岡田さんは過密スケジュールによる睡眠不足などで過労で点滴を打ちながら仕事をしたり、入院することもあった。 かつて、日本医師会のドンといわれたT会長の所にクエン酸の絶大な効果を、長田 正松氏(国連政治文化大学名誉教授)が話しにいったところ、
 
T会長は、クエン酸はだめだめ、もしクエン酸が世の中に広まったら、医者も病院も薬屋も廃業するしかない。
 
クエン酸が一番良いのはすでにはっきりと判っている、しかし安すぎて商売にならんし、第一、医者がいらなくなるので、とんでもないことだ、といったといいます。 成満寺でのトラブルと言うか、ノートに書き込んである内容が酷いのは覚えてるよ。
書き込みが破られて無くなったり、マジックで黒く塗りつぶされたり
当時、御住職は一部の人達が悪さしてる。と仰ってた。納骨堂のユッコへの御供えが直ぐに無くなるとかは日常茶飯だとそんな事するのは特定の人だとずっと思ってたけど、ペンキ塗布事件やファンミーティングの遺品展示とかグループとして姿が見え始めて、やっと全貌が見えて来た感じですね。
天罰が降りそうでなにより。 >>558 〜 >>561
閉鎖なんて名目だけで、命日に期間限定とかいってチャッカリ復帰してたよコイツ 動画でも見たけど、86年4月8日午後12時15分、岡田有希子が自死した直後の全てのテレビ局のワイドショーは、急遽、番組内容を変更して彼女のことを報道していたし、梨元氏は生放送でサンミュージックに突撃レポートをやっていた。
当日、NHKを含めた全テレビ局は、夕方や夜のニュース番組で岡田の訃報を報じていたし、久米宏のニュースステーションでもしっかりと岡田の訃報を報じていたよ
久米宏氏は岡田についてコメントしてたし、番組コメンテーターとも「一体何があったんですかね」と話していたよ 福田専務が「なんてことをしてくれたんだ!!」って有希子に怒鳴ったって読んだ覚えがあるんだけど誰か知らない?
それ考えると死ぬつもりなかったのに2度目の自殺をしたってしっくりくるんだよ。 >>568
私は聞いたことがないですね。
ただ、実家に戻るか提案したくらい気を使ってたようなので怒鳴ったとは考えずらいです。
もっともどの話も我々にとっては伝聞なのでなんとも言えないですけどね。
とにかく当時のマスコミは推測や誇張で記事を書いてましたから報道自体も鵜呑みにできないですしね。 >>569
ありがとうございます。
じゃやっぱり違うのかなあ。
あの時、目を離すなってあれほど言われた付き人とか何してたんだろうとか色々思ってしまう。
責めたって仕方ないけど。
ユッコがもう終わりだって思った決定的な何かがあったんじゃないかといまだに思ってしまうんだよね。
青山での未遂も警察は来たわけで秘密裏には出来ないわけだし。 >>563
岡田由希子の自殺って今で言う過労自殺みたいなもんだよな
一週間前に遠藤康子が飛び降り自殺したのにも影響されてそう
今改めて考えてみると原因が明らか過ぎて逆に怖いくらい 今となっては分かんないけど、じゃあユッコは芸能界をどういうところだって思っていたんだろう。
どうなりたかったんだろうね。
デビュー前の日記にはベストテンに出て賞レースに参加とかかなり具体的に書いていたよね。
デビュー日がなかなか決まらなくて賞レースに間に合わないじゃないかみたいな現実的なことも書いてた。
かなり自分に自信があったんだなとびっくりしたものだ。
アイドルになりたいくらいだから明星や平凡などは当然読んでいただろうし、松田聖子、河合奈保子、田原俊彦たちが睡眠時間なしで分刻みで活動していたことを知らなかったわけじゃないだろうに。
憧れてやってみたけど性質的に表現者という職業が合わなかったということかね。 そりゃ知ってただろうけど実際にやったら想像を絶するものだったんだろう
芸能界に憧れてる人達がデビューのチャンスを掴んだときに「分刻みのスケジュールですよ」って忠告されても「じゃあ辞めときます」って決断する奴はゼロ人だと思うよ
実際デビューして人気が出ても引退したり休養したりする芸能人なんて過去に腐るほどいた訳だし
それでも入りたいと思うのが芸能界だろうし、やってみないと分からないのが芸能界なんだと思う
で、仰るとおり性質的に合わなかったんだろうね
頭がいい人だったので色んなこと考えられた分辛かったんだと思うよ
そして素直な性格だった分、大きな反発もできなかったんだろうね
語弊がある書き方になってしまうけどあなたが上げられた面々は何も考えなかったから突っ走れたんだと思う
他の長く続いてる芸能人も良い意味で何も考えないでやり過ごしてるんでしょうね 最近、松田聖子について語る若松宗雄のインタビュー読んだけど「引きずる性格だとこの世界では難しいから」っていろんなこと引きずりまくっていたユッコを思い出したよ。
聖子が前に「この世界に入ったばかりに普通の女の子なら見なくていいものもたくさん見た」と言っていてほとんどの芸能人ならスルーできるところをユッコはできないとかあっただろうね。
お母さんも精神的に強い方じゃなかったしそういう性質を受け継いだかもしれないのもあって色々総合するとユッコは全く芸能界に向いてないんだよね。 最期の決定打が、M岸さんに遊ばれて捨てられたことだろうけど。。。
でも、あの日記の感じからして、M岸さんは本当に最初はユッコに興味がなくて
ユッコのほうから好きになったみたいだし。
それにしても、あれだけ真面目で潔癖症の女の子が、よりによって
プレイボーイの40代バツ1で子持ちの俳優のことを好きになるなんて。。。
芸能界への情熱を失いながら、でも、芸能界にどっぷりの男に依存するようになるとは。 「超豪華!!スタア同窓会」 2010年7月6日(火)放送
堀越3D同窓会(1986年卒)
https://youtu.be/WD928nPF9uw たぶん優しくしてくれれば誰でもよかった様な状態だったんじゃないのかね
それがたまたま峰○だっただけでもしかしたら他の俳優やアイドルだったかもしれない
相澤元会長の夕刊紙のインタビューで二人でいたら体を寄せてきたのでとっさに離れたというのがあった
元会長が女性にだらしない人だったら相手は会長だったかもしれない
残念でならないのはその時に何かしらの手を打っていれば未来は変わっていたかもしれない
自宅に下宿させてまで可愛がってたのにそういう点の配慮が足りない
管理してたわりには峰○の車に二人だけで乗せてしまうとか杜撰な対応が多々見受けられる
最も今の価値観で過去を批判するのは卑怯かもしれないけどね
性格や恋愛なんてのはどうにもならないだろうけどスケジューリングと体調・精神管理は事務所次第でどうにかなったと思う >>577
補足ですが身近な人にすがってきていたのは精神的な拠り所を求めていたんだと思います
上の私の書き方だと読みようによっては肉体的に依存しようとしてたように捉えられそうなので
頼れる人として年上の男性に向かっていたのかもしれないけど精神的に支えることが出来るのであれば女性芸能人でもよかったのかもしれないですね
歌番組やアイドル番組だと短時間での接点しかないから難しいけど連続ドラマとかで良い先輩女優さんとかに出会えてればね
先日、樹木希林さんと浅田美代子さんの長きに渡る交流の話を見たので、男女関係無くそういう人が現れていれば上手く乗り越えられてたかもしれない
神様がいるのなら男女ともに良い出会いを与えてあげて欲しかった 10代のアイドルはやっぱり何かしら親のサポートが必要なんだよね。
聖子は早い段階で両親が上京してきてすごく守られていたもん。
ユッコも両親どっちか来て欲しいって言った。
精神的な拠り所が欲しかったんだよね。
夫婦仲が悪かったというから別居してお母さんだけでもユッコのそばにいてあげられていたらなあ。
病気や色んな事情で名古屋を離れられなかったんだろうし、まさか死ぬなんて思わないから分かってはいるけどもしかしたらって思っちゃうよね。 岡田ちゃんはオリコン1位をとって更に人気が上昇してたね
それなのに・・・。
岡田ちゃんは父親との間にトラウマがあった可能性があるし、
内面も含めて何があったか本人しか結局分からないからね 動画でも見たけど、86年4月8日午後12時15分、岡田有希子が自死した直後の全てのテレビ局のワイドショーは、急遽、番組内容を変更して彼女のことを報道していたし、梨元氏は生放送でサンミュージックに突撃レポートをやっていた。
当日、NHKを含めた全テレビ局は、夕方や夜のニュース番組で岡田の訃報を報じていたし、久米宏のニュースステーションでもしっかりと岡田のニュースを報じていたよ
久米宏氏は彼女のことをコメントしてたし番組コメンテーターとも「一体何があったんですかね」と話していたよ >直後の全てのテレビ局のワイドショーは
当時のワイドショーの放送時間知らないからこんなレスできるんだろうな
まして梨本の事務所侵入の映像が生放送って・・・
あまり揚げ足取りみたいなことはしたくないけどYouTubeで見た内容に故意では無いにせよ憶測を入れるのは今後ここを読んだ人が勘違いをするのでやめてほしい
そんなのが積もり積もっていまだにユッコに対して変な誤解が生じているので 1986年4月8日の
笑っていいともや小堺一樹の番組の動画
落ちてないかな? 最後まで関係を否定し嘘を付き続け、その後も何事も無かったかの様に俳優活動を続けた峰岸徹はクズだった。 >>581
梨元氏の突撃取材というのは、日本テレビの「酒井広のうわさのスタジオ」14時50分ー15時45分放送のワイドショーだね
当日の4月8日に番組内容を変更して梨元勝の現場突撃取材の模様を放送していたね
他にTBSの「3時にあいましょう」やフジの「3時のあなた」も急遽、内容を変更して岡田有希子のことを放送してたね
どの局も4月8日の当日にしっかり放送していたね >>585
梨元氏が昼に取材したVをワイドショー内で放送したんだね >>584
峯岸は「高校教師」でサンミュージック所属の桜井幸子と共演している
峯岸が岡田を弄んで死に追い込んだならこんなことは有り得ない
しかも役柄は近親相姦する父娘 例のスレ2つを1年間観察してたが何の進歩もない人達だった
坊主がどうかしてるのはさておいて粘着してる奴も同じ穴の狢にみえる
ただただユッコが不憫だね ゴンゴン祭りで自分の頭をゴンゴンしてしまったのだろうよ ドラマて共演した赤座美代子さんはユッコについて「とてもナイーブな子でねぇ」
ナイーブ
「飾りけがなく素直な様」「純粋で傷つきやすい様」「単純で未熟な様」「やさしい」という意味で使われる。 やっぱり優しい人だねぇ
荻野目洋子@oginome_info
そして久しぶりにお寺にも寄らせて頂きました。
ファンの方達がいつも綺麗にされているのを見て、素晴らしいなぁと思っています✨。
私は何も出来なかったけど、今も何もわからないままだけど、皆さんと同じように日々を生きています。
彼女に報告しながら、私自身も心の中で祈り続けています。
12:40 PM ・ Mar 7, 2022
https://mobile.twitter.com/oginome_info/status/1500677821144141824
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