森友問題の赤木さんを殺したのは創.価学.会?
ヘリコプターというのはやりすぎ防犯パトロール問題で、
生活安全警察がノイズキャンペーンで被害者に聞かせるやつ。
赤城さんも生前、集団ストーカーされてた
www.mbs.jp/4chantv/news/scoop/article/2021/05/083922.shtml
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特命取材班 スクープ
"森友文書改ざん"存在を明確にしようとしない『赤木ファイル』「夫が命を懸けて残したもの」国は5月6日に"存否"を回答
2021年05月05日(水)放送
抜粋
俊夫さんの手帳には連日、深夜まで残業が続いていたことが記されている。
【俊夫さんの手帳より 一部抜粋】
『7月18日 頭が重い 胃もたれ感』
『7月22日 夜眠れない』
俊夫さんはちょうどこの頃、うつ病を発症し休職を余儀なくされた。
(赤木俊夫さんの妻 雅子さん)
「幻覚ですね、耳も全然音がしていないのに『僕の悪口を近所中の人が言っている』とか、『表に検察が来ていて見張られている』とか、ヘリコプターが通れば『僕の家を見張りに来ている』とか」
当時、雅子さんは俊夫さんから改ざんについては明確に知らされなかったという。そして、2018年3月2日に改ざん問題が報じられた。 >>2
誰かに似てる気がすると思ったら、耐震偽装の姉歯じゃないかw
彼も創価だったし頭髪偽装も同じww
tps://anohito-genzai.com/wp-content/uploads/2018/06/ane4.png テンプレもよく読まずに書き込んだけど、赤木さんの奥さんが言ってたように、被害妄想だったのでしょう。
警察のノイズキャンペーンとかでは無いでしょうw
改竄指示などで、佐川に追い詰められた経緯はあるでしょうが。 こんなことやってもヤクザの名前で確率変動だった奴らが人生笑っただけ
他人の人生舐めんなよカス 無いツ
塙宣之(はなわ のぶゆき 1978年3月27日 - )(43歳)千葉県我孫子市出身、佐賀県佐賀市育ち。血液型A型。身長173cm。体重69kg。龍谷高等学校、
創価大学経済学部卒
ボケ(歌ネタではツッコミ)・ネタ作成担当。立ち位置は客から見て左。
土屋 伸之(つちや のぶゆき 1978年10月12日 - )(42歳)千葉県船橋市出身。血液型AB型。身長179cm。体重78kg。船橋市立古和釜中学校
創価高等学校、創価大学経済学部卒。 2011年に東京都小平市に引っ越してきた外山いますぐ死ね
庭に糞犬出したままにすんじゃねーよ
糞犬の吠える声が近所中に響いてんだよ
散歩に連れてくなら糞犬と一緒に出てけや
なんで糞飼い主は犬の吠える声が近所中に響いてるなとか
周りに迷惑かけてるなとか考えないんだ?
犬飼ってる奴らは本当に頭おかしいと思う ここには重要な情報がいっぱいあるみたいだね.
なぜなら創価学会員がうんこちんこスレを上げるからwww
なにかマズい事があるんだろう 創価が絡んでなきゃ
あそこまでタブーにならないんじゃないかなあ? 改竄するように圧力をかけた、佐川宣寿元国税庁長官の方か。 森友学園問題は創価学会が安倍晋三を潰すために仕組んだ。 赤木俊夫さんが亡くなった直接の原因は、立憲民主党の杉尾秀哉・小西洋之の両議員が、死亡の前日に赤木さんの元へ押しかけて何時間も問い詰めたこと。
安倍元総理は無関係、公明党は確かに問題まみれの政党だが、この件には無関係。 アメリカのカトリック聖職者は精神世界を二つに区分し、一方には聖書に啓示された教義をそのままに置いて、議論の余地なくこれに服するが、政治の真理はもう一つの世界にあるとし、ここでは神はこれを人間の自由な探求に委ねたと考える。
アメリカの聖職者は市民的自由を全面的に支持し、信教の自由を認めぬ人々をさえそれから除外しない。しかしながら聖職者が特定の政治体制に支持を与えることはない。彼らは注意深く政治問題の局外に立ち、党派的関係に巻き込まれない。
私自身の信仰から、カトリックの聖職者にはとくに近づき、その中の何人かとはやがて親しい間柄になった。そのうちの誰に対しても、私は自分の驚きを語り、疑問を打ち明けた。すると、これらの人々の意見が違うのは細部に関することだけであるのが分かった。誰もが、この国における宗教の平穏な支配の主要な原因を、宗教と国家との完全な分離に帰した。私は、アメリカ滞在中、この点で考えを異にする人間には、聖職者と平信徒とを問わず、ただの一人も出会ったことがないと言って憚らない。
聖職者自身の考えを調べてみると、この人々の多くは自発的に権力から遠ざかっているようであり、その外に立つことに一種の職業的矜持をもつように見えるのに気がついた。
彼らは野心と不誠実に対しては、それがどんな政治的意見を装おうとも、口を極めて非難した。だが、彼らの話をよく聞いてみると、人が真面目に信じるものであれば、政治的見解を理由に神の前で罪とされることはありえず、政治において過ちを犯しても、家の建て方や畝のつけ方を間違えるのと同じく、なんら罪ではないと言うのであった。
彼らはすべての党派から注意深く距離をとり、個人のあらゆる利害を傾けて、党派との接触を断っていた。
『アメリカのデモクラシー』トクヴィル 宗教がその力を、万人の心を等しく捉える不滅への希求の上にのみ基礎づけようとするとき、それは普遍性を目指しうる。だが宗教が一つの政府と一体化してしまえば、特定の国民にしか適用できない教えを採用しなければならぬ。こうして宗教は、一つの政治権力と結ぶことで、ある人々に対する力を増大させ、万人を支配する望みを失う。
宗教があらゆる不幸を隔てなく慰める感情にのみ支えられる限り、それは人類の心を引きつけうる。宗教が現世の恨みつらみと混じり合うと、愛というより利益で結びついた宗教の同盟者を守るだけのものになってしまうことがある。そしてしばしば、宗教をなお愛しながら宗教の同盟者と激しく戦う人々を、敵に回さねばならなくなる。宗教が為政者の物的なカを分かちもてば、必ずや為政者のかきたてる憎しみの一部をも身に引き受けねばなるまい。
ある宗教がその力の源を、歴史のあらゆる時代に同じように繰り返し現れる感情、本能、情熱に見出している限り、それは時の挑戦をものともしない。少なくとも、別の宗教によってしか滅ぼされぬであろう。だがそれが現世の利益の支持を得ようとすると、地上のあらゆる権力とほとんど同じように脆弱になる。独りでいれば、永遠を期待できるのに、束の間の権力と手を結ぶと、その運命の後を追い、しばしば権力を支える一時の情念とともに滅びる。
だから宗教は種々の政治権力と手を結んでも、厄介な同盟関係に入るだけである。宗教が生きるために政治権力の助けは要らず、政治権力に仕えれば、宗教は死ぬかもしれない。
アメリカの聖職者は他の誰よりも前にこの真理を認識し、行動をこれに一致させた。彼らは、政治的権力を得ようと思うならば、宗教的影響力を放棄しなければならぬことを理解し、政治の有為転変を共にするよりは、その支持を失う方を選んだのである。
ヨーロッパの不信仰者は、キリスト教徒を宗教上の敵というより、政治的な敵として追及している。彼らは誤った信仰という以上に、一党派の意見としてキリスト教を憎むのである。聖職者の中に権力の友を見てこれを退けるのであって、神の代理人を拒むのではない。
『アメリカのデモクラシー』トクヴィル