日蓮ってver.53
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
前スレ日蓮ってver.52
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1580479266/
「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 絶版の四条金吾の漫画然5巻に
法然だったかなトチ狂って人肉食ったとかあったがマジこれ?
創価お得意のプロパガンダか? 建長5年に日蓮が立宗宣言したそうですけど〜
日興が立正安国論の写本に天台沙門日蓮勘之と
書き込むとかどういう理屈なんですか業者さん! おっと失礼、大石寺にある安国論写本は無記名のようだ
http://www.kujhoji.or.jp/houwa/sub9_1.htm
@日興写本
「天台沙門日蓮勘之」とある。
玉沢妙法華寺蔵。
A日興写本
富士宮大石寺蔵。 文部科学省は、日本史教科書『立正安国論』を日蓮が
北条執権に提示し、諌め云々の記述を削除すべきだ。
もしもその記述が有るならだが、私はその様に習ったと記憶する。
『朝鮮人学校に補助金は出さない』と同じ程度の目方が在る情報だ。 >>186
『朝鮮人学校に補助金は出さない』などと叫ぶのは、犬畜生の糞のヘイトでしかないが、
先ずは、大正天皇により日蓮を立正大師などとした号を取り消すべきだ。
右翼軍国主義者や日蓮主義者によって、国家主義に都合良く利用するために、でっち上げられて贈られた号でしかない。
断固撤回以外ない。 推察するに、おおかた、田中智学のような偏執日蓮主義者によって煽られて立正大師号は贈られたのだろう。 日蓮は天台沙門として国主諌暁したんだけど
後に都合が悪くなったので変更したという事で
よろしいの?人間革命書き換えてる人達の原点かw 釈迦程度の仏にはやすやすとなれる BY日蓮
この御文は日蓮の弟子の改竄か?
お釈迦様なめんなよ!解脱できたのは人類で釈迦とキリストしかおらんわ キリストが解脱?笑
クリスチャンに怒られるよ w
三位一体も知らんのか? イエスは、神の子として
マリアに宿ったんだよ。
参照:
ルカによる福音書1,26-
宗教に無知だね〜。 >>195
キリストには弟が居てるぞ、お父さんは
どうやって種付けを成したか?
キリストは普通の男女関係で生まれた人さ、
我が佛のみ尊しを見る思いが、此処でもあるね。
人は行為の顕われによって現在が在り未来へ進む。
此れを業と言うのだ。
人が生きる根本的な欲求は自己の幸福実現と追及と言える。
其れはあらゆる生き物に共通する。
日蓮氏も同様に自己の幸福を追求した事には違いない。
但し、菩提心、悟り、涅槃と言う様な仏教上の課題を捨てて、法華専門の
流派を立てることに躍起になる、つまり形を世間に顕すのが眼目に成る。
私度僧輩が寺院、僧侶、寺領などを権門に強要するとは不届き至極と島流しの憂き目。
日蓮氏は蒙古襲来を、千載一遇の機会と捉えて運動した様子、
其れを観るにここでも日本の危難よりも自己の打ち立てたい、
法華宗樹立の方が大事らしいのが透けて見える浅ましさ。
現代なら彼には誇大妄想狂とか何とか精神疾病の診断が付くと思う御仁。 日蓮によると疫病が蔓延る原因は南無阿弥陀仏念仏にあるんでしょ?
んで、現代人で南無阿弥陀仏唱えてる人っているの?
欧米でも南無阿弥陀仏唱えているからコロナウィルスが蔓延してるの?って話だ 文底に沈めて万人救済のお経って超限定的だわ
信者は屈伸運動の如く励むが良いよ 釈迦が説いた最高の法華経を信じず
間違った宗教を信じてるから国が荒れるてのが日蓮の独自解釈、独自見解
念仏のせいでもないし法華経が最高ならコロナ収束させろって話だ
戸田も他の宗教にも少しはご利益あると認めてるしな
仮に日蓮が正しいとしても弟子が色々教え改竄してるし
釈迦までさかのぼり純度の高いまっとうなオリジナルは存在しない 成仏、菩提、涅槃、寂静、是等は皆が葬式の用語じゃない。
この境涯を得ようと日々務めるのが僧侶の本分。
ところが、日蓮は己の宗旨を掲げる寺、領地、弟子などを時の
権力者に強要し挫折の連続の後に野垂れ死に。
時は移り替わる、今の世の中にいわゆる悟りを得ようと題目を上げる人の名を
私は知らない。
日蓮宗や創価学会そのものに悟りを得ようとする意志が感じられない。
此れを外部から要求することが既に過分な要望と思う。 池田大作先生が最高なの!
師弟ふにゃなの!
解らんかな?
朝鮮人参バンザイ!
創価学会マンセー!
君も人生の勝利者ニダ。 >>201
池田大作を前面に押し出し継続中の創価幹部は
宗教詐欺グループ。
原田の悪相はその現証、臨終の相ばかり見て判断するんじゃないよ。 >>203
残念が過ぎる反論風の意見投下。
長年に亘って人を騙し、己が利得を考えてるとあんな嫌な面構えに
変じるものだ。
10年前は大作の飼い犬、其の犬が飼い主の手を嚙み、脚に食らいつき。
大作先生はすっかり権限や発言する場を失った『様に見える』
主従共々碌なもんじゃない事はお約束いたします。
東京タワーは日本で二番目に高い鉄塔です!くらいの確度でお約束します。 >>202
駄腹ん怪鳥センセは、
笑顔の特訓中!修行中。
であります故、
如是相が悪いのは、お許しくださいww 相から始まりその因が縁となり果を結びます。
創価学会は本末、苦境等かもしれません。
その行いを知り行く末を察せんとすれば先ず面構えを観て、次に声を聴け。
歩く姿、飲食時の姿勢、人の因と縁の活動を見れば、彼が何を望み、その得失は
十如是に現れる通りなのです、人相学が実は人生学であり仏教の生命的活用であることを知るべし。
さて代表者の面相は? >>207
あんなに太るってぇのは人助けに走りまわってる
宗教家の体形じゃないねぇ、見苦しいよ。
近くで(ほんの3メートルほどの離れた距離)尊顔を拝した
或る友人が曰く「ミートボール」ってもんだなぁ。
誰の事を言ってるか?アレの事さ、池田さんの事は陰でアレって社員が言うておったじゃないか。 緊急事態宣言が出た後の行政的・法的・地方自治的な解決策を
それぞれの身勝手な、金と利権と得票と経済圏での圧力に屈する体制で
これだけ国民を失望させている現状を見るに
自民党と公明党は次回、下野する。
国民の半数が選挙に興味が無い、そんな浮動票が動けば日本は、どうなるのか?
ここは創価・公明党は「年越し派遣村」での日本共産党さんの様に
公共性と社会的道義を示し会館の解放など、分かりやすい形で有権者にアピールすべきでは無いだろうか?
自民党が下野しても小池百合子都民ファーストのような朝堂院大覚総裁というケツ持ちを失った
谷川副会長と佐藤浩副会長は誰と連立を組むか?分かっているのだろうか?
自民党も創価学会も公明党も今が勝負だ。
年越し派遣村にて社会福祉政策を見事に形として残した日本共産党さんに
今回も負けるなら公明党の支持率は低下するのは確実。
がんばれ、創価学会! >>208
むしろ甘い汁を吸ってるのが教祖だけなら健全な団体ではないだろうか
庶務の女(喜び組?)をはべらせても豪勢な暮らしをしても
活動の中心となる地域とかブロックで動いてるひとたちには
何の恩恵もない 信濃町では現在報道されているまでで
18人が感染発生
創価学会・公明党の皆さん
気をつけて下さい
ご油断無く >>211
海外送金でスイスに個人預金を9400億円積み上げる。
それは池田氏の手持ち金ではなく、法人である宗教団体、
創価学会の運営資金であれば業務上横領であり、司法、
司直からの追及はあってしかるべき性格の金銭だ。
組織ぐるみで行った横領行為とみなすのが妥当ですね。
信仰は人にとって大事な心の支えですが、わたくしは現実の「犯罪行為」について
指摘しました。
これは皮肉を大いに超えた私的です。 池田氏は、長年掛けて日蓮正宗を金で買い取ったと信じ込んだ。
ところが世間には己と相違する価値観を持ち、生きる人たちがいるのだ。
そんな簡単なことに気が付かない池田氏とは、
多分、自分の周囲をすべてイエスマンで固めつくし、意のままに動かす。
坊主なんてのは、カスみたいなものでまるで金を稼げない無能力者と見下したのだと、
わたくしは池田氏の心中を忖度する、金を出せば、ただただ受け取る乞食坊主扱いだったのだろう。
激怒、憤怒、激高、焦燥が高じて、とうとう池田氏は世間の表から消えたじゃないですか、
等々とわたくしは思うのだ。 >>173 法華経には五時教説と四時教説がある。
これが今まで表沙汰にならなかった、
意表を衝いた五時教判の真実なんですね。
で、五時教説の方が間違ってたんよw
それはね、五時教説の元ねたになってる、
十世紀朝鮮半島文献である、天台四教義には、
ひとめでわかる、明らかな嘘が書いてあるからで、
(天台四教義)
五法華涅槃時。是爲五時。亦名五味。
天台大師が経典を仕分けた五味のたとえは、
五時の仕分けの別名 (同じもの) である、
と書いていながら、その同じ行には、
なぜか? 法華経が五時教、とある。
ところが天台大師の法華玄義は、法華経が四味(熟蘇) であり、
天台四教義のこの行のルール説明に従えば、
五時判釈=五味のたとえ、だから、天台大師の四味分類は
法華経四時説になってしまい、五時ではない。
天台四教義は、このたった一行の中に、
明かなムジュンを書いている二枚舌文書なわけで…。
で、このデタラメ文書を元に成り立っているのが、
とくに信濃町が騒いでいる五時教判なるもので、
ねた元の原文がデタラメなら、五時教判もとーぜんデタラメでしょ。
四時の法華経は爾前経になるから、功徳がゼロだと思うんだけどな−…。 >>162 この最明寺殿が文応元年には存在してない問題も意外で、
でもこれで立正安国論の幕府提出三点セット、
文応元年、最明寺殿、宿屋入道、三つの要素すべてにおいて
インチキ臭いのが、たいへんよくわかりました。
〇安国論ワードで、御書から抽出した年表…。※蒙古蝶状の完全後出しです。
1260年文応元年7月 立正安国論を幕府に提出 (と八年後から言い始める)。
1261・・・
62・・・
63・・・
64・・・八年間、安国論についての記述がない
65・・・
66・・・
67・・・
…
1268年1月 (文永五年)蒙古蝶状が届き、戦は避けられず。←予言は後出し。
同年4月 安国論御勘由来、←安国論幕府提出話はここで初めて書かれ…。
〇北条時頼年表…。※文応元年には最明寺ではなく覚了房の名乗り。
A. 1256年、時頼は最明寺で出家し、覚了房道崇と号した。
B. 1260年、文応元年に立正安国論を、最明寺殿に上奏した。
C. 1263年 最明寺北亭で死去、享年37 戒名は最明寺道崇。
〇宿屋 / 宿谷問題、※取次人の名前の漢字を、七年間も間違え続ける。
1268年4月、屋戸野と当て字表記 (耳で聞く音の名前しかしらない)
1268年8月、宿屋と表記をあらためて以降八年間、宿屋表記がつづく。
1275年、撰時抄には宿谷と漢字が改められ、以降宿屋 / 宿谷ともに消える。
※撰時抄以降は、最明寺殿に上奏だけで、取次人の名前が省略されてます。 >>186
これは、文科省に文句言うのは少し違うらしくて、
You Tube に自民党の有村治子議員が歴史教科書の内容を
文部科学大臣に国会質問するというのをやってて、
そこで文科大臣が驚愕の答弁をするんだけど。
教科書会社が勝手にやってることで、文科省は知りません…。
えーーっ! みたいな話で、教科書検定はいったい
なんのためにあるんだろうか?
ということで文科省は完全な二枚舌で、
もしトラブルになっても教科書会社に責任を押し付けて、
トカゲの尻尾切りで、逃げる気満々みたいですよ。
>>174
大正蔵検索が原文で、日蓮教の嘘つき解説を原稿という。
それと漢字コードのまま涅槃経を貼ってるヤツ…。 そもそも、日蓮はなぜ法華経を絶対視したのか。
仏教経典は、八万法蔵と呼ばれる程、膨大な量に及ぶ。
中国では、印度から伝来したこれらの諸経典を分析・比較し、
それぞれの経典の目的を明らかにし、全経典の序列の体系化を試みた。
当時の中国仏教界では、南三北七と呼ばれる教相判釈が受け入れられていた。
南三北七とは、中国南方の三師と、北方の七師とをいう。
天台智は、これらの従来からの教説を研究し尽くすとともに、その当時の
仏教学の最高峰といわれた光宅寺法雲の説も研究し尽くした。
智が『法華経』を八万四千の諸経の王であるとするのは、智顕の
独断による自説ではない。
従来の諸説に批判を加え、論破すると当然、「法華経最上」との自説に
帰結するしかないことを、自著の三大部よって明解に説き明かしたのである。
天台智は、これら長年の研究成果を踏まえ、法華経を唯一最上の教えとして
仏教全体を体系化した。
その後、この解釈は広く受け入れられ、日本でも伝教大師、最澄によって
引き継がれていった。
日蓮は、この天台と伝教の正統な継承者を自任している。 では、他の教え・経典と比べて法華経の何が勝れているのか。
日蓮は法華経の卓越性について、以下の2点を挙げている。
(1)法華経のみが一切衆生の成仏を説いた。
法華経以外の経典では女人や二乗、畜生等、成仏できないと決定された
衆生がいたが、法華経は教理上からも、その差別を打ち破り、一切衆生が
平等に成仏できるとしたのである。
(2)法華経のみが仏が久遠の昔からこの娑婆世界において、一切衆生の成仏を
説き続けてきたと明かした。
仏は、久遠の昔から娑婆世界に繰り返し現れ、法華経を説いてきたのであり、
永遠に一切衆生の成仏を説き続ける存在であると、法華経は明かした。
この「久遠実成」の仏を、釈迦と区別して「法華経の教主釈尊」と呼び、
印度生誕の釈迦を「始成正覚」生身の釈迦として、法華経を説く
仏の一人に過ぎないと相対化したのである。
では、阿弥陀仏はどうか。
日蓮は、阿弥陀仏は娑婆世界の仏ではない、と批判した。
娑婆世界の我々を仏にしようとした師匠の教主釈尊を捨てて、異世界の
仏を信仰するのは不知恩であり、法華経では地獄に堕ちると説かれていると、
日蓮は痛烈に批判した。
しかも、娑婆世界を離れ、異世界の仏を渇仰するがゆえに浄土教の
教主たちは自殺するのだ、と過去の記録をもとに弾劾した。
日蓮の他宗批判は、法華経と他経典の比較、信仰の根本とする仏の比較
さらに過去の論文や文献 に基づく論理的なものであった。 そして、日蓮は法華経信仰の再興を目指し、念仏僧との闘争を開始する。
しかし、その闘争は決して宗教の枠内に収まるものではなかった。
日蓮の意識は、為政者に向けられている。
日蓮は、為政者が称名念仏を止め、法華経を根本とした政治を行うことで、
世は安穏になると確信していた。
日蓮は、国に起きる災害と為政者との関係を次のように記している。
「今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば
之を諍うべからず国主・小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし
大禍ありと云う事を」(法蓮抄)
日蓮が目指す法華経信仰の再興には、まず為政者による法華経信仰が必要であった。
これは現代の民主社会に生きる者には、多少なりとも違和感のある思想に
うつるかもしれない。
しかし、仏法が、そもそも国家の安穏を目指したものである以上、
為政者の信仰を最優先したのは当然の帰結であった。
日蓮の主著が「立正安国論」であり、為政者に提出した建白書だったのも、
この文脈から理解する必要がある。 「立正安国論」は、漢文の中でも特に華麗な文体とされる四六駢儷体(しろくべんれいたい)で書かれている。
当時、この文体を使いこなした日蓮の知力の高さは、驚愕せざるを得ない
レベルであったと言えよう。
その内容は、客と主人の問答形式で書かれ、はじめに客が、天変や
飢饉・疫病による死者で、骸骨が道に溢れている様子を嘆き、
この国の衰えは、何の禍によるもので、何の誤りによるのか、
と主人に尋ねるところから問答が始まる。
客を幕府の最高権力者に見立て、日蓮が主人となって、客の質問に答えながら、
世の乱れを正す方途を主人が授けていく。
ここで驚くのは、主客の立ち位置である。
日蓮は、幕政に対する指南者であることを当然として、これを書いている。
そして、受け取る幕府側にも、その構図に異議を唱えた形跡は見られない。
当時、僧侶が上位の立場から幕政を指南することが、それほど不自然なもの
ではなく、僧侶の立場が現代よりも格段と政治的に上位だったことが伺える。 そもそも法華経は、聖徳太子の時代から、諸経の王、諸経中第一と呼ばれ、最重要視された特別な経典である。
源頼朝も、熱心な法華経信者として有名である。
当時の法華経信仰の修行法は、経典の受持・読・誦・解説・書写である。
つまり、法華経の入手と所持、読経、暗唱、解説、書写することが法華経の修行であり、法華経信仰だったのである。
しかし、この時代、専門家が書写したり、版木で刷って華麗に表装された経典を入手するだけでも、莫大な費用が必要であった。
加えて、漢文の経文を読み、暗唱し、解説し、書写する教養が、法華経の修行には求められた。
結果的に、既存の法華経信仰は、特別な教養と財力がある貴族にしか許されないものになっていたのである。
当時、圧倒的多数を占めていた下層民(農民・下人)は、幼少期から生涯にわたって肉体労働に従事し、
文字を読めるものは皆無に近かった。こうした人々に、法華経信仰は無縁なものであった。
また、平安末に急速に力をつけ一躍、鎌倉時代の主役となった東国武家にあっても、漢文を読むことは難しかったようである。
多くの御家人が、漢文の読み書きができる貴族を文官として抱え、政務・法務にあたらせていた。
法華経信仰は、漢文に慣れ、教養と財力に富んだ貴族には当たり前だったが、東国の土着の武家にすんなりと
受け入れられるものではなかったのである。 日蓮提唱の南無妙法蓮華経は、彼の唱えたお祈りの声と見る時、
さて法華経の本尊はどなたでしょうか?
わかりやすく言うと、仏説阿弥陀経は阿弥陀如来、オンアビラウンケンの真言は
大日如来、禅宗は釈迦、天台は釈迦、阿弥陀、薬師等々。
法華経の誰を本尊とすべきなのか?わたくしには分からないのです。
観音様で良さそうなんですが。
今一つ信者が増加しない原因とも思われます。 そのような時代に現れたのが、南無阿弥陀仏と唱えるだけで、誰でも極楽往生できると説く、浄土宗であった。
しかし、浄土宗を興した法然(源空)は、称名念仏(南無阿弥陀仏と唱えること)だけが唯一、極楽往生する
道であり、称名念仏だけに専念しなければならず、それ以外の信仰は往生の妨げになるから捨てなければいけないと、
称名念仏への専修(一つの修行だけに専念すること)を求めたのである。
これには、仏教界のすべての既存宗派が猛反発をした。仏教界は他宗を否定する専修念仏を邪教であると断じ、
さらに幕府に念仏禁制を徹底するよう直訴していた。それにより、幕府も念仏の禁止を命じたのである。
しかし、法然の浄土宗は、この激しい反発と禁制を乗り越えて、大変な勢いで広まっていった。やむなく朝廷は、
法然を流罪にして、浄土宗の波及を押さえようとしたのであった。
法然が浄土宗を興したのは1198年で、讃岐に流されたのは9年後の1207年。この9年間は、鎌倉では1199年に
頼朝 が没し、その後、北条氏が着々と権力を掌握して北条義時が1205年に執権となった時期と重なる。
法然が流罪されても浄土宗の勢いは止まることはなかった。念仏の流布は衰えず、幕府の禁制を凌駕して広まっていった。
鎌倉においても道教(念空)らの布教によって、称名念仏は武家社会に急速に広まっていったのである。 法然チームは流罪やら死罪やらいろいろあって
法然を流罪にした後鳥羽上皇も流罪
日蓮は単なる劣化コピーでパクリパクリ言われるから
障害誹謗し続けた でおk?
時頼にも法然批判の安国論を送り付けたやったわいガハハ
とホラ吹いたんだけど後の世に人に時頼って禅だよねえ
やっぱり日蓮ってマヌケだなあクスクスクスと笑われると 念仏信仰の魅力は端的に、その修行の平易さにあった。
日蓮が「立正安国論」で指摘したように、当時は相次ぐ天変・疫病・戦乱によって社会は荒廃し、まさに末法の
様相を現じていた。
にもかかわらず、鎮護国家を旨とする既存の仏教界は、仏の救済を願う個入の要求に応じられず、唯一、念仏信仰だけが
時代の要請に応えていた。
財力と教養に富む、貴族・武家にしか許されなかった法華経の読誦や書写などと違い、念仏は、あらゆる階層の
人々に開かれた宗教性を有していたのである。
一方、鎌倉初期には篤く受容されていた法華経信仰は、宗教的素養に未熟な武家の台頭と符節を合わせた念仏の
普及によって、急速に衰退していく。
日蓮が、法華経信仰を再興しようとした時、南無妙法蓮華経の唱題という形態をとったのは偶然ではない。
日蓮は、法然の説いた称名念仏の易行に対して、南無妙法蓮華経と唱える法華経の題目をもって、法華経信仰の
再興を図ったのである。
念仏は、法然以前からも行なわれていた修行だが、日蓮はこれに対し、既に平安時代に一部で行なわれていた
南無妙法蓮華経の唱題を新たな法華経修行として理論化する。
妙法蓮華経の題目五文字に法華経のすべてが
集約されていると論考した天台の「法華玄義」を根拠として、
題目の信受は、法華経全体の信受と等価であると説いたのである。 >>229 祈る行為は、人のみが行う、精神と肉体と語る口の三つを合わせたもの。
そうして神仏への祈る行為とは神仏と感応道交を期待する人のもの。
法華経は釈尊直接の説法を書き記したお経ではない、これは少しでも近代仏教学に素直に
触れた人に常識というべき範疇、それでもこのお経の説法者を釈尊と捉えることは可能だろう。
如是我聞と阿難尊者が釈尊のお言葉を伝えている体裁をなす故だ。
人の呼びかけが祈りならば、南無妙法蓮華経と遥かな遠方から口を利くことはない。
誰かが作り上げた理論抜きに<素直に南無釈迦牟尼佛と祈れば済む>と思いませんか? 哲学くんはとうとう不貞腐れて逃げたか
以外に骨のないやつだったな
そんな堪え性のない人間には何ごとも成し得ない
会話の流れを読まず上から目線で関係ないことを捲し立て
煙たがられるだけの存在 いつまでも過去にコミットする事なく
創価学会員よ!
谷川佳樹 会長への期待を持って
新しい創価学会の為に、現時点までのパラダイムの変遷を
今一度、再考しよう!
再び朝堂院大覚総裁と公明党の良き関係を再構築しよう。 「南無」の二字は、神仏に対する帰命、信服を表す言葉で、信仰の対象に南無を冠して帰命を誓う形式は一般化しており、
称名念仏も題目も、この点に於いて一見、変わりがないように見える。
しかし、日蓮は、帰命の対象を阿弥陀仏とした南無「阿弥陀仏」に徹底的に理論的批判を加え、法華経こそが、
唯一、帰命すべき対象であるとし、南無妙法蓮華経の題目を打ち立てたのである。
日蓮によって高らかに宣言された、この唱題の修行は、これまで多くの人々と法華経信仰との間を分断していた
高くそびえ立つ分厚い壁を打ち破り、諸経の王たる法華経への信仰を、再び、万入に開かれた宗教へと見事に
変貌させ蘇らせたのである。 日蓮原理主義洗脳過激派。
狂信者集団。
怖い怖い、馬鹿だから自滅するけど。 >>233 お釈迦様よりも日蓮さんのほうが大事と主客転倒しとります。
南無御書と唱題すると相応ですな、そうなると仏教色は何%か? 日蓮は「権経の題目(念仏)流布せば実経の題目また流布すべし」として、こうした信仰形式の変化を、仏法が
人々の願望に応えて、より広く流布するための知恵であると歓迎した。
1259年(正元一)、日蓮は「念仏者追放宣状事」を著し、過去からの幕府の通達を守り、念仏者を追放するよう
主張している。
この時点で日蓮が確認しているのは、念仏者の宗教的、政治的不法性と日蓮の正当性である。
ところが「立正安国論」の提出後まもなく、日蓮の名越の草庵が襲撃される。この経緯について日蓮は、然阿良忠が
真言律宗・極楽寺の忍性に譲言したことによると認識している。 法華経だろうがどんなお経だろうどんな哲学だろうが、それらは概念。
概念は認識の補助に過ぎず、信奉すべきもんじゃないよ。
概念を信奉するとイデオロギーとなる。
法華経唯一とか、念仏主義とか、ひたすら座禅とか。
法華経が優れているとか優れていないとか、念仏は阿弥陀に救われるとか地獄に堕ちるとか、概念を信奉することにより必ずイデオロギー間の優劣闘争が生じる。
これが、あらゆる宗教間の争いや、国家、民族闘争の諸悪の根源。
法華経が良いか悪いかどうかは、受け取る側の主観的な問題。
普遍や恒久といった絶対的な価値基準があるわけがない。
念仏にしろ南無妙法蓮華経にしろ、どの国家や民族が優れているとか、諸行無常の法則から逃れられないものはなにもない。
滅びないものは何もない。
よって、念仏や南無妙法蓮華経の価値は普遍や恒久ではない。
あくまでも、様々ある生じては消える価値の一つでしかない。
まぁ、信じる人が多いという点では、法華経や念仏は人間に価値を見出だされる教えではある。
ただ、だからといって万人全員に有効であるわけではない。
この世の本質は変化と多様性。
それゆえに、法華経や念仏やzenの価値も時代や場所によって様変わりする。
自分に適した妥当なものを選択すればいいだけの話。
法華経なり念仏なり特定の概念を最高の真実に定めたがるのは、自我が特定の価値観にしがみついて、己の確実さの保証が欲しいから。
諸行無常において、無常に消え去らないものは何もない。
法華経唯一信奉者の心の正体は、無常から逃れたい自我の悪あがき
自我が自己存在の継続を欲するゆえに、法華経に自己同一化して、変化や多様性という生命の本質に抵抗する愚行。 日蓮教は法華経ではないどころか
仏教ですらない www 最新の歴史研究では…
日本に渡来した、仏教と呼ばれるシロモノは、その成立過程に於いて
中国の景教(キリスト教ネストリウス派)の影響をかなり色濃くうけており、
そもそもゴータマの教えとは、違う事が分かっている。
つまり日本の仏教、その本質は、古代キリスト教って事。 与党に対する支持率が低下する中
藤井富雄氏と続訓弘氏と小池百合子氏と朝堂院総裁、日本会議の鷹司統理
との関係改善が創価学会に今1番大切な事では無いだろうか? >>238 尊敬する日蓮の片言隻句を捉えて自己流の解釈を加味し、
其れに繋げてまた御書なんどから、文句を拾い継ぐ。
こうして君は自分の教学に都合の良い日蓮氏を創造するのだ。
君のような作業を重ねる人、そうだアメリカ人宣教師で人民寺院事件のボス、
ナントカ〜ジョーンズとかいう男を思いだす。
彼は聖書を一字一句アヤマタズ記憶し、説教壇では自在に引用する。
誰も神学論争ではかなわなかったそうだ、だが然し大量殺人事件は彼の
手で引き起こされた。
一言注意しよう、伝統教学でモノになった仏様は未だかつて出現していない。
君の学は絶対に枠の中に閉じこもった二十日ネズミの回す車と同一。 ここまで長々と、かつ淡々と記述しているのみだが、
他者の投稿は一切、感知せずに進めていることをご容赦願いたい。
なぜかと言えば、日蓮と言う人物について語る時、往々にして
それを語る者の立ち位置によって、その評価は大きく偏る事が多いからである。
【何かを研究対象とする場合、その態度は、徹頭徹尾、徹底した
客観性に基づいたものでなければならない】
それが、研究というものの、最優先事項だと考える。 >>245
言ってる意味が分からん。
そもそも、誰でも書き込める掲示板の役割を理解出来ている?
フリーで書き込める掲示板というのは、対話だったり論争だったりコメントだったり、お互いの主張について、双方向のコミュニケーションを図れるのが特徴なんだけど。
あんたのスタンスであるコミュニケーションを排除する研究なら、わざわざコミュニケーション目的の掲示板に来る必要無いじゃん。
そこがあんたの意味の分からないところ。
あんたの趣旨ならば、コメント機能の無い発信場所を使わなきゃ駄目だよ。
掲示板に来る連中の目的は、お互いの意見をコミュニケート、あるいは戦わせて止揚することなんだからさ。
真の客観性って理解できてる?
研究論文の客観性が保証されるためには、複数の査読が必ず求められる。
人からの指摘や論評を受けて、それにまともに答えられなければ客観的なものじゃないよ。
単なる自己満足オナニー。 さて、日蓮の場合、徹底した客観的、論理的な根拠に基づき、他宗の誤りを
論破しているに過ぎないが、他宗からその事への理論的反撃は当時、
ほぼなかったと言って良い。
自賛毀他し、自宗の優位性を語るのが、日本仏教界の古くからの体質ではあるが、
それは、宗教がビジネス化したが故の「損得感情」が、その、ほとんどの動機と
言って良い。
ゆえに、他宗による日蓮への反撃は、理論的反論ではなく、権力を使った
暴力的なものに終始したのである。
ともあれ、研究のみに関わらず、このスレッドの投稿に於いても
自論を展開する場合【客観的論拠なく】自賛毀他するのみの態度は、
恥ずべきであろう。
このスレッドに見られる多くの投稿は、誤った知識をもとにした主観論や、
単なる個人的感情論がほとんどであり、読むに値しないものばかりである。
よって、今後も、他の投稿には一切、感知せずに(あぼーんして)客観的な
論考結果を淡々と記述していくのみである事を、ご承知おきされたい。
以上 >>242
日本仏教の成立過程にケチをつけるんじゃなくて内容をみるべきだろう
大陸から海を渡った仏教は日本の風土や精神性を下地にして
独自の発展を遂げた評価することができる
20世紀最高の哲学書ともいわれる「存在と時間」などは
正法眼蔵から着想を得て書かれたなどといわれるほどだ
ただし、日蓮だけは仏教に権威主義を持ち込んだだけで
仏論としてはなんらみるべきものはないね
仏舎利を拝んでる者らを馬鹿にしている場合ではない >>219 ここまでくると、立正安国論の幕府提出三点セットが、
三つともインチキであることが分かって、
これで、ひと安心ですね (^^)V。
で、あらためて気がついたのが、
文応元年、最明寺殿に安国論を上奏、のぶぶんですが、
日蓮教の内部と外部を問わず、すべての日本人は、
歴史教科書で刷り込まれて、みんな洗脳済なんで、
幕府提出の安国論原本が存在しないことに対し、
それ、ホントの話なんですか? という
ギモンウィルスが、脳みそに侵入しようとしたときに、
もうウィルス抗体が出来上がっていて、
安国論の上奏が作り話である可能性を考えない、
完全にブロックして排除できる免疫システムが、
すでに備わっているわけですよ。
そこで、説明が難しいから、安国論年表を作って、
ビジュアル的に見せたら分かり易いかなと…、
でも年表使わなくても、一行で言えるかもしれません。
〇1260文応元年に安国論上奏の話は、1268八年後から始まった。
1260年の出来事なら、1260年とか61年、62年あたりの御書に、
なんか書かれてないとオカシイじゃん?
それが63年、64年65年66年67年…、とずーっと何も書かれてなくて、
八年後の1268年、蒙古蝶状が1月18日に鎌倉に届き、
その噂が庶民にも広まった3ヵ月後の4月にじつわーと突然、
安国論と幕府上奏の話が初めて御書に登場します、
予言もくそも、完全後出しのタイミングじゃん…。 >>219 で、最明寺殿の名前もすごい謎ギモンでもやもやしてて、
とくに正宗の骨董屋おやじが、故最明寺殿が戒名だと連呼してたのに、
戒名に「故」の字付けるムジュンに気がつかなかったんですけど、
でも勝ち誇ってバカにしてたのに、いつの間にか、
居なくなってしまってて、なんか自分ひとりで、
秘密に気がついたんだろうか?
骨董屋さんは、雨乞い対決が頼基陳状にしか
書かれていないことも教えてくれて、
でも、えれー歯切れの悪い感じのレスだったんで、
ほー、日蓮仏法は詳しくなればなるほど、
その内部ムジュンに気がついてしまう宿命なんだろか?
というそんな感想でした。
※※
宿屋 / 宿谷、の問題についてはこれも年表じゃなくて、
文章で書けば、
文応元年から八年も経って、はじめて書かれた幕府上奏話で、
八年も経ってんのに、初出で「屋戸野」と当て字になってて、
正しい漢字書けないのは会ったことない人だからじゃんw
としか思わなくて、でもその4カ月後の御書では、
何処かから取材してきたらしく、「宿屋」と正しい漢字で、
立て直しを計って、そのまま八年間「宿屋」を連呼します。
ところが人生まさかの坂で、さらに八年後のご真筆、撰時抄には
「宿谷」と漢字が書き換えられ、このとき初めて時頼の用人の名前の
正しい漢字を知ることになる、大どんでん返しのようです…。 幕府は何も言わなかったの?
さすがに後出しで私が幕府に進言してたのだ!
ほら見たことか蒙古きたぞ!
なんてホラふいたら何らかの処罰を下すでしょう 日蓮が立正安国論を時頼に提出したと言い出したの
時頼が亡くなってから5年ほど経ってからだから 日蓮御書の共学と学会共戦隊の行動原理の乖離について今一度総括したい。
ご協力願いたい。(相模大野の折伏ババアと言うのは学会員仲間での愛称です)
ここを見ている高齢学会員の方で横浜市の
「三ツ沢共戦隊・羽田班をご存知の方。または羽田班に所属していた方」は
いらっしゃいませんでしょうか?
是非、連絡がとりとう御座います。
羽田班でしか分からない隠語を出せば、お互い同士と言う事は分かりますので
過去の活動を今では「そんな時期もあったねえ」と言える達観した
人間的に成熟した方からの気楽なレスを待ってます。
よろしくお願いします。 相鉄の例の坂道レストランも
浅間台の天国と地獄・中華料理店もまだ営業しています。
元・三ツ沢共戦隊羽田班の同窓会でもしませんか?
関東自動車学校向かいの円形レストランだけは無くなってしまいましたね。
昭和時代の活気ある横浜地区共戦隊の思い出話しでもして
そろそろ学会員人生を総括しましょうよ ご存知の方いらっしゃいませんでしょうか?
磯子区磯子二丁目間坂の原田家や磯子NTT横の喫茶もみの木のマキさん
ロシェの張さん、ポパイの朴さん
みんな足取りがつかめていません
唯一確認出来るのは出川家です
情報よろしくお願いします あと昭和時代に杉田の親分と呼ばれる優しいおじさんがいたのですが
あのお方は一体どういうお方だったのでしょうか?
と言うのも元受刑者スレの中で杉田の親分に言及してる方々がいらっしゃいまして
それ程の人物なのかと
しかし元受刑者スレにて質問しても、アウトレイジな方々の符丁とヤジで
聞けませんでした。ご存知の方よろしくお願いします。 外出自粛で、つらつらと人生を顧みたれば謎多きこと、この上無し
昭和時代、池田先生と日蓮大聖人の為に、それこそ野垂れ死ぬまで攻め抜く闘志
それだけが今となっては私の、ただ1つだけの幸せな思い出です。
日蓮大聖人。
池田先生。
そして創価学会の仲間達。
素敵な思い出をありがとう! >>257 ある作家が曰く「人生とは思いでならずや」 と表現する、また
「さよならだけが人生だ」 は太宰治。
あなた方は創価学会の現在を知る人たち、過去の希望に満ちたというよりも
野望に溢れた昭和時代の活動を回想されるのでしょう。
そんな創価を外部からわたくしは観察をしていました。
人は希望が途切れなければ,岩にしがみ付き麦飯を食っても成し遂げようと継続するものです。
御聞きしたいのは、池田大作氏の目標は何だったのでしょうか?世間に訴えていたらしいのですが、
世界平和を正気で実現させようとしていたのですか? >>258
>世界平和を正気で実現させようとしていたのですか?
なんとw
ご冗談をw
それだけの文章が書けるなら貴方も立派な大人ですよね?
大人同士で子供っぽい問答は、お互い「もう勘弁!」が本音でしょ?
知ってはいるけど、お互い「知っている」とは絶対言わないという、大人のレトリックだけでいいじゃ無いですか?
自分は自分。他人は他人。 >>259昔のはやり文句の一節
”天皇陛下もトイレに入れば紙に頼ってる”
あっさりと放送禁止になりましたが、池田さんは自らを国主と称するほどの
象印マホービンならぬ増上慢、只ならぬ勢いでございました。
菊とツルには触れちゃいけねぇとマスコミはしり込みし、今なおその
余波が残るらしきと聞く。
池田氏は信仰心アリや否や?判んないですよねぇ。
金を振りまいた実話は聞いて居ります。
遠縁の女性が高校生時分に「おやまぁ、何とかちゃん」と言いつつ池田氏が財布からお金を引っ張りだし、
「これは御こずかい」とポケットにさっくり入れられ渡されたそうで、ちょっと羨ましい気がしました。
お金の使い方は難しいもんだな、という教訓は氏の足跡からも伺えます。
それにしたところで、在家の信徒の立場で在りながら部下に師と呼ばせるのも
増上慢阿呆瓶じゃなかろうかと思いますね。 天敵仏敵の創価は下衆で卑しいから
姑息・卑劣な思考・行動しかできない宿命 www >>263
日蓮氏の布教対象層は、庶民であるのは良いとして
目に一丁字もない、つまり自分の名前も書けない、読めない
そんな人たちに仏教を説き聴かせる。
このような説教僧は仏教を民間に教える存在として大事であった。
然し時代は移り変る、南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏程度の仏教では
現代人の教養に合致不可能、時代錯誤となった。
貴君らには今後の努力を期待します。
「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る」(立正安国論)
「今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば
之を諍うべからず国主・小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし
大禍ありと云う事を」(法蓮抄)
御書に照らせば、為政者(国会議員)に大禍(大きな間違い)が有ると明記されている。
これを今のコロナ禍に照らして、デエジン達はどう見るのかネ。
>>265 この災禍の被害者は日本他の諸国。
日本の国会議員(為政者)に大過在りと責任感不足と決めつけするのは
見識不足か擦り付けか、そんな様な
日蓮氏の論では守備範囲が狭過ぎて世界を捉えられない、しかもここで
日蓮氏を引き合いに出すのは、法華信徒の恥さらしに見えます。
何を見ても日蓮をフィルターにする、貴君は精神的にお気の毒な状況か?
と心配されませぬか?
在家の五戒
1.不殺生戒 他人にうつさない
2.不偸盗戒 コンビニのトイペを盗まない
3.不邪淫戒 夜の店には行かない
4.不妄語戒 SNSでデマを拡散しない
5.不飲酒戒 集近閉の飲み屋に行かない
一人一人の心掛け次第
誰が首相とか関係ないだろ >>265
なるほど与党自民党公明党に責任があるのね。
前述の、この御書に照らせば、国ごとに被害状況は異なると思われる。
法華経の心(精神)に違う国は被害が大きく、違わない国は、より被害が少ない。
その結果を見れば一目瞭然である。
法華経の心(精神)とは「一切衆生 悉有仏性」であり、「当起遠迎当如敬仏」と。
一切衆生を敬う精神。ということである。
今後の日本国の動向を観察すべし。
また「災難対治抄」には
「仁王経に云く『大王・国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱ると、
亦云く大王・我今五眼をもつて明に三世を見るに」(中略)
「王の福尽きん時は…七難必ず起る」と。
この度のコロナ禍は、三災の「疫病」にあたり、七難の「人衆疾疫難」にあたる。
つまり、「伝染病が流行り、多くの人が死ぬ」という事である。
この災禍が、人災であるにせよ無いにせよ、それは表層的、近因であり、
五眼(生命の次元)から見た時、その根源には、国主の精神の荒廃がある
という事だ。
参考:
「守護の善神は法味をなめざる故に威光を失ひ利生を止此の国をすて他方に去り給い、
悪鬼は便りを得て国中に入り替り大地を動かし悪風を興し一天を悩し五穀を損ず
故に飢渇出来し人の五根には鬼神入つて精気を奪ふ是を疫病と名く」(唱法華題目抄)
まぁ、バカには永遠に解るまい。
単に知性の問題だよ。
これほどまでに大聖人が明確な予言をされているにもかかわらず、
聖教新聞には一切、触れられる事はない。
これまでも、これからも、人間がいかに皮相的な対処療法を行なったとしても、
この【根源的原因】を除かない限り、
【今後も未曾有の災禍は、続々と起こるであろう。】
あなた方も、命を落とさぬよう、くれぐれも用心されたし。
「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(立正安国論)
まずは自分自身の事ではなく、国の平安を祈るべき時である。
その人を諸天善神は全力で護るのである。
その心が強固であればあるほど。
「『必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し』等云云、人の心かたければ
神のまほり必ずつよしとこそ候へ」
ゆめゆめ、これに異を唱えることなかれ。
異を唱えば、必ずその身に、災いを引き寄せ、身をもって
おのれの愚痴を思い知らされる事であろう。
恐々謹言 異を唱えられることを恐れるということは、
自分の中に正しいという確信がないということ。
>法華経の心(精神)とは「一切衆生 悉有仏性」であり、「当起遠迎当如敬仏」と。
>一切衆生を敬う精神。ということである。
「一切衆生 悉有仏性」など大間違いである。
「悉有仏性」である。
コロナウイルスも仏性を備えている。
難も仏性の顕現である。
感覚的にはなかなか受け入れ難いが仏典をきちんと勉強したらそういう結論が出て、
仏典を勉強していない独り善がりな妄言を垂れ流す日蓮さんはそういう結論を出せないのである 一切衆生の中にのみ仏性を観ようとし
疫や難には全く仏性を観ようとしない者が 道 を名乗ること。これを笑止千万と言う。 根拠となる文言を示せず
我見を述べる。
これを阿呆と云い
笑止千万と云ふ まぁ、浮いてるな。色々と。
浮遊するのがウィルス。
原始仏教から学び直したいもんだわ、 仏教徒もウイルス感染にはみなと同じく等しい
ここにいる人も医者を頼りに予防しよう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています