>>509
自分は戦争賛成には別に異論はない。
戦争賛成、戦争反対、各宗教やイデオロギーそれぞれ信念があるんだからさ、その信念を貫けば良いと思うよ。

そういう意味で、神札を受け取らずに法華経信仰を貫いた牧口は凄いと思うし、特高警察の拷問で死者を大量に出した共産主義者も尊敬に値する。

自分が言いたいのは、戦時のような緊急事態にこそ宗教者やイデオロギーの持ち主の本音の行動が出る。
そのような過去の偉人の緊急事態の行動は後世への貴重な遺産であり、詳細に記録し保全すべき事。
それを後世の人間が勝手に自分の都合で書き換えるなってこと。
牧口においては、勝手に牧口を事実に反して反戦主義者に書き換えている今の創価がそうだけど。

実際は、創価よりも攻めたいのは天理教。
天理教は信者の証言で、戦時中に731部隊の協力、援助をしていたことが明らかになっている。
しかし、天理教はこの事実を隠蔽している。
天理教は満州に理想郷を築こうとして、天理教徒のみで構成する村を作り上げた。
満州で宗教コミュニティを作り、宗教を根本とする理想の村作りに励んでいた。
その行動の延長として、コミュニティ近くに存在した731部隊の支援も行っていた。

宗教って、理想を掲げながら過ちも犯してしまう。
これは人間だからしょうがない。
ただ、後世においてこういった戦時の宗教者や宗教コミュニティ行動の研究取り組みに対し、宗教団体から「我々の団体に戦時中、このような誤りの事実は無い」と嘘をつかれると検証が出来なくなる。
過去の貴重な宗教団体の行動記録が、後世において反省材料として生かされず水の泡となる。
宗教団体が自分の権威を守りたいが為の、歴史検証の拒絶という愚かな態度だ。

宗教団体のメンツと、同じ誤りを犯さないための過去の事実検証のどちらが大切か?
天理や創価は、過去の事実検証よりも自己保身を選んでいる。
これらの宗教団体の保身態度が、その宗教の実質レベル。