創価って、祈って叶えてなんぼの宗教だから、祈ってもどうにもならない現実には、その現実を見なかったことにするという方法しか取れないのだろう。
そんなところに、創価の宗教としての浅さ、軽さ、病と死をどう扱うかという哲学のなさを最近強く感じている。