日蓮ってver.50
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前スレ日蓮ってver.49
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「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 【自己愛性パーソナリティ障害の症状】
<`ω´> ←ギャグ係
・人より優れていると信じている
・権力、成功、自己の魅力について空想を巡らす
・業績や才能を誇張する
・絶え間ない賛美と称賛を期待する
・自分は特別であると信じており、その信念に従って行動する
・人の感情や感覚を認識しそこなう
・人が自分のアイデアや計画に従うことを期待する
・人を利用する
・劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる
・嫉妬されていると思い込む
・他人を嫉妬する
多くの人間関係においてトラブルが見られる
・非現実的な目標を定める
・容易に傷つき、拒否されたと感じる
・脆く崩れやすい自尊心を抱えている
・感傷的にならず、冷淡な人物であるように見える >>710
ことごとく日蓮に当てはまるのはもちろんだが、日蓮業者や日蓮教徒にもかなり当てはまる。 >>710
まるで小乗仏教(説一切有部)だな
日蓮は法華経を読んでいた。
なので
日蓮教は日蓮信や日蓮業者が「日蓮商材」として勝手に作り上げた物なんだよ。
創価学会
日蓮正宗
顕正会
仏所護念会
立正佼成会
日蓮宗などなど信者で
法華経を完読した者は殆どいない。
比喩品
信解品
五百弟子受記品
授学無学人記品
安楽行品
常不軽菩薩品
嘱累品
と真逆の思想を語り出す日蓮信者は多い
さらに
彼等は何度も繰り返し勤行しているか
あの「方便品」の内容する理解して無い
理解する気が無い
あれ?みんな日蓮大聖人を信仰してるんじゃなかったの? 訂正
彼等は何度も繰り返し勤行しているが
あの「方便品」の内容すら理解して無い
いや、理解する気が全くない! 何が日蓮大聖人だよ
日蓮大詐欺師
日蓮小私度僧
だろ 日蓮が妄想カルト教義で膨らませた
末法救世主像を
後世の日蓮系エセ坊主たちがさらに水増し
捏造で膨らませた
架空虚構の〈日蓮レジェンド〉
まだ信じ込んでるの??
まさかそれに
人生の限られた時間や労力や財力を
死ぬまで注ぎ込むの?? 日蓮を信仰してると言いながら、カルト化する信者や
エヴァンジェリカルな順応主義者、信者をバカにすること自体は否定しないけど
日蓮の存在は認めるべき。
法華経を後世までパブリックリレーション出来たのは
日蓮あっての事。
様々な団体の信者や帰属社会の理念と哲学は
皆それぞれの立場で否定しバカにしても良い。
ただ、それはあくまで個人的な審美的価値観によるものだと
それぞれ自覚する必要がある。
あなたの意思は、世界の意思では無い。
日蓮の存在は、その問題から分けて考察すべき問題である。 >>716
>法華経を後世までパブリックリレーション出来たのは...
それ必要だったの? まだまだ日蓮妄想カルト教義による洗脳が抜けてませんね
日蓮妄想ウィルスは精神の奥深くに浸潤し
日蓮を否定しようとすれば猛烈に抗います
法華経がどうのこうの
日蓮にも何らかの功績がある云々
結局は日蓮妄想カルト教義という
凶悪精神ウィルスを温存させ
再増殖のチャンスを生む作用をなします
ただのエセ詐欺師が何度となく
歴史上で「復活」し
再増殖、再伝染し
数々の汚点を残してきた理由です
法華経にはいくらかの意義があることと
日蓮が害悪であることは
全く別次元のことです
法華経に寄生した日蓮妄想精神ウィルスは
根絶せねばならない
法華経と日蓮の関係こそ完全に断ち切らねばならない
日蓮妄想精神ウィルスは、法華経に寄生することで数百年も生き延びたのだから 日蓮自身に都合のよい、日蓮の存在を美化し神格化するために
高い権威を持つ法華経に名を借り、文を盗んだ「捏造こじつけ法華経解釈」以外の文書をことごとく謗法と位置づけ烙印を押し
信者が読むこと学ぶこと触れることすら禁止し
日蓮捏造カルト教義内に永久に閉じ込め
死ぬまで脱出不可能にしている
仏教史上の共通財産である法華経を、日蓮流カルト教義として悪用するなど狂気の沙汰
日蓮こそが法華経に寄生し、法華経を乗っ取り、法華経を強奪した大仏敵なのである 日蓮本仏論vs.日蓮仏敵論か。
これはどう見ても後者に軍配が、、、 >>720
日蓮は、真言の棟梁である空海の論である
十巻抄の内の一つも通読していないだろう。
中興の祖師と言われる覚鑁上人の論書もまた然りだ。
小生はこれらの諸論書を三千円程度で入手してややなりとも学んだ。
日蓮は相手方の論を聴きも読みもせずに亡国と罵っている。
精々、天台宗が真言宗を批判する論に乗じているのみか。
門外漢には敷居も跨がせないのが真言天台の流儀で在って、
今なお其れは変わらない。 こういう問題を論じる前に、話を整理しなければなりません。
法華経は日蓮が著した物ではありません。
あなた方の言う、日蓮が日蓮である確からしさは
どう法華経の関連を考えているのか?を
論証、反証も含めて
「論理性のある論拠を語る事」
が第一義的な事です。
「それはあなたの感想ですよね?」と言われる事は
あなたの知性と実存をバカにされたと思うべきです。 そうなんだよね
安楽行品だと法華経の行者は守られるし文句言う人間はその前に口閉じると書かれてる
日蓮の言ってることと内容まったく違うがな
想像以上にトンデモない人だった
今でいう立花たかし的な人だったのかなぁ
相手に言ってる内容調べずイメージで適当言うってね 安楽行品 毎日座禅をし瞑想せよ
信解品 如来神力品 他者の信仰を軽んずるな 全ての人は平等に悟れる
方便品 直接的な哲学は多くの人に理解出来ないので、この法華経は作り話である
嘱累品 ほら、最初に言ったように作り話だったでしょ?地涌の菩薩も多宝塔も上行菩薩も消えました。
これ知らない学会員って凄く多いよ >>726 安楽行品説法を日蓮は伏せたんでしょうかね?
題目一本でオールマイティ成仏と説いた人でしたからね、日蓮は所謂
修行を否定する仏教を普及させようとしました。
無筆、文字を読めない無知蒙昧な民衆に仏教を普及させようとする日蓮の
苦しさは判りますが、現代人には無用なご配慮です。 創価時代に、組織から干された元幹部の壮年部員によく愚痴をこぼされてたわ。
会員は口々に「池田先生は素晴らしい」「日蓮は素晴らしい」「法華経は素晴らしい。」を繰り返す。
じゃあ、あなたはどうなの?
日蓮は素晴らしいは分かるけど、その素晴らしさを感じるあなたはどうなの。
素晴らしいを繰り返すだけで何か変わったの?
会員は素晴らしいを連呼するばかりで、会員は何も変わっていない。
それって意味があること?
単なる自己満足じゃないの?
全うな考えだと思うけど、この元幹部はこれを組織で言うもんだから主に婦人部から嫌われた。
解任要求が増えて閑職の形ばかりの役職に。
宗教組織が求めるのは、会員が素晴らしいと絶賛する思想、
決して意識の変容をもたらす思想ではない。 釈尊なんとか最高の法を教えてください
いややめとこ神々も理解できなくて帰るであろう
それもで教えてください
弟子たちもかえって不信をおこすのでやめとこ
この経を教えてもらえれば弟子たちもまたいっそう修行に励むと思うので教えてください
しゃーないな教えたるわ仏がこれを説くのは珍しいことなんやで
まず十如是てのがあるんやで舎利弗よ
素晴らしい感動した!
大まかにこれが方便品の内容
でも翻訳者の熊羅十が十如是を勝手に追加し完全フィクション
法華経27品を28品にした
勝手に追加するってこいつクソすぎじゃね? 支離滅裂なメインストリームの教義やら由来・伝承がとりあえずポーンとあって
人としての教えだとかそういうどうでも良い普段の説教は割とまともなことを言ってる
っていうのは幸福のなんとかでも良くあるカルトだよな
しかし、層化には普段から信者らにメチャクチャなことを吹き込んで
正当化してる印象しかない
宝くじが当たったみたいなラッキー体験ばかりを語らせ
私もきっとそうなれるとその気になって帰ってくるパワースポットのようなノリ
そこに、どんどん子を集めてこいという強要も入るのでカルトというよりか
ねずみ講、マルチ商法に近い感じ。 >>727
>苦しさは判りますが、現代人には無用なご配慮です。
そうですね。
日蓮の時代は、文字の読み書きも出来ず、形而上の問題を考える知見と視座を持つ人も少なかったでしょう。
そういう人達の為に、日蓮の題目や、親鸞の念仏、道元の只管打坐
というEZモードで、少しでも愚鈍な人々にも仏縁を結んでもらおう
という気持ちから鎌倉新宗教ムーブメントが起こったのだと思います。
しかし、現在それは通用するものでしょうか?
文字の読み書きが出来ない人が、何処にいますか?六本木にいますか?TDRにいますか?
センター街にいますか?山谷、竹ノ塚にいますか?
今やほとんどの人がスマホやPCを持ちネットカフェで一宿する時代
鎌倉時代の庶民と比べて情報取得は天と地の差ほどあります。
Google, Yahoo,DuckDuckGo、StartPageの検索をしない人などいるのでしょうか?
ここからは私の感想です。と断った上で書かせていただきます
SP、聖教新聞や大白蓮華、SOKAnet公式VODを見ていると
体験談でも、社会問題でも(名字の言など)、法華経解説でも(聖教とVODの法華経の旅など)
始まりから途中までは普遍的な視座を保ってはいるものの
最後に「偉大なる池田SGI会長のお陰で、、、」と締めくくり、ガックリします。
これでは平壌朝鮮中央放送局の「我らの偉大なる首領キミルソンどうしのお陰で、、」
と同じような形の全体主義の押し付けに感じてしまいます。
続く 続き
ジャン=ジャック・ルソーの「人間不平等起源論」における
ルソーが毛むくじゃらの現代人がタイムスリップして原始人と扱ったように。
また、栗本真一郎が「パンツをはいた猿」で体毛が無く服を着て靴を履き
現代社会を歩き回る原始人を扱ったように
恣意的分断を扱った「表現者」に限っては責任を負ってもらいたいものである。
「表現者」としての最低限の責任であり、その解説までは「自由」という概念は
「ある程度の限付き、ある程度の不自由」である事を著者、表現者、評論家
は、責任をとってもらいたい。
以上、私の感想なので異論の「存在自体は」認める。 はいきたー、横文字くん!
ルソーとか関係ねーだろうがよ、哲学板いってこい >>729
>全うな考えだと思うけど、この元幹部はこれを組織で言うもんだから主に婦人部から嫌われた。
降格され、外郭団体、外角企業に飛ばされた元本部職員のSNSは激しい論調だよな。
今いろいろとSNSを観察してみなよ
アクセンチュアのヴィジョン会議レポートからの
本部職員大リストラの資料が外部に漏れているよ
あれ見てるとさあ
聖教新聞 広告局の閑職に飛ばされた人が、まだ幸せに思えるよ。 >>736 君の様に悩み無き人生が、全人類の望みなので在ります。
では一つお尋ねしましょう、君は何時自分自身を発見しましたか?
問いが難しいなら方向を変えましょう、俺って思ったのが何時何歳頃の記憶でした?
多くの人が漠然と産まれ、生きて、死ぬのが嫌なのに死ぬのです。
此処から宗教が産まれたと申せましょう、君の様に題目一日三座で解決しますかね。 馬鹿のクセして調子に乗んなよオッサン、泣かしたろか 横文字カスとつるんで意気投合したのかこのアホは、自殺しろよゴミは >>739 深く物事を考えるのも仏道に適うのです。
善き事業を成し遂げる人物は必ず一人になって沈思黙考する習慣を
必ず持って居ます。
お釈迦様が単純な浅い思いで弟子に説法されたでしょうか?
その辺が某氏との違いです。 >>727
日蓮本人が仏教を全くわかっていないんだから初めから民衆に仏教を普及させる気などは更々ない。
飯の種にしようと腐心していただけだ。 >>741
日蓮の教えにはほとんどオリジナリティがなく法然のパクリばっかで
「立正安国論」という奇書だけが持ち味
全文を読めばわかるがこの書がいかに馬鹿げてるか態々語るまでもない
根本的に無知なやつしかダマせない仕様
>>742
毎回、哲学でどんなマウントをとってくるかを実は楽しみにしてるんだが
横文字くんはマジギレするから困惑してる 2ちゃんねる5ちゃんねるでマジギレする奴はいないだろう
所詮ここは便所の落書き
誰も責任を持たず、いい加減な事や思いついた事を語っているだけ
ここがSNSとの違い
誰も2ちゃんねる5ちゃんねるの書き込みを本気にはしてないんだから
ただ社会学的なフィールドワークとしては僅かながら観察の対象かな? >>743
あいつは身に付いていない用語を多用して議論を曖昧に誤魔化すだけ。
横文字といっても大抵は誤用していて恥さらしも甚だしい。
まあ日蓮教徒、はっきり言って創価信者というのはそういうものだが。 >>745 小生が阿保らしと最初から手出しをしなかった書物、池田大作と歴史学泰斗
トインビー博士との対談、ビタミンC発見者ポーリング博士との対談。
箔付け、銀流し(メッキのこと)を恥じずにやっちゃうのが池田大作氏。
身の回りがイエスマンばかりになっては、お仕舞い、是で人生は詰み。
その後はお金のばらまき加減で地位の維持が可能となる寂しい人生。
今どうしてるんでしょうかね? 池田大作氏が高齢で重篤な症状を呈する疾患にかかってる。とか言う人多いね。
私は自分で確認出来ないものは、何も判断はしない。
ここからは別の話ね。私の作り話ね。
例えば今まで大勢の人達から尊敬され、慕われてた男がいるとする。
齢は90に近い、某宗教団体のカリスマ。
彼は加齢に抗う事は出来ず、脳血管疾患や多臓器の不全を発症。
しかし皆に尊敬され常に幹部達に見守られる立場なので、最高の医療を受け
生命の維持だけは確保される。
彼は庶民と違って、旅立ちの時間を精一杯送らせてくれる幹部と医療チーム。
その間も彼の疾患は進み、体を動かす事が出来ずベッドに横たわり続ける
ベッドに静かに横たわっているが、それは体が動かせないだけ、声が出せないだけ。
実は彼には我慢の限界の強烈な疼痛が全身に廻って来た。
毎日、入れ替わり立ち代り医療スタッフや幹部や秘書や綺麗な女性が花を運んで来るが
彼は声も出せず体も動かせないので、皆んなに病気の苦しみを伝える事は出来ない。
「こんな穏やかなお顔で休まれてる。きっとこれが功徳の証よ!」
彼(心の中で)
違う!ちがーう! 俺はこんなに苦しいんだ! 何とかしてくれ!
これ以上、苦しいまま長生きなんてしたく無い!
何だ?また注射か?点滴か?モニターか?
もう生命存続の処置はしないでくれー! くるしい、、、くるしい 、、、くるしい
頼む! 俺の人生を終わらせてくれーーーー >>744
>>745
誤用でもなんでも良いけど強引に仏教と結びつけて関係ねぇ話ばかりしてやがるのがな
>>746
題目→称名念仏、唱題行のみを正行とす→専修念仏(捨閉閣抛)、生きざま法難(流罪)
元々唱題も念仏も雑業の一つだったらしーが法然が目をつけてこれを際立たせ
そのやりかたを日蓮がそっくり真似した
真似ばかりでは色気がないと考えたのか法難のとこだけは他流派に対して
より直接的な批難を加え過激にやった どうも、ここの論者は、天台を全く学んでないようだね。
法華玄義、法華文句、摩訶止観くらいは読んでから
日蓮を語ってくれたまえ。
言ってる事が、的外れ過ぎて話にならん。
概要は、>>177 あたりから易しく書いてるから、よく読んでね。
>>163 あたりもね。 >>749
仏教各派への誹謗中傷は自分のパクリを隠蔽するためなのが透けて見える。
唱題は浄土宗の称名念仏のパクリ、見苦しい曼荼羅は真言の曼荼羅のパクリ、文底秘沈は禅宗の不立文字のパクリ。
しかしどれも所詮猿真似だから教義の薄さ、浅さ、支離滅裂さは隠すべくもない。
まさに猿真似宗とでもいうべきものだ。 空海請来真言宗の曼荼羅のうち、種字曼荼羅の真似が日蓮氏製造【南無妙法蓮華経】の曼荼羅なんですが、彼は種字曼荼羅を拝見していない、肝心の
梵字を間違って書いて、本人さんは堂々としているのです。
真言密教すら俺は自由に使うのだ!と思ったかどうか判りゃしませんが。
種字曼荼羅に付いては説明省略、諸氏はそれくらい勉強すべし。
日蓮教学が通用するのは江戸末期迄でありますな、他宗の資料と校合されると
穴ぼこだらけですよ。 日蓮正宗の人が学会員ならチョロいwと思ってるような
感じで日蓮は念仏叩きから始めたのではないのかな
でも、客は増えない 仮に天台教学が素晴らしいものだとしても
日蓮は無断で天台沙門を詐称してただけの
私度僧だから日蓮が素晴らしいことには
全くならない
日蓮の妄想、願望、錯誤がてんこ盛りの
日蓮妄想カルト教義が害悪でしかないのには
いささかも変わりはないんだよ >>752
>仏教各派への誹謗中傷は自分のパクリを隠蔽するためなのが透けて見える
1997年の韓国ーIMF事件の時に突如始まった
激しい反日デモ、反日教育の施行みたいだな 日蓮が民衆に布教しようとしてたというのは御書のどの辺から
わかるのだと聞くと、民衆は文字が読めないのだから
記述が無くて当たり前だとか、題目なんて簡単なんだから
民衆相手に決まってるなどという答えが帰ってくるわけだが
単にパクリだったりして〜と >>752
しかも、パクリ元に対して最も激しい批難を浴びせるなど常識的な行動とは思えないよな
念仏らが怒り出すのも無理からぬはなし
これは法難ではなく身から出た錆と言うもんだ http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51636148.html
おそらく日蓮の遺文を全て読んだんであろう犀角独歩氏は
民衆との関りなど一つも出てこないと言ってるけど
日蓮が民衆に布教しようとして簡便な題目を考え出したというのも
これまた変だなあ 犀の角と言うからにはスッタニパータを読み込んでいる原始仏教を尊ぶ人なのだろう。
日蓮に限らず小乗仏教や大乗仏教の矛盾点を指摘するのが好きな人なんだろうな。
原始仏教、初期仏教は私も好きだが
仏教というのは実念論的見方と唯名論的見方の
どちらかに偏れば見えにくい思想だと思う。 ところで皆さんアーガマ(パーリ語のニカーヤの方)
については、どう受け入れます?
現在においても文献学の集合知として
唯一のゴータマの直説と言われてる経典ですけど。 ** ***近 刊*****
イスラム2.0 SNSが変えた1400年の宗教観
飯山 陽 著 河出新書 272ページ ISBN:978-4-309-63114-1 発売日:2019.11.26(予定)
▼▼▼▼▼▼
インターネットの発達がイスラム教徒を覚醒させた──誰もがコーランやハディースの知識に触れることで
原点回帰が起きたのだ。気鋭の研究者による、最新「イスラム教の真実の姿」。
日本人の知らないイスラム最前線!!
ウェブ上にアップされた『コーラン』や「ハディース」。一部の宗教エリートたちのものであった知識や解釈が、
翻訳・検索機能により誰でも容易に直接アクセスできる時代となった。このことにより、「啓示」は宗教エリート
の手をはなれ、一般信徒の原理主義化が加速する。神の啓示に服従し、イスラム教徒はイスラム法によって統治
される秩序の確立を目指し、彼らが正義だと信じるジハードを実行することが「正しいイスラム教徒」であること
に気付き、それを希求するようになったのだ。
日本人の常識、西洋的価値観は捨てよ!
ヨーロッパでは「同化しない」イスラム教徒たちが、「移住」と「多産」により各国で議席を獲得しはじめるなど、
民主的なイスラム化をすすめる「静かなるジハード」が進行し問題となっている。また、イスラム教徒が集住する
ことで生まれたノー・ゴー・ゾーン(警察管理外地域)の増加、学校のイスラム化など、これまでの西洋的価値観
では対応しきれなくなり、その失敗が白日のもとに晒されている。一方で、イスラム諸国も「イスラム教の宗教
言説」を改革しなければ、テロの問題を解決できないことを認め、正面から向いはじめている。移民問題をはじめ、
ターニングポイントに立たされている日本は、西洋の二の舞とならずに、どのように対処していけばよいのか──
「思い込み」「自分の価値観」を廃し、ただ「事実」に基づいてイスラム教を読み解く!!
▲▲▲▲▲▲ >>759
民衆に念仏を布教しようとしたのは法然房源空だが、その狙いとは逆に貴族の子女らがおびただしく帰依してきた。
病人や乞食らを保護し、施療したのは良観房忍性で幕府から民衆まで医王如来と尊敬された。
この両人を熱心に誹謗中傷したのが日蓮で、相手にしたのは教養はないが布施する余裕のある情弱層だけ。日蓮は民衆にまったく無関心だった。 >>763 遺物が残存しないので、推測するのみ。
法華経は最初から文章を成して居る、塔寺の法師がものした宣伝文が発展すると思案する。
阿含経は、パーリ語文のみならず、サンスクリット文が在るだろうか?
スリランカに仏僧が移住し僧院を得た時に翻訳したならば、チベットと時事は酷似する。
チベットに将来された阿含経の原文は何語で在るのか?
チベットに在る法華経に付いて河口慧海師の報告は見逃せない重要なもの、
此れは推測ではない。
此処まで記述し、民間人のわたくしでさえこの程度の疑問は出せる、日蓮氏が得た資料の
貧弱さが思い知られる、多分背中に背負う旅路の背負子一杯であろう。
経蔵に立ち入り見聞を広める身分ではない私度僧の限界を知る。 国家諌暁だの民衆救済だの言ってるけど
ねえねえホントなんですか〜日蓮と日連業者さん
立正安国論広本 高祖遺文録(小川泰堂)
http://www.winbell-7.com/roman/mokuroku/soka/nitiren/soka0010007.html
日蓮の辻説法 日蓮大士真実伝(小川泰堂)
日蓮伝説 種種御振舞御書(小川泰堂) 生涯で最も長く暮らしたらしい比叡山での生活とか
どんな弾圧を受けてでも救済したかった民衆との
関りを一切記述しないなんて日蓮ちゃまったら >>317
仏入滅の次の日より千年をば正法と申して持戒の人多く得道の人これあり
正法千年の後は像法千年なり・破戒の者は多く得道すくなし
像法千年の後は末法万年なり持戒もなし破戒もなし無戒の者のみ国に充満せん
而も濁世と申してみだれたる世なり(南条兵衛七郎殿御書) >>317
法華経の戎は「金剛宝器戎」です。
最澄(比叡山延暦寺・天台宗の開祖)の分類
小乗の戎は「瓦器戒」(五戒、八斎戒、沙弥の十戒、比丘の二百五十戒、比丘尼の五百戒)
権大乗の戎は「金銀戎」
法華経の戎は「金剛宝器戎」 ※金剛宝器=ダイヤモンドのこと
また妙法蓮華経の五字に三世の諸仏の万行万善の功徳が収まっているので「具足戒」ともいいます。
日蓮云く、
此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、
此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや、但し此の具足の妙戒 は一度持つて後・行者
破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し、三世の諸仏は
此の戒を持つて法身・報身・応身なんど何れも無始無終 の仏に成らせ給ふ、
此れを「諸教の中に於て之を秘して伝へず」とは天台大師は書き給へり、
今末法当世の有智・無智・在家・出家・上下・万人此の妙法蓮華経を持つて
説の如く修行せんに豈仏果を得ざらんや(教行証御書) >>318
法華経及びその行者を讃嘆すると功徳が増します。
金はやけば弥色まさり剣はとげば弥利くなる・法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる
(妙密上人御消息)
末代の法華経の行者を讃め供養せん功徳は彼の三業相応の信心にて
一劫が間生身の仏を供養し奉るには百千万億倍すぐべしと説き給いて候、
これを妙楽大師は福過十号とは書れて候なり(法蓮抄)
御本尊書写には、若悩乱者・頭破七分・有供養者・福過十号とあります。
軽々にそしってはいけません。 >>319
日蓮仏法は、末法万年の教えです。現代から未来へとわたる世界宗教です。 古来から、法華経通読し批判する論者の意見に、薬の効能書きは立派、然し
服用する薬の処方箋が無いという意見が在る、代表は空海と平田篤胤の両人。
日蓮は法華経は釈尊の真説と信じ、経文の一節、法華の名を保つ者は福無量を
法華経の肝心と定めて題目を唱えた。
上の四行は江戸時代中は拮抗し互いに批判し会うも決着は付かないまま明治維新を迎える。
明治維新を各宗派は、廃仏毀釈なども有り戦慄を以って迎え競ってイギリスに留学生を派遣する。
そこで明瞭になる学問上の定説、【法華経などの大乗経典は釈迦の説法では無い】を得る。
此の真の学説を得たものの、各宗派は宗旨の布教に反映させず今に至るが真相。
創価学会実施の教学試験は、江戸時代仏教の教学試験と言っても間違いない。
768から771 この文が仮に日蓮の真作を引用したものにせよ、
日蓮本人がなせる、真実と虚偽の混ぜ込む作文の好例と言える代物。
法華経をお釈迦様が不説法と教えるのが真の仏法、真実の情報を伝えるのが
釈迦の弟子で在り、不妄語は金剛宝戒に含む。 >>771 貴方は、尊敬する先輩に説得されて信じたのでしょう。
その貴方は今の立場が無くなると困るなどと思い込んで自説を申されるのでしょうか?
『日蓮は、法華経をお釈迦さんが説いたと信じる』
此のカッコ内が間違いであると明治以降に、あっさり解明されています。
是非、創価学会と無縁の立場の方に問い合わせて啓発されて下さい。
良書を推奨されるでしょう。 >>319
日蓮が鎌倉時代の庶民階層に向けて説いた事実はない。また日蓮が仏教を誹謗中傷しはしたが仏教を説いた事実はない。
元々受戒もしておらず、仏教を正規に学んだ事実そのものがない。
日蓮が説いたのは仏教用語を多用して仏教を詐称する日蓮教である。 文献学的には確かに違うよね。
文献学的にテクスト論としての否定や批判は出来る。
しかしアレゴリーとして捉えるという視座は誰も否定出来ない。
あの人の足は美しいね!まるでカモシカの様な足だ!
え?人間の足がカモシカのフォルムに見えるの?キショい!
それを言うなら、カモシカの足の様な足やろ!(松本)
どうでもええねん!(浜田) 「南無妙法蓮華経を唱えると願いが絶対叶う!」
といっている宗教にはアレゴリーとして捉えていないようですよ。
日蓮を信じている者の中には、カモシカの足にもなれると思いこんでる人がいても不思議ではないのです。
もはやこれらの人には、文献学的に論じても精神学的に言っても理解を得てもらえるのは難しいでしょうかと。
知能の問題ではありますが、日蓮が題目の南無妙法蓮華経が流布されていき、信者が増えるということは脳の退化ということでしょうね。
まぁ人間にとってそれでもいいのかもしれませんねw 安楽行品第十四読んだけど酷い経典だなと思ったのと
日蓮ですら守れてない部分多すぎ 安楽行品第十四の
『云何なるをか菩薩摩詞薩の親近処と名くる。菩薩摩訶薩、国王、王子、大臣、官長に親近せざれ』
(菩薩、摩詞薩は国王、王子、大臣、官長に親しみ近づいてはいけない)
どうしたことなのでしょうね?
何かしらの己義があったかもしれませんが、法華経第一の文証ですよね。 >>772-773
レスありがとうございます。
二十八品の法華経が効能書きとすれば、丸薬は南無妙法蓮華経です。
本門寿量品の文底に秘沈された極意を、上行菩薩の再誕である日蓮が拾い、
顕したのが御本尊です。
釈尊滅後の未来において、地涌の菩薩が出現し、広宣流布することが
法華経に予言されています。
仏説を論じるのであれば、何が仏説であるかまずご自身の見解、お立場をお述べ下さい。
また大乗非仏説に立つなら全ての大乗仏教を否定しなければならないのに
なぜかここの論者はいつも法華経のみを非仏説と批判されます。
また大乗非仏説は772さんが仰ったように近代以降、原典研究が進む中で、
その成立年代の遅さが根拠となっていますが、原始仏典も文字化まで数世紀を経ており
成立年代のみからは、いずれも非仏説と断定することはできないのです。
したがって教相判釈の必要性が生じ、釈尊の真意はいかなるものであったのか
思想性および実践性から比較されるべきものと考えます。
仏法を生命論として展開し、現実の社会で世界平和運動の広がりをみせるのが創価学会です。
良書をお求めであれば、御書と人間革命をお勧めします。
>『日蓮は、法華経をお釈迦さんが説いたと信じる』
>此のカッコ内が間違いであると明治以降に、あっさり解明されています。
あっさり解明されてなどいません。非常に短絡的な考えです。
成立年代を問題にするなら全ての仏典は非仏説ということになります。
また数百年間口伝のみで、経典の文言が後の弟子たちによるものだとしても
釈尊の真精神が仏典に反映されていないとはいえません。
大事なのは、仏意が何であり、仏法とはどのようなものであり、
現実の民衆や世界にとってどのような意味があるかなのです。 >>321
信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり、
何にとしても仏の種は法華経より外になきなり(法華初心成仏抄) >>322
法華経は、一切衆生の成仏を説き、久遠実成を明かし、地涌の菩薩の出現を示した
仏典の最高峰であり、円融円満の教です。 日蓮妄想カルト教義の被洗脳者は
死ぬまでレジェンド日蓮を宣揚し続けて
空虚な死を迎える
豊富な実例がこのスレッドにはある >>780
>二十八品の法華経が効能書きとすれば、丸薬は南無妙法蓮華経です。
丸薬だと提唱した人は法華七喩に反する発言を多々多々残してますよね。
>本門寿量品の文底に秘沈された極意を、上行菩薩の再誕である日蓮が拾い、
>顕したのが御本尊です。
天台で学んだ日蓮さんが説く文底に秘沈された極意は、所詮、五蘊。
極意が空であるならば般若心経等を学び理解に努めれば良い。
だがそうはしない。
つまり文底に秘沈された極意は空ではない。
空でないならば五蘊である。
般若心経に照らせば、どこまでも取り除き去るべき塵、芥のひとつでしかない。
日蓮さんが言う文底秘沈は、
日蓮さんが天台のお経をきちんと勉強しなかったからこそ出来上がった妄想教義である。 >>780
>釈尊滅後の未来において、地涌の菩薩が出現し、広宣流布することが
>法華経に予言されています。
地涌の菩薩の記述があるのは一部分で
法華経全編に渡って記述がある訳ではない。
それを最重要であるかのように言い立てるのは独善的な作為がありますね。 >>780
>仏説を論じるのであれば、何が仏説であるかまずご自身の見解、お立場をお述べ下さい。
諸宗派が共有する般若心経を念頭に置いた教えが仏説
>また大乗非仏説に立つなら全ての大乗仏教を否定しなければならないのに
>なぜかここの論者はいつも法華経のみを非仏説と批判されます。
弘法大師が言うには法華経には口密だけあって身密と意密がない。
その通りじゃないでしょうか。
般若心経を念頭に置いた教えを理解していくのに必要な行為と意図が不明瞭。
大日経や無量寿経のように般若心経との相関を感じることが不可能。
弘法大師は当然ですが、
平田篤胤も般若心経を勉強していたとしたらどうか。
般若心経を理解していくのに必要な情報が非常に不明瞭で不十分で、
効能書きだけで丸薬がないようなものだと感じるのももっともである。
と、般若心経を勉強している人は感じると思います。 >また大乗非仏説は772さんが仰ったように近代以降、
〜
>いずれも非仏説と断定することはできないのです。
詳しくないですが、そうなのかもしれませんね。
>したがって教相判釈の必要性が生じ、釈尊の真意はいかなるものであったのか
>思想性および実践性から比較されるべきものと考えます。
あなた教相判釈なんて全然してないでしょう?
法華経以外の経典をその理解に努めることはおろか
さっぱり読まないのにどうして教相判釈なんてすることができるんですか?
比較することができるのですか?
あなたにできているのは誰かの意見の鵜呑みであって、
本当に考えることなんてできていないんじゃないですか?自分の頭では。 >>780
>仏法を生命論として展開し、現実の社会で世界平和運動の広がりをみせるのが創価学会です。
>良書をお求めであれば、御書と人間革命をお勧めします。
般若心経を参照しない日蓮さんの文底秘沈の秘は、所詮五蘊。
創価の仏法は空に通じていない五蘊の法。
欲望、怒り、愚かさと同じ五蘊でできている五蘊の法。
五蘊の法を生命論として展開しても所詮は空に通じていない五蘊の生命論。
欲望、怒り、愚かさと同じ五蘊でできている五蘊の生命論。
現実世界で広がりを見せることがあろうとも、創価は五蘊の法・五蘊の生命論を奉ずる団体。
空に通じ行くことで欲望、怒り、愚かさから離れることを目指す仏教諸宗派と
相容れることはない。
本当に、信じるのが五蘊の法・五蘊の生命論を奉ずる団体で良いのですか? >>780
>あっさり解明されてなどいません。非常に短絡的な考えです。
〜
>釈尊の真精神が仏典に反映されていないとはいえません。
そうなのかもですね〜
>大事なのは、仏意が何であり、仏法とはどのようなものであり、
>現実の民衆や世界にとってどのような意味があるかなのです。
法華経以外のお経を読むことも無く
五蘊の法・五蘊の生命論を奉ずる創価を信じ
あくまで五蘊によってそれを理解しよう
頭で理屈という五蘊でできているものを巡らせて理解しよう、とお考えなのですよね。
大事なことを本当に理解できそうですか?
生きている間に そうかも他の御経を参考までに読んでみたらいいかもね。正宗も。
その上でやはり特段必要ないというのならそれはそれでいいのかも。 執着を離れて生きるんなら伝統仏教やら上座部からそれに向いたの選んで進行した方がいいと思う。
あまり仏教詳しくはないけど。
なんらかの願いとか願望もやはり祈りで叶えたい欲があるなら、それらを叶えることもあるという主張の宗派もいいんじゃない?
それを仏教とはしないという主張ももちろんあるのは知ってる。 >>780
現実の民衆や世界なんてのは存在しないのよ。
龍樹が説いたように、というか釈迦の眼目もそこにあるけど、あらゆる現実に見えるものって概念なの。
概念とは、人間が自身の心にイメージした心象。
言語が意味するものによって浮かび上がるイメージといってもいい。
イメージと現実とは異なる。
言語と現実は異なる。
人間がやっていることって、心や言語によって作り上げられた自分勝手なイメージを本来無意味な事象に投影する。
なんとかは正だ邪だ。なんとかは優だ劣だ。なんとかは勝ちだ負けだ。なんとかが宇宙や生命のリズムだ。
これらは全て人間の作り上げた概念。
そして人間は、これらの自分勝手なイメージを投影した事象の総体を世界と呼んで現実と思い込んでいる。
この状態を仏教では無明と呼ぶ。
仏意ってのは、その概念に囚われている人間を、自分が作り上げた現実という架空のイメージから解放すること。
その解放とは何かと言ったら、何物にも絶対的な意味を見出ださない状態。
それは、現実の何物にも意味はない虚構というのではなく、全ての現実の意味は自分が恣意的に作り上げているという自覚。
正義や優劣や勝負や宇宙や生命のあらゆることは、人間が自分の概念を投影した架空の物語。
物語は真実ではない。
この架空の物語は、人間の数と同じだけある。
それゆえに、現実と呼ばれる世界も人間と同じ数だけある。 常識や宗教や科学なんていうものは、「色々ある概念の中で、この特定の概念を今の時代、今の場所のおいて真実と定めましょう」という仮の決まりごと。
人間の概念を共通化しようとする試み。
しかし、人間はこの仮の決まりごとを現実と見なしてしまう。
そして、特定の概念に納得がいかず、じぶんの概念のみが正しいと信じたいから争いが起こる。
何が正しくて何が間違いとか、法華経が最も優れていて他は劣っているとか、間違ったものを信じると仏罰があるとか。
よって、現実や民衆や世界ってのは、全て人間の作り出した仮の概念を投影した、仮のイメージワールド。
しかし、仏教が解き明かしたその根底にあるのは、全てのものは無意味という真実。
諸法無我、諸行無常。
生命の根本を追求するとしたら、この無意味な事象に有という自己を形成していく生命の不可思議現象。
それは空から色が生じる原理と呼べるかもしれない。
仏から個人が誕生する原理と呼べるかもしれない。
諸法無我の状態から、人間や現実や世界と呼ばれる架空のイメージワールドを作り上げる仏の性質。
そこには全て仏の性質が根付いている。
仏でないものは何もない。
仏の性質とは、平和を作りさえもすれば、原爆を作りさえもする縦横無尽さだ。
これらあらゆる事象は、肉体に転生することにより自分は仏でなく個人と勘違いした人間が、自分の分離感覚の概念を事象に投影して作った無数の現実というドラマ。
人間の「自分は分離した個人」という感覚が、人間ごとに異なる概念を作り、人間ごとに異なる正義を生じさせる。
それゆえに、人間ごとに平和観が異なる。
それゆえに人間は、平和解決の手段として法華経を無理矢理絶対と定めようとしたり原爆を作ったりする。 全ての概念を手放してごらん。
そうすれば、平和で例えれば、平和観が異なることによる問題解決の手段は必要なくなる。
何も問題は存在していない。
なぜなら何物にも意味はないんだから。
仏は、肉体を自分と思い込んで自分を他から分離した個人と思い込んだ我が子が犯した勘違いを温かく見守っている。
仏は、個人という勘違いから生まれた人間の無数の異なる概念対立を、子供が必ず犯す我が儘や冒険として温かく見守っている。
我が子を仏に帰らせるのは、苦しみや争いの奥に垣間見える、「全ての苦しみや対立は、実際は人間間の概念対立が作り出している」「本来あらゆるものは無意味ではないか」という感覚。
我が子を仏に帰らせないのは、苦しみや争いを現実と信じ込んだことによる「苦しみや争いは、人類に法華経などの唯一真実を広めれば解決する」などに代表される特定の概念にしがみつく自我の執着。 【サッダルマフンダリキャソタランとは梵音の法華経の題名。】
サツダルマとは法華経開題の冒頭に存する熟語、当然法華経の原語である梵語。
訳すと サツは正し ダルマは法で素直に訳すと正法となる。
日蓮氏は此れをして、『正は妙なり』と強弁する文書が残る、是は無理な解釈。
此のサツの字はボディサッタのサツの字に相当する。
正しい菩提を求める者と訳すべきでしょう。
ご存知の通り菩薩の薩字である、法華経の内容は上行菩薩としての行儀、行い、目標を
掲げて仏に近くなろうという趣旨目的の大乗経典であり、成仏の仕方は説けない。
其れの証拠と言うべきは、日蓮大菩薩と宗旨では標榜する。
其れは釈尊直説に近い八正道が元になり、仏滅後の菩薩思想成立に寄与。
箇条書きになるが諸氏はお題として頂きたい。
お経の題名は一見し素性を判断できるもの、蓮華が付く題名は観音菩薩が主人公であり
菩薩の修行を説くもの多し。
鳩摩羅什の意図的誤訳を訂正する、これ法華経信徒の幸福の源と信じます。 法華経を賛美する日蓮患者は法華経そのものより日蓮業者の法華経解説を繰り返し熟読している。 >>791
>それを仏教とはしないという主張ももちろんあるのは知ってる。
宗派ではなく、仏教は現世利益を説かない。それを是とする教義を立てるのは勝手だが、それはもはや仏教ではない。
したがって日蓮教のように「日蓮仏法」などと仏教を詐称することは許されない。
ブードゥ教がブードゥ仏法などと名乗らないように、日蓮患者らは日蓮教と名乗るべきである。 地涌の菩薩も上行菩薩も多宝塔も(文献学的に最終章との集合知である)
嘱累品に、全ては消えて無くなると書いて有るよね?
あれは方便品の最初にゴータマが法の説明は難しいから
シャーリープトラに「もうこの話は止めよう」とするが衆生の求めに応じて
ゴータマ「しょうがないなあ、じゃあアレゴリーとレトリックで話すよ」
と釘を刺しと語り始める法華経。
でも嘱累品でゴータマは言う「全ては元いた場所へ帰れ!」と地涌の菩薩も多宝塔も現実では無いと語る。
地涌の菩薩も多宝塔も、大切で難しい仏教哲学を教える為の
メタファー、レトリック、アレゴリー、で有ることを再び教え
法華経は終わる。
文学性の高いドラマツルギーも、同義反復やトートロジーで終わることをゴータマは否定する。
メタ的否定により、逆に肯定すると言うドンデン返し。
宮沢賢治だけをでなくボルヘスやカサーレス、ホドロフスキーに影響を与えた。
方便品、信解品、安楽行品、嘱累品は特に好きだ。 【ギャグ係は何故学歴詐称を続けるのか?】
ギャグ係は自ら「小学5年からヤンキー生活で勉強しないで県内一の高校に入った」
…と語りましたがそれは統合失調症特有の嘘や妄想に過ぎません。
更には「自分が卒業した年は全員4年制の大学に進学し、専門学校や短大に進学した人は居なかった」
と、理解に苦しむ嘘を平気で語り一切訂正する様子はありません。
ギャグ係は確かに中学時代も勉強は出来ず、高校に在籍した経験すら皆無なのがわかります。
ギャグ係自体は還暦過ぎた年齢で統合失調症の他にも認知症などの脳機能障害を抱え、
過去の記憶(恐らくは忌まわしい記憶)は忘却しており、妄想と現実が混同されているようです。
何らかの薬物に深夜の酒等、更に脳にダメージを与え続けたツケが回ってきたのは明白です。
可哀想な事にギャグ係は創価に対する怨念だけで生きており、恐らくは肉体も精神も地獄世界に堕ちています。
現在は敵対する者を全て学会員扱いして逃げ回りますが、ギャグ係自体が学会員なのです。(内部アンチ)
ギャグ係本人は統合失調症等の脳機能障害を認知出来ず年々症状が悪化している事がわかります。
もはやアンチには反面教師としての存在でしかなく決して真似はしないよう願います… ―ところで、若い時代に例の形而上学的手ほどき(宗教的洗脳)を受けたりすると
凡庸な 頭がどれくらい麻痺するものか。
これがいちばんはっきりわかり、しかも滑稽な側面から見られるの は
そういう頭脳の持ち主が自分とは無縁な、ほかの教義を批評しようとくわだてる場合なんだ。
そう いう場合にふつう見られる図は、ほかの宗教の教義が自分の信じている宗教の教義と合わないというこ とを
やっきになって証明しようとかかることだ。
すなわち、ほかの宗教の教義には、自分の信奉して いる宗教の教義に説かれていることと同じことが言われていないばかりか
その意味するところもたし かに違っているということを、苦労して証明するだけなんだ。
まことに素朴きわまる話だが、これで本 人はほかの教義のまちがいを論証したつもりなのさ。
どちらかが正しいのだろうか、といった疑問を提出 することなどまったく念頭になく
自分自身の信仰箇条はア・プリオリな原理として動かないわけだ。
『アジア雑誌』第二〇巻でモリソン師は、シナ人の宗教と哲学を批評した一文で、この種の愉快な実例
を提供してくれているが、―まったく楽しくなってくるよ。
(ショーペンハウアー) >>798さん
>嘱累品でゴータマは言う「全ては元いた場所へ帰れ!」と地涌の菩薩も多宝塔も現実では無いと語る。
誰の解釈でしょうか?
鳩摩羅什の法華経を読んでもそのようなことは語っていませんし書かれてもいませんよね。
>ゴータマ「アレゴリーとレトリックで話すよ」と釘を刺しと語り始める法華経。
と、これもどこに書かれているのでしょう?
ニュワンスでお話するのであれば、方便品と嘱累品本文からの該当箇所も教えてください。 >と、これもどこに書かれているのでしょう?
え?方便品の一番最初に書いてあるじゃん。
当然アレゴリーとかレトリックなんて言葉は使ってないけどさ
東方学院でサンスクリットを学んだ低レベルの人間にも
サンスクリット版を読めばわかるんじゃ無いの?
とりあえず優しめのサンスクリット版現代語訳 法華経 上下(植木 著)や
手取り早いムックとして「100de名著 法華経」(植木先生 NHK)
を読んで見たら?
ところで貴方はどこでサンスクリット語を学ばれました? >>802さん
私はサンスクリット語を学んでいません。
>方便品の一番最初に書いてあるじゃん。
提示してもらえませんか?
無理ならいいですけど。 おそらく創価学会や宗門系で鳩摩羅什訳を
学んだ方とお見受けいたします。
法華経に関する集合的知に親しまれてないのでしょう。
先に挙げた植木先生の著書を図書館で読んで見たらどうでしょう?
植木先生の本が完全なる集合的知だとは申しませんが
何らかの示唆を与えてくれるはずです。
人がどう考えようと自由だと言う人は多いのですが
その自由は、あるところまでは自由に解釈してはいけないのです。
私の意見と、あの人の意見は違う。
だから、私はあの人が嫌い!
これでは子供なんですよ。
大人は
どうして私の意見と、あの人の意見は違うんだろう?
と考え始める事が、人間の教養と言う物です。
上意下達やトップダウン的にインプリンティング、インセプションされた人は
自分で調べよう。確認してみようとはせず
他者に聞くという行為によりイドラを生成し
結局、自己言及のパラドクスに陥り循環論法に溺れ
真の目的を忘れがちなんです。 キリスト教徒が仏教を批判して云う決まり文句、
如是我聞が矛盾だらけの滅茶苦茶を仏説として受諾して宗教が成る。
仏説と言うがとても信用ならない。例えば
阿弥陀経も法華経も如是我聞と言う文句が冒頭に在るがこれ如何よ?
経の中身がまったく違うじゃないか。
此れも明治以降の実話です。 >>803
もうわかったよ。問題はけっきょく、虚偽の衣をつけた真理ということに帰着する わけだ。
しかしこの組合せは、真理にとって破滅的だよ。
だって、真理を大衆のところへ運ぶ車として 非真理を使う権能をもっている人たちに
いかにも危険な武器が手渡されることになるじゃないか!
こうなっては、宗教にくっついている虚偽のひき起こす害のほうが
宗教のふくむ真実がもたらす利益 をうわまわることになるのではないかと心配になってくる。
じっさい、寓話がはっきり寓話と名乗っ て出てくるぶんには、それはそれでさしつかえないだろう。
だがそうなっては、寓話を尊重する気が すっかりなくなって、したがって効果もゼロになってしまう。
だから、寓話が真実なのは、せいぜい比 喩の意味にすぎないのに
本来の意味でも真実としてまかり通り、真実だと言い張らざるをえなくなる のだ。
この点に、どうにもならない害、永続的な弊害がある。
だからこそ宗教は、純粋な真理を求める とらわれない高貴な努力とたえず衝突してきたし
これからさきもくりかえし衝突することになるわけ なのだ。
(ショーペンハウアー 対話篇) >>804さん
>>798の貴方自身のレスに沿って、詳しく話をお聞きしたいと思いましたが、
結局は提示ができないのもと判断しましたので
残念ですがあきらめます。
>>806さん
サンスクリット語を学んだ人は、議論を逸らすのが得意になるようですね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています