肉体に基づくあらゆる価値判断の放棄。
それが、自分は他とは分離している個人だという幻想の雲を徐々に払ってくれる。

光そのものである我々は、自分が光る努力は出来ない。
ただ、自分を覆い隠す分別という雲は払うことが出来る。
肉体の制限された視野という分別を捨てるための方法、それは様々な宗教が様々なメソッドとして編み出してきた。
自分にあった方法を選ぶのが好ましい。
その方法に浅深や高低はない。
宗教の浅深や高低を説くものがあれば、それは分別に囚われ、光を見ずに色のみに囚われている宗教。