>>534
>あなたは「南無妙法蓮華経」が阿耨多羅三藐三菩提を意味していると意図して
>それを本尊としているのですか。

先程もいいましたように、阿耨多羅三藐三菩提が無上菩提という真実最高の悟り
の意味だとすれば、それは南無妙法蓮華経だと考えます。
しかし、法華経もしくはその萌芽となる悟りを始成正覚の時点で覚知していたのか、
または徐々に磨かれて得たのか、という意味だとするとそれはわかりかねますが、
私は史実の上では後者が近いだろうと思っています。
釈尊は菩提樹下で悟りを得たのですが、その内容があまりにも甚深微妙なので
法を説くことを躊躇い、法悦を楽しみ、梵天の勧めでようやく説いたとされるのですが、
初転法輪やその後に説かれた数々の教えは、衆生の機根を整えるための対機説法であり、
最高の教えに導くための方便であるとしたら、その内証において無上菩提とされる
悟りをどの程度会得していたのか、大変興味深い考察ではあります。
もしご質問の意図が別にあるのであれば、534さんの基本認識とともに詳述願います。