ちょっと議論からそれ気味になりますが、目先にこだわりたくないので仏教的な視点を導入します、
あくまで私の視点なので正確とはいいません。
解釈が間違っていたらご了承ください。

仏教団体って創価以外の仏教団体を見てみれば分かるけど、政治進出する団体は極めて少ない。

その理由は明確で、仏教の本来の目的は
解脱にあるから。
解脱の思想から見れば、この現世の生というのは何度も繰り返される輪廻のヒトコマであり、こだわり過ぎるものではないという見方をする。
生への執着は戒められる煩悩の一つ。

ただ、創価学会って現世利益宗教だから、仏教団体としては例外的に現世の出来事に異常に執着する。
特に、利益を得ることと成功することへの執着が物凄い強い。
この生への強い執着がこの世を理想にしたいという世直し願望を非常に高める。
その現れが創価学会の総体革命という、あらゆる分野の広宣流布化。

創価学会が、広宣流布という仏国土実現のために政界進出にこだわる理由の根本がここにある。
仏国土という世界平和は素晴らしいこと。
しかしこの世界平和というのは、物事を輪廻という転生の機会として見るのではないことになる。
なぜなら輪廻の観点から見るならば、輪廻する魂以外は諸行無常であり、肉体から離れれば世界は夢のように消え去る。
世界平和とは、この無常に反して世界を絶対確実なものとして見る見方。
その結果、平和視点からこの世の事象に関わるならば、天変地異や人心の乱れといったいろんな物事に修正すべき誤りや劣ったものを、無常ではない絶体的な現実としてとらえることになる。

創価公明の苦しさって、こっから生じる。
仏教視点からは、この世に物理的に正すべきことはない。
なぜならあらゆるものは無常で空で実態はないのだから。
仏教視点からは、この世に空を見て無常を見て、人間の欲望の儚さを見て、それゆえに執着を手放す。
それゆえにこの世とは、様々な出来事を通して自分の煩悩に気づくための場であり機会。

しかし、創価公明はこの世の無常や空を実態と勘違いするから、普遍の魂よりも肉体という物質に執着して生老病死を実体化する。
また、肉体が生きる世界で肉体の確実性を高めるために、肉体を権威化しようとし、学歴や地位や名誉などを築こうとする。