【対話】2世3世のブログを読む【非活】
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創価学会とは — 対話を求めて — 静かに創価学会を去るために
https://signifie.wordpress.com/
※ 超有名ブログ。創価学会に疑問を持った方はまず見るべき。
気楽に語ろう☆創価学会非活のブログ☆
http://watabeshinjun.hatenablog.com/
※ 教義についての専門的な内容が多いが、内部事情の暴露もあり。
蓮の落胤−創価学会、話そうか
http://hasu-no-rakuin.hatenablog.com/
※ 非活3世による、教義や活動についての独自の考察。
さらば!創価学会に関するものたち
https://ameblo.jp/march001001/
※ 元地区婦人部長のブログ。学会活動に疲弊し覚醒したとのこと。
創価学会を卒業します!
https://blog.goo.ne.jp/sotugyo117
※ 2世によるブログ。狂信的な母への複雑な思いが綴られている。
創価学会なんていらない
http://aliceari.blog.fc2.com/
※ 非活として過去を振り返り、創価学会の理不尽さを吐露している。 創価学会員は外の世間のことを
ほとんど何も知らないのに
自分たちは唯一絶対に正しい思い込んでた
今はネットのおかげで創価と違う考えも
あることを簡単に知ることができる
だから覚醒する人も増えたのかも >>38
お人良しもあるだろうが、おめでたい人もそれなりに居るかな。見通しが甘くて、楽観的。こういう人は、自分の都合の良い事を信じて、都合の悪い事はスルーする。
公平に考えない。 一般人にもおめでたい人はたくさんいる
都合のいいことは信じ、都合の悪いことはスルーで公平に考えない
つまり、創価に入ってしまったかどうかは、運が悪いかどうかの話ではないかと 催眠術にかかりやすい人とかかり難い人がいるように、人生投げ打って宗教にのめり込む人や自己啓発、ネズミ講などに騙される人はやっぱり普通の思考力ではないんじゃない?
馬鹿は遅かれ早かれ何かしらに引っかかるってやつで、たまたま創価だったってだけのこと。
運というならそれ。 DV夫やサイコパスから、なかなか逃れられないのは分かる。
知らなくて結婚してしまったら、そうそう別れられないからな。
2世3世が活動家になってしまったのは運だと思うが、1世は運も無いとは言わないがやはりアンテナか未発達なんだと思う。 >>43
二世三世でも全く創価に影響受けずに生きてる人もいるからなぁ
こんな分析意味ないよな 運が悪いんだったら、兄弟で活動家になる人と影響受けない人の違いはなんだろ? だな。
対話ブログでもchでも、誰でも創価に引っかかる可能性はあるみたいなこと度々語られるけど、世の中引っかからない人が大多数だし、創価の家庭で同じように育った兄弟でも信心の度合いは本当にマチマチ。 先ず創価学会の(池上さんに語ったように仏教団体だとするならば)
仏教的教義哲学(信心やら題目といったマクガフィンで無く東洋哲学としての教義哲学)
が良く分からない人は多いだろう。
そこで、いったい創価学会の教理哲学とは(その信仰の本質的哲学的理念とは)何か?
を探った人も多かろう。(部外者も一世も二世三世も)
ここで仏教哲学的に、または東洋哲学的に納得のいく創価教理哲学を探せた人がいるか?
実は哲学的にも社会学的にも、この創価学会教理哲学の存在を言語論理的破綻をせず
理解する事は、不可能に近いぐらい困難である。
それだけ謎のカーテン、眩暈的なる円環での彷徨い、を与える宗教団体にコミットした
一世達は畢竟その「教理哲学」ゆえ学会員になったのでは無い事は想像に難しく無い。
つまり、ワザと単純に言ってみよう。彼等は「宗教哲学」や「東洋哲学」に魅かれて
創価学会員になったのでは無い。
自己実現欲求なのか?承認欲求なのか?ただ寂しいのか?現世利益信仰なのか?
それは知らん。それぞれの個人的なコミットメントであり私達は言及出来ない。
ただ私達が忘れてはならないのは、彼ら創価学会一世達は
「論証し得る論拠を持っていない」という事実である。
そんな創価学会一世達の子供達は、「論証し得ぬ文化圏」という社会の最小構成単位である
「学会家庭」を帰属社会として「論拠の示せぬ価値観と教育」で育てられる。
去年、合衆国のいくつかの州に仕事で出向いた。子供を扱う仕事をしている。
合衆国の子供達(約3歳から10歳までだろうか?)は教室に集まり各自イスに座るとき
後ろに1人が入れるぐらいのスペースを空ける。
理由は小さい時から自分の後ろには1人の守護天使が付いて来てくれる、と
親から教えられる文化圏だからだそうだ。
天使が立てるスペースを作ってあげている。
(NY州ではそんな事無いぞ!との声も上がるかも知れないから書いておく
私が見たのはテネシー州、アラバマ州、ミシシッピ州、フロリダ州でである) >>47
米は進化論裁判で調べると面白いね
ま、キリスト教徒もガチガチの原理主義者は正宗系カルト脳並みにイカれてると思うけど 創価はよろず屋宗教だと思うよ。
何でもあり。
それは牧口哲学を見れば分かる。
牧口はカントの真善美を利善美に改めた。
真を利に切り替えた。
利ってのは、人間に利益をもたらすものなら何でも肯定出来る考え方。
金儲けオッケー、快楽オッケー、優劣オッケー、勝利オッケー、名誉オッケー、排他オッケー、妥協オッケー。
だから創価は人間主義。
創価は真理を追及するわけではない。
創価は、人間の幸福という人間が最も求める価値を追及する。
人間の幸福というのは極めて幅広い。
他の宗教のように真理を追及するとどうしてもストイックになってしまう。
一般宗教の真理追及というストイックな姿勢は、人間が幅広い世俗の幸福を堪能するには適さない。
創価学会は、真理を捨てて人間が幸福感を感じるものを肯定する道を選んだ。
その妥協姿勢を哲学的に言い表すならば
「人間主義」
この創価の人間主義を正確に例え直すならば
「エゴの満足追及至上主義」
創価は人間主義という人間の快楽肯定のお陰で信者数が多く、世俗的な多方面に進出出来た。
しかし、創価学会は世俗幸福を得たことによりあるものを捨て無ければいけなかった。
それは、煩悩を排することにより得られるはずの涅槃や悟り。
人間主義とは煩悩の宗教的肯定。言い換えれば、それはエゴとの妥協を意味する。
創価とは、エゴが自分の姿を覆い隠して世俗的な幸福を満喫するための、宗教の皮を被った隠れ蓑。 自分でものを考えようとしない人たちに
唯一絶対に正しいとか
福運がつくとか言ってたぶらかして
色んな口実でお金を出させ
幹部たちが年収何千万もらって
ぜいたくな暮らしをしている
それが創価学会の本当の姿 創価止めた後、やたら左寄りの思想になる人が圧倒的に多い。
憲法改正反対
米軍基地反対
原発反対
介護の充実、年金減らすな
などなど社会主義的、共産主義的な思想になるようだ。
たぶん、彼らは理想を語っているんだろう。
みんなが平等で争わなくて助け合う世の中を作ろうよ、と。
それは間違いでは無いのだけど、そうは行かないのが現実だ。
その現実を直視すれば、時には競争が必要であったりパワーバランスが必要だったり、そんな拮抗が世の中を安定させているという事実に気が付くはずなのだが。
彼らはまるで頭では無く額でしか考えていないように汚れや危険をシャットアウトして退けている。
ずーと理想を語り続けているんだ。 49の理由から、創価学会からは涅槃や悟りを得る者はいないし、実際に出ていない。
涅槃や悟りを得ると、現世利益への執着が無くなる。
なぜなら、涅槃や悟りとはエゴの消滅であり、エゴが消え去れば人間が満足を追及する源が途絶えてしまうから。
戸田は獄中で悟りを得たと喧伝されているが、内容は極めて浅はか。
戸田は無量義経で表現されている無、つまりあらゆるものを否定していって残る仏の正体とは生命としている。
この探求は一見妥当と見なされるが、戸田に関しては極めて浅い。
生命には大小がある。
生命を、あらゆるものを包摂する全体として見なすならば、生命の本質とは無境界であり、無差別であり、ワンネス。
この知覚が悟りであり、この全体性の知覚が生じるとあらゆる分別が消えてなくなってしまう。
全体性内における時間や空間とは、絶対事象ではなく一時的な表層事象と見なされるようになる。
なぜなら、時間や空間とは特定な視点に基づいた移動の概念に過ぎないから。
それゆえに、あらゆるものは時間や空間といった制約を持たない、渾然一体の仏の変容と見通すことが出来る。
それはあるがままであり、あらゆるものを含み、人間とはその中に一時的に現れる部分であり、その部分は悟りと共に全体に消えて再び全体と一体になる。
あらゆるものが全体生命から生じては消え去り、その多様な変化は仏が己を観じる性質であり、我々は仏と同一体である子供として仏との永遠の至福の共同創造者であることを理解する。
この状態になれば、日蓮の優劣や排他や法華経絶対思考が、分別にとらわれた如何に小さい生命観かを理解できる。
戸田がここに思い至らないのは、戸田の獄中の悟りはあらゆるものを包摂する性質の生命の本質理解に至っていないから。
戸田が達したのは、優劣好きや勝負好きの創価に似合った、己の生存本能に執着する個人や団体の部分生命レベル。 エゴとは、全体生命を究極に分節化していった最後に残る個人という生命。
煩悩を消すとは、このエゴが自分を個人生命と勘違いして利益に執着しまう傾向を一つ一つ取り除く作業。
エゴとは、自分が仏という全体生命であることを忘れている状態。
それゆえに、人間が肉体への執着を肯定して利益にしがみついている状態。
エゴは、自己の存在を肯定するために、競争や一番や勝利や絶対正義が大好き。
なぜなら、エゴにとらわれた人間は、個々の生命は分離していると思い込んでいて、その中で自分は勝ち残らなければいけないと思っているから。
創価学会による、異常なまでの宗教や思想のランク付け、異常なまでの自分以外の宗教思想の敵視、異常なまでの勝利への執着、異常なまでの利益追及、
異常なまでの名誉や勲章のコレクション、異常なまでの成果主義、異常なまでの自分達のみが正義であるという理論武装、異常なまでの日蓮と法華経のみの絶対視、異常なまでの師匠の神格化、
これらは全てエゴの傾向。
エゴによる自分を卓越した存在と見なすための武装行為。
涅槃とは、このような個人の武装を解除し尽くした後に生じる。
仏は、自分の子供が個人にしがみつきたがる傾向を十分分かっている。
仏は、自分の子供が仏の教えをねじ曲げることが分かっている。
仏は、自分の子供が迷って最後には自分を求めることを分かっている。
仏は、子供に苦しみという恩寵を与えた。
その苦しみがあなたを仏に導く。
苦しみの根源とは何か。
その根源が自分が人生の判断をエゴに委ねたせいだと気づけば、人生は変転する。 >>47
>>「論拠の示せぬ価値観と教育」
言い当ててるね。
普通、人はこれはこうでありその理由はこうなんだ。
と説明するもんなんだが、彼らはとにかくコレコレだとレッテルを貼る。
何故かと聞かれると比喩を使って野球では、会社では、などとそのものと違う事案で説明する。
これはストレートに根拠を示せないからこじつけているんだ。
あるいは相手の人間性にすり替えてはぐらかす。
なぜ論理的、科学的思考をしないんだろうかと不思議だったが、習慣が無いから出来ないんだな。 >>54
うーん。確かに根拠なきレッテル貼りは創価界隈でも多く見受けられるが
論理的、科学的思考をしない人間なんて世の中に溢れかえっているよ
民族蔑視でもそうだし、性差でもそう、血液型や、部落問題でもそういう視点があるだろ
だから創価会員だからこうだ!という分析は意味をまったくなさない
創価問題を考える場合は池田大作個人にコミットする以外にないんじゃないか?
池田大作という人物はいったい何をしたかったのか。
これを賛否両論で戦わせるべきなんじゃないのか?
これ以外に模索する要点はあるのか? オウム真理教信者は、麻原のことをグルとして以外に父親のような存在として見なしていたそう。
だから、オウム真理教信者は出家に未練を残さず麻原を中心に家族のような団結を見せた。
池田は麻原以上に多面性があるね。
師匠であり、父であり、指導者であり、百科全書であり、世界平和のリーダーであり、日蓮の意思を継ぐ者であり、信者のことを何でも分かっている神通力者であり、あらゆる悩みに答えてくれる生活アドバイザーであり、
人類の教師であり、信者の心に住まう最高の良心であり、あらゆる魔を退散させる菩薩であり、あらゆる激務をこなすスーパーマンであり、信者を思う心は誰よりも深く…
これらは全て欺瞞で池田さんが演じていたこと。
ただ、池田さんはこれらを全て本当のように演じきれている名優でもあった。
創価学会の凄さは、こういった池田さんを神格化させる演出を作れる人が裏にいたこと。
総体革命のシナリオを書いた原島さん、日中国交正常化の立役者である竹入さん等々。
これらの手柄は池田に全て持っていかれてしまった。
このように、昭和の創価は裏方に広宣流布を本当に実現しようと情熱を燃やす有能なスタッフを沢山抱えていたと想像する。 >>55
偽書根本の出鱈目教義で自宗以外のその他一切邪教なんてイスラム原理主義過激派並みのキチガイカルトなんて
日本じゃ正宗系カルトだけだからw
その教義がイカれてるから信徒もイカれてると云うだけの話でしょw >>57
うん、全然否定はしない
しかしそういう十把一絡げの粗い目線で「だから創価はダメなんだ」と
言ったところで、会員も正宗信徒も屁理屈と頑なな思い込みで反論して平行線なだけ
池田の目的は何だったのか。本性はなんだったのか。
そこをもっとひも解いていかないと、創価学会の本質なんてみえてこないじゃないかな。
会員たちはいい側面ばかりを信じて、そして信用して公明党支援をしてきた
この人たちをバカにしたってカルトは駆逐できないと思うんだよね
なぜ創価が怖いのか
そこを理論的に説明できる人が増えて欲しいんだよ >>56
色々詳しいんだね。
そう、こういう客観性を軸にした池田・創価の素顔をもっと書いてくれる人が増えて欲しい。
なんでもそうなんだけど感情的な批判も、感情的な称賛もどちらも愚行なのだからね。 >>58
創価の本質なんて単なるカルト詐欺ビジネスだろ
反戦平和云々とか2003の池田太作の武力行使容認(聖教新聞)の時点で嘘八百、似非平和団体と明白な訳だからな(そもそも、それ以前からも明白だけどw) >>58
思考停止の盲信700万票で国政を左右する時点で個人的には十分恐怖だけどな(沖縄は面白そうな状況だけどw) >>47を書いた者です。
色々な意見をありがとうございます。
今回私が書かせていただきたかった事は、たとえば例として出させて頂くと
>>55さんの様な書き込みでは無く、>>54さんの精神態度に近いものです。
55さんの様な思考や観察そして、その論調はあまた見られましたが
今回、私は対立構造を一切持たぬ「二世三世が苦しむという社会病理」の理由を
先ず表したかったのです。
「創価はカルトだ!」 「創価は詐欺団体だ!」と言ったところで
それは「苦しむ二世三世達」にとって何もソリューションを引き出せないのです。
ただ、正直な感情の発露という点では、発言者の主観と断った上では私は否定はしません。
何故?そんな事を書いたのか?
感情的に二項対立的な論題の非共有は、根源的な事実論題をないがしろにします。
根源的な事実論題をスルーします。
根源的な事実論題から話を逸らそうとする「二世三世への人権侵害親」達の
論題非共有(話のすりかえ)に気づかぬうちに、まんまと乗せられてしまいます。
どう簡潔に言ったら良いのか?難しいのですが
この「論証し得ぬ原理主義、全体主義、順応主義」が「創価学会の子供達の人権侵害」の
根源的な原因であるのなら。
私達は、その子供達の為に、社会的道義的にも話を決して逸らしてはいけないのです。
話の論点を変えらる事に必死で抵抗するべきなのです。
もしも創価学会に対して無自覚無知性な言葉を投げかければ
それは「論証出来得ぬ原理主義、全体主義、順応主義」と
「論拠無き学会家族で教育を受ける事、アンカリングをかけられる事」 と、い、う、
「二世三世・人権侵害問題」について考察し続ける
語り続ける、訴え続ける事が出来なくなってしまいます。
相手の土俵に上がってはいけません。 >>58
一般人が前提の記事なので、正宗系カルト脳には当てはまらない点がいくつかあるが
(曲解等、典型、明白に悪意ある曲解、捏造等造作も無いのが正宗系カルト、そもそも彼等は信仰者なので議論の場で論理的な思考は必要ない)
議論のしかた
2003-07-16
ネットで議論をするにはルールがあります。いえ、ネット以外で議論する場合も同じですが。
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1548574019/l50
感情論とは何か
感情論は議論の場では有害なものですが、しばしば遭遇します。
参加者の多くは「感情論とは何か」がわかっていないからです。
もちろん「感情にかられた主観的な議論」という字義は皆わかっています。
しかし実際の発言を見てどれが感情論かを見分けることができないでいるのです。
まずは例を見て下さい。次の例のどっちが感情論でしょうか?
北朝鮮はテロ国家である。
日本人拉致問題など数々の問題を起こし、条約を破棄して核開発を進めている。
過去に言った事は何一つ守らない。
こんな国家は放っておくとのさばるだけだ。
このような国は先制攻撃で叩き潰すべきだ。
私はどんな事があっても戦争はいけないと思います。
ましてや、北朝鮮の国民のほとんどは虐げられたかわいそうな人々です。
私達がすべきことは破壊ではなく対話ではないでしょうか。
内容に問題があるのは前者かもしれませんが、感情論なのは後者です。
なぜなら、「思います」「かわいそう」というような感情を表す言葉が使われているからです。
だから客観的な論議ではないただの感情論なのです。
ついでに言えば「〜である」と言い切らないで「〜ではないでしょうか」と疑問形にしているのも、発言をより主観的に見せています。 >>63 続き
前者の発言の骨格だけを抜き出すと「○○である。なぜなら△△だからだ。だから□□になる。よって××すべきだ」と、きちんとした論理に従っています。
それに対して、後者の発言は「○○だと思います。△△です。××ではないでしょうか」と、自分が思っている事柄だけを述べています。
言っている事に論理のつながりがなく、単に自分の思っている事をいろいろ並べてみただけです。
だから感情論だと言われるのです。
議論の場で「思う」「信じる」「好き/嫌い」というような主観的な言葉は使ってはいけません。
代わりに「考える」や「である」を使って下さい。これらの言葉を使ってみると、「なぜなら〜」と理由を述べないと格好がつかない事がわかるでしょう。
それに対して「思う」「信じる」には理由がいりません。
だから客観的な議論には良くないのです。
繰り返しになりますが、「北朝鮮とは対話を重視すべきだ」という意見を書きたかったら、「北朝鮮とは対話を重視すべきだ」と書いて下さい。
「私は対話を重視すべきだと思う」と書いてはいけません。
後者は主観的な文であり、感情論です。
「である」を多用するとどうしても語調が激しくなり、それを「感情論だ」と批判する人が出てきます。
しかし「語調が激しい=感情論」ではありません。
事実はその逆です。
感情論とは「自分の思った事だけを言い、理由を言わない議論」のことです。
理由を言わないから他の人にわかってもらえないのです。
そして他人が理解できない発言だから議論には有害なのです。 >>58
刈人宗教解析倶楽部< カルトマインドコントロールシステム >
http://www.geocities.jp/sonomama_da/mc.html
ちなみにカルト・マインドコントロールの最初の段階である「自我の確立の抑制」は、
1世では「過去の自我の否定&破壊」と考えられます(2世の場合は、子供の頃からの自我の抑制)。
自我の破壊は、自己と他人(社会)との境界線を破壊します(自我がない=境界線の引きようがない)。
こういう人は、精神医学の世界では「境界性人格障害」「自己愛人格障害」に分類されます
つまりカルトは、意図的に「自我を破壊し(あるいは自我の確立を抑制し)人格障害者をつくる」
ことを目的としてマインドコントロール手法を使うのです。
こういう症状の人は、個の自立ができないため、
他者(もの・教団・教えなど)によって自己の存在を確認しようとすることで「依存&共依存症」の症状を引き起こします
(カルトの狙い=組織依存 は、まさにここにあります)。
ですからもともと強固な自我を確立している者(それに論理的思考能力・批判精神・情報分析能力をもちあわせていれば、
言うことはありません)は、カルト・マインドコントロールにはかかりにくく、
一方で幼少時のトラウマや家庭環境などが原因でもともとアダルト・チルドレン&依存・共依存症
(自我の確立ができず、自分への自信がないため、生きにくさを感じている人。愛情に飢えて、心に空洞や傷を持っている人)
の兆候を持っている人はかかりやすいということになります。
(つまり2世などはアダルトチルドレン→依存・共依存症の方が多くなる可能性があるということです)
実際重度の症状の人は、やはり進んで・喜んでカルトを受け入れさえすることも多いようですし・・・。
そういう方ほどカルトに入って自我の確立をしたような気になり、心の病も治ったかのように思うものですが、
しかし実体は違います。
日蓮正宗、創価学会、顕正会の猛省を願う…カルトサーフィンNo1
http://blogs.yahoo.co.jp/shounanboy01/26964582.html 60年代に社会問題になった折伏大行進から、言論出版問題、宗門闘争、富士宮百条委員会、金庫ゴミ捨事件、ルノアール、矢野委員長問題。
藤原行正、福島源次郎、山崎、原島造反と暴露本。
30年〜40年前から、池田は一般社会からはいかがわしいヤツというイメージなんだよ。
たぶん自己愛性人格障害と妄想性人格障害なんだろう。
歴史上にも似たような人物はたくさんいる。
スターリン、ポル・ポト、毛沢東、ヒトラーなどなど。
池田の行った事やそれにまつわる証言はもうとっくに出尽くしている。
それよりも見るからに胡散臭いオッサンに心酔していた信者のメンタルのほうが興味深くて永遠の謎だよ。 >>67
>それよりも見るからに胡散臭いオッサンに心酔していた信者のメンタルのほうが興味深くて永遠の謎だよ。
こんなのたいていの人は「ふり」
そうやってることにしとけばスムーズだったからだよ
しかし何だかここ理屈っぽいここスレだな
ブログの感想言うスレじゃないの? >>68
【理屈っぽい】
たまたまそう云う流れになっただけで、匿名掲示板なんだから各々好きに使えば良いんじゃない?
自分はアンチ創価なので、意味不明な創価擁護やアンチのアンチ、詭弁ジアンのカルト脳は叩くけどw >>66
5chでは数少ない論理的内容ですね。とても良い意見です。
私は、これまで自己愛性人格障害の人物に数回拘わった経験からその性質についていろいろ調べてきました。
そして最近は、創価狂信者からも被害にあい色々と調べています。
自己愛性人格障害は、本来の自分に蓋をしてすばらしい人物像になりきっており、それを確認する為に他人を虐待する。
もしかしたら、カルト信者もこれに近い思考なのかも知れないと考えるようになりました。
本来の自分を抑えつけている事と、他者に拘わる事で自身の優越性を確認している点が類似点です。
両者ともに本来の自分の存在を無くしていて、自分に向き合えず他人を見て動いているのです。 自分の心の奥深い部分に目を向けてあげない、気づいてあげない、理解してあげないといつも不安を抱え心は安定しません。
だから双方ともに、善か悪か、強いか弱いか、勝つか負けるか。
他人との関係に執着するのです。
自己愛性人格障害のほうは、治らないと言われています。
幼い頃にあまりに醜い虐待を受け、愛されなかった自分を受け入れることができないからです。
しかし、カルト信者は改善すると考えます。それは他者と境界線無く係わっていますが虐待はしていないからです。
なぜカルト信者になってしまったか?過去を紐解いて傷ついたインナーチャイルドに気がついて欲しいと願っています。 >>74
虐待をしていないから、云々と言うのは自身>>74の周辺限定での話か、創価全体の事を指しての事か解らんが
創価全体を指してなら
毒親、機能不全家族 虐待、等のワードと共に創価で検索する事をお勧めするね
その御書根本の独善排他教義と精神的、心理的虐待が結びつくのは容易、悪い意味で親和性が高いと見るね
因みに、カルトMCを完全に解くには、そのMC期間(正宗系カルトで云えば信仰期間)と同等の時間
もしくは倍以上かかるとも言われてるね
そのカルトサーフィン自体もそうだが、創価から他の正宗系カルトにカルトサーフィンした人間の言動を見るに
正宗系カルトのMCは相当強固だと言わざるえないね
その定義上詐欺だと云う事が明白な教義に関する疑問や指摘に対して、罵詈雑言、誹謗中傷の限りを尽くす様な末期的なカルト脳は
年齢にもよるが、正直、残念ながら手遅れと自分は考えているよ
自分からすれば、その議論もどきの応酬の過程で他者が、退会、未活化かすれば御の字と言った所だな >>75
追加
経済的虐待も該当するね、これはリアルでもネットでも聞いた話だが
子供の頃のお年玉を親が勝手に財務に使った
類似の例は二世三世のブログ記事でも見た記憶がある
酷い場合は祖母や祖父が学費や結婚資金、また自身の葬儀や墓の為の貯金を財務に注ぎ込むとかね
夫の茄子を無断で創価儲の妻が財務に注ぎ込んだなんてレスも見た記憶があるな
ま、何れにせよ偽書根本出鱈目教義で現世利益を謳うカルト宗教らしい生々しいエピソードで草も生えんがな カルトの手口は、信者に原罪の意識を持たせること。
信者は、自分が原罪を負っていると思い込まされると、自分は崇高なものと比べて矮小なつまらない人間と見なすようになる。
そしてカルトは信者に、その原罪を償うには、崇高なるものに自分を明け渡さねばならないと諭す。
そうすれば、原罪を背負った矮小な存在であったとしても、崇高なるものに抱かれ、罪が赦され、成仏に至るとされる、
創価の出発点は、一般の人間は業やカルマに毒された惨めで矮小な凡夫であると思い込ませること。
これが原罪の意識を作り出す。
「自分は業を背負っているから、その業を消さなければ幸福になれない」という強迫観念を作り出す。
そこで、この原罪を消し去る崇高なものが提示される。
「創価学会で師弟の実践という崇高な行いをすれば、過去の罪業を転換する人間革命を達成出来ますよ」という凡夫からの救済される方法が提供される。
ありのままの自分らしさを、原罪意識を持たされることにより否定されたカルトの2世3世。
彼らは、自分が背負った原罪を償うために救いを求めざるを得ない。
原罪を背負わされる前に強固なアイデンティティーを築けている信者は、マインドコントロールを跳ね返すことが出来る。
しかし、親の言うことを素直に従う良い子は、自分らしさを見いだす前に原罪意識が強く根づかされる。
そのような子は、原罪意識が自分を矮小な存在と思い込ませ、自己のアイデンティティーをいつまでも築くことができない。
そのアイデンティティーの希薄さを補うために、原罪から救ってくれる崇高なものに自身の身を委ねることで自己のアイデンティティーを埋め合わせようとする。
このアイデンティティーが希薄な自分を崇高なものに委ねて満足させようとする行為が、師匠に自分を明け渡して師匠と自分を同化させようとする、師弟不二という完全依存。 脱会者もいろいろなんだが、自分を許せないほどに罪悪感を持ってる人もいるが。
一方、創価を信じていた故の活動だったのだから後悔も罪悪感も無いという人もいる。
あらゆる経験は、今の自分を形成する為に必要だったと言う人もいれば、創価に良いところなど一つも無いと言う人もいる。
たぶん、創価からの被害の大きさによって違うのだろうし、もともと創価に魅力を感じなかったが親にやらされていた人と好きでやってた人かの違いもあるんだろう。
しかし、自分は「信じる」という気持ちをそんなに良いものと考えていないので
>>70
のように「信じていたから」と言われても釈然としない。
あんなものを何故信じられたのかを調べている訳だから。 AIが人を操るマインドコントロール兵器の危険性
人の行動を完全に操れるマインドコントロール兵器を
起動していると今までの歴史の不祥事
そしてこれからおこる全ての歴史に疑いがかかる
なぜなら安倍首相 プーチン大統領 トランプ大統領 習近平国家主席
韓国の大統領 北の大統領 すべてを操れてしまうわけである
試運転でも画策しているとみなされ各国の政府が黙ってはいない
戦争の引きがねとなる これからの世界は衛星の把握
テクノロジーの発展で必ず起動しているものは察知される
このようなマインドコントロール兵器をおこなっている機関
または関与している機関は即刻即刻やめるべきである
AIが人を操るようなことはあってならない
AI兵器全面禁止 AI兵器全面禁止は池田大作名誉会長様の御威光
拡散希 >>77
キリスト教がまさしく、神の言いつけを破ってリンゴを食べたアダムとイブの原罪なんだよ。そそのかしたヘビがサタンだ。
カルトは、利用できるものは他の宗派でもなんでもくっつけるんだな。
戦争中は国粋主義だったが、時代が変われば世界平和に変わるように。
創価を信じて好きで活動している人間は本当のところどうなんだろう?
普通の宗教であれば尊重されるものだが、創価にも当てはまるのだろうか。 >>80
創価はよろず屋宗教で、いろんな引き出しを持っている。
そして、その引き出しは、各様々なタイプに応じて使い分けられる。
婦人部のような、力の強い人に依存するタイプ
↓
池田や幹部のような、きつく叱ってくれる人を求めて依存する。
壮年部のような、自分のメンツが大切なタイプ
↓
池田と識者との対談や、池田がもらう勲章や名誉に自分を重ね合わせて、自尊心を満足させる。
男子部のような、バリバリ活動力する自分に酔うタイプ。
↓
池田の獅子奮迅の伝説に憧れ、池田の弟子である自分を誇りに観じ、池田の真似をすることに至福を感じる。
女子部のような、父親のような頼れる存在を求めるタイプ
↓
池田の娘として、池田に活動報告をすることに無常の喜びを見出だす。
こんな感じで、同じ学会員でも何を好きで活動するかは色々。
創価は、様々なタイプの人間を洗脳するために、様々なタイプごとの洗脳パターンを持っている。
それは、池田の多岐に渡る不必要なまでの膨大すぎる指導を見れば一目瞭然。
ただ基本は、信者の心に依存心を作り上げて、その依存心に合った様々な餌を与えるところ。 >>81
そうなんですよね。
依存だから離れられない。好きとか尊敬とは別物なんですよね。
自分が希薄になるから、その分承認欲求も強くなるのかな。 まあちって行進だな。あれ見ると中山千夏の「緑のひだまり」思い出す。
緑が森のひだまりは かくれんぼするのに よいところ
あの歌は凄いけどね。 宗教の基本は、小我から大我へ。
宗教は、自分のことしか考えないことを否定する。
人間にあるべき姿は、全体観にたって世のため人のためになることをしなさいと説く。
ここが厄介。
小我がダメであるなら、自分の為に行動することには罪悪感を感じるようになる。
そして、宗教組織や教祖のために行動することが大我の見地であり、この全体の為の行動に自分の素晴らしさを見出ださなければいけなくなる。
この大我の見地は一般社会ではいいことでも、カルト内では信者の自己の希薄さや依存心を作る為に悪用される。
創価では自燈明と法燈明ってやつ。
自分のみを灯すのは間違ったこと、法を灯すのが正しいこととされる。
カルトは、この法の部分をカルトの為に都合のいい教義に作り替える。
そして、信者は自燈明や小我を否定されているゆえに、自己のアイデンティティーを大我や法と称されるカルトの生き方に求めるしか自己を確立できない。
それゆえに、カルト信者は周囲の反応を凄い気ににする。
自分は正しく師弟不二を実践できているかどうか、部員は自分を尊敬してくれているか、幹部は自分のことを評価してくれているかどうか等々。
これは、自分の大我に生きる学会員としてのアイデンティティーは、自分以外の外に求めるしかないから。
そして、自分以外にアイデンティティーを求めるゆえに、この切望はとても強い承認欲求と成長する。
学会員は、カルトの小我否定のために自分で自分を承認出来る確固たるアイデンティティーを持っていない。
それゆえに学会員は常に学会組織内に自己評価を求めざるを得ない。
その結果、自己のアイデンティティー確立のために成果や活動家や幹部といった組織内の地位を求め続ける。 池田を力強い男やお父様と慕うったって、お金取られてるやろ!
立派な男やお父様は婦女子から金取らないでしょ。この辺りが原罪を背負わされたマゾ気質なのかな。 >>84
脱会しても人を助けたい、役に立ちたいという元信者を見かけるがこれも創価後遺症ではないかと考える。
燈明という言葉も最近知ったんだけど、とても気持ち悪い。
燈は、電力会社に任せてまずは自分の頭のハエを追っ払いなさいと言いたい。 >>78
本人にとっては純粋な信仰心ゆえの行動でも、他者からみれば狂気の沙汰。
誰にも迷惑かけない狂気ならどうぞご勝手になんだが、創価学会はそうではない。
直接的にも間接的にも、その狂気に他人を巻き込んで時には傷つけたり人生をも変えてしまったり。
だからあんなものを何故信じられたか?
普通の人は理解しがたい。
今のところ脱会者の中ではその問題は創価の組織にあるとされているが、果たしてどうだろう。
創価なのかそれに騙される人に特性があるのか、またそのどちらもなのか。
それが解明されなければ現であろうが元であろうが、度合いは違えど社会的不安要素であることには変わりない。 先ず創価学会の(池上さんに語ったように仏教団体だとするならば)
仏教的教義哲学(信心やら題目といったマクガフィンで無く東洋哲学としての教義哲学)
が良く分からない人は多いだろう。
そこで、いったい創価学会の教理哲学とは(その信仰の本質的哲学的理念とは)何か?
を探った人も多かろう。(部外者も一世も二世三世も)
ここで仏教哲学的に、または東洋哲学的に納得のいく創価教理哲学を探せた人がいるか?
実は哲学的にも社会学的にも、この創価学会教理哲学の存在を言語論理的破綻をせず
理解する事は、不可能に近いぐらい困難である。
それだけ謎のカーテン、眩暈的なる円環での彷徨い、を与える宗教団体にコミットした
一世達は畢竟その「教理哲学」ゆえ学会員になったのでは無い事は想像に難しく無い。
つまり、ワザと単純に言ってみよう。彼等は「宗教哲学」や「東洋哲学」に魅かれて
創価学会員になったのでは無い。
自己実現欲求なのか?承認欲求なのか?ただ寂しいのか?現世利益信仰なのか?
それは知らん。それぞれの個人的なコミットメントであり私達は言及出来ない。
ただ私達が忘れてはならないのは、彼ら創価学会一世達は
「論証し得る論拠を持っていない」という事実である。
そんな創価学会一世達の子供達は、「論証し得ぬ文化圏」という社会の最小構成単位である
「学会家庭」を帰属社会として「論拠の示せぬ価値観と教育」で育てられる。
去年、合衆国のいくつかの州に仕事で出向いた。子供を扱う仕事をしている。
合衆国の子供達(約3歳から10歳までだろうか?)は教室に集まり各自イスに座るとき
後ろに1人が入れるぐらいのスペースを空ける。
理由は小さい時から自分の後ろには1人の守護天使が付いて来てくれる、と
親から教えられる文化圏だからだそうだ。
天使が立てるスペースを作ってあげている。
(NY州ではそんな事無いぞ!との声も上がるかも知れないから書いておく
私が見たのはテネシー州、アラバマ州、ミシシッピ州、フロリダ州でである) このスレは「2世3世のブログを読む」
というテーマと、それから導き出される各々の考察の場であると認識している。
私が何故、上記の様な事を書くのか?改めて述べたい。
先ず私は生まれた時から学会員でいわゆる「2世3世のブログ主」と同じ状況
また同じ疑問や問題意識を持って生きてきました。
数多あるブログを読み続けました。その多くがブログ主の個人的信条と心情から
発せられる個人の見解として興味深く読まさせていただいています。
そこで、敢えて書かせていただきたいという行動原理を示します。
ブログでもこのスレでも散見されるのは二項対立的な考察から
「過去の個人的な客観的事実を現在の主観に置き換え」て語る方が多く
それらは「組織批判」や「相対的価値観からの主観としての主張」に終始している
言質文言に溢れています。 私は「2世3世のアイデンティティや、それに関する問題や悩み」という問題を
考えるにあたって、「初めから組織批判する事」や
「初めから創価学会員を批判する事」は「悩める2世3世の問題」の本質から
遠ざかる事だと考えています。
それらは人間が犯しやすい「性急なる一般化」(レッテル貼り
ラベリングと言い換えても良いでしょう)という誤謬による
「論題の非共有」を招きます。
「2世3世の問題」を語り始める時、人は「創価学会問題」という巨大な問題
について語りがちになってしまいます。それはそれとして、また別の問題として
論じるべきでしょう。此処をかき混ぜてしまうと
「2世3世の問題」すなわち「2世3世のアイデンティティに対する道義的包摂」を
私達は見失ってしまいます。
私達は戦線を整理して「2世3世問題」の根源的な原因、要因、文化圏の誤謬や
親や地域学会員の形成する創価学会文化圏に内在する機能不全を
まず先に考えていただきたいのです。
オッカムの剃刀で、拡大解釈された余分な下位概念をバッサリ切り捨てた所から
考えなければなりません。
「もしもゾウが卵から生まれるのなら、その殼の厚さは何センチだろうか?」
という疑問や提言は、「2世3世問題」や「2世3世問題の考察」という定義の
明瞭化を阻害します。 >>78
被害の根元たる儲自体が、信仰心の強弱、厳格か緩いか、盲目的か多少なりとも教学等の裏付を持つか、所謂、信仰体験の有無
組織と信仰の偏り、そのバランス
一般的な教養の有無等
細かく見れば其なりの多様性は有るだろうが
信仰心の強い盲目信徒は悉くイカれてるのが正宗系カルト
異常な言動の根元はその偽書根本の出鱈目教義だと自分は考えてるけどね
現在の日蓮系の宗派でも、仏罰、地獄と脅迫する様な異常な儲は正宗系カルトだけだろう >>87
正宗系カルトの教義は個人で自己完結できるものじゃないからね
だから信仰心の強い信徒必ず他人や家族、親しい人間を巻き込む
折伏や広宣流布もそうだが、政治関与の度合いにも現れてるね >>92
脱字訂正
信仰心の強い信徒は必ず他人や
ね >>90
ごめんなさい。
も少し易しくお願いします。
つまり
2世、3世問題に創価組織の悪事や矛盾点からではなく、その家族関係、親子関係に特化して追究するということですか? >>78
創価は統一や幸福の科学の様なカルトと比較すると解りにくい
高額の壺を売りさばく霊感商法と本質的には大差ない贋作板曼荼羅や偽書ありきの後付け教義
だが
やはり一見伝統宗教に見える正宗に所属する団体(法華講)であった事や
(分派は明治以降、その教義も体外的に主張し始めたのは創価が出来てからなので所詮、正宗も新興宗教)
その教義も偽書根本の出鱈目だが、その内容は体系化され整ってはいるし、ネットが無い時代は個人が容易に学術的な問題にはアクセス出来なかった
ネットが無かった頃は今と比較すれば明らかに教義に関して騙し易かった事は事実だろう
それに組織のカリスマである戸田や池田は、幸福の科学の様なイタコ芸や、統一みたいに、釈迦や日蓮の生まれ変りと云う様な事は流石に言ってないからね
また、一度嵌まるとその教義に疑問を抱きにくい仕掛けもあるしね
騙すと云う点に於いて他の新興カルトより巧妙であると言えるね 外部からしたら、創価学会も統一教会も幸福の科学も同じ得体の知れない新興宗教だけどな〜
日蓮正宗なんて伝統宗教にみえる以前に知りもしない。
なにそれおいしいの?状態。
なんか知らんけどお寺から破門された宗教団体ってだけで十分にヤバいと見なされるし、池田は教祖という認識。 >>95
既製仏教と地続き感はあるかも。
突拍子も無いイメージではなかったのかな。 いまだに創価学会は絶対に正しいと信じ
聖教記事を真に受けて池田先生は偉大な師匠と
思い込んでる学会員はけっこういる
昔の週刊誌に載ってたような池田のスキャンダルが
今だと逆に新鮮でショック療法になるかもしれない >>96
外部だろうが、創価等の正宗系カルトの教義を調べれば自然と知る事になるのが日蓮正宗
またそのカルトMCと教義は密接な関係と見る人間にとっては不可避だね
因みに外部で教学関連に言及してる人としては
Yahoo!知恵袋のRSD氏(万年救護本尊鑑定に携わった学者さん)やブログ、日蓮正宗、創価学会、顕正会の猛省を願う の湘南さん等が代表例だろう(二人とも正宗系カルト信仰とは無関係)
その教義の危険性に言及してる点は同じだけど、RSD氏は元々専門的な知識があった一方、特に一般人と変わらぬ状態から
正宗系カルト儲とのやりとり(知人が折伏された)経緯から、略、同様の認識に至る点は興味深いね
湘南さんはカルトMCや「若悩乱者頭破七分」「有供養者福過十号」に言及してる点が秀逸
ま、興味無い人は、別に気にすることは無い、スルーすれば良いだけの事
日蓮の御書には、真筆、未決、偽書などがあると知りました。一覧を見て、その多さに唖然としています・・・。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1336754033
2つのカルト集団を生んだ、日蓮正宗についての質問です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1338389698
日蓮正宗は、それ自体が独善的・排他的な「日蓮原理主義」教団です。
日蓮正宗、創価学会、顕正会の猛省を願う
日蓮正宗(偽富士門流的)捏造の歴史…七箇相承と歴代本尊の比較
http://blogs.yahoo.co.jp/shounanboy01/4121951.html
マインドコントロールの効果と実態
https://blogs.yahoo.co.jp/shounanboy01/4344977.html
「神秘体験の誇張」と「恐怖心の植え付け」
人間をマインドコントロール下に置くために必要不可欠なこの二つは、日蓮系にかかわらず多くの
カルト的要素をもった教団で使われているようです。 >> 続き
御本尊七箇相承
http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/yousyuu/yousyuu1_1.htm
日蓮聖人大漫荼羅一覧
http://juhoukai.la.coocan.jp/mandara/mandaraitiran.html
「ずはさしちぶん」という言葉があるそうですが、どんな意味ですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1282654062
詐欺師の使う『脅し文句』みたいなもんです。
元々はバラモン教で用いられていた呪いの儀式に由来します。
蓮の落胤−創価学会、話そうか
非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。
「若悩乱者頭破七分」と「有供養者福過十号」
http://hasu-no-rakuin.hatenablog.com/entry/2017/12/15/041448 >>97
先人達が諸々の問題を指摘してきた経緯を知れるからね
現在の我々は
自分も学術的な問題、遺文の真偽等を調べるまで、ここまで出鱈目な教義とは知らなかったし
正宗は一応、真っ当な伝統仏教だと思っていたね
(狂信創価儲並みの罵詈雑言、誹謗中傷の暴言にも驚愕したがw)
ま、遺文の真偽に関して、仮に創価等の正宗系カルトが、真蹟主義等、学術的な面に傾いた所で、日蓮の教学思想自体が
大乗仏典の成立過程、その他諸々でどうしようも無い訳だけど 288 名前:以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします[] 投稿日:2019/02/09(土) 00:05:29.810 ID:VFTpTO1x0
>>259
殺
295 名前:以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします[] 投稿日:2019/02/09(土) 00:11:47.314 ID:VFTpTO1x0
>>293
これ山風キチ
300 名前:以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします[] 投稿日:2019/02/09(土) 00:16:28.496 ID:VFTpTO1x0
山風キチはすぐに分かる コピペ張り付けになると途端につまらなくなるな。
たとえ内容が稚拙でも、自分が真剣に苦闘して書いた文章は訴えかけるものがある。 >>103
>たとえ内容が稚拙でも、自分が真剣に苦闘して書いた文章
これって何を指してるの? 創価学会はおかしいんじゃないか
でもそんなこと考えてる学会員は自分だけじゃないか
そう思ってるのはあなただけでありません
>>1に挙げられている以外にも興味深いブログはたくさんあります
せっかくの三連休です
何が正しいのか自分で考える時間をもってもよいのではないでしょうか >>94
つまり2世、3世問題に創価組織の悪事や矛盾点からではなく、その家族関係、親子関係に特化して追究するということですか?
私が主張したい事自体は、創価組織の矛盾や機能不全
批判を否定するものではありません。
二項対立的な相対的価値観と、そんな思考が蔓延する社会からの無意識の同調圧力で「2世3世問題」を組織批判から論じる人が多過ぎます。
また私は彼らの批判も彼らの自由意志による意見として尊重はしますが
皆に気づいて欲しいのは「創価憎し、の批判や誹謗」だけでは2世3世の人権と自由意志と実存に関する
社会的包摂(2世3世の心の救済)は得られず
逆に論題を「2世3世という個としての問題」を
「創価学会が正しいか?正しく無いのか?」という別の「宗教的・政治的信条の問題」という論題に変えてしまう事です(論点がすり替わるという事) (つづき)
目の前にいる2世3世の子供達。それは貴方の姿であり私の姿であり
この人や、あの人の姿です。概念上にしか存在しない存在ではありません。
ロヒンギャやカンボジアのゴミ捨て場で生活するスラムドックな子供達の前で
「政治が悪い!国際世論はどうしたのだ!」と言っても第三世界で過酷に生き残る
子供達には直接的な包摂は与えられません。
2世3世という存在に先立つ1世から受ける様々な抑圧、1世と一緒に形作る
地域創価学会文化圏からの「共感ゲームへのコミット」への強制。
私はゴミ捨て場で今日の夜食分の日銭を稼ぐ子供達を置いておく訳にはいきません。
人間とは悲しいもの。当の2世3世でさえ、この問題から目を背け
自助努力への衝動さえも無くなった(牙を抜かれた)子供達が散見されます。
ただネットで愚痴るのが精一杯だし、アイデンティティ・クライシスを避けようと逃げ続ける子供達さえいます。
お笑い芸人のウーマン村本さんに共感する人もいれば
「おとなしく檻の中に入って余計な事は言うなよ」と言う先輩芸人もいます。
ただ、「2世3世問題」が「問題」として存在し続けるのは
身近な大人達の責任、「何もしないから俺には責任は無いよ」という
無責任な大人達の無関心により存在し続けるのです。
そこを考えれば2世3世の子供達の為に何をすれば良いのか?
仏教に触れて生きてきたのなら、何が正しいか行か分かりますよね?
Do The Right Thing ! 元広宣部の人が実態を語ってるブログはないかな
非活氏も少し語ってるけど法華講や顕正会との法論についてとかで
キワドイ話はなくて残念 まあ、創価に限らず
他宗教、思想団体の親は、我が子に思想を押し付けてはいけないと決まりを作ればいいな
思想や宗教の強要も児童虐待に含まれるからね
これを学校でも教えれば、親による洗脳を防げるかもしれん >>109
創価崩壊の鐘
ゼロさんのブログは読んだことある? 広宣部は犯罪スレスレ部隊
あんな場所に居た人は反省してほしい >>111
ありがとうございます
時間を見つけて読んでみます >>110
小学生の頃、授業中に急に聖書を読み始めるクラスメートがいました。
先生や周りの友達が注意しても、それに反発するかの様に聖書を見つめています。
私は誰とでも気安く話を出来る立場を保っていたので彼に事情を聞きました。
原因は明らかに親への反発です。
この時初めて知ったのですが彼はエホバの証人(JW.ORG)の2世でした。
JWの子供達に関して皆さんも不思議に思った事があると思いますが
体育や学校祭事などで柔道、剣道、相撲大会など格闘技系のイベントは宗教的理由を持って
不参加という子を見た事あると思います。これはJWの「戦いの拒否」という信条からだそうです。
さて聖書の彼の話に戻ります。彼はJW2世として通称「戒めの鞭」「懲らしめの鞭」という
児童虐待を受けていました。
内容は(JWの知り合いがいる人はご存知でしょう)王国会館のトイレで行われます
基本はお尻を殴ります。スリッパが多い様ですが熱心な1世ですと「懲らしめの鞭専用棒」というのを
持っています。彼の話では今まで王国会館のトイレから泣きながら出てくる子供達を
何人も見たと話してくれました。
全ての戦いを拒否する。という宗教的信条と2世3世への児童虐待という二律背反。
もう20年以上前ですがオハイオ州で2世の兄弟が両親を惨殺しました。
兄弟は地元でも有名なやんちゃで暴力的な子供達だったのですが
判決は「両親が熱心なエホバの証人だった」との弁護士の最終弁論により
兄弟は無罪になりました。 >>109
>キワドイ話はなくて残念
発足当時の広宣部は後に作られた言論企画部の様な法戦、論戦部隊と
自動車のナンバーをひかえる程度の実行部隊だけだった。
これは板橋の中村さんという方が元々の発案・立案者で、この企画を当時
正木副会長と谷川副会長が認可したと聞きます。
私が聞いたのは法戦論戦部隊の方で、熱心な創価班(実は幅は広い)で結成されましたが
対外的なアジテーションの為に創価班以外(元々学会員でさえ無い?とも言われていた)
書き屋さん(内部資料制作や外部に向けてのパブリシティから怪文書まで)を
何処ぞの編プロからヘッドハンティング。
1988年から1990年まで彼等は御書を学び法華経を学び例の板橋区内対立宗派との
言論戦に向けて真剣に勉強していました。
しかし、ここに組織の大きな誤算がありました。
彼等は、あまりに熱心に御書と法華経を学び過ぎた、理解し過ぎた為
創価学会の仏教としての宗教的信条に疑義を持つものが増えていきました。
そして1人、また1人と退会するという現象が現れ
組織も、これ以上の問題を抱えては困るのでしょう。
実質上、無期限活動停止になりました。
その後の広宣部や言論企画部の内情は知りません。 >>115
気楽さんの証言と一致する内容だな【宗教的信条に疑義〜一人、また一人退会】
ま、実際に調べれば偽書根本の出鱈目教義としか本当に言いようがない物だしね >>116
私は創価学会を否定する立場を決してとりませんが
誰でも法華経を真剣に勉強した方には、御書と創価学会教学に疑義を持つ人はいます。
現在ですとSNS上で語られているのはSOKA-netが配信するyoutube動画の
「金吾におまかせ」シリーズです。
聖教新聞の名字の言と同じ様に、導入部は普遍性一般性を持つ提起で始まり
後半は我田引水的な独特な創価学会教学へ落とし込むという姿が見え
それに疑問を持つ人達が様々な考察をしています。
ただ、創価学会は宗教団体でもあるので、その宗教的教義と信条自体は
それとして否定する事は出来ません。(信教の自由により)
多くの疑義を呈する方々は創価学会批判よりも
仏教哲学的な批判を語っているのが分かります。 御書をどう解釈するかは現実に一番価値的に解釈できるものの勝ちよ。 >>117
偽書根本の出鱈目教義にキッチリ言及してる人はいるよ
ま、学術的な問題と信仰は別と言って相応の配慮は示してるけどね
自分、その様な配慮は正宗系カルトには不要と考えてるがね >>118
偽書は所詮偽書
正宗系カルトの解釈も社会一般の常識から逸脱してるのは明白
正宗系カルトが個人で自己完結が出来る教義で尚且つここまで政治介入する様でなければ態々こんな指摘もしないけどね
加えてカルトサーフィンの問題もだな 御書に「道理、証文より現証にはすぎず」とあります(現実こそ最も大事)。池田会長の8年以上に渡る認知症ほど明白な現実(現証)はありません。
池田会長の認知症の原因は経文に照らしてみれば明らかです。下記の弟子たちの謗法(集団ストーカー)にあることは明確です。
池田会長が認知症(頭破作七分)という罰を受けたのは弟子達の謗法(集団ストーカー)が原因です。「悪しき弟子を持つときは師弟ともに地獄に落つ」とある通りです。
池田会長の認知症に関して学会本部は8年以上「池田先生は元気です」等と(子どもでも分かる)嘘をついて全世界の学会員を騙してきました。騙される側の学会員も思考停止に陥っています。オーム真理教の信者のように自ら考える力が衰退しています。
もはや学会本部自体が僭僭聖増上慢と化しています。竹内一彦全国総合青年部長(荒川区尾久)は公明党都議会議員(足立区選出)の後輩が犯した法律違反を隠蔽するために足立創価学会(七万人)に集団ストーカーを命令しました。どうしようもない馬鹿です。
竹内は「池田先生の命令だ」等と嘘をついて無知蒙昧な足立創価学会員を騙して謗法を犯し続けています。池田会長は「公明党議員の後輩の不正を隠蔽しろ」等とは一言も言っていません。
僭聖増上慢である竹内の命令に従った足立創価学会は日本一、世界一の規模(七万人)を誇ります。故に池田会長は師匠として責任を取って8年以上に渡る認知症(頭破作七分)という仏罰を受けたのであります。
竹内一彦の命令に従った足立創価学会員も罰を被っています。生まれてきた自分の子どもが知恵遅れで生まれてきたり、認知症になって社会生活が送れなくなった学会員もいます。頭破作七分(頭が七つに割れる=精神異常になる)の罰です。
足立創価学会が東京一貧乏で東京一教育水準も東京一低いというのも罰です。これも僭聖増上慢=竹内一彦の悪の命令に従ったが故の罰です。
かの 阿部日顕ですら池田会長に認知症という罰を与えることはありませんでした。竹内一彦、足立創価学会は阿部日顕を越える僭聖増上慢=極悪人であります。 >>120
割と重要な御書が偽書だと聞いた
他の既成仏教でも同じくらい偽書が存在するのかな
日蓮系だけかな >>123
ま、大乗仏教自体がその経典の成立過程でいえば諸々あるけど
正宗系カルト程、偽書まみれで酷い所は存在しないでしょ
それこそ新興カルト以外では基本的に無いよ
ま、立川流 (密教)とかは一応除外しとくけどw
>>1
にもあると思うが最近は
気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆
http://watabeshinjun.hatenablog.com/
が教義関連では最もお勧めできるかもね(更新不定期が非常に残念)
日蓮の真蹟について。
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/12/22/000000
序にこの二人もお勧め出来るね、知恵袋の方はrsd********さん
日蓮の御書には、真筆、未決、偽書などがあると知りました。一覧を見て、その多さに唖然としています・・・。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1336754033
日蓮正宗、創価学会、顕正会の猛省を願う
日蓮正宗(偽富士門流的)捏造の歴史…七箇相承と歴代本尊の比較
http://blogs.yahoo.co.jp/shounanboy01/4121951.html >>63
今更ながら、違うURL貼っ取ったわwwwwwwwwwwww
訂正しようとしたがURLがエラーで弾かれるので
iwatamの個人サイト ソフトウェア 議論のしかた 感情論
で検索
ま、見る人はそうそういないだろうが >>123
>他の既成仏教でも同じくらい偽書が存在するのかな
偽書・偽経は仏教の常識だよ
あの「般若心経」も実はタオ(道教)の人達が仏教のフォーマットにのって
書かれた事が今や常識。
特に有名なのは「延命十句観音経」も偽経というやつ。面白い話がある
白隠慧鶴禅師は自ら延命十句観音経を唱えていた。そこへ研究家が現れて
「白隠さん。実はそのお経は偽経ですよ」と教えたところ、白隠は
「偽経と言えども、この経の霊験を知りたれば、今後ますます読まねばならず」と
なにくわぬ顔で「延命十句観音経霊験記」という本まで書いてしまった。
それは禅的な機峰を表す境涯ではあるが、このエピソードは愉快である。
(禅宗はパラドキシカルな言葉で悟りへ導く、不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏を元とするから)
仏教を勉強してる人にはご存知だろうが「法華経」を初め
あの「スッタニパータ」や「ダンマパダ」も比較文献学的に
皆んなが信じているお経はでは無い。
仏教の素晴らしい所だと思う。
お経は、あなたが思っている形、以外の形として存在する。
そして「無常・無我・そら」 仏教の経典は釈尊の説法を弟子がまとめたという形式をとっている
だから「如是我聞(是の如く我聞けり)」からはじまる
しかしながら釈尊や十大弟子の真蹟などどこにも残っていない
布教や伝播の過程で新たな経典、つまり偽経が作られたのはやむを得ないのかもしれない
でも日蓮は釈尊と違って二千年以上前の人物というわけではない
真蹟遺文が多数現存している
日蓮正宗や創価学会が偽書を教義の根幹に据えてきたことを
後世に創作された大乗経典を各宗派が用いていることを正当化するのと
同様とみなすのは無理があると思う 創価学会を始め日蓮大聖人と崇める団体や構成員が
「仏教」と喧伝する事が問題なのかもしれませんね。
800年前では無く、現在に見られる誤謬として例を挙げます。
https://youtube.com/watch?v=3QTA4gPztSY
これは創価学会が配信している「金吾におまかせ」という動画です。
この動画は新入の学会員さんの為に「縁起」を分かりやすく解説するというコンセプトですが
この動画の前半までは仏教的に間違いの無い縁起の解説ですが
1分38秒以降からの解説は、一般的な仏教解釈から程遠い独自の解釈を行なっています。
ただこれは、創価学会が創価学会の教学として行なっているパブリシティです。
創価学会がその様に解釈するのなら、それはそれで信教の自由であり
「金吾におまかせ」をそのまま信じる学会員さんもまた信教の自由です。
もしも創価学会が自分達の事を「仏教」と喧伝せず
「創価学会は日蓮教という仏教とは違う宗教です」と言ったらどうでしょうか?
誰も創価学会を仏教哲学的な部分から攻撃する事は無いと思うんです。
それはそれで、また別の宗教として(幸福の科学のように)認められると思うのですが。
恐らく皆が創価学会を批判するのは
創価学会が「仏教」を標榜してるからでしょ? >>127
同意
加えて正宗系カルトはその偽書を根拠とした教義で自宗以外のその他一切が邪教と宣うし
日蓮本佛論(偽書が論拠)だからね
最早、仏教にカテゴライズする事自体が疑問 面白いエピソードを思い出しました
早稲田にいた頃、ウィトゲンシュタインの講座で知り合い友人になった
東大法学部の奴がいました。東大法学部独特のあの奇妙に理屈っぽい奴でした。(そこが良いのですが)
彼は私が創価学会の三世である事を知った上で聞いてきました。
「秋谷君!仏教って分析哲学的実存主義と解釈すべきだと思うけど創価学会って言ってる事が違うよね?」
私は「創価学会を独自のコミュニタリアニズムと見てみたら?」と返答しました。
彼は納得しました。そして続けて
「実際秋谷君が創価学会員である理由とは?」と聞いてきました。
私は答えました。
「私の出自であるのと同時に、その文化圏への眼差しと視座は創価学会的では無いからさ」と返答
彼は一瞬にして理解しました。
彼は少し考えながら、こう付け加えました
「秋谷君は本当は禅宗が好きでしょw」
2人は大爆笑しました。 >>129
創価互助会にすれば良いと思う。
「効果は、人によって受け取り方が様々なので必ずしも効果が表れるものではありません。」と断り書きを入れることも大切ですね。
仏教としても批判されないし、詐欺とも言われなくなりますから。 名称・創価互助会
教義・自由意志
御書・1Q84
会則・知の低下と教養の崩壊の恐れがある、還元主義を仏敵とみなす事。 選挙運動や学会活動に駆り出され
財務やマイ聖教での金銭負担まである
創価学会の「互助」にそこまでの魅力があるだろうか? >>133
うまいことやればいい。
財務は1円。新聞は身内に反対者がいるから購読できない。
学会活動も禁止されてるが
昼のブロック座談会くらいなら行けます
池田先生尊敬してます!
こんな具合に調子よくできる人なら
創価の互助会機能は活かせる 創価互助会のサービス
1.週一日の安否確認
(但し、その他の日にお亡くなりになっても当会は一切責任は負いません)
2.葬儀は、当会職員の導師によりご自宅にてひっそりと行います。
3.墓地のサービス
(創価墓園の売れ残りを利用しますので、場所のご指定はできかねます)
以上 1.週一日の安否確認
死後数カ月よりはまり
2.葬儀は、当会職員の導師によりご自宅にてひっそりと行います。
直葬が人気らしいご時世、葬式をやってもらえるなんてありがてぇ
3.墓地のサービス
死んだ後のことはどうってことねぇ 韓国「50人に1人」が創価学会会員 「倭色宗教」が「反日国」に受け入れられた理由
韓国人の50人に1人に当たる、実に100万人が、日本生まれの「ある宗教」に属している――というと、驚く人も多いかもしれない。
その宗教とは、「創価学会」だ。しかもその数は、日韓関係の冷却が続く現在も、なお増加傾向にあるという。
「反日」ムードが色濃く漂う韓国で、創価学会は果たしてどのようにして拡大していったのだろうか。
『ありがとう、韓国』――2012年9月、韓国の週間ベストセラーランキングに、1冊の本が名を連ねた。
著者は創価学会の池田大作名誉会長だ。これまでの韓国に関する文章やスピーチなどをまとめたもので、最大手紙・朝鮮日報系の出版社から刊行、李寿成元首相が推薦の辞を寄せた。
日本ではあまり知られていないが、これに限らず、韓国の大手雑誌などには、池田氏の文章や談話などがしばしば掲載されている。
最近でも、「月刊中央」「月刊マイダス」といった大手新聞社・通信社系の雑誌に、池田氏が相次いで登場した。
現在韓国SGI(創価学会インタナショナル)の会員数は約100万人で、海外会員175万5000人の半数以上を占める。
いわば、日本に続く第2の拠点だ。人気コメディアンのチョ・ヘリョンさんやK-POPグループ「2PM」のウヨンさんなど、著名人の会員も少なくない。
韓国全土280か所に施設(文化会館)を設け、首都ソウルの中心部には壮大な本部ビルも擁し、すっかり韓国社会の市民権を得たと言っていい。
だが、疑問が残る。韓国における「反日」の強さは、多くの人が知るところだ。
現に10月、朴槿恵大統領がアシックスの靴を履いただけで問題になったように、日本企業もしばしばバッシングの対象になっている。
実際、上述した『ありがとう、韓国』のベストセラー入りの際には、李明博大統領(当時)の竹島上陸・天皇発言の直後だったこともあり、韓国紙からは意外視する声も出た。
なぜそんな韓国で、「日本生まれの宗教」が受け入れられているのだろうか。 韓国では1960年代の初め、在日韓国人の会員などを通じて創価学会の信仰が広がり始めた。
しかし日本への反発から「倭色宗教」「歌う宗教」などとやり玉に挙がり、64年には「反国家的、反民族的な団体」として一時的に布教を禁止された。
そこからの「再起」の理由を、韓国の研究者は「教義が韓国人の考え方に合っていた」「一般信者も主体的に信仰へ参加できるスタイルが好まれた」などと分析する。
一方、創価学会広報部は、現地会員の「粘り強い活動」を強調する。
30年以上にわたり環境運動や災害救援、慈善バザーなどに力を入れ、単なる宗教ではなくボランティア団体として、じっくりと韓国社会での立ち位置を獲得したというのだ。
「10人中8人が『創価学会(SGI)』の名を知らないのに、その会員は100万人に達する」池田氏を取り上げた「月刊朝鮮」も、その「静かな」拡大ぶりを驚きとともに紹介している。
創価学会側は否定するものの、韓国内ではその「政治的影響力」を危惧する報道がされたことさえあるほどだ。
また池田氏が韓国を「文化大恩の国」「兄の国」と呼び、並々ならぬ思い入れがあることは一部では知られている。
特に「歴史認識」問題については、「どれだけ日本が貴国の人々に、非道のかぎりを尽くしたのか」と韓国人学者に語るなど、何度となく謝罪の言葉を繰り返すとともに、
日本人が「正しい歴史認識」を持つことの重要さを説き、そして若い世代の民間交流の必要性を強く主張する。
戦前、ソウルでの生活経験があった父親や、戸田城聖・創価学会第2代会長などからの感化だというが、
こうした姿勢が韓国の識者層に好意的に受け止められる要因となっていることは間違いない。
(2013.12.27 J-CASTニュース) 創価学会は独自の解釈としての仏教です
と宣言すれば、誰も創価学会を批判する事は無いと思うんですけどね。
そして、それは創価学会にとっても良い事だと思うんですよ。
だから会則変更の「創価学会仏」については私は、ある意味肯定的です。
創価学会自体が仏であると
伝統仏教をバッサリ切り捨てて、独自路線の信教の自由を宣言・公布・パブリシティを
大々的に行えば、誰も創価学会を悪く言う人はいない筈ですよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています