本来、嘘というものは良くないものとされていますが、嘘を付いてでも守らなければならない事情というものもあることでしょうね。
ただその嘘を付かなければならなくなった原因は何であるか?ということも説かなければならないことでしょう。
法華七喩の中で三車火宅、化城宝処、良医病子、、、譬えの内容の主語は釈迦です。
仏の智慧の免罪府として述べているところであって、
対告衆にそれを認めてもらいたいというものなのですね。
認めてもまらわなければならなくなったその原因は何なのかということを考えてみれば、爾前で説いた自らの説法がその原因なわけでして、
法華経を最後に説く為に爾前教は方便として説いてきたという言い分は理法として成り立たないものです。
そのような法則が仏法であるならば、人間というワル賢さを露わに曝け出したものなのでしょうし、
この法華物語の構成は三流作家並みであって、悟りを開いたとされる釈迦の思想ではないでしょう。
釈迦として仮託したこの作者に「嘘も方便」を重視してたのであったからこそ、あのようにフィクション的な物語が出来たものだと思います。
この物語は童話として子供達には聞かせてやれるかもしれませんが、親がしっかりと目的をもって聞かせなければなりませんね。
親自身がこの物語を史実であると思っているようでは、如来様の「嘘も方便」にもならないことでしょうかと。

一度嘘をつくと困るのは本人であって、その虚しさが何かしらとして表れてくることでしょうけど、
後の竜樹も天台も苦しまぎれの論を展開するはめになるわけですね。

法華経は、正直者があのような物語は描けませんね。
誤解しないでほしいのは、私はウルトラマンの原作者が嘘つきだと 「批判」 しているわけでは無いということですので穏便に。
子供向けの変身グッツならまだ可愛いものですが、大人向けの玩具や妄想ごっこにどんだけお金を使うのかと思うと、、、考えさせられます。