マルクス主義的に言うならば、、、

もともと狩猟採集生活時代には、男女差別などなく、自然な存在として分業と共働で助け合い、愛しあって生活してきた。

むしろ女性の方が確実に自分の子、自分の親と分かり、部族氏族の中では、女系が支配的でもあった。「太古女性は太陽であった」と言われたとおり。

農耕が発展し、私有財産ができ、階級社会となると、その財産を守るための軍事力がものを言うようになり、体力の勝る男が、社会の中で支配的となり、女性は付属物の地位に落とされ、地位を得た男は、性の対象として多数の女性を抱えるようになる。

そう言う社会の物質的な変化の中で、女性蔑視のようなイデオロギーが支配的になってきた。

男女間の差別抑圧は、そのまま階級間の差別抑圧の別の表現であり、インドで言うならば、カースト制度や不可触民制と一体のものである。社会の発展とともに女性の解放も進んで行く。
日本では天皇制のようなもろ女性差別が固定されており、それが、女性の議員数の極端な少なさとか、女性役員の少なさに現れている。

そう言う全体的な構造を見たとき、女性の性器からニョキニョキ男性器が生えてきて、男となって活躍したとか、それが女人成仏だとか、なんと言う下らんことを言っているのか。

そんな下らん法華経を題目化して更に下らなくさせたのが、日蓮。