大石寺59世堀日亨が、1922(大正11)年12月20日に出した「熱原法難史」という著書の中で

「然れば当時何事か宗祖(日蓮)の本懐満足と云ふ史実が有ったらうかと考えてみると、
先師が曾て直に此文(『聖人御難事』の『余は二十七年なり』の文のこと)を以て
戒壇本尊顕彰の依文と為れたやうだが、直接の文便は無いやうである」

(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書『熱原法難史』p72)

と、述べていることと軌を一にしている。 「余は二十七年なり」の文が、
「戒壇の大御本尊」なる板本尊が熱原法難のときに造立された証拠であるとする説は、
日蓮正宗大石寺の法主自らがかつては否定していたことなのである。
そういう人物が「戒壇の大御本尊」なる板本尊と「聖人御難事」の文について「直接の文便は無い」と言っているのを、
日蓮正宗はどう説明するのか。