春日局
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
映画
女帝 春日局(1990年、演:十朱幸代)
テレビドラマ
大奥(1968年、関西テレビ、演:三益愛子)
徳川の女たち 第一部 華麗春日局(1980年、フジテレビライオン奥様劇場、松尾嘉代)
大奥(1983年、関西テレビ、演:大谷直子→渡辺美佐子)
春日局(1989年、NHK大河ドラマ、演:安間千紘→尾羽智加子→大原麗子)
大奥 第一章(2004年、フジテレビ木曜劇場、演:山田夏海→松下由樹) 今見返すととんでもなく豪華キャストだった。
主役の大原麗子のほかに、橋田ファミリーがずらり。唐沢、香川、江口、若村と若手も芸達者が揃ってた。 福島正則は矢島健一。こんな行儀のいい福島正則は初めて見た 後半はむしろ大奥関連で盛り上がりを見せれたはずだったのに、
家光を取り巻く女たちを鷹司孝子とお楽だけにしちゃったのもな。
家光のは遊郭通いする困ったちゃんってだけで男色癖はスルー(橋田がそういうの嫌いなのかどうか知らんが)。
なので当然お万の方は出る幕無し。
家光がその男装姿に惚れたというお振も出たには出たが男装エピは無くちょろっと出ただけ。
橋田は春日局の前にお楽を主役にした作品も描いていたから、
彼女への思い入れが強くて家光が女として愛した唯一の女性としたかったんだろうけど、
せっかく春日局が主役で大奥が舞台の作品なんだから、
もう少しなんとかならんかったのかと。 当時最終回でおふくがありんこを手に乗せて「完」のテロップを見た親父。
「終わっちまった…来年は見ない」。
数秒後、若き日の西田西郷と鹿賀大久保が土手を疾走する姿と、桜島の雄大な姿を見たら、「見る!!」w
次の年も1年間めちゃくちゃはまって見てましたw にぎやかコンビ海北友松&東陽坊長盛
海北友松夫妻の墓の横に斎藤利三の墓がある。 女帝春日の局はもろポルノだったなぁ
特に乳母選びでの乳つきがどうの乳の味がどうのもちろんマッサージシーンもあるし
変な奥女中が おお和子様には立派なおチンさまがぁぁぁとかやってたし
十朱も確か脱いでたはず 他にもセックスシーンがかなりあった ・杉原紀伊守重政 秀詮(1601年、秀秋から改名)の命を受けた村山越中に上意討される
・松野主馬(重元) 関ヶ原の戦い後、秀秋のもとを去って田中吉政に仕官
・稲葉正成 杉原の上意討ちをみて岡山を退出。牢人のち家康に召し出され徳川の家臣となる
(妻はお福、後の春日局)
・村山越中 杉原殺害後に逃亡。のちに池田氏に仕えるも、口論にて相手を刺し殺す。その後、前田家に仕官
・平岡頼勝 小早川氏断絶後、牢人。家康に忠義を賞されて美濃国九郡のうち1万石を給される
・堀田正吉 小早川氏断絶後、家康に召されて500石を与えられ書院番士となる
・河田八助 小早川氏断絶後、池田氏に仕える
・上田土佐 鉄砲頭。最後まで秀詮に忠義を貫こうとするも、その後の消息は不明
・蟹江彦右衛門 杉原殺害後、家中は大騒動となり、岡山を退出
・滝川出雲 杉原殺害後、秀詮は彼の逃走を防ごうとするも、女駕籠に乗って逃走
・長崎元家 小早川氏断絶後、家康に仕え600石余を給される
小早川氏断絶後、岡山には池田氏が入部するも、宇喜多・小早川の遺臣之召し抱えには消極的であり、小早川秀詮の遺臣は一部のみが下級家臣として召し抱えられたのみで、殆どは四散してしまったといいます。 元オールナイターズの片岡聖子も出てたね。
大奥の中廊みたいな役で。 春日局の
・祖父は稲葉一鉄
・父は明智光秀の重臣(稲葉正成)
・夫は小早川秀秋の重臣(稲葉正成)
・・・という点にスポットをあてたのが大河ドラマ春日局 誤:明智光秀の重臣(稲葉正成)
正:明智光秀の重臣(斎藤利三) 大河ドラマ春日局
おふく(のちの春日局)の乳母辞める辞める詐欺1回目は
稲葉正成を大名に取り立てることで終了
おふくの乳母辞める辞める詐欺2回目は竹千代の小姓と国千代の小姓同士の喧嘩が原因となり終了 美人の大原麗子の春日局が好きだった。
上様に跡継ぎがて安心して死んでいったよな。
家光は母親に愛されなかったトラウマから男に走ったし正室とも上手くいってなかった。
だから家光の側室選びに苦労したとか。 平岡石見から「殿はそれほどまでに関白に・・・?」といわれ
「なりたいっ」と堂どうと公言する小早川秀秋 「葵」では春日局は樹木希林だったよなw
史実と照らし合わせるならピン子でもよかったと思うよ。 歴代大河江(wikiより抜粋)
春の坂道(1971年、NHK大河ドラマ)演:岩崎加根子
おんな太閤記(1981年、NHK大河ドラマ)演:五十嵐淳子
徳川家康(1983年、NHK大河ドラマ)演:白都真理
春日局(1989年、NHK大河ドラマ)演:坂上香織→長山藍子
信長 KING OF ZIPANGU(1992年、NHK大河ドラマ)演:津川里奈
秀吉(1996年、NHK大河ドラマ)演:濱松恵
葵徳川三代(2000年、NHK大河ドラマ)演:岩下志麻
利家とまつ〜加賀百万石物語〜(2002年、NHK大河ドラマ)演:垣内彩未
功名が辻(2006年、NHK大河ドラマ)演:新穂えりか
江〜姫たちの戦国〜(2011年、NHK大河ドラマ)演:上野樹里 当時、リアルで見たから、ホームドラマCHで久々に見て、懐かしかったな。
初回は、元日に放送して、裏の正月番組(TBSの長時間時代劇とか)にはさまれて、
視聴率が散々だったな。
翌週は、昭和天皇が崩御した関係で、休止だったし。
その後、最高視聴率が30%を取る大河ドラマになるとは、思わなかったな。 このドラマの光秀って
今まで見た事ないくらいの愚将に描かれてるね
しかも演じてるのが五木ひろしとかw 毎週マイクを握って歌いながら登場すると言われた光秀か 一回しか出なかったけど、藤岡弘の織田信長。
「是非に及ばず」ってぼそっとつぶやくところがよかった。
誰かさんみたいに、「ずぅえひぃにぃいいいい、およぶぁ〜ず」なんて絶叫しないところがポイントだよ。 藤岡弘はキャラが濃いから
押えた演技しても映えるんだよ 春日局って言っちゃ悪いが肖像画を見ても決して美人じゃないよな。
主役だから役者をブスにするわけにもいかず綺麗な大原麗子さんにしたんだ。 大原麗子で題材探したらたまたま春日局になったような気がしないでもないでもない 秀頼ってかなり体格よかったらしい。
渡辺徹にしたのも納得だわ。 でもその渡辺徹が気持ちわるいんだなこれが
江口の家光なんて、当時は見ていられなかった
今はネタの一つだけど 何かおんな太閤記見てる気分になってくるな
この前見たばかりだってのに 喜多嶋舞から大空真弓への成長チェンジは脳内補正が限界レベル
ただし、キーキー声の喜多嶋淀には辟易していたから、演技を見ている分には大空淀でホッとする 少女時代の喜多嶋淀って藤岡秀吉にキーキー言ってばっかで、うざかった気がする。
宮沢お初や坂上お江はどんなだったか忘れた。 この大河ドラマの時代考証をした先生の本によると、
ふくの時代の大奥ではまだ垂れ髪の時期であって、髷を結う時代では無いのに
大原麗子が後半は髷をつくるのをのぞんで、垂れ髪拒否だったというが
そうなのだろうか。 喜多嶋淀→学芸会ではっきり喋る事に集中して無断に声が大きい演技レベル
坂上お江→学芸会でセリフの間を取る事に集中してもはやからくり人形レベル
宮沢お初→セリフ少なく判断しにくいが、三井のリハウスレベル 伊武雅刀の石田三成。こんな迫力のある三成は初めて見た。 江守徹の三成はヒステリックな感じだったが、雅刀の三成は完全武闘派だった 上様の跡継ぎ誕生を見届けて自身も権力を極めて死んだのに
最終回がどうもハッピーエンドじゃなくて
説教臭くて無常感強調のつまんねー話だと思ったら
ちょうど寛永大飢饉で大量死というパニックの時期だったんだな 主人公の母がおんな太閤記の主人公の人で
初がおんな太閤記の京極龍子の人で
秀忠がおんな太閤記の江の人の夫で
江がおんな太閤記の江の姑の人だよね 橋田がこの春日局を描きたいキッカケとなったらしい
TBSの特番で徳川家綱の生母の話(コレも大原主演で、春日は森光子)も同じような風俗だった
橋田なんかもおふくから春日局になると髷髪ってイメージを持っていたのかもしれないね 金田龍之介の仙台中納言、まさにイメージ通りなんだけどレギュラーで出して欲しかった 伊達怪異、確か日光東照宮の落成の際に、灯篭だけでも寄進させてくれと家光に粘っていた。 脚本は橋田さんで、音楽も同じ人なんだな。出演者も多数かぶり。
相変わらずホームドラマ感、女視点、お涙ちょうだいが強いが、
おんな太閤記はそれら全部許せるぐらい好きなんで
このドラマも見続けようと思う。 ねねが伊吹山中を逃亡生活して野盗を殺したりしてた頃
長浜城主奥方はおあんだったんだな
人の栄達が敗者の地獄と表裏一体ということを、かなり強調していたドラマだと思う 明智視点ドラマと小早川視点ドラマやって
それから本題の乳母デビュー
大奥誕生物語と江戸初期の幕政ドラマやり
並行して浅井三姉妹が準主役
こりゃ受けるわ
ドラマの題材としちゃ最高だな 脚本もさることながら(といって、この作品は橋田としては成功作じゃないと思うけど)、
橋田も含めた制作側の企画が優れてるんだと思う 橋田アレルギー体質の奴が多いんだよ
「橋田」の二文字を見ただけで「シジツガー」「ホームドラマガー」とか叫ぶ症状が出ちゃう 春日局は題材がいいんだよ。
初回が本能寺の変で、山崎の合戦での没落がまだ3歳くらい、
捏造など全く必要なしにこのビッグイベントに絡みまくってる。
それから最終回の寛永飢饉までの60年以上、
一時期を除いて歴史上の有名な
それもローカルでなく中央本流の重大イベントからそう遠ざからない。
こんな人物、歴代大河主人公でも他にいないんじゃないかな。
いや挙げるとしたら清盛くらいか。 捏造又は創作部分といったら、亭主子供置き去りと江与との確執くらいか お話的には、大奥入りするまで辺りが凄く面白くて、お江与が死ぬあたりまでもまあまあ面白いけど
その後はちょっと落ちる
その頃には登場人物も減って人間模様が単純になっちゃうのと、家光の世継問題も含めて政治の話を
畳の上で会話するだけになっちゃう(篤姫の「勝を呼べ」よろしくお福が息子の稲葉正勝を呼びつけ
て話をする場面の多いことといったら!)からなんだけど、こういう中弛みは、作風は全く違っても
ジェームス三木の吉宗や葵と共通するから、大河の性質上仕方のないことなのかも(元禄太平記とか
はどうだったんだろ?)
ただ、もし橋田に政治が語れれば紫衣事件を終盤の盛り上がりの肝にも出来たかも知れないけど、
そこは上っ面と綺麗事で済ませちゃってたしね 関ヶ原〜大坂の陣辺りが長すぎたと思う
関ヶ原は稲葉正成の(ひいてはお福の)去就を決める大事な話だけど、大坂の陣は…
たぶん、お江与がもう一方の主人公ってこともあって「おんな太閤記」で端折っちゃったところの
リベンジだったんだろうけど、お福に直接関係ないから話としては、かなり間延びしちゃってる
気がする 舞台版で佐久間良子
東映映画で十朱幸代
でも十朱は乱紋でお江だったな 渡る世間に出ていた
えなりの会社の先輩役の丹羽貞仁が
稲葉正利役でドラマデビューしてた
その頃からあまり進化してないね
そんな前から橋田ファミリーでびっくりだけど。 何でDVD化されないんですかね?
視聴率歴代3位なのに 洋画の吹き替えでも有名な、津嘉山正種さんの片桐且元がよかった。 >豊臣秀頼 渡辺徹
歴代の中でも、肥満体の秀頼だな。
時専で再放送中の「徳川慶喜」の西郷隆盛の時よりも太っている感じ。
それにしても、大原麗子、その「徳川慶喜」、「獅子の時代」と大河の顔だったな。 まあ秀頼実写版としては合格だよ→白豚
190CMの背丈で馬に乗るのも一苦労だったんだから 橋田脚本にしては
何気に合戦シーン(関ヶ原)がすごい 「戦はいやじゃ」「太平の世」を連呼してても嫌味にならない説得力のある作品だ
メロドラマが鼻につく向きもあるかもしらんが
昨今のふざけた大河とは雲泥の差で見れる 関ヶ原合戦で、鶏を追いかけ回すシーンがあったが、あれはなんだったのか 今ぼったくりオンデマンドで全話配信されてるから20数年ぶりに見直したけど
ホームドラマ大河として許容出来るのはこのレベルまでだよなと思ったところ
お福周りが超絶美化されてるのは主人公補正で許せるし 「徳川の夫人たち」の杉村春子が
一等、お福らしかったゼッ!!!
分かったナッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 放送の元日、親戚の家にいて、
五木ひろしが、大河出演ということで一同その時間はみんな集まって見始めていた。
「五木は何の役?」
「明智光秀」
「何だ謀反人か」とちょっとがっかりする親戚の一人。
こんなやりとりがあって明智ってやはり一般人にはそんな扱いなんだなと思った。
1回目で
お安:「お福。父上のお帰りじゃ」
子供おふく「本当にございまするか・・・ワーイ」とはしゃぐ子供お福。
お福を抱っこして
利三「お福はますますお重うなったの。」
子供おふく「兄上に負けずに精進?(ちょっと忘れた)しております。」
利三「おおそうか。そうか。」とお福をあやす江守利三。
番組予告にも登場したシーン。まさにホームドラマ大河だった。 筒井順慶との合体を果たせなかった明智光秀が気の毒です ヒストリアで知ったのですが、春日局と桂昌院は、絡みがあったのですね。 最終回やっと見たけどこう、なんというか・・・
篤姫の最終回みたいなものはないのね
中途半端に終わった感じというかなんというか これは名作。
大原麗子さんりりしくて美しい。
ところで、橋田さんは神?
最終回しか見てないけど、名作映画一本見たくらいの面白さだった。 最終回書いてる時ダンナさんが病気でかなりやばい状態だったらしく
物凄い精神状態だったらしいね>スガ子先生
ラスト、お福が直接亡くなるシーンがなく、静かに終わっていくのが
不満だったけど、それを聞くとまた違った感じに見られた
それにしても大原さんは本当に惜しかった・・・お福役は素晴らしかったよ 京都府の亀岡市や福知山市が明智光秀の大河ドラマ誘致を言い出しましたが、そんな余計なことはすべきではない 1980年代後半までの年末年始番組はある意味各局とも住み分けを行って
おり、民放は紅白にかぶらないように、NHKはレコード大賞やかくし芸にか
ぶらないように大型番組を企画していた。民放は紅白に対抗するような番
組を積極的には企画せず、やったとしても例外なく視聴率的には大敗に終
わっていた。
こうした協調路線は1980年代後半に崩れた。日本テレビが1985年、紅白
にぶつけるように大型幕末歴史ドラマを放送。これが紅白の視聴者層と大
きくかぶることになり、紅白の視聴率が低下。この頃からNHKと民放が番組
をぶつけ合うようになり、NHKは1987年、高視聴率を記録した独眼竜政宗の
総集編最終回を12月31日の紅白前に放送(当時紅白は21時から)し、TBS
レコード大賞に対抗しようとした。いかに人気大河であったといっても総集編
は再放送であるので、視聴率はろくにとれなかったが、これが紅白の長時間
化(19時台から放送)、レコ大大晦日撤退に至る争いの始まりであった。
TBSは1987年から元日に娯楽性の高い大型時代劇スペシャルという番組を
放送し、フジテレビのかくし芸と争っていたが、1989年にはNHKが大河ドラマ
春日局を元日から放送することでこの争いに加わった。1989年のTBS大型
時代劇スペシャルは渡辺謙主演の織田信長であった。当時の渡辺は政宗
のイメージをそのまま引っ張っている状態で、大河ドラマを熱心に見る視聴
者層を完全に食い合う形となった。元日はもともと条件が悪い上、政宗風の
信長を擁するTBSとの直接対決、更にかくし芸にも視聴者が流れたため、
春日局は惨敗。その結果が大河ドラマ初回視聴率歴代最低14.3として残っ
ている。
その後1989年1月7日に昭和天皇が崩御、1月8日分の春日局は一週放送
延期となり、仕切り直しとなった。それが奏功したのか第2回以降は何事も
なかったかのように視聴者が戻って30%台の高視聴率となり、最高39.2、平
均32.4を記録するに至っている。景気が悪くなり民放側が資金的にきつくな
ってきた1990年代後半以降、民放側の撤退でこうした争いは収束した。 春日局は元日開始だったため年明けの番宣期間がなかったのは事実だが、
1989年1月1日は大原と橋田が朝から春日局放送時間までNHKに生出演し、
一日中宣伝した。今民放が改変期にやっているような番宣を行い、ニュース
が終われば二人登場、スポーツ中継が終わればまた登場というように、合間
合間に番宣が挟まれた。現在の大河は放送開始直前に主演者がNHKの「ス
タジオパーク」などの番宣系番組に必ず出演するようになっているが、春日局
以前は大河主演者が放送開始前に生出演というような番組はあまりやってい
なかった。
春日局の父が光秀家臣のため、初回は光秀側の動きから本能寺の変を描
くという過去の歴史物ではほぼやったことのない筋書きだった。NHKはこれを
視聴者が受け入れないと見たのか、番宣内ではこれに関する橋田じきじきの
説明が多く、本編の映像も放送前にもかかわらずかなり使ってしまったため、
本編を見なくても中身が分かってしまうという番宣となった。橋田は放送終了
後のクイズ番組(春日局とは無関係)にまで登場していた。 杉本哲太がかっこよかった
ドラマでは、すぐ死んでしまったのが残念 稲葉一鉄(大坂志郎)が、「光秀なんぞ、物の数ではないわ」と意気軒昂だった 川越の街自体と春日局は関係ないけど、川越の喜多院は一見の価値あり >>87
その放映直後に死去。遺作となってしまったね。 今見返すととんでもなく豪華キャストだった。
主役の大原麗子のほかに、橋田ファミリーがずらり。唐沢、香川、江口、若村と若手も芸達者が揃ってた。 福島正則は矢島健一。こんな行儀のいい福島正則は初めて見た 若手の中でお福の次男坊(徳川忠長の側近)がえらい大根だったのを覚えてる。
それこそ幼少の三姉妹が上手く見えるくらいに酷かった。 徳川忠長の話は長くてうんざりしてた。
稲葉正利も殿は立派と連呼するだけで
諌めた様子もひとつもなくひたすらウザイ役だった。 春日局・作中で印象に残った言葉
てんがのわへい(天下の和平)
子が親を超えるは家が滅ぶ元(徳川秀忠)
わっはっはっはは!!はは、ははは、−そうか!!(徳川家康)
黙らっしゃい!!(春日局)
春日だろうと天照大御神だろうと(門番) 後半はむしろ大奥関連で盛り上がりを見せれたはずだったのに、
家光を取り巻く女たちを鷹司孝子とお楽だけにしちゃったのもな。
家光のは遊郭通いする困ったちゃんってだけで男色癖はスルー(橋田がそういうの嫌いなのかどうか知らんが)。
なので当然お万の方は出る幕無し。
家光がその男装姿に惚れたというお振も出たには出たが男装エピは無くちょろっと出ただけ。
橋田は春日局の前にお楽を主役にした作品も描いていたから、
彼女への思い入れが強くて家光が女として愛した唯一の女性としたかったんだろうけど、
せっかく春日局が主役で大奥が舞台の作品なんだから、
もう少しなんとかならんかったのかと。 にぎやかコンビ海北友松&東陽坊長盛
海北友松夫妻の墓の横に斎藤利三の墓がある。 待望の家光嫡男が生まれたあとにお楽の悲劇が待っていた。
子を抱くことも許されず、涙ながらに「もう子は産まない」と。 おふく(幼年期)が疱瘡で病床に伏せるシーンを見ながら
なんで こんなシーンがあるのかなぁ?とはじめて見たときは不思議だったけど
ドラマが進むにつれて、乳母の条件に疱瘡にかかった経験があること(疱瘡に免疫があること)を知って、なるほどと思った。 幼いお福に祖父・稲葉一鉄が教えた武術、茶道などが後年、乳母としていきてくる 恐るべしおふくの影響力
おふくの義理の孫・堀田正盛は老中に出世 @信松尼の館
ふく「ふくにございます」
信松尼(武田信玄の五女)「まっことおふくどのじゃ」
信松尼はいつふくの顔を知っていたんだろう? 主従(しゅじゅう、しゅうじゅう)
このドラマでは、どの台詞も「しゅうじゅう」で統一 家光の初恋の相手(ちなみに一人二役)が全然美人に見えない 岡本大八事件が出てくるわ、紫衣事件が出てくるわetc…
歴史の勉強になる大河ドラマですな 春日局の兄・斎藤利宗は加藤清正により5000石で召し抱えられ、加藤忠広にも仕えていたが、
加藤忠広が徳川忠長と親交が深まると暇を請い熊本より退去し、旗本として幕府に同石高で召し抱えられている。 不幸な鷹司孝子
孝子とは結婚当初から険悪な仲であり、結婚後程なくして孝子を大奥から吹上広芝に建てた屋敷(中ノ丸)へ移住させた(これにより孝子は中ノ丸殿とも呼ばれた)。
また、自らの死に際しても形見分けとして孝子へ与えたのは金50両と幾つかの茶道具等のみであったり、
次代将軍である徳川家綱を始めとする自らの息子たちを孝子の養子としないなど、生涯を通して孝子を冷遇した。 『春日局』における本能寺の変の動機
光秀「いま信長を討たねば、いつの日かわしが信長に討たれよう」 関白になりたがる小早川秀秋を家老の稲葉正成が強引に説得して東軍に寝返らせる、という設定か。 開田孫六(かいでんまごろく)
稲葉正成の弟であったようで、正成が小早川家を出奔して浪人すると、その世話をしたという。(ドラマでは正成の親戚という設定) お安、斎藤利宗、出来丸(後の斎藤三存)、おふく
明智家重臣筆頭の斎藤利三の家族が、こんなに生き残れたのは奇跡的。
本能寺の変の際、斎藤利三の家族は亀山城以外にいたのではないだろうか? おふくの縁故が通じなかった人=稲葉通重(登場はなし。台詞で名前のみ)
富商の婦女を強引に茶店に引き入れ、酒を飲ます等の乱行を起こしたため、幕命により改易され、常陸国筑波に流罪とされた。ここに清水藩は廃藩となった。
ドラマではおふくの縁戚ということで切腹は免れた、という設定 「春日局」に登場する真田幸村(信繁)は物腰が柔らかく、大人しそうな感じで
真田信繁の実像と近い 大坂冬の陣、夏の陣の間、主役(おふく)は空気。
そこがいい。
主役を歴史的重要事件に無理矢理絡めないことが重要。 クレジットの出演のラストが七沢作兵衛となる段階はしらける。
主要人物が次々と亡くなり、七沢作兵衛を出すしかなくなったのか、と。 稲葉一鉄の大坂志郎が良かった。
第七回で一鉄が亡くなってから間も無く、御本人が亡くなってびっくりした。
前の年のうちに収録は済んでいたのだろうが、あれはびっくりした。
すごく淋しくなったのを覚えてる。 お楽の悲しみ
お楽「お世継ぎなど生むのではなかった・・・」 明智側の言い分
「秀吉は食えぬ男じゃ。どうせ上手い飯で皆をたぶらかし、味方に引き入れたので御座いましょう」「おのれ秀吉め卑怯じゃ」 主役サイドの視点で描かれている為、器量の大きさ等が
斎藤利三>光秀
となっているな 本作品は「ドラマの放送中に出演者が亡くなる」という異例の事態に遭遇した作品である。
ドラマが始まって早々の1989年1月5日に春日局の兄・斎藤利宗を演じた高橋良明がバイク事故を起こし、
1月23日に死亡した(死亡時点ですでに登場シーンの撮影を終えていたため、本編のストーリー編成に影響はなかったが、道路交通法違反であったため総集編からは登場シーンがカットされている)。
また稲葉一鉄を演じた大坂志郎にとっても遺作となったドラマであり、同年3月3日に食道癌のため逝去した。 稲葉一鉄:大坂志郎(おふくの祖父)
お安の父。山崎の合戦後、秀吉の傘下に入ったこともあり、後に秀吉の許しを得るまでお安一家を引き取ることがままならなかった。美濃もやってきたおふくを暖かくも厳しく見守る。
以上wikiより。
「おふくに茶道、武術、馬術を教えた」を追加して欲しい。
実際は、おふくは三条西家(ドラマでは、まるでイジメw)で教育されたらしいけど 明智光秀「案ずるな。毛利殿とは(足利)義昭様をとおして、この日の策も講じてある」
毛利・足利義昭共謀説を採ったのか。 不思議な縁
天正17年(1589年)、小早川秀秋は豊臣秀勝の領地であった丹波亀山城10万石を与えられる。
丹波亀山は、かつては明智光秀の居城(のひとつ)。 茶々「(稲葉)正成を信じませぬ。茶々の心を踏みにじるような男…信じられませぬ」
その言葉どおりに約11年後、関ヶ原の戦いで稲葉正成は小早川秀秋を東軍に寝返らせるのであった。 空気稲葉正定
七之丞→稲葉正定:鳥居紀彦→杉山和幸→山浦広幸→小日向範威→中村獅童→奈佐健臣 小早川秀秋が宇喜多の浪人に襲われ不慮の死を遂げたという設定になっているけど小早川秀秋には、やはり狂死のほうが似合うと思う。 小早川秀秋(春日局) → 宇喜多秀家(葵徳川三代) → 豊臣秀吉(利家とまつ)
まさしく出世魚 秀吉「三条西家には、なんぼ銭とられた?ハハハハハ」 浄光院 (保科正之生母)
慶長年間に秀忠の乳母・大姥局に仕える。その際、秀忠に見初められる。
その後に懐妊したが側室に迎えられることなく、見性院(武田信玄次女、穴山梅雪未亡人)の元に預けられる。
そこで慶長16年(1611年)に幸松(後の正之)を生む。元和3年(1617年)、幸松が名目上保科正光の子とされたため、静もそれに伴って信濃の高遠城に住むようになる。
寛永12年(1635年)、同地にて52歳で病死した。 斎藤利三の子
利康、利宗、三存、七兵衛、女(柴田勝全前室)、女(柴田勝全継室)、福(稲葉重通養女、稲葉正成継室)
ドラマでは3男1女の設定 斎藤利宗
天正10年(1582年)、山崎の戦いで兄の斎藤利康と共に羽柴秀吉軍の先方の高山右近と戦うが敗れたため、剃髪して立本と号し、降伏したwww
戦後、細川忠興に御預けとなった。
間もなく秀吉に罪を許され、小牧・長久手の戦いに出陣し、騎馬で馳せ付け軍功を立てた。その後、還俗して加藤清正に仕え、肥後に5000石の知行を与えられた。 >すでに登場シーンの撮影を終えていたため、本編のストーリー編成に影響はなかったが、道路交通法違反であったため総集編からは登場シーンがカットされている
・父子の出陣シーン
・本能寺の変後、坂本城でくつろぐ明智の兵たちの様子
・山崎の戦いで利康、利宗を探す斎藤利三
・お安、おふく、出来丸と利宗の再会シーン
などのシーンが「総集編」では全部なしか。 小早川の言い分
語り「(稲葉)正成の努力にも関わらず小早川秀秋は伏見城攻めに加わることになり、このとき、心ならずも家康を裏切る羽目になってしまったのである」 明智視点の「本能寺の変〜山崎の戦い」に登場しなかった武田元明
天正10年(1582年)6月の本能寺の変の際、この期に若狭守護としての勢力の回復を計った元明は、若狭各地にいた旧臣を集め明智光秀と通じ丹羽長秀の本城・佐和山城を陥落させた。
しかし山崎の戦いで光秀が羽柴秀吉に敗死すると、元明は丹羽長秀によって近江国海津に召還され、7月19日に海津の法雲寺で謀殺された(自害ともいわれる)。享年21。 松野主馬重元(小早川家重臣)
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、東軍へ寝返った秀秋に反発して戦線を離脱する。
しかし、このことが忠義者としての評価を受け、戦後は秀秋の下を去って田中吉政に仕官し、1万2,000石で松延城城番家老として仕えた。 小早川陣に鉄砲が撃ち込まれる。
正成「家康殿の御催促じゃ。このままでは家康殿と戦うことになりましょう。もはや一刻の猶予もなりませぬ。稲葉正成、先陣承りまする」
正成(と平岡頼勝)の考えだけで小早川は寝返った(決断の段階で主君秀秋は空気w)。
正成は、このことで後に主君秀秋から疎まれたりetc.苦労することになるのである。 家康とお勝の密談
家康「なにをもって謀反の裏切りのと申すのじゃ。もしも光秀が天下をとっておれば、
ふくの父親は天下人の重臣じゃぞ。今頃、徳川などどうなっていたかわからぬわい。乱世とはそうしたものよ」
光秀は徳川の恩人みたいなものだからなw おふく:安間千紘→尾羽智加子→大原麗子
・安間千紘と尾羽智加子は顔が似ている
・髪型が3人ともよく似ている 小早川秀秋の死因って
1 酒の飲みすぎ
2 狂い死に
3 宇喜多の旧家臣による暗殺(「春日局」)
4 徳川家による暗殺
とか、いろいろ説があるな。 小早川秀秋→備前(宇喜多旧領):最悪
山内一豊→土佐(長曽我部旧領):最悪 『山崎の戦い〜明智氏滅亡』
父親・斎藤利三(敗死…)@明智家重臣(家老)
斎藤利康(敗死…)
母親・お安(生存)
斎藤利宗(生存)
出来丸(のちの斎藤三存)(生存)
おふく(生存)
他の人も書いているけど、ドラマに出てくる家族だけでも、こんなに無事だった(史実)ということには驚く。奇跡としか言いようがない。
明智光秀の重臣(家老)・斎藤利三の家族には追ってが殺到していそうなものだが。
推測:ドラマよりももっと早い時期に縁戚の三条西家や長曾我部に逃れていたのではなかろうか。
※長曾我部も斎藤利三の縁戚 http://www.jpreki.com/jp/kasuga.html
一次史料、二次史料をもとにして書いている↑のサイトによると、
おふくは三条西家で公家の書道・歌道・香道といった教養を身につけ、
長曾我部家で武家の学問・知識・教養を身につけたらしい。 >>130
懐かしい亀山に行けるなら、ということで
お安も稲葉正成夫婦に同道することになりましたね。 言動がしっかりしている画期的な豊臣秀頼
秀頼の従来のイメージを一新 竹千代、国千代の後継争いは大御所(家康)の一言で決まってしまうけど、もう一捻り欲しかった
竹千代のほうが跡継ぎにふさわしい、という明確な理由を出して欲しかった ほろっとする秀忠の鷹狩りシーン
秀忠の隠し子・幸松(5歳か6歳)「この人は誰じゃ?」
秀忠「ふふ、鷹狩りの行きずりの者じゃ。これを坊にやろう。大きゆ〜なったら、いつかワシと会うたことを思い出すこととてあろう。達者でのう」 秀頼をageて、対比するカタチで秀頼周辺(淀殿etc)をsageた意図は脚本家にしか分らないよなぁ おふくの子でありながら悲運な生涯を送った稲葉正利
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%91%89%E6%AD%A3%E5%88%A9
>奇行は続いたため、正利が自害すべきことを春日局が示唆するまでとなった。
ドラマでは奇行は描かれなかったけど、これじゃあおふくのチカラをもってしても救いようがない… 大河ドラマ春日局に登場する真田幸村(信繁)は猛将タイプでは全くない⇒史実に近い 豊臣秀頼
従来の諸作品では坊ちゃん育ちで何かにつけて母の言いなりになる無能な人物とされ、「おんな太閤記」でももっぱら弱々しい人物としてしか描かれなかった。
しかし実際の秀頼は巨漢で頑丈、武将としての威厳も備えた人物であったと伝えられていることから、本作では大柄の渡辺を起用した。
また利発で人柄も良い人物として位置づけられ、過去作品には見られない秀頼が淀殿を導く描写も取り入れるなど、頼りない後継ぎという世間一般の秀頼のイメージを大きく覆した。 主人公と公家の関係
「春日局」
おふくの祖母は三条西家
「武田信玄」
信玄の正室は三条の方(転法輪三条公頼の次女)
「真田太平記」
信幸の母は山手殿(菊亭晴季の娘@諸説あり) 名シーンの一つ
秀吉「そなたの娘は確かお安と言うたな。孫娘はおふく。また利宗、出来丸、二人の
孫も無事に暮らしておるそうではないか。そろそろ引き取ってやったらどうじゃ。
皆、苦労しておることであろう」(後略) 細かい点だけど、関ヶ原本戦のシーンで「おやっ」と思ったことがある。
それは炎に包まれる関ヶ原の民家。
関ヶ原本戦で民家がこうむった被害を描いている作品は他には
「戦国自衛隊・関ヶ原の戦い」くらい。 秀吉「即刻そやつの首はねい」
どのドラマでも光秀から毛利への密使はすぐ斬られちゃうのなw 明智視点の本能寺の変・山崎の戦い
小早川視点の関ヶ原の戦い
中立?視点の大坂の陣 茶々が病気だと秀吉が嘘をついて
お江与を大坂に呼び戻すシーンがあるけど
某大河・江(ryはこれをパクったなw おふくのチカラをもってしても救えなかった稲葉通重
慶長12年(1607年)12月、天野雄光や津田信成ら数名と京都の祇園で遊んでいたとき、酒乱のために茶屋、後藤などの富商の婦女を強引に茶店に引き入れ、
酒を飲ます等の乱行を起こしたため、幕命により改易され、常陸国筑波に流罪とされた。ここに清水藩は廃藩となった。
元和4年(1618年)6月、配所の筑波にて死去した。嫡男の通勝は稲葉正勝の家臣となっている。 加藤清正「利宗殿、わしのところへ来てくださるか」
斎藤利宗「かたじけのう御座います。斎藤利宗、弟・出来丸と共に
お仕えさせて頂きとう御座います」
稲葉一鉄「めでたい」
こういうシーンも総集編ではカット 「此時備前中納言殿・小西摂津守・石田治部少輔、大柿を出て関原へまいられ候由。子細は筑前中納言殿むほんと風聞候。仕置いたすべきとて出られ候由」(『慶長記』) 小早川秀秋 (筑前一国 32万石)に対する、西軍と東軍の勧誘条件
(西軍)
1) 秀頼卿が成人するまで関白の位に就いて頂く
2) 筑前の領地に加え、播磨一国を進上する
3) 秀秋の重臣である平岡頼勝、稲葉正成の両名に、それぞれ10万石ずつの所領を別途与え、当座の褒美として黄金300枚ずつを差し上げる。 (平岡・稲葉の懐柔)
(東軍)
筑前の領地に替えて、「上方で二カ国」を進上する てか、矢島健一では品が良すぎる。もう少し迫力があって人相の悪いのを持ってきてほしかった。 ちょっと登場したら、上意討ちで消える杉原紀伊、哀れ 忠長の場合は改易に至る過程として、江戸と駿府の両方に将軍がいるといわれるほどであった幕府・将軍家に対する不遜とも取れる言動もその一因としてあげられ、
同様に改易された松平忠輝や忠直のようになるという風聞もあった(『細川家史料』)。 乳母を2年で辞めたいと言うおふく
↓
家康困った。家康思案…
↓
家康は稲葉正成(浪人中…無位無官…)を駿府に呼び寄せ、正成に一万石を与えると伝える(十七条藩)
↓
一万石の大名になれば江戸の屋敷でで正成とおふくなどの家族が会うことが出来る
↓
正成「夫婦親子そろうて徳川のお役に立てれば言うことはない」
↓
おふくは乳母を続ける 小早川家宿老
稲葉佐渡、平岡石見、杉原紀伊、村山越中、松野主馬 日本の母、佐久間良子(おんな太閤記、春日局、功名が辻など)
第21回「母去りぬ」
おふく「母上、必ず美濃で・・・(お会いしましょう)」
お安「さらばじゃ・・・」
語り(奈良岡朋子)「母(お安)と娘(おふく)の最後の別れとなった。
おふくは江戸を離れることが許されず、お安は二度と江戸の土を踏むことがなかったからである。
お安が去って稲葉の家もひとつの時代が終わり、新しいときが始まろうとしていた」 静(のちの浄光院)が秀忠の身分(将軍)を知らずに会い続けた、という設定には無理があるなー
静「どちらのお殿様かは存じませぬが、優しいお方」 二条城での会見
こんな立派な豊臣秀頼は、大河ドラマ「春日局」が最初で最後だろうな 家康「そのうえな。あの秀頼殿の器量じゃ。わしの目の黒いうちに始末をつけぬと徳川の先が危ぶまれる」 「次男よりは召使いの者同様に心得候様に常々申し聞かせ、育て候時より主人と心得候様に、くれぐれも申し聞かさるべく候。惣領より次男の威勢強きは、家の乱れの元に候事」(家康の書状) 徳田章アナウンサー(アバンタイトル)「幸村(信繁)が大坂城に入城する際に支払われた一時金は、なんと2000両余り」 第30回「ああ大坂城」
主役(おふく)は、ほとんど登場しない。
↓
歴史上の重要事件に主人公を無理矢理絡ませない。
この時代の大河ドラマの制作者たちは流石だ。 ありがちなパターンで家康の一言で世継ぎが竹千代に決定するが、
お江与の方が愚痴の一言も言わずアッサリそれを受け入れたのが意外。 語り(奈良岡朋子)「翌日、秋の深まる江戸城を家康は去っていった。それが家康とおふくとの最後の別れとなった。
半年後の元和二年四月十七日、家康は駿府で重くて遠い道を歩き続けた七十五歳の生涯を閉じた(後略)」
このときの丹波さんの顔がいい。 秀忠の愛人・お静絡みで信松尼(武田信玄の娘)を見る度に
「この人に子がいれば・・・、子は武田の女系として云々」と思うこともあるが、
信玄の子孫は信玄の次男・竜芳(海野信親)系で現代に至るまで
子孫は現存(武田家旧御会会長)しているから、ま、いいか。
系図をもっていないから分からないけど確か真田信之の女系の血も武田家の子孫に流れているはず。 鴨を討つために西ノ丸に鉄砲を撃った忠長に対してカンカンに怒る父・秀忠。
この辺りから忠長(&高丸→稲葉正利)の不幸な人生が始まってゆく。 竹千代→徳川家光:井手麻衣人→比嘉武尊→伊藤淳史→舘坂優→大沢健→江口洋介
江口洋介が家光になってから吉原通いが始まった。 「忠長が甲州・蟄居の身でありながら度々江戸に使いを出し、さらに善行寺を建立しようとしたりして反省の色もなく、加藤親子と結託して謀反をくわだてた事が処分をきつくした」(『徳川実記』)
「加藤光広が、イタズラとして、土井利勝なる人物が謀反をくわだてて諸大名に呼びかけるニセ書状を造り、皆に回したが、その書状の中に、忠広や忠長の花押があったので処分された」(『駿河大納言御事蹟』)
加藤忠広はドラマでは家光重体の間は駿河大納言(忠長)のもとを頻繁に訪れ、忠長が
将軍職につくことを願っていたが、
家光が快癒した途端に忠長とは距離を置く→結局、加藤氏改易 宇喜多秀家家臣(討死)の娘・遊女・紫の自害…(フィクションとは言え、ドラマでは重大事件)
おふく「かつては謀反人(斎藤利三)の娘と言われ、肩身の狭い思いで生きてきた私が、
いまは人を人とも思わぬ仕打ちをするようになってしまった。。。紫殿のこと…
悔やんでも悔やみきれぬ。。。」
この辺りからおふくに権勢があると思われる描写が増えてくる感じ。 三代将軍家光、稲葉正勝邸に遊女を呼び
真昼間から「わしも一緒におどろうぞ!」
これじゃあバカ殿だよw 鷹司孝子は家光に相手にされず別居のような正室だが、そのことを
割り切って暮らしているためか、江戸城での侍女たちとの暮らしを楽しんでいるように見えた 珍しく怒鳴りまくる秀忠。
秀忠「忠長!そなた駿河五十万石の領主では不足とでも言うのか!」
忠長「そのようなことを申し上げているのでは御座いませぬ」
秀忠「大坂城を寄越せとは何事ぞ!おのれのぶんをわきまえぬも甚だしいわ!」
忠長「私とて父上の子。将軍の弟に御座います。兄上と私とは車の両輪となって徳川を守るが徳川の男子として生まれた者の務めと心得まする」
秀忠「それが心得違いというものよ!忠長…、家光とそなたはたとえ兄弟に生まれようと家光は将軍、そなたは一大名。主従じゃ。そのこと今になってもわからぬのか」
忠長「私は、ただ未だ大坂城修築のならぬを憂えて、父上や兄上のお役に立てれば、と。
その一念に御座います」
秀忠「もうええっ!そなたがおのれのぶんをわきまえぬ限り、大坂城を任せることは出来ん!わしは、そなたが可愛いい。それゆえ徳川にとって大事な亡き大御所様のゆかりの地・駿府城を与えた。じゃが、そなたには駿河五十万石とて過分じゃ!」 サブタイトル:「春日局」賜わる
初めて見たときはサブタイトルを見て「とてもめでたい話なんだろう」と思いながら見ていたので、ずっこけた 徳田章アナウンサー(アバンタイトル)
「(略)会津の初代藩主が保科正之です。正之は二代将軍秀忠と側室お静の間に生まれました。秀忠は正室・お江与の方を憚り、正之を信州高遠城主・保科家の養子にします。
秀忠の死後、会津藩主に取り立てた兄・家光の恩に報いる為、正之は
家臣全員に教育を義務付け、子供のうちから将軍家への忠誠心を身につけさせました。
正之が作った家訓、その内容は将軍家に対する忠誠心に貫かれ、これが会津魂の源になりました。忠長とは対象的に兄・家光を敬い、慕った正之は家光亡き後も四代将軍家綱の後見として重きをなし、会津と将軍家は明治維新まで深い絆で結ばれることになるのです。」 土井利勝「しかし謀反の確かな証拠とてないものを」
秀忠@病床「それを見つけるがそちの仕事であろう」
土井利勝と秀忠@病床(いいひと中村雅俊)が忠長改易の泥をかぶることになってしまった。 島原の乱
幕府側
戦死者:1151人
負傷者:6743人 @ねねの屋敷
北政所(ねね)「まだご存じないのか。秀秋は亡くなりました。宇喜多の浪人に襲われ不慮の死を遂げたと」 歴史的には江は長男を跡取りにする慣習に逆らった非常識な鬼母とされているようです。
それは竹千代が三代将軍家光となり功績を残したし、春日局も大奥の制度を整えたので自分達の都合の良い記録を残したからだろうと思いますが。
また、江の評価が悪いのは江戸時代では一番の悪女扱いだった淀君の妹だったからかもしれません。 通説には、事実誤認があります。
「お江与は次男が誕生すると乳母をつけずに、自分で育てた」というのは、嘘です。
当時の高貴の女性が乳母をつけずに自分の乳で育てるなんてことは有り得ません。忠長(国千代)にはちゃんと乳母がいました。朝倉局、土井利勝の妹です。 家光と不仲だったことで知られる弟の忠長だが、家光にも忠長にも、土井利勝の身内が乳母についていた。忠長の乳母・朝倉局は、土井利勝の妹だ
土井利勝の弟昌勝の妻・初台局⇒秀忠の乳母
土井利勝の姪で初台局の娘の梅園局⇒家光の乳母
土井利勝の妹の朝倉局⇒忠長の乳母 春日も三男正利を忠長の小姓にしていたように、土井利勝も二股かけたのか 大河ドラマ春日局
紫の自害は、おふく、家光二人の責任 お楽の演技がしつこくて、どんどんウザい存在になっていく。
ま、脚本のせいなのだが。 お楽(宝樹院)の縁故で出世した人たち
・お楽の弟・増山正利は姉宝樹院(お楽)の縁で召し出され、一万石を与えられた
・同じくお楽の弟・那須資弥は二万石(後に改易)
・お楽の妹は今川氏真の孫の妻となった 最終回(第50回)
江戸城に集まった諸大名の前に竹千代を抱いて出たのはおふくであった。
宿願の世継ぎを胸に抱きしめたおふくにとって、それは一世一代の晴れの舞台であった。 享年65歳。
ついに薬を口にせず、家光が飲ませようとした薬湯も
ひそかに懐へ流し込んだと伝えられている。
それがおふくの家光への最後の献身であった。
完 本能寺の変、異説
信長が土佐の戦国大名で斎藤利三の妹婿である長宗我部元親攻撃のために織田信孝と丹羽長秀を四国に出撃させようとしていたことから、
斎藤利三が変の主導的な役割を担ったとの説も存在している。この説は現代、八切止夫と井沢元彦が支持している。 春日局の功績
徳川家光を三代将軍の地位に就かせた功績。二代将軍秀忠夫婦は嫡男家光より、弟の国松(後・忠長)を溺愛し、
吃音で見栄えも決して良くなかった家光よりも、将軍の跡目は忠長の思いが強く、又その動きがあった。
このとき意を決して、本当は御法度なのだったのに関わらず、家光の乳母だった春日局は駿河の駿府(静岡県)大御所家康に時下談判を決行し、
家康の鶴の一声、次期将軍は家光!の決断を下させ跡目争いは決着がついた。
あわや家光を差し置いて弟・忠長の三代将軍誕生寸前まで行きかけていたのを大逆転させた春日局の大胆な行動は、
家光には春日局は大恩人であり、その後春日局の幕府内での権限は絶大なものになっていったのです。 小早川家は一度断絶したが、明治維新後毛利家から分家する形で再興された 秀忠とお静の出会い
台徳院殿と土井大炊が廊下を歩いていた時に逃げた子猫を追いかけてきたお静が庭に迷い込んだのがそもそもで有った 大河ドラマ春日局
まるで真田幸村、後藤又兵衛ら浪人衆が居たために豊臣が滅びたような描写があります。
徳川から「大坂退去」と「浪人放逐」のどちらかを要求された
淀の方は浪人たちに金銀を与えて浪人たちに去って貰おうとしたのですが、
真田や後藤が「名誉ある死に場所」を求めて徹底抗戦を主張し去るのを拒んだために
戦う羽目に陥り、その結果滅亡したような描写されてます。 堀田正吉の妻のまんは、稲葉正成の妻の春日局の義娘にあたり、子の正盛は早くより将軍徳川家光に近侍し寵愛を受け、幕府の要職に抜擢、大名となり子孫は繁栄した。
稲葉正勝の子孫は山城淀藩主として、堀田正盛の子孫は下総佐倉藩主として明治維新まで続いた。 視聴者の多くは
忠長には乳母がいなかった、と思ってしまっただろうな 第23回のアバンタイトルより
おふく(春日局)の息子・稲葉千熊(稲葉正勝)
小姓(8歳):500石
↓
小姓組番頭
↓
書院番頭(25歳):2000石
↓
丹後守(27歳):5000石
↓
老職、小田原城主(36歳)8万5千石 海北友松の墓所は京都府左京区浄土寺真如町の真正極楽寺(真如堂)。友松夫妻の墓の横に斎藤利三の墓がある。 海北友松
交流のあった斎藤利三(明智光秀の重臣)を謀反人でありながら手厚く葬り(磔にされていた利三の遺体を友松が槍を振って侵入して奪い取ったともいわれる)、後に息子の友雪は、利三の娘である春日局から褒賞を受けている。 稲葉正勝の子孫は山城淀藩主として、堀田正盛の子孫は下総佐倉藩主として明治維新まで続いた。 佐倉藩は堀田正盛の長男の正信が継いだが、万治3年(1660年)に幕政批判と無断帰国をしたため改易された。
正信は預かり先で自刃したが、後に嫡孫の正休が近江宮川藩主となった。
次男の安政は外様大名の信濃飯田藩主脇坂安元の養子となり、播磨龍野藩に転封された。
三男の正俊と四男の正英は幕閣に入り、正俊は大老に、正英は若年寄に任じられた。
後に正俊の子孫は佐倉藩に戻り、安政の子孫も譜代大名に昇格、正信の子孫と共に明治維新を迎えた。 大河ドラマ「春日局」
迫力がない福島正則
迫力がある石田三成 春日局(大河ドラマ)
おふく:安間千紘→尾羽智加子→大原麗子
明智光秀の家臣、斎藤利三とその妻お安の間に生まれた娘。
幼少の頃父が戦で死亡、祖母の実家である三条西家で身分を隠すため下働きとして奉公した。
後、母と共に母の実家である稲葉家で育つ。
夫・稲葉正成が浪人している際、将軍家で乳母を捜しているという話をもらい、正成との婚姻関係を維持したまま徳川家に奉公にあがる。
当初、乳母としての勤めは数年程度という予定であったが、
家康にその力量を認められたことなどから長期に渡り乳母として江戸に留まることになり、
次第に将軍家の世継を育てることに大きな使命感を抱くようになる。
なお劇中では、春日局の名前を拝命した後も役名は最後まで「おふく」のままであった。 千熊→稲葉正勝:高橋壱岐→伊崎充則→磯崎洋介→唐沢寿明(おふくの子)
おふくに伴われ江戸に下り、竹千代の近習に取り立てられる。
そのため城内の勤めの上では母・おふくに対して、他の竹千代の近習たちと同様に乳母様として接し仕える身分になる。
母親と切り離され、幼少の身でありながら屋敷を持ち、一家の長として扱われるという厳しい環境の中で成長していった。
家光からの信頼は篤かったが、そのために若いころは城を抜け出して遊び歩く家光の道連れにさせられることも多かった。
しかし身近に家光と接している分、正勝の言動から、紫の事件や、名ばかりの将軍という扱いに心を痛める家光の心情を誰よりも案じている様子が伺える。
後年、小田原藩主に取り立てられるが、幕府老職を預かる激務がたたり病に倒れ早世する。 春日局(大河ドラマ)
竹千代→徳川家光:井手麻衣人→比嘉武尊→伊藤淳史→舘坂優→大沢健→江口洋介(三代将軍 (秀忠の子))
おふくの養育の影響もあり、少年期は大坂の陣について堂々と父に意見するなど、聡明さを伺わせる人物という描かれ方をされるが、
長じるにつれ城を密かに抜け出して遊興にふけるなど素行の乱れが生じるようになり、おふくや土井利勝を悩ませることになる。
吉原の遊女・紫との悲恋の影響で女性に屈折した感情を抱くようになる。 春日局(大河ドラマ)
稲葉正成:渡辺博貴→山下真司(おふくの夫)
関ヶ原の合戦で小早川家を守るため家康に内通したことが原因で主君に睨まれ、おふくたちを伴って美濃へ出奔する。
乳母として江戸に上がる話を受け、どうするべきか躊躇していたおふくを後押しする。
竹千代が正式に世継と定まった時期におふくが役目に専念できるようにと自ら離縁を申し入れ、
さらに後に再婚もしているが、おふくとの関係は終生良好なものであった。
2度目の浪人中、息子・正勝の元に身を寄せた際に、遊興にふける家光を手討ち覚悟で叱りつけるなど、年老いてなお戦国武将らしい気骨ある人物として描かれている。 春日局(大河ドラマ)
お江与:坂上香織→長山藍子(秀忠の正室)
秀忠の正室。伯父の信長を殺した謀反人の娘であるおふくを嫌う。
しかし献身的なおふくの仕事ぶりが功を奏し、次第に「竹千代君にはなくてはならない方」とおふくを認めるようになる。
竹千代が正式に徳川の世継に決まった際、乳母の役目を降りようとしていたおふくを江戸に止めさせ続けたのもお江与である。
春日局の敵役として描かれる傾向の強いお江与ではあるが、本作では上記の展開に加え、おふくの方が終生お江与を尊重していたこともあり、
あまり対立関係を強調した描写はされておらず、ストーリーの進展と共に良好な関係が築かれていく様子が描かれている。 春日局(大河ドラマ)
豊臣秀頼:寺沢和也→長谷川宙→小磯勝弥→渡辺徹(豊臣家当主(秀吉の子))
従来の諸作品では坊ちゃん育ちで何かにつけて母の言いなりになる無能な人物とされ、「おんな太閤記」でももっぱら弱々しい人物としてしか描かれなかった。
しかし実際の秀頼は巨漢で頑丈、武将としての威厳も備えた人物であったと伝えられていることから、本作では大柄の渡辺を起用した。
また利発で人柄も良い人物として位置づけられ、過去作品には見られない秀頼が淀殿を導く描写も取り入れるなど、頼りない後継ぎという世間一般の秀頼のイメージを大きく覆した。
こうした秀頼・淀殿への比較的好意的な描写も、本能寺の変と山崎の戦いが明智側の視点で、
また関ヶ原の戦いは小早川側の視点に立って取り上げられた本作品独自の流れの延長線上に位置づけられる。 徳川将軍家の乳母は、後にも先にも春日局だけが特別だっただけじゃ?
初代家康にも、2代秀忠にも乳母はいたが
春日局ほどの権力は握っていないし。
後の時代でも、将軍が成人後もじきじきに大奥に住む自分の乳母を尋ねて
ねぎらったり、部屋を与えたりすることはあったようだが。 春日の局以降乳母の地位は低下して軽視されているけど実はとても重要です。
生みの親より育ての親じゃないですが乳母は成人したあとも感謝され大切にされます。
源氏物語でも乳母の見舞いにわざわざ出向いたりしていますね。
もう一つ重要なのが乳兄弟です。要するに乳母のほんとの子供です。
多くはその乳兄弟は腹心の部下になります。
春日の局も息子を将軍の小姓に出してますね。
小姓というのは跡継ぎが少年の頃から仕える人たちで将来は側近になります。
乳母そのものは表に出てはこないですが裏には乳母の存在があったりします。 忠長の乳母は秀忠の重臣土井利勝の妹で夫は織田に滅ぼされた朝倉氏の末裔です。
春日局は明智の部下斉藤利三の娘ですね。
家康は織田や秀吉に滅ぼされた名族を召抱えることに意欲的だったようです。
2大将軍秀忠が死んで半年もたたないうちに土井利勝が忠長をかついで謀反を企ているといううわさがたちました。
これに土井はあれは芝居だったとかわし、結果なぜか加藤清正の子供が改易になります。
春日の局が忠長の乳母・兄の土井を消し去ろうとしたが、忠長だけしか消せなかったんでしょうか?
どうなんでしょうか?春日の局の息子のうち一人は家光に一人は忠長に仕えているので忠長を標的にするのは疑問なんですが。
土井側の息子も家光に仕えていたからでしょうか? 稲葉正勝を演じていた唐沢寿明が後に大河ドラマの主役となるとは。 大河ドラマ「春日局」
遊女・紫の自害はおふくの訪問が原因 秀忠やお江与が長生きしていれば、徳川忠長は自害は免れただろうなぁ。 忠長に近づいたが為に改易された加藤忠広(清正の子)哀れ お江与を主役にしたドラマを見れば春日局がやな奴に見えるw
春日局を主役にしたドラマを見ればお江与がウザく見えるw でも加藤忠広役の深水三章の演技は悪くなかった。
「いいや!徳川には忠長どのがおられる!徳川は安泰でござる」 春日局(大河ドラマ)
三条西実条はおふくに惚れていたように思える >>241
この時代の大河ドラマは端役も演技が上手いよね
それに引き換え近年の大河は… >>243
子役シーンの時から金平糖をあげに来ていたからね 忠長が執拗におふくを批判した時点で視聴者の大半を敵にまわしたw 第43回
さらば吾子よ
サブタイトルで「今回で稲葉正勝が死んでしまうのか…」と分かってしまうところがイマイチ >>245
三条西家でお安、おふく母子が下働きをさせられていたときに
おふくに終始優しく接していたのが三条西実条でしたね 遊女・紫とお楽は「一人二役」なんだけど
なぜかお楽のほうがいい顔に見える。 大河ドラマ「春日局」
かつてのアイドル石野真子が志乃(お楽の姉)役で出演 大河ドラマ春日局
回想シーンが一度もない硬派な作り 春日局(大河ドラマ)を見ていて「おやっ」と思うのは
関ヶ原の戦いを豊臣対徳川の戦いと位置付けている点。 徳川 250万石→400万石
豊臣 200万石→65万石 伊賀越え
・大河ドラマ徳川家康では穴山梅雪の存在は完全スルーされる
・大河ドラマ春日局では台詞で穴山の死を報じる もう一人の春日局
春日 局(かすが の つぼね、生没年不詳)は、室町時代前期の女性。室町幕府の第3代将軍・足利義満の側室。
義満の寵愛を受け、応永元年(1394年)に足利義嗣を産んだ。 明智家で斎藤利三(明智家家老)は1万石だったようだ 三条西家は身寄りの無くなったおふくとお安が身を寄せた公家で、稲葉家の親戚に当たる。
三条公国夫妻は母子を引き取るも陰では迷惑がり、公国は稲葉一鉄に嫁いだ叔母について
「美濃のような田舎に住む身分の低い侍に嫁がざるを得なかった叔母上が気の毒」、時子も「お上(公国)は朝廷にお仕えする身分の高ーいお方」等と語る場面があった。
息子の実条がおふくに終始暖かく接する様子と対比するためか、公国夫妻はあまり良い人物としては描かれなかった。 >>264訂正
×三条公国夫妻は
○三条西公国夫妻は 宇喜多秀家が関ヶ原西軍決起の発案者であるとの説がある。
三成が大谷吉継に協力を求める前の7月1日、秀家が豊国社で出陣式を早くも行っていることをその根拠とする。
なお、この出陣式に高台院(ねね)は側近の東殿局(大谷吉継の母)を代理として出席させており、ともに戦勝祈願を行っている。
これにより、高台院が東軍支持だったという俗説には疑問が提示されている。 「北政所周辺に西軍関係者が多い」
三成の娘(辰姫)が養女になっている
側近の東殿は大谷吉継の母である
一説には小西行長の母ワクサ(洗礼名:マグダレーナ)も側近である
「西軍寄りと見られる行動を取っている」
側近の孝蔵主が大津城開城の交渉にあたっている
甥である木下家の兄弟(小早川秀秋の兄弟)の多くが西軍として参加し領地を没収されている
「東軍諸将との関係が薄い」
『梵舜日記』(『舜旧記』)に高台院の大坂退去から関ヶ原の戦いの数年後まで高台院と正則らが面会したという記録が無い。 当時小学生でしたが、私にとって歴史にのめりこんでいった作品でした。
橋田壽賀子先生の作品ですが、家のため、徳川家光のためと懸命に生きた姿は素晴らしいものだと感じました。
私が調べた限りでは定説に近い感じはします。
家光が病に罹った際は懸命の看病。自分の命と引き換えに・・・と、
それ以降、春日局は病気にかかっても治療は一切受けなかったと聞きます。それも見事に描かれていました。 最後は春日局が病気で床に臥せっているんですが薬を飲みません。
それで上様が薬を飲むようにいって飲んだふりをするんですが本当は胸元に流しこんでいました。 やはり、春日局から見ると、崇源院は敵のような見方になります。ですが、崇源院から春日局を見ると、さらに敵です。 斎藤利三のほうが明智光秀よりも優秀に見える設定は疑問 >>226
他方、一番迫力がない石田三成は真田太平記の石田三成 おふく
第7回まで子役
第8回から大原麗子さん登場でびっくりするね 小早川秀秋は豊臣を滅ぼすという役割だけを果たして死んだ 大河ドラマ春日局
乳母を辞めると言うおふくを翻意させる為
家康は浪人中の稲葉正成に1万石を与えた 小早川秀秋は、そもそも、ねねの兄の子、つまり秀吉の甥として生まれ、秀頼が生まれるまでは「将来の豊臣家後継候補」の一人だったわけですが、
秀頼が生まれてしまうと、関白秀次と同様、秀吉や淀殿一派にとっては疎ましい存在になります。
秀吉は、毛利家の養子に入れようと画策するものの、毛利家に豊臣の血がはいることを嫌った小早川隆景(毛利の分家)が、自分の養子に、と願い出て養子にもらい受けます。 朝鮮出兵時には秀秋も活躍するのですが、「勝手に兵を動かして統率を乱した」と三成が秀吉に報告します。
このことで秀吉の逆鱗に触れてしまうのですが、それをとりなしたのが家康だったことから、秀秋が、秀吉や淀殿それに連なる石田三成よりも、家康に親近感を持つのはある意味当然かもしれません。
また、後ろ盾であった養父小早川隆景も秀吉と前後して亡くなっており、豊臣家からは疎まれ、
養子に入った毛利家からは浮いてしまい、35万石の所領と2万近い家臣を統率していくのは弱冠19歳の秀秋にとっては相当なプレッシャーではなかったかと思います。 三成から「秀頼様が成人するまでは関白にするから…」という勧誘を受けて心が揺れたことは事実でしょうが、
そもそも、秀吉の甥でありながら、ねねの血筋というだけで遠ざけておいて、戦になるとその兵力をあてにするというのは、
考えてみればあまりにも人をバカにした話ではありますね。
「ギリギリまでどちらに味方するかを迷った」というよりは
「土壇場で加勢することで勝利を決定づけて家康に対するアピール」と「三成に与えるショック」を最大限に引き出すために、
あえてギリギリまで動かなかった、という説の方が信憑性があるようにも思います。
(裏切りを促すために家康が秀秋の陣所に向かって大砲を撃たせたことにを否定する説もありますし…) 大河ドラマ「春日局」
斎藤利三の子供
利康、利宗、三存、七兵衛、女(柴田勝全前室)、女(柴田勝全継室)、福(稲葉重通養女、稲葉正成継室)
ドラマに登場するのは、利康、利宗、出来丸(三存・みつなが)、福の4人のみ。 稲葉氏から明智氏に鞍替えしたとき、稲葉一鉄は織田信長に対して斎藤利三の帰参を求め、信長も利三に稲葉氏への帰参を促した。
しかし明智光秀が「人がこだわるほどの良臣を蓄えなくては上様(織田信長)のもとで大功を挙げられませぬ」と述べて拒絶したとされている。 伊賀越え
大河ドラマ徳川家康では穴山梅雪を完全スルー
大河ドラマ春日局では台詞で穴山梅雪の死を伝えている 第14回「夫の危機」
おふじの眉毛が濃すぎてワラタ 恥ずかしい話 はず話
春日局、文京区内の郵便局と勘違いしてた。
郵便局と言ったら笑われた(笑)。 寛永5年(1628年)、稲葉正成死去。稲葉正勝の子孫は山城淀藩主として、外孫の堀田正盛の子孫は下総佐倉藩主として明治維新まで続いた。 おふく(後の春日局)が家光の正体を紫に言ってしまったために紫は自害した 信松尼(武田信玄の五女)は異母姉の見性尼(見性院)と共に会津藩初代藩主・保科正之を誕生後に預かり育てている。 ・大河ドラマ春日局
徳川忠長は自ら自害
・大河ドラマ葵徳川三代
同上
・史実
幕命により自害 開田孫六
>稲葉正成の弟であったようで、正成が小早川家を出奔して浪人すると、その世話をしたという。
http://www.geocities.jp/kimkaz_labo/ka.htm 堀田正吉の妻のまんは、稲葉正成の妻の春日局の義娘にあたり、子の堀田正盛は早くより将軍徳川家光に近侍し寵愛を受け、幕府の要職に抜擢、大名となり子孫は繁栄した。 大河ドラマ年間平均視聴率ベスト10
1位 独眼竜政宗 39.7% 昭和62年
2位 武田信玄 39.2% 昭和63年
3位 春日局 32.4% 平成元年(昭和64年)
4位 赤穂浪士 31.9% 昭和39年
5位 おんな太閤記 31.8% 昭和56年
6位 徳川家康 31.2% 昭和58年
6位 太閤記 31.2% 昭和40年
8位 秀吉 30.5% 平成8年
9位 いのち 29.3% 昭和61年
10位 八代将軍吉宗 26.4% 平成7年
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
11位 草燃える 26.3% 昭和54年
12位 太平記 26.0% 平成3年
やはり戦国が強い?1980年代の作品に上位が多い 【本能寺の変】大原麗子主演 春日局【関ヶ原の戦い】 大河ドラマ春日局
日本の母、佐久間良子さんの名演技 秀忠とお静が深い仲にいつなったのか?がドラマでは不明 武田信玄の娘・信松尼
異母姉の見性尼(見性院)と共に会津藩初代藩主・保科正之を誕生後に預かり育てている。 語り「武田信玄ゆかりの娘・信松尼」
なぜ「武田信玄の娘・信松尼」と言わないのか不思議だ 茶々が病気だ”と偽ってお江与を大坂に呼び戻した。
江〜姫たちの戦国も同じ。
江〜姫たちの戦国は春日局をパクったのか? 稲葉正成とおつるの子(おふくの義理の娘、義理の息子)
・おふじ
・君丸(後の稲葉正次)
君丸(後の稲葉正次)がどんな人生を歩んだかが描かれていない 第17回「世継ぎ誕生」
お江与がウザくてしょうがないのですが。。。 第21回「母去りぬ」
佐久間良子さんの出演が終わってしまった… ドラマで頻出する言葉
「春日局」
・面目
・肩の荷をおろした
「葵徳川三代」
・さにあらず
「真田太平記」
・そのことよ
・息災 配役で家光サイドの圧勝
徳川家光(江口洋介)&稲葉正勝(唐沢寿明)
VS
徳川忠長(斉藤隆治)&稲葉正利(丹羽貞仁) >>321
下の2人の俳優さんの名前は私は知らない。はじめて見ました。 ふくの乳母辞める辞める詐欺1回目
稲葉正成に1万石を与えることで解決
ふくの乳母辞める辞める詐欺2回目
小姓同士の争いをみて翻意
ふくの乳母辞める辞める詐欺3回目
大坂の陣後に家康が竹千代(家光)を跡継ぎと決めたことで解決 第7回に加藤清正が登場するけど清正も福島正則同様に迫力がまったくないねw NHK大河ドラマ杯・秀吉役No.1決定戦
┌───── 勝新太郎(独眼竜政宗)
┌─┤ ┌─┬─ 仲村トオル(信長-KING OF ZIPANGU)
│ └─┤ └─ 西田敏行(おんな太閤記)
│ │ ┌─ 緒方拳A(太閤記、黄金の日日前半)
優勝┤ └─┴─ 竹中直人(秀吉、軍師官兵衛)
│ ┌─┬─ 武田鉄矢(徳川家康)
│ │ └─ 香川照之(利家とまつ)
│ ┌─┤ ┌─ 藤岡琢也(春日局)
└─┤ └─┴─ 火野正平(国取り物語)
└───── 緒方拳B(黄金の日日後半) 大河ドラマ YODODONO頂上決戦
┌───── 夏目雅子(徳川家康)
┌─┤ ┌─┬─ 永作博美(功名が辻)
│ └─┤ └─ 池上季実子(おんな太閤記)
│ │ ┌─ 樋口可南子(独眼竜政宗)
優勝┤ └─┴─ 松たか子(秀吉)
│ ┌─┬─ 藤村志保(黄金の日日)
│ │ └─ 瀬戸朝香(利家とまつ)
│ ┌─┤ ┌─ 大空眞弓(春日局)
└─┤ └─┴─ 深田恭子(天地人)
└───── 小川真由美(葵 徳川家康) 関ヶ原での東軍への寝返りが稲葉正成一人の判断というのは不自然だな こんな立派な豊臣秀頼は
大河ドラマ『春日局』が最初で最後だろうな 稲葉通重(春日局の親戚)
慶長12年(1607年)12月、天野雄光や津田信成ら数名と京都の祇園で遊んでいたとき、
酒乱のために茶屋、後藤などの富商の婦女を強引に茶店に引き入れ、酒を飲ます等の乱行を起こしたため、
幕命により改易され、常陸国筑波に流罪とされた。清水藩は廃藩となった。
元和4年(1618年)6月、配所の筑波にて死去した。嫡男の通勝は稲葉正勝(春日局の息子)の家臣となっている。 この大河ドラマのお蔭で
稲葉一鉄が春日局の祖父だと知った 秀忠の隠し子
春日局では「ゆきまつ」
江〜姫たちの戦国では「こうまつ」 家光とお楽のラブストーリーになってからは糞つまらない 大河ドラマ春日局
浪人中の稲葉正成に大御所が1万石を与えたのは情実 大河ドラマ『春日局』
・本能寺の変
・山崎の戦い
・小牧・長久手の戦い
・関ヶ原の戦い
・大坂冬の陣
・大坂夏の陣
・島原の乱 春日局(大河ドラマ)がDVD化されていないって本当ですか? 総集編はつたやにあります
私はNHKオンデマンドで全話見たけどね ・明智視点の本能寺の変
春日局(大河ドラマ)
・真田幸村視点の大坂の陣
真田太平記
真田丸(大河ドラマ) 呼称に見るおふくの出世
「おふくさま」⇒「めのとさま」⇒「おつぼねさま」 放映がスタートした時点で高橋良明が事故ったみたいね
別の番組の代役に森且行が指名されたようだが、確かに雰囲気は似てる 大河ドラマ春日局は、○○様と○○殿の使い方がおかしい 明智光秀が主役の大河ドラマを見た記憶があったのですが
春日局だったのですね^^; 大河ドラマ春日局
豊臣秀頼が立派すぎてぴんとこないw 「小早川(秀秋)は裏切り者じゃ。石田三成様がお可哀想に」 大河ドラマ「春日局」
明智光秀は、ちょっとバカ殿程度の描き方だけど
小早川秀秋は完全にバカ殿ですな 真田丸の戦い
・真田太平記
真田丸から一斉射撃
・春日局(大河ドラマ)
真田丸をよじ登る敵兵を槍で刺す 大河ドラマ春日局
将来の将軍(家光)と側近たちが吉原に行くとは… 大河ドラマ「春日局」はリメイクして欲しい作品
本能寺の変、山崎の戦い、関ヶ原の戦いにもっと時間をさいて欲しい
@主人公(おふく)の父は明智光秀の重臣・斎藤利三
A主人公の夫は小早川秀秋の重臣・稲葉正成
B主人公の祖父は西美濃三人衆・稲葉一鉄
C主人公は公家の三条西家の血もひいている
こんな美味しいネタだらけの主人公はそうはいない 家光の名ばかりの正室・鷹司孝子が家光から遠ざけられている理由の説明が全くないのな 浅井三姉妹の妙な理屈
おふくの父・斎藤利三は本能寺を攻めたから、おふくは許せない
京極高次は明智光秀に味方したが、本能寺を攻めていないので許せる 大体、将軍家光と2歳違いの弟というだけで、駿河・甲斐・遠江の3カ国で
50万石貰えれば十分だろ。
俺ならそれで十分に野心は満たされるけどな。 『大奥』(古いヤツね)では孝子は妊娠するけど堕胎薬の飲まされて・・・
という展開だったけど、現実には一度も交わりはなかったようだね。
まあ、家光自身がそれどころじゃなかったからw 家光が寵愛したのは於万の方(六条有純女)だけだったらしいね おふくがお万に似た娘を探し回った挙げ句、目に止まったのが
罪人の娘だったお楽だったんだよな 斎藤利三が転勤族だったため
おふくの出生地は今も定まっていない(諸説あり) 秀吉の第1子・石松丸の母を「京極氏ノ息女」とする説もある。
それが事実だとすれば、その「息女」(高次姉?)のおかげで浅井氏による没落状態
から脱却し、さらに山崎の合戦で明智軍に加勢して没落したときも、「尻蛍」と嘲笑さ
れながら松ノ丸殿のおかげで復活を遂げるなど、高次には妙な女運があるw
その「尻蛍」が大津城攻防戦において西軍勢を相手に善戦健闘し、関が原での東軍
勝利に大きく貢献する。 今川、陶、明智、柴田なんかもそのうち日の目をみることがあるのかな? 17 :無名武将@お腹せっぷく :03/08/29 20:23
>>16
秀忠が嫉妬深いお江与さんを恐れ、比丘尼屋敷にいる見性院(武田信玄女/穴山梅雪室)
に母・お静と正之の2人を預けた。
だが、お江与さんの追求が厳しい江戸城下では危険なので、八王子の信松院にいる妹の
信松尼に預けたそうな。その後、見性院は盆暮れに律儀に挨拶に来る旧臣・保科正光を
見込んで2人を託したということらしい。
313 :無名武将@お腹せっぷく :04/02/21 08:13
保科正之は会津転封後、上総飯野藩保科家(2万石)に累代の宝物などを返却する
ことで保科家嫡流を飯野藩とし、筋目を通しているよね。
ちなみに飯野藩の祖は、養父正光の弟・正貞。 324 :無名武将@お腹せっぷく :04/02/29 14:40
武蔵国に逃れた武田遺臣たちの心の拠り所になっていたのは、見性院
よりむしろ信松尼なんだよね。
徳川家に仕官した大久保長安が八王子の地を任されていたこともあり、
いろいろと信松尼の生活の面倒を見ていたらしいし、現在の信松院も武
田遺臣たちの支援で建てられたものだったりする。
やはり武田遺臣たちの目には穴山家の行動が裏切りと映っただろうし、
穴山家断絶後、見性院は徳川家から屋敷や扶持を与えられていたから
余計に零落する信松尼を支援するようになったのかも知れない。
後に正之を引き取る保科正光などは、見性院への付け届けや盆暮れの
挨拶を欠かさなかったようだけど。
330 :無名武将@お腹せっぷく :04/02/29 22:30
>>324
>後に正之を引き取る保科正光などは、見性院への付け届けや盆暮れの
>挨拶を欠かさなかったようだけど。
武田家滅亡が天正10年(1582年)で、見性院が幸松の養父に保科正光を指名したのが
元和3年(1617年)だから、35年もの間、付け届けや盆暮れの挨拶を欠かさなかったとし
たら、正光は物凄い誠実で律儀な人なんじゃないかと。 362 :無名武将@お腹せっぷく :04/03/18 02:34
>>358
静が保科正之を産んだのは2度目の妊娠のときだね。
最初に妊娠したときは宿下がりした後、実家の神尾家に匿われていたが、お江与
の方の配下による探索が執拗を極め、兄たちに相談したうえで神尾家に危難が及
ぶことを恐れて人工的に堕胎したという。
しかし、秀忠は静のことがよほど気に入っていたのか、堕胎後に再度召し出され、
その結果、静はまたもや妊娠して宿下がりすることになった。
前回は堕胎させた兄たちも、秀忠の子を2度も堕胎させるわけにもいかず、もはや
一族全員が処罰されても構わないと意を決し、静に秀忠の子・正之を出産させた
という。
ちなみに静と武田見性院との関わりができるのは、静が仕えていた大姥局(秀忠
の乳母)と見性院が親しい間柄だったからのようだね。
363 :無名武将@お腹せっぷく :04/03/18 04:15
秀忠情けなさ杉だな・・・
364 :秀忠 :04/03/18 18:59
>>363
お江与はそれほどに恐ろしいのだよ。。。 365 :無名武将@お腹せっぷく :04/03/18 20:35
>>363
政治的に見れば、幕府の政治基盤確立に多大な功績を残した秀忠も、
忠長の件など家庭的には全くダメ親父という感じだね。
まあ、それどころじゃなかったんだろうけど。
366 :無名武将@お腹せっぷく :04/03/18 21:28
律儀者、律儀者というけれど、そこまでお江に気を使ったのが不思議だ。
性格的なものかね?
367 :無名武将@お腹せっぷく :04/03/19 00:41
於江与さんに夜のあれこれを仕込まれた人だろうからね
女王様と奴隷じゃないけどw かつての『大奥』では孝子に堕胎薬を飲ませてたな。
『葵徳川三代』では堕胎どころか完全なセックスレス状態だったけど。 水戸光圀は家光に気に入られて名前に“光”の一字をもらい
嫡男でも正妻の子でもないのに水戸藩をついだと聞いたことがある。
もしかして、水戸のご老公も若かりしころは家光と(ry 家光が家康とおふくの子だって説は・・・・あれ、どうなの? 秀忠とふくの子説なら自分の持ってる本に書いてあった。
根拠は諸説あるけど、
お江は身重の身体で千姫の豊臣家輿入れに同行してその際に、
1603年の8月、京都の伏見城で4女の初姫を出産し、
しばらく休養した後江戸に戻り、翌年7月に家光を出産しているが、
この期間が通常の十月十日と比べて短すぎること、
家光がおふくの伯父さんに似ていたこと、武功のないおふく一族が破格の待遇を受けたことなど・・・
お江が江戸を留守中に、秀忠が大奥で働いてたおふくに惚れ手をつけて懐妊させ、
家光が生まれるが、おふくは謀反人の娘のため、公表がはばかられ、
やむを得ずお江の子とし、おふくは乳母として養育にあたる事になったと。
その本から大まかに抜粋してみた。 >>385
ドラマ『大奥』の題材にするならそっちの方が面白いかもね。 山下真司は『春日局』で稲葉正成、『葵』では黒田長政を演じたよね。
いずれも関ヶ原で重要な役割を果たすという共通項がある。 >>388
つーか露骨に兄貴に逆らい過ぎだよ。
嫌いでも何でも、一応のところは将軍様だからね。形だけでも敬わないと。 俺なら甲斐・駿河・遠江の3ヶ国を貰った時点で「一生ついていきます!」と降参するけどな そういや昔の大奥で三原じゅん子が
大坂の陣のショックから立ち直れずに酒浸りの毎日を送ってるというという
やさぐれた千姫やってたな >女帝 春日局(1990年、演:十朱幸代)
週末にBSで放送するね。 お江与と秀忠の婚礼が決まった時の家康の秀忠に対する台詞
滝田家康「2度も夫と生き別れになった女子をそちが幸せにしてやろうとは思わぬか?」
丹波家康「2度も嫁に行った女子を押し付けてくるとは人を馬鹿にしておる!!」
両作の家康の性格の違いを如実に表した台詞だな。
てか長山藍子を押し付けられりゃ誰だって文句を言いたくなるか。 バツ2のお江与(長山藍子)との間に2男5女・・・・秀忠恐るべし・・・ しかし、忠長の正室は織田家の姫だからねぇ。
忠長の正室に自分の親戚筋の姫を据えたのはお江与の意向があったと思われる。
偏愛していた忠長に対してお江与が入れ込むのは分かるのだが、
母子仲が最悪と言われていた家光の結婚の際、鷹司孝子はお江与の養女として輿入れし、
(家光正室の選定にもお江与の意向があったという説もなんかの本で見たような・・・)
婚儀の際はお江与も家光夫妻とともに能を愉しみ、
二の丸に帰らずそのまま本丸に泊り込むほどの入れ込みようだったそうだったから、
母子仲が悪けりゃここまでやるかなぁ?って気はする。
家康から忠長偏愛を嗜める訓戒状を貰って以降、
忠長への肩入れは変わらなかったものの、家光を嫡子としてちゃんと立ててはいたそうだから、 うろ覚えでスマンが、前読んだ本書いてあった話だと、
家光の誕生は慶長九年七月。そうなると前年の九月に仕込まないといけないわけだが、
その頃お江与は千姫の婚礼の後で京に逗留していたから無理があるって事らしい。
ちなみにこの頃、お江与は初姫を産んだばかり。
春日は実は当初奥女中の一人として奉公していて、
お江与が千姫輿入れの付き添いで城を留守中に、秀忠が鬼の居ぬ間にと春日に手を付けて出来ちゃったのが家光。
世継ぎが女中ってのもあれだし、お江与への遠慮もあったので、春日は生母としては認められず
系図上ではお江与を生母とし、春日には乳母として家光を育てさせたって話らしい。
確かに春日が乳母に取り立てられるまでの経緯は諸説あるがなんか胡散臭い・・・
映画「女帝春日局」では乳母の面接に来た春日に家康の手が付いて春日が妊娠。
お江与の産んだ子は死産だったため、春日(と家康)の子を替え玉とした。これが後の家光という設定。 所で土井利勝の母親は秀忠の乳母でしまいには
父親は家康という落胤説があるて本に書いてあった。
面白すぎ。 お静親子が匿われてる見性院(信玄の娘)屋敷に侍女を寄越して
秀忠の浮気を追及しようとしたという話もあるしなぁ>お江
お江が嫉妬深くなきゃ妾のお静をわざわざ遠ざける必要がないわけで、
お江に内緒で見性院に預けたのはやっぱり彼女の嫉妬を恐れてじゃないのか? >>398
それで啖呵を切って使者を追い返した見性院様は、さすがは武田信玄の忘れ形見。 家康は、取っ替え引っ替えやりまくって、いっぱい子供作ってるからな。
衆道趣味が無いと言われれば、あれだけ作りまくってさもありなんと思うし、
衆道趣味が有ると言われても、精力絶倫だなあと思う。
秀忠は奥さん一人に六人生ませてるからな、愛妻家か恐妻家かはわからんが江与とは馬があったんだろうよ。
御落胤は一人だけだし。 >>400
最近は江の生んだ娘のうち二人は側室腹で江を実母扱いに記録したという説があるけどな 大河ドラマ春日局
明智光秀の討死シーンも斎藤利三の討死シーンもなかったのがイマイチ 大河ドラマ春日局
明智光秀の討死シーンも斎藤利三の討死シーンもなかったのがイマイチ 春日局(大河)第20回を見てるのだが、お江与がウザ杉 本能寺の変は光秀が発作的に起こした事件だと思うよ。精神的に
追い詰められた挙げ句にね。その根拠は信忠を殺す算段を当初
してなかった点。信忠に生き延びられたら信長倒してもアウト
なのに一切その手配りしてなかったからね。偶然信忠が勘違い
して篭城したため殺せたけどさ。 ドラマで頻出する言葉
『春日局』:肩の荷をおろした
『真田太平記』:そのことよ 息災 【明智】春日局 其の2【小早川】
【本能寺の変】春日局 其の2【関ヶ原の戦い】 三条西公国(さんじょうにし きんくに)演:佐藤B作公家。身寄りの無くなったおふく母子を引き取るも陰では迷惑がっていた。 時子(ときこ)演:高瀬春奈公国の妻。夫同様、三条西家に身を寄せたおふく母子を迷惑がる。 三条西実条(さんじょうにし さねえだ)演:橋爪淳(少年期:浅尾和憲公国の子。子供時代に三条西家に身を寄せたおふくに優しく接し、成人後は武家伝奏の職に就き、おふくや幕府に協力する。 ドラマでは三条西実条が
おふくを乳母に推薦していました 大河ドラマ春日局と葵徳川三代を見ておけば
江 姫たちの戦国は全く見る必要はない 母 + 乳母 → 馬鹿息子
長山藍子 + 大原麗子 → 江口洋介
岩下志麻 + 樹木希林 → 尾上辰之助 明智光秀も斎藤利三も第3回までしか登場しなくて残念 稲葉正勝の子孫は山城淀藩主として、外孫の堀田正盛の子孫は下総佐倉藩主として明治維新まで続いた。 「和平」という言葉が頻出するが、現代の言葉みたいに感じるので
「太平」に変えて欲しい あと、このドラマでは
主従を「しゅうじゅう」と一貫して読ませているけど
「しゅじゅう」のほうがしっくりくる 細かいところまで調べて作られたドラマですね。
稲葉一鉄(稲葉良通)の官位が三位法印だったとは
このドラマで知りました。 稲葉一鉄は明智光秀の重臣である斎藤利三(春日局(ふく)の父)の義父で旧主であったが、
元亀元年1570年に利三は明智光秀に転仕した。
天正10年(1582年)に利三を介して更に那波直治を引き抜かれると、稲葉家は訴訟を起こすこととなった。
信長は返すように命じたが、光秀がこれを容れなかったため髷を掴み突き飛ばした。
直治を戻し、利三に切腹を命じる裁定を、変の4日前となる天正10年(1582年)5月27日付けで下している(『稲葉家文書』『日本外史』)。 小早川秀秋は伏見城に入城しようとしたが
城将の鳥居元忠に断られた、という設定 小早川秀秋(秀詮と改名)の死因
@病死・狂死
『おんな太閤記(大河)』、『関ヶ原(TBS)』
A宇喜多浪人による暗殺
『春日局(大河)』
B毛利方または豊臣方の報復による暗殺
C徳川による暗殺 >>432
大河ドラマ徳川家康では小早川秀秋の死はスルー
政宗も多分スルー 【明智光秀、斎藤利三】春日局【小早川秀秋、稲葉正成】 第7回までおふくは子役
第8回から突然大きい身体になるw 慶長12年(1607年)
お福のお蔭で稲葉正成は美濃十七条藩主に取り立てられた(1万石)。 小早川秀秋「わしは病じゃ!病じゃ、病じゃ、重病じゃ!」 やたら説明的な台詞が多かったよな。(例:江与が秀吉から秀忠へ嫁げと命令された時に今までの婚歴を一々説明)
特に関ヶ原までは歴史的事項が端折られまくりだから仕方がないと思うが。
それがアイドル女優だろうが容赦ない長台詞なのが橋田先生らしいw 【小山評定の群像(3)】
「明智」の怨念? あまりに不自然な徳川「筒井取り潰し」
http://www.sankei.com/premium/news/141013/prm1410130004-n1.html.
小山評定で徳川方・東軍に属することになった筒井定次。筒井軍は兵3千に満たない、
それほど大きくない部隊だったが、関ケ原では西軍主力を正面に引き受ける最前線の一翼を担い、激戦の中で戦った。
養父・筒井順慶の「洞が峠の日和見」は後世の作り話だが、
豊臣秀吉と明智光秀の「山崎の戦い」を前に、冷静な判断で中立を保った順慶のような主体性は許されない時代になっていたのだろうか。
だが、関ケ原での奮闘にもかかわらず、8年後に改易。島左近ら旧来の家臣が離れてしまうほど重用していた家臣、中坊秀祐(なかのぼう・ひですけ)が徳川家康に定次の素行の悪さを訴え出たとされる。
酒色、鹿狩りに溺れ、失政が続いたという。
さらに大坂冬の陣での豊臣方への内通を疑われ、1615年、嫡男とともに切腹。いずれもでっち上げであろう。中坊はその後、幕臣に転じた。徳川方からスパイとして送り込まれたんじゃないか。
筒井ファンとしては疑いの目を向けたくなる。 幕府を脅かす勢力でもなく、豊臣恩顧の大名の中でもそれほど結びつきが強いとも思えない筒井家を警戒、揚げ句に取り潰す必要があったのか。
山崎の戦いで協力しなかった明智方に恨まれるなら分かるが、徳川家に明智関係者はいないし…。
注目すべきは家康側近の僧、天海=光秀説だ。
実は生きていた光秀が執念で筒井家を追い詰めたか。
いや、徳川家に明智関係者はいた。
3代将軍・家光の乳母は光秀の家老・斎藤利三の娘、お福(後の春日局)だ。
天海と春日局が結託して…。想像の羽を伸ばすときりがない。
■筒井定次ひとくちメモ 養父・順慶は僧でもあり、文化面に造詣が深い教養人と評価されている。
一方、定次はキリシタン大名でもあり、軍学に明るく、
秀吉が天下統一する過程で数多くの戦いに参戦、数々の武功があったとされる。 徳川忠長幽閉後の忠長の側近が稲葉正利ひとりしかいないように描かれているなー 大河ドラマ春日局
忠長の改易に家光や春日局が反対したというのは作り話だと思った 本作は1967年の『三姉妹』以来22年ぶりの元日スタートだった。
初回の放送日が元日だったのが影響し、
大河ドラマの初回視聴率は歴代最低となる14.3%を記録、昭和天皇崩御の関係での放送延期、
ドラマの放送中に出演者が亡くなるといったアクシデントが重なる波乱のスタートとなったが、平均視聴率は大河ドラマの歴代3位である32.4%を記録した。なお、最高視聴率は39.4%である。 本作では、おふくの出自が斎藤利三の娘であることから、
本能寺の変と山崎の戦いでは明智側の視点に立って描かれ、
また・夫稲葉正成が小早川家臣であることから、
関ヶ原の戦いは小早川側の視点に立って取り上げ、これらの事件が他の作品とは全く違った視点で描かれた。 藤岡弘さん
おんな太閤記で信長役、春日局でも信長役 明智光秀の台詞からして本能寺の変は
明智&毛利&足利義昭共謀と解釈することも。 山崎の戦い
斎藤利三:戦死
斎藤利康:戦死
斎藤利宗:降伏して出家(無事) 斎藤利宗→加藤清正に仕官
斎藤三存(幼名:出来丸)→同じく加藤清正に仕官 慶長16年(1611年)に加藤清正が亡くなると斎藤利宗は加藤家を出奔、
妹春日局の口利きで寛永6年(1629年)、第3代将軍徳川家光に拝謁し、
常陸真壁に5000石を知行する旗本となった。
寛永11年(1634年)から寛永15年(1638年)まで春日局の要請で幼い大甥の稲葉正則(春日局の孫)の後見人となり、稲葉家の家督を継がせることに助力した。 織田信長が土佐の戦国大名で斎藤利三の妹婿である長宗我部元親攻撃のために
織田信孝と丹羽長秀を四国に出撃させようとしていたことから、
斎藤利三が本能寺の変の主導的な役割を担ったとの説も存在している。
この説は現代、八切止夫と井沢元彦が支持している。 斎藤利三は本能寺にて信長を討った後、中国から引き返してきた羽柴秀吉との山崎の戦いでは
先鋒として活躍するが、敗れて逃走した。
その後、秀吉の執拗な捜索により近江堅田で捕縛されたが、梅雨時だったため暑さにあたって病となり、
衰弱していたという。秀吉の命令で六条河原で斬首となった。享年49。磔にされたともいわれる。
利三の首もしくは胴体は光秀とともに本能寺に晒されたと言われている。
その後、利三の首は彼と親交の深かった絵師の海北友松により、京都市左京区浄土寺真如町の真正極楽寺へ葬られた。 稲葉一鉄は明智光秀の重臣である斎藤利三(春日局(ふく)の父)の義父で旧主であったが、
元亀元年1570年に利三は明智光秀に転仕した。
天正10年(1582年)に利三を介して更に那波直治を引き抜かれると、稲葉家は訴訟を起こすこととなった。
信長は返すように命じたが、光秀がこれを容れなかったため髷を掴み突き飛ばした。
直治を戻し、利三に切腹を命じる裁定を、本能寺の変の4日前となる天正10年(1582年)5月27日付けで下している(『稲葉家文書』『日本外史』)。 アバンタイトルより
信長の息子たちのうち江戸時代も大名として残ったのは信雄だけ 北政所の甥・小早川秀秋は豊臣家を潰すという役割だけを果たして死んだ ☆北政所周辺に西軍関係者が多い
・三成の娘(辰姫)が養女になっている
・側近の東殿は大谷吉継の母である
・一説には小西行長の母ワクサ(洗礼名:マグダレーナ)も側近である
☆西軍寄りと見られる行動を取っている
・側近の孝蔵主が大津城開城の交渉にあたっている
・甥である木下家の兄弟(小早川秀秋の兄弟)の多くが西軍として参加し領地を没収されている
☆東軍諸将との関係が薄い
・『梵舜日記』(『舜旧記』)に高台院の大坂退去から関ヶ原の戦いの数年後まで高台院と福島正則らが面会したという記録が無い。 稲葉通重
美濃清水藩主
春日局の親戚
慶長12年(1607年)12月、天野雄光や津田信成ら数名と京都の祇園で遊んでいたとき、
酒乱のために茶屋、後藤などの富商の婦女を強引に茶店に引き入れ、
酒を飲ます等の乱行を起こしたため、
幕命により改易され、常陸国筑波に流罪とされた。清水藩は廃藩となった。
元和4年(1618年)6月、配所の筑波にて死去した。嫡男の稲葉通勝は稲葉正勝の家臣となっている。 大河ドラマでは…
稲葉通重は>>461に書かれている事件を引き起こし
江戸(将軍秀忠)の裁定は謹慎、駿府(大御所・家康)の裁定は改易。
駿府の意見が通り、名ばかりの将軍。 ただし稲葉通重は登場しない。(台詞に名前が出てくるだけ) 第29回(第29話)アバンタイトルより
豊臣家が真田幸村に払った一時金は
なんと2千両余り 大坂冬の陣、夏の陣の間、おふく(主役)は空気
主役を無理やり歴史的重大事件に絡めさせ”ない”という正統派のつくり 小早川秀秋 てっ過小評価されてませんか?
■政治力がすごい!
・岡山藩55万石の開祖。
・岡山藩の商業育成、寺社の復興、農地の整備などの
政治手腕。
・朝鮮征伐で疲弊した筑前の農村復興事業。
・家臣への独裁プレイを見ると決してボケ〜とした
タイプでは無くむしろ積極的にイニシアチブを取ろうとする性格。
・以外にも優秀な新規家臣を雇い入れ組織改革を行なっている
経営能力。
・関ヶ原でキーマンとなり東軍を勝利へと導く政治力。
・関ヶ原後に石高25万石UP!
■外交力もすごい!
・三成と仲が悪かったのかとにかく三成に
讒言され豊臣血縁者が断罪されるなかでも生き残る外交力。
・官位は従三位とじつは偉い! ■戦だって凄いんです!
・蒲生氏郷などのように自ら先陣を切り戦う姿勢。
・慶長の役の勇猛さ。
・慶長の役で地味に味方軍を救援しまくっている戦略眼。
・1万5千も指揮できる指揮能力。
・関ヶ原でキーマンとなり東軍を勝利へと導く戦略。
・無断で松尾山に陣取り三成を大垣城から引きずり出し
「関ヶ原」へ導いた戦略。
・関ヶ原で「高見の見物」を決め込む度量。
・大谷、平塚、戸田と大名級を殺害する戦闘力の凄まじさ。
※大名は大抵、逃げるし凄いことですよね!
裏切り御免のこの時代、処世術はしょうがないことで
「三成への贔屓」と「関ヶ原の勝利を家康のものとしたい徳川の意向」
から貶められているように思いますが
けっこう凄い人物ですよね。 小早川秀秋が善玉として登場するのは「戦国自衛隊〜関ヶ原の戦い〜」くらいだな 小早川秀秋(秀詮と改名)の死因
@病死・狂死
『おんな太閤記(大河)』、『関ヶ原(TBS)』『葵徳川三代(大河)』
A宇喜多浪人による暗殺
『春日局(大河)』
B毛利方または豊臣方の報復による暗殺
C徳川による暗殺
『新釈 真田十勇士(wowow)』 徳川忠長は幕命により自害(大河ドラマでは自ら自害) 小早川秀秋(秀詮と改名)の死因
@病死・狂死
『おんな太閤記(大河)』、『関ヶ原(TBS)』、『葵徳川三代(大河)』、『天地人(大河)』
A宇喜多浪人による暗殺
『春日局(大河)』
B毛利方または豊臣方の報復による暗殺
C徳川による暗殺
『新釈 真田十勇士(wowow)』 戦国時代で大河で主役張ったのは
上杉謙信、武田信玄、斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康
伊達政宗、毛利元就、山本勘助、直江兼続、春日局 関ヶ原直前の小早川秀秋の石高
50万石『関ヶ原(TBS)』
36万石『春日局』 亀岡には明智光秀大河ドラマ化の署名用紙が
あちこちに置いてあるそうな 明智が主役なら、天海説も取り上げて欲しいなぁ。
でも無理だろなぁ・・・。 >>480
明智光秀の自称子孫さんは慶応出身だったか おあんは、おふくが徳川家で立派に役目を果たしているのを見届けた後に美濃で亡くなるが、
江戸城の奥に勤めるおふくは母の死に目にあうことはできなかった。 平均視聴率 32.4%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ) こんど京阪(京都・出町柳から大阪の淀屋橋、天満橋等を結ぶ関西の私鉄)の
文化講演会で自称子孫の明智さんが話にくるようだけど
そもそもこの人は光秀からどういう系譜をへて現在にいたる人なん? >>487
本能寺の変に続く山崎の合戦の後、明智残党狩りの手を逃れた光秀の子 、於寉丸(おづるまる)の血筋を引く。 大河ドラマ春日局の本能寺の変は野望説も結構入っているな 大河ドラマ「春日局」
おふくが過大評価になっているw 加藤清正、小早川秀秋、浅野長政、浅野幸長 暗殺説をどう思いますか?
豊臣家の縁者であり
関ヶ原で大活躍し、何気に「民政、人事」も巧みだった
小早川秀秋が1602年に死亡し、
次に「浅野長政(1611)」「浅野幸長(1613)」
「加藤清正(1613)」などなど「関ヶ原」では「徳川」に
味方しながらも「豊臣家」との縁の深い武将が
凄い勢いで亡くなっていっていることから
「暗殺説」が講談などで昔からありますが
どう思われますか? 私はあると思います!\(`・□・´)キリッ
関ヶ原前には態度不鮮明だった中村一氏さんがいきなり死んだかと
思ったら堀尾吉晴さんは、斬りつけられたり
この時勢、けっこう大名近辺が危ういです!!
あと暗殺はないけど「毒」だと思います!
「朝鮮出兵」した武将は多くいるのに
なんで豊臣血縁、恩顧大名ばかりが死ぬんですか?
黒田長政さん、伊達政宗さんなどなど徳川よりの大名さんだって
いっぱい長期間参戦してるのに!
それに秀頼後見役の織田信包なんか会議の席上で
いきなり血を吐いて死んでいたり怪しすぎます!!血吐きますか?
宇喜多直家から松永弾正さんから伊達政宗と
戦国武将は毒もりまくりですし、いぇってないほうがおかしいかも!!
〜( ̄┓ ̄)〜ゲフッ
だいたいその後に江戸時代の治世に徳川家は
積極的に毒見役を設けるなど自分たちがやっていた!と言ってる様な感じがするんです!! 豊臣方の武将らが徳川幕府創成期にバタバタ病死していますが
そのうち朝鮮の役にいった者が、かなり多く、異国で、
タチの悪いビョーキを もらったことも考えられていますが
免疫力は個人差があって、伊達政宗などは、むこうから現地の
女を連れ帰って側室にしているほどでタフなもんですね。
もっとも伊達は役にいったことは行ったが戦うというより
補給部隊などの後続組であり戦闘には加わっていなく、
また朝鮮のオタカラを日本に持ち帰ったとかいう話も聞きますね。 大坂の陣勃発の“主因”を浪人衆の存在としている大河ドラマ
『徳川家康』
『春日局』
『葵 徳川三代』 大河ドラマ春日局
まるで真田幸村、後藤又兵衛ら浪人衆が居たために豊臣が滅びたような描写があります。
徳川から「大坂退去」と「浪人放逐」のどちらかを要求された
淀の方は浪人たちに金銀を与えて浪人たちに去って貰おうとしたのですが、
真田や後藤が「名誉ある死に場所」を求めて徹底抗戦を主張し去るのを拒んだために
戦う羽目に陥り、その結果滅亡したような描写されてます。 渡辺の政宗や大原麗子の春日局、
竹中直人の秀吉、江守徹&津川雅彦の葵徳川三代。
この辺りは重厚で良かった。 大河ドラマ誘致運動
福知山市
大河ドラマ「明智光秀」
明智光秀桔梗組 「和平」という言葉が頻出するけど
「太平」のほうがすっきりする 「和平をねごうてじゃ」よりも「太平の世をねごうてじゃ」のほうが分かりやすい 山崎の戦い
明智1万数千VS秀吉4万
こりゃ負けるわ 浅井三姉妹(少女期役)たちの台詞棒読みは
なんとかならんのか 横浜市性教育文化研究所
Vol.3(1993.07)
○特集 国際性理解教育
SEX ACTION REPORT 性教育実践報告3 フィリピンで学んだ性教育の原点
高島雄平
http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/library/kyodo-m/jan-1-10.html 斎藤利三は本能寺にて信長を討った後、
中国から引き返してきた羽柴秀吉との山崎の戦いでは先鋒として活躍するが、
敗れて逃走した。
その後、秀吉の執拗な捜索により近江堅田で捕縛されたが、
梅雨時だったため暑さにあたって病となり、衰弱していたという。
秀吉の命令で六条河原で斬首となった。享年49。磔にされたともいわれる。
首もしくは胴体は光秀とともに本能寺に晒されたと言われている。
その後、利三の首は彼と親交の深かった絵師の海北友松により、京都市左京区浄土寺真如町の真正極楽寺へ葬られた。 春日局(大河)と葵 徳川三代(大河)の両方を見た人にとっては
江〜姫たちの戦国(大河)は全く見る必要がないなー 山崎の戦いで亡くなった人たち
斎藤利三(おふくの父、光秀の重臣)
斎藤利康(おふくの兄、明智家家臣)
明智光秀(利三の主君)
明智秀満(光秀の重臣)
明智次右衛門(明智家家臣)
溝尾庄兵衛(明智家家臣)
藤田伝五(明智家家臣) 「裏切り中納言」って宇喜多浪人に言われたら
「毒盛り大名」って返せば面白かったのに 秀秋 大坂の陣は完全に手抜き。
おふくと直接関係ない戦だからだろうか 明智光秀が主役の大河ドラマがあった、と言い張る友人に
話をよく聞いてみたら、春日局のことだった 第1回
父の出陣
本能寺の変
第2回
天下をとる
明智の天下
第3回
母子無情
山崎の戦い 幸松
「ゆきまつ」春日局(大河ドラマ)
「こうまつ」葵徳川三代(大河ドラマ) >>257
徳川 250万石→400万石
豊臣 200万石→65万石
関ヶ原前に既に、徳川250万石>豊臣200万石、と驚いた人もいるかもしれませんが、
例:豊臣の200万石には加藤清正の石高は含まれないが、徳川の250万石には
洒井忠次の石高が含まれる
豊臣200万石には豊臣恩顧の独立大名(加藤、福島、黒田etc.)の石高は含まれない 独眼竜政宗
「竺丸は次男にございます。せめてこの子だけは私の乳で育てとうございます」
なんか春日局と似ている 茶々が病気だと偽りお江与を大坂に呼び戻すのは「春日局」と「江 姫たちの戦国」で同じですな 第1回からずっと見ている最中なのだが、
おふくが乳母になってからが退屈なストーリーだ。 佐久間良子さんとかせんだみつおさんとか藤岡弘さんとか
「おんな太閤記」にも出演してる俳優さんが結構いますな 橋田壽賀子さんの信長のイメージは藤岡弘さんなのでしょう 家光が鷹司孝子を徹底的に遠ざけた理由が描かれていないなぁ >>532です
全話見終わりました
後半はつまらなかった 春日局は英敏にして胆智のある人だった。
ある日、夫(稲葉正成)の家にいた時、夜に狂暴な盗賊数人が現れた。
春日局は刀を振るってたちどころに二人を斬り、他の盗賊は皆驚いて逃げた。
――『皇朝金鑑(日本智嚢)』 北政所の甥(小早川秀秋)は
豊臣家を潰す役割だけを果たして死んだ >>25
大河ドラマ春日局では江ではなく、お江与だ 織田信長を討った明智光秀!豊臣家が滅びるきっかけを作った細川ガラシャも、豊臣家を目の敵にし、大奥史上最大権力を誇った春日局も、実は明智一族である!家系図を使って読み解く!その1
http://murasakinotsubuyaki.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post.html 秀忠「そなた(忠長)には駿河50万石ですら過分じゃ!」 http://nhk.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1349510014/6-7
6 :日曜8時の名無しさん:2012/10/06(土) 22:29:08.61 ID:JTgNvRYP
春日局の少女時代役だった尾羽智加子ちゃんは引退しちゃったんだっけ?
7 :日曜8時の名無しさん:2012/10/06(土) 22:59:02.26 ID:X8VqgeEl
尾羽智加子ちゃんは、大学卒業と同時に、芸能界を引退して、一般就職したみたいだね お勝は最初は「もしかしてお福をイジメる役?」と一瞬緊張したが、お福のよき理解者だった 穴山梅雪の死を知った丹波徳川家康が嬉しそうにしているのがリアルでいいな 穴山梅雪の死
・春日局(大河ドラマ):台詞で詳しく触れられる
・徳川家康(大河ドラマ):完全にスルー 海北友雪(海北友松の子)
海北友雪の父友松は春日局の父斎藤利三が山崎の戦いで敗死すると、利三一家を厚く庇護したことがあった。そのことより春日局の推挙で徳川家光に召し出され、その御用を仰せ付けられた。 斎藤利宗(春日局の実兄)
明智家滅亡後は、加藤清正に仕えていたが、後に徳川家光に5千石の旗本として、取り立てられた。 春日局は離縁した稲葉家の再興にも尽力し、
浪人していた元夫の稲葉正成は松平忠昌の家老として召し出され、のち大名に取り立てられた。
家光の小姓から老中に出世した者は多いが、その中には春日局の縁者も多い。特に実子である稲葉正勝と義理の孫に当たる堀田正盛が著名である。 春日局が参内できるよう画策した三条西実条は、後に朝廷から武家伝奏に任じられ、最終的には右大臣になった。
子孫の玄長は、幕府に高家肝煎として迎えられた。その際、縁のあった武家名字「前田」を名乗った。
春日局が強く望んで大奥入りさせられたお万の方は、三条西家の同僚の和歌の家である六条家の娘である。
後に彼女の弟・氏豊も幕府から高家として迎えられ、その際にこちらも縁のあった武家名字「戸田」を名乗った。 天正10年(1582年)、光秀が本能寺の変を計画すると、藤田行政・溝尾茂朝・明智秀満などの一部の重臣に計画を打ち明けているが、利三もその中に含められている(『信長公記』『川角太閤記』)。
利三はその無謀さから秀満と共に光秀に対し反対したと言われている(『備前老人物語』)。
しかし主君の命令には逆らえず、また光秀の恩義に報いるため、結局は本能寺の変に首謀者の一人として参加せざるを得なくなったとされる。
しかし、これには異説も存在し、当時信長が長宗我部元親攻撃のために織田信孝と丹羽長秀を四国に出撃させようとしていたことから、
利三(長曾我部と親戚)が変の主導的な役割を担ったとの説も存在している。この説は現代、八切止夫と井沢元彦が支持している。 利三の首もしくは胴体は光秀とともに本能寺に晒されたと言われている。
その後、利三の首は彼と親交の深かった絵師の海北友松により、京都市左京区浄土寺真如町の真正極楽寺へ葬られた。 「雲龍図」「花卉図」等を描いた海北友松は豊臣〜徳川時代の絵師として
知られるが、元は近江浅井氏に仕えた武家の出である。親友であった斎藤
利三が主君・明智光秀とともに本能寺の変を起こして敗れ、謀反人として
本能寺跡に晒されたことを知ると、その夜に遺骸を持ち去り手厚く葬った。
梟首台の衛兵を槍を振るって襲ったとも、東陽坊長盛という仲間の僧侶が
読経で気を逸らしたとも言われる(両方かも知れない)。奪われた方には
たまったものではないが、羽柴勢が制圧した洛中でやらかすには襲う方も
命懸けである。更に福(後の春日局)ら利三の遺児を匿ったとも伝わる。
長盛が住職を務めた京都の真正極楽寺には長盛と友松夫婦、利三の墓が
仲良く並んでいる。
教科書では長谷川等伯や狩野永徳と同じ文化人としてしか紹介されないが、
画業に専念する前の恐らく最後の武勇伝である。 ちょっとした逸話
天正10年の、信長の有名な、甲斐征伐の帰りの富士遊覧。
初めて富士を見た信長は、それはそれは大喜びではしゃいだそうなのだが、
ふと、こんな言葉を漏らした
「富士山は本当に大きいけど、斎藤利三の奴はこれを見ても、『あんなものはまだまだ小そうござる』、
なんて言うだろうなー。」
斎藤利三、信長も呆れさせるほど、スケールの大きな男であった。
(老人雑話) 明智日向守(光秀)の逆心(本能寺の変)は、数年の間心がけてきたことであるとして、
逆心の2年前、天下を取った後の様々な計画を筆記し光秀の朱印を押した書物が、延宝4年(1676)に
幕府の評定所に提出されたことがあるそうだ。
(明良洪範)
明智光秀の天下取り計画ノートが残っていたらしいというお話。どんな内容だったのか気になる。 >>318
稲葉正成の“子役”が「肩の荷をおろした」と言ったときには萎えた >>141
>斎藤利宗
> 天正10年(1582年)、山崎の戦いで兄の斎藤利康と共に羽柴秀吉軍の先方の高山右近と戦うが敗れたため、剃髪して立本と号し、降伏したwww
利三、利康は敗死。利宗はしぶとく生き残ったな。 第7回(第7話)を見てるんだけど
加藤清正に全く迫力がないなぁ >>556
穴山梅雪の死を聞いたときの家康の高笑いが意味深 光秀単独犯説
明智光秀が自らの意思で決起して本能寺の変を起したという説の総称。単独犯行説や光秀主犯説、光秀単独謀反説など幾つか同義の言い方がある。 野望説
突発説(偶発説・油断説・機会説)
怨恨説(私憤説)
不安説(焦慮説、窮鼠説)
ノイローゼ説
内通露顕説
人間性不一致説
秀吉ライバル視説 本能寺の変:ロケなし
山崎の戦い:ちょっとだけロケあり
小牧・長久手の戦い:ちょっとだけロケあり
関ヶ原の戦い:ちょっとだけロケあり
大坂の陣:ロケなし >>304再掲
大河ドラマ年間平均視聴率ベスト10
1位 独眼竜政宗 39.7% 昭和62年
2位 武田信玄 39.2% 昭和63年
3位 春日局 32.4% 平成元年(昭和64年)
4位 赤穂浪士 31.9% 昭和39年
5位 おんな太閤記 31.8% 昭和56年
6位 徳川家康 31.2% 昭和58年
6位 太閤記 31.2% 昭和40年
8位 秀吉 30.5% 平成8年
9位 いのち 29.3% 昭和61年
10位 八代将軍吉宗 26.4% 平成7年
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
11位 草燃える 26.3% 昭和54年
12位 太平記 26.0% 平成3年
やはり戦国が強い?1980年代の作品に上位が多い 343 :日曜8時の名無しさん:2015/10/12(月) 23:50:05.33 ID:gr+ROnuS
春日局は大河バブル時代に33%、バブル前のおんな太閤記は31%、
北条政子が主役級の草燃えるは26%。この10数年でも利まつ、篤姫、
女主人公大河で視聴率が取れないわけではない。
春日局の翌年の翔ぶが如くは10%も落として黄金期を終焉させてしまった。
幕末はうるさい歴ヲタが食いつくが、男視聴者でも歴ヲタは少数で、
視聴者の半分は女だからね。ドラマとしての面白さがあれば視聴率は取れる。
ただ今年のように明らかに無理のある題材だと、質も必然的に低くなり、男女以前に視聴者じたいが逃げる。 秀吉方の堀秀政軍に城を囲まれた明智秀満は、
光秀が所有する天下の名物・財宝を城と運命を共にさせる事は忍びないと考え、それら名物をまとめて目録を添え、天守閣から敵勢のいる所に降ろした。
そして「寄せ手の人々に申し上げる。堀監物殿にこれを渡されよ。
この道具は私物化してはならない天下の道具である。
ここで滅してしまえば、この弥平次を傍若無人と思うであろうから、お渡し申す」と叫んだ(『川角太閤記』)。
しばらくの後、直政と秀政が現れ「目録の通り、確かに相違ござらぬ。しかし日頃、光秀殿が御秘蔵されていた倶利伽羅の吉広江の脇差がござらぬのは、如何いたしたのか」と返すと
「その道具は信長公から光秀が拝領した道具でござる。吉広江の脇差は貴殿もご存じの如く、越前を落とした際に朝倉殿の御物奉行が身に差していたもので、
後に光秀が密かに聞き出し、これを求めて置かれたもの。お渡ししたくはあるが、光秀が命もろともにと、
内々に秘蔵されていたものなので、我が腰に差して、光秀に死出の山でお渡ししたく思う。この事は御心得あれ」と秀満は返事し、秀政・直政らも納得した。
6月15日の夜、秀満は光秀秘蔵の脇差を差したまま、光秀の妻子、並びに自らの正室を刺し殺しあるいは介錯し、自ら城に火を放って自害したとされる。
享年は俗書に従えば47。『兼見卿記』では、同年に処刑された秀満の父(名は不明)は享年63とされる。 明智次右衛門(明智光忠)
明智光秀の叔父にあたる明智光久(あるいは明智光安)の子。または美濃国の農民出身とも。
妻は光秀の娘。娘は細川忠興の側室。
天正3年(1575年)の丹波過部城攻めの功績で、織田信長より感状を下された。天正10年(1582年)の本能寺の変では、信長の子の織田信忠らが篭る二条御所を攻撃した。
その際に鉄砲で撃たれ重傷を負い知恩院で療養していたが、同年山崎の戦いで光秀が羽柴秀吉に敗れ討ち死にした事を知ると、自害して果てた。 溝尾庄兵衛(溝尾茂朝)
本能寺の変後の山崎の戦いに参加したが、敗れて光秀と坂本城へ落ち延びようする。
しかし、光秀が落ち武者狩りの百姓によって致命傷を負わされると、光秀の命令で介錯を務めた。
そして光秀の首を持ち帰ろうとしたが、再び落ち武者狩りに見つかり首を竹藪の溝に隠すと坂本城へ落ち城で自害した。
またその場で自害して果てたとも言われる。享年45。光秀の首は百姓に見つかり翌日、織田信孝に差し出された(兼見卿記)。 藤田伝五(藤田行政)
本能寺の変では明智光忠、溝尾茂朝とともに第二陣4000を率いた。
変後、大和郡山城主筒井順慶を、明智方に与力するよう勧誘すべく郡山まで赴いたが、
日和見の姿勢に終始する順慶を説き伏せることはできなかった。
山崎の戦いでは明智軍右翼隊を率い、体中六箇所に負傷し、淀まで退却。
翌日勝龍寺城陥落の報に接し、自刃して果てた。 明智秀満(あけち ひでみつ)/ 明智次右衛門(あけち じえもん)/ 溝尾庄兵衛(みぞお しょうべえ)/ 藤田伝五(ふじた でんご)
演:磯部勉(秀満)/ 佐藤仁哉(次右衛門)/ 右京孝雄(溝尾)/ 中村元則(藤田) 大河ドラマ春日局をリメイクして>>582-586をドラマに入れたいところ 2016年:『真田丸』
2017年:『おんな城主 直虎』
2018年:未発表 語り「かつての戦国の覇者、織田家の将来がかかっていたのです」
小牧・長久手後の織田家について、ドラマで取り上げられることはなかった 稲葉正成は筋を通して小早川隊を東軍に寝返らせたことになっているけど
世間一般の理解は得られないよなぁ
宇喜多旧領が小早川領になり、宇喜多遺臣による一揆に頻繁に悩まされる羽目になったわけだし 乳母といっても母乳を与える人だけをさすのではなく
母親の代わりに子育てや教育をする人も乳母というみたいです 第1回「父の出陣」
おふくの父、斉藤利三は、明智光秀の家臣。本能寺の変がおこる。
第2回「天下をとる」
6月5日、光秀は、安土城に入る。
第3回「母子無情」
ふくたちが、坂本城に行こうとした時、坂本城に火がかけられているのが見える。天王山で、秀吉が光秀を討つ。
第4回「別離」
ふくは、利三が磔にされた姿を見る。ふくたちは、比叡山の家で暮らす。
第5回「忍ぶ宿」
ふくと母は、三条西家に身をよせる。下働きをする。
第6回「一族再会」
小牧、長久手の戦い。お安の実家、稲葉家は、豊臣に味方する。秀吉が関白に就任。おふくとお安は、稲葉一族のもとに戻る。 第7回「愛の鞭」
ふくは、茶道、馬、剣を稲葉一鉄から習う。ふくは、疱瘡になる。
第8回「嫁ぐ」
本能寺の変から、11年が経過する。ふくは、稲葉正成と結婚する。丹波亀山に行ってから、筑前に行く。
第9回「夫婦模様」
江与は、秀忠と結婚する。ふくは、男の子を産む。正成は、朝鮮に出兵する。正成が京に戻ってくる。
第10回「秀吉逝く」
小早川秀秋は、転封されそうになる。秀吉は、63歳で亡くなる。ふくは、二人目の男の子を産む。
第11回「関ヶ原前夜」
小早川秀秋は、石田三成から「秀頼が成人するまで関白にする」と言われ、三成につくか徳川につくか、心がゆれる。
第12回「天下分け目」
正成が先陣をきって、小早川軍は東軍に味方し、東軍が勝利する。 第13回「戦後の家族」
小早川秀秋が、備前の岡山城に入り、正成も一緒に行く。正成、岡山を出ることにする。
第14回「夫の危機」
小早川秀秋が、正成を呼び戻す。秀秋が亡くなる。21歳。
第15回「秀頼、千姫 婚儀」
正成は、まだ仕官できず。
第16回「乳母の条件」
ふくに、徳川家の乳母の話がくるが、ふくは断る。正成は、ふくに乳母になることをすすめる。ふくは、乳母をひきうける。
第17回「世継ぎ誕生」
秀忠に男の子が生まれる。
第18回「二代目決まる」
秀忠が、二代将軍になる。 第19回「女の言い分」
竹千代がはしかになる。ふくは、竹千代が生まれてから2年になるので、乳母をやめたい、と言う。
第20回「ゆらぐ夫婦」
家康は、ふくに、自分が江戸に戻ってくるまで待つよう、ふくに言う。9月に江戸城本丸が完成する。正成が江戸城に来る。
第21回「母去りぬ」
正成は、1万石の大名になる。ふじと堀田正睦が結婚する。お安は、出家する。
第22回「名ばかりの将軍」
江与は、和姫を生む。秀忠は、和姫を朝廷へ嫁がせようとする。
第23回「悲劇の予感」
ふくは、乳母をやめようと思っていたが、千熊の傷を見て、乳母を続けることにする。
第24回「母ふたり」
江与は、竹千代にしばらく会わない。 第25回「こころの教育」
竹千代は、城を出て、街の様子を見る。
第26回「生き残る道」
豊臣秀頼は、二条城に出向き、徳川家康と会う。
第27回「舅から嫁への手紙」
ふくの母が亡くなる。岡本大八事件。
第28回「和平か決戦か」
家康は、大坂城攻撃の命を出す。
第29回「大坂攻め」
徳川と豊臣が和議を結ぶ。
第30回「ああ大坂城」
徳川からの和議の話に、秀頼は、不承知と返答する。大坂夏の陣。
第31回「終戦と女たち」
秀頼は、自害。23歳。淀君も自害。大坂夏の陣が終わる。秀忠と竹千代の溝が深まる。 第32回「家康の遺言」
ふくは、家康に会いに駿府城に行く。家康は、江戸城に来て、「三大将軍は竹千代」と宣言する。
第33回「離別、再婚」
ふくは、正成と離別する。正成は、2万石の家老になり、再婚する。
第34回「初恋」
家光は、吉原に行く。
第35回「秋の悲恋」
むらさきが自害する。正勝がおはると結婚する。本多正純事件。
第36回「父子断絶」
家光が、3代将軍となる。正成は、2万石を捨てる。ふくは、両親の菩提寺を建てる。
第37回「先立つ妻に」
家光と鷹子の婚儀がおこなわれる。江与が亡くなる。
第38回「無常の風」
稲葉正勝の妻が亡くなる。 第39回「兄弟は他人」
稲葉正成が死ぬ。58歳。家光がほうそうになる。
第40回「「春日局」賜わる」
紫布事件が発端で、帝が内親王(女帝)に譲位しようとする。
第41回「次男の憂鬱」
忠長は、甲斐に蟄居を申し付けられる。
第42回「身内を切る」
秀忠が亡くなる。忠長が改易となり、高崎へ幽閉となる。忠長が自害する。
第43回「さらば吾子よ」
稲葉正勝が亡くなる。38歳。
第44回「おんなの目」
お楽は、春日局の部屋子になる。西丸が全焼する。
第45回「三代目の力」
日光東照宮の造営が完了する。家光は、お楽を遠くから見かける。 第46回「忘れ得ぬ面影」
お楽、将軍づきの中老になる。
第47回「反逆の理由」
将軍は、ふくに三千石を与える。島原の乱がおこる。
第48回「直訴」
家光は、キリシタン追放の命を出す。オランダ人の妻子も、国外追放とする。楽の姉は、オランダ人と結婚していた。
第49回「女の生きがい」
糸が、楽の子の乳母になる。楽は男子を出産する。
第50回(最終回)「献身の生涯」
飢饉がひどい状態である。ふくは、65歳で亡くなる。 本能寺の変 ☆☆☆
山崎の戦い ☆
小牧・長久手の戦い ☆
関ヶ原の戦い ☆☆
大坂の陣 ☆ アバンタイトルより
中国大返し
「2万5千の武装した大軍としては通常の3倍もの速さです」 小さい頃にこの大河を見たおかげで、春日局といえば
このドラマのおふくのイメージが刷り込まれてた
でも実際は、葵の樹木希林が実像に近い気がするw 語り「明智一族は炎のなかに果てた」
明智一族の最期が全く描かれていないという >>609
「葵 徳川三代」のほうが実像に近いだろうと私も思う。
「春日局」は大原さんが綺麗すぎる点がリアルではないw 明智家家臣団
斎藤利三/明智秀満/ 明智次右衛門/ 溝尾庄兵衛/ 藤田伝五 この大河の数年前に真田昌幸役を演じ
今度は宿敵の家康役を演じた丹波御大
どちらも同じに見えなくもない
でも豪快で女にちょっと弱くて飄々としてる
御大の存在感が大好きだ 丹波家康はちょい悪で家康のイメージとしては丁度いい http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1422822273/620
春日局をめぐっては、なぜ謀反人の娘を将軍家の乳母になどしたのか
家康が斉藤利三への特別の恩義があったためではないのか、
といって脈絡で、徳川黒幕論の傍証によくあげられていた。
しかし、徳川黒幕論の当否とは別に、これは論拠にはならないと考える。
乳母というのは、その子の生殺与奪を握るので、恩義などで与える地位ではない。
恩義に答えるだけなら別の方法がいくらもある。
乳母にするには、確固たる信頼がなければならない(普通は家柄が、当時の信頼の一大条件だった)
これは、恩義以上の、お福に対する家康の特別の信頼から来ているはずである。 いっけいは
「大奥」で徳川秀忠役を演じた。
出世したナァって思ったよ。
「世継は竹千代じゃぁ!」 徳川忠長
戦闘力50
政治力60
教養 80
野望 90 徳川家光
戦闘力60
政治力70
教養 80
野望 80 第1回は19:30〜20:55で放送時間が85分、ほぼ2回分という異例の長さであった。
この長時間を使って明智側の視点で見た本能寺の変を詳細に描いた。
また放送前後に関連番組を生放送し、橋田壽賀子・大原麗子らが生出演したほか、
本能寺からの中継も行い、本能寺貫主をスタジオに招いた。 ドラマで描いてくれなかった話
・稲葉正勝(正成の次男)
徳川忠長に仕えていた弟の正利が忠長に連座して配流にされることを死の床で知ると、
最後の気力を振り絞って幕府に懇願して縁戚に当たる細川忠利の熊本藩への流刑を求め、
更に遺言で忠利にあてて50貫目を託して正利が赦免されるまでの保護を依頼している。 稲葉正利は江戸幕府から赦免されることなく約40年にわたって預人のまま続き、延宝4年(1676年)に死去した。 幕命によって自害させられた忠長が
大河ドラマでは自ら死を選んだ(自ら自害した)ことになっているけど
もう少し立派な最期に描けなかったものかなぁ 斎藤利三のほうが明智光秀より優秀みたいな描き方には失望。
せっかくの明智視点の本能寺の変、山崎の戦いなのだから
光秀をもっと優秀ぽく描かないと。 この大河ドラマに特徴的なことは
関ヶ原の戦いを豊臣の家臣同士の争いとせず
豊臣対徳川の戦いと位置付けていることだ
(功名が辻も同じ) 某大河ドラマ
武田攻めの御折檻
徳川様接待不首尾のお怒り
近江坂本、丹波領地を召し上げ、出雲石見を切り取れとの冷たき御沙汰
丹波で、足の不自由な母を、見殺しにされた仕打ち
など、語り尽くせぬ恨みあれど 大河ドラマ「春日局」の放送当時、テレビ局に
「はるひきょくって何ですか?」
と視聴者から電話がかかってきたというウソのようなホントの話 春日局由来の「春日(地名)」や「春日通り」を知らなかったんだろうね 語り「まったくの偶然が光秀、秀吉の明暗をわけ、天下をも変えることになったのである」 >>625
いま第3回見てるんですけど確かに
「利三>光秀」
って感じになっちゃっていますね^^; 茶々(ちゃちゃ)
演:大空眞弓(少女期:喜多嶋舞)
秀吉の側室。秀頼の母、お初とお江与の姉。
秀吉死後の豊臣家の屋台骨を一人で支える気丈な女性。
徳川への対抗心は持ち続けていたものの、見苦しく振舞うようことはなく、
大坂城落城に際しても、自分たちに従い自害するという千姫に対し、
「我らとともに死ぬことはない」と諭して彼女をお初に託して城外に落ち延びさせ、自らは秀頼らとともに潔く負けを認め自害して散っていった。 おふく
演:大原麗子(幼年期:安間千紘→尾羽智加子)
本作の主人公。
明智光秀の家臣、斎藤利三とその妻・お安の間に生まれた娘。
幼少の頃、父が戦で死亡、祖母の実家である三条西家で身分を隠すため下働きとして奉公した。
後、母と共に母の実家である稲葉家で育つ。夫・稲葉正成が浪人している際、将軍家で乳母を捜しているという話をもらい、
正成との婚姻関係を維持したまま徳川家に奉公にあがる。
当初、乳母としての勤めは数年程度という予定であったが、
家康にその力量を認められたことなどから長期に渡り乳母として江戸に留まることになり、
次第に将軍家の世継を育てることに大きな使命感を抱くようになる。
なお劇中では、春日局の名前を拝命した後も役名は最後まで「おふく」のままであった。 大河ドラマ春日局
関ヶ原で小早川秀秋が西軍を裏切った理由が不明 稲葉正成が独断で西軍に攻め込んだということになっているという 稲葉正成(いなば まさなり)
演:山下真司(少年期:渡辺博貴)
おふくの夫。
関ヶ原の合戦で小早川家を守るため家康に内通したことが原因で主君・小早川秀秋に睨まれ、
おふく達を伴って美濃へ出奔する。
乳母として江戸に上がる話を受け、どうするべきか躊躇していたおふくを後押しする。
竹千代が正式に世継と定まった時期におふくが役目に専念できるようにと自ら離縁を申し入れ、
さらに後に再婚もしているが、おふくとの関係は終生良好なものであった。
2度目の浪人中、息子・正勝の元に身を寄せた際に、遊興にふける家光を手討ち覚悟で叱りつけるなど、年老いてなお戦国武将らしい気骨ある人物として描かれている。 「徳川実紀」には春日局について次の人物評が残されています。
「この局が忠節のことども。よに伝ふること多けれども。まことしからぬことのみ多く伝へて。益なきに似たり」
つまり、この人について伝わっていることはほとんど「嘘ばっかりの作り話だから何の値打もない」というのが、江戸幕府の公式見解なのです。
事実、春日局の縁故で取り立てられたとされる人々をよく検討すると元夫の稲葉正成をはじめ、ほとんどが小早川関係者なのですね。
春日局自身の乳母採用も含め、彼らが厚遇されたのは小早川遺臣の救済策と見る方が正確ではないでしょうか。
なるほど、堀田正盛は彼女の縁故で大名になれたといわれています。
ところで、春日局の次男の稲葉正定は尾張藩に仕えて千石の陪臣でした。
どうして血のつながりのない堀田正盛が実子よりも優遇されるということがあるのでしょうか?
俗説では彼女の権力は幕閣以上で、老中の井上正就に対して息子の縁談を強要したといわれています。
けれども、井上正就は徳川秀忠の乳兄弟なのですよ?
たかが将軍の乳母が、大御所の乳兄弟よりも大威張りなどということがあるでしょうか?
稲葉一族でも小早川関係者でもない、彼女自身の血縁で旗本に取りたてられた人物に実の兄の斎藤利宗がいます。
春日局が実の兄に用意できた石高は五千石、それも家光が将軍になってから6年も後の話です。
春日局は七人兄妹の末っ子だったといわれていますが、利宗以外の兄姉が彼女に取り立てられたという話は奇妙なことにまったく見当たりません。
これが春日局の影響力なるものの真実です。 利三「我らが殿は今日よりして天下様におなりなされる」 光秀の天下は・・・わずか第3話(第3回)で終わった 光秀「安土城は宝の山よ」
そんなこと言ってる場合かw アバンタイトルより
信長の息子たち(約11人)のうち
江戸時代も大名だったのは次男の信雄1人だけ いま大坂の陣のところを見ているんだけど、完全に手抜きだ 真田幸村の外観は史実(白髪増え、歯抜け落ち)に少し近い感じ 大御所:家康&将軍:秀忠
大御所:秀忠&将軍:家光 忠長は3代将軍・徳川家光により、寛永8年(1631年)5月には蟄居処分となり、郡内領を含む忠長領の没収に伴い、鳥居成次や朝倉宣正らも失脚した。
成次は赦免に奔走しているが、同寛永8年(1631年)6月18日に死去し(享年62)、神田吉祥寺に埋葬された。法号は林伯趙英。
郡内支配を補佐していた長男の忠房も江戸方に働きかけ赦免に奔走しているが、
忠長は翌寛永9年(1632年)10月に上野国高崎に幽閉され翌寛永10年(1633年)には自害しており、
忠房も配流処分になっている。
郡内領はその後城番支配を経て上野国総社から秋元氏が入り、谷村藩が成立する。 遊女紫の自害はおふくの責任
将軍家の側室ならば誰でも喜んで受けるだろうという思い込みで失敗 第7話までは、高橋良明さんも出てたんですね。
始まる前は、「そもそも出るかなぁ?」とか、「出たとしても、第1話の冒頭にちょろっと・・とか、そんな感じ?」って思ってたので、まさかこんなに出演してたとは。
嬉しい誤算です♪m(_ _)m 他の人も書いていることだけど、関ヶ原で小早川が西軍を裏切ったのは
稲葉正成一人の一存
この大河ドラマは考証がおかしいんじゃないのかなぁ 秀秋は他の養子とは違い、2代目として養育されていて
秀吉が多忙な時は諸大名からの挨拶は秀秋が請け負っていて
輝元にも態度を褒められてる
それが捨が生まれたことで厄介払いとばかりに毛利へ押し付けられ
本家を御乗っ取られないために小早川が引き受けた
この辺りから、豊臣に対する忠誠心は秀秋の中で薄まっていたんじゃないか?
そして明入りで先陣切って戦ったことを、三成に讒言され
秀吉から罰せられそうになったことで反三成となり
「西軍につけば関白にしてあげる」と言われたところで
「俺を失脚させようとした奴が何ほざく」としか思わんわけで
歴史ってのは流れで見るべきで、何故そう動いたかの答えに繋がっていく
捨が生まれなければ、順当に秀秋が2代目となり
朝鮮で見せた武勇と小早川に行ってからの内政を見ると優秀な世継ぎになったと思うよ 大河ドラマ春日局
光秀が利三の進言(近江に一旦引く)を聞き入れていれば大敗はなかった 穴山梅雪の死
「真田丸」ナレ死
「春日局」台詞で梅説の死が説明される
「徳川家康」完全スルー 梅雪は一揆の襲撃により、切腹したとも家康と別行動を取ったところを殺害されたとも言う。 稲葉通重
慶長12年(1607年)12月、天野雄光や津田信成ら数名と京都の祇園で遊んでいたとき、酒乱のために茶屋、後藤などの富商の婦女を強引に茶店に引き入れ、酒を飲ます等の乱行を起こしたため、幕命により改易され、常陸国筑波に流罪とされた。清水藩は廃藩となった。
井上正甫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%AD%A3%E7%94%AB 鷹司孝子(1602〜1674)
三代将軍家光正室
家光と結婚後、離縁。
春日局らが対立するお江与が送り込んだ人物として敵対心を抱いた結果とする説、朝廷の力の増大を恐れた春日局の策略という説、家光が男好きであったという説などがある。 玉の輿の由来
3代将軍家光の側室「お玉」が由来 八百屋の娘として産まれたお玉が 5代将軍家綱を産んで、春日局の官位を超え 女性としては最高位である従一位となった。 これが「玉の輿」の由来 徳川家光が乳母である春日局が病に伏した際に、
元気付けようと薬を淹れて渡したとされる、
かの有名な国宝「曜変天目茶碗」は現在稲葉家(春日局の子孫)が所有している。
徳川家の家宝を渡すというのはどれほどのことか、家光の気持ちがひしひしと伝わってきます。 【局について】
「局」というのは主に身分の高い奥女中、そこを仕切っている老女(御年寄)につけられた呼称です。
故に春日局一人を指す言葉ではありません。
その証に、既に春日局が大奥に君臨する前より、二代将軍・秀忠の乳母が『大姥局』、秀忠の正妻・お江与の乳母が『民部卿局』と呼ばれていました。 歴代の北政所を調べてみた。美人揃い・・・とは言えない人も?(失礼)
抜けている人がいたらごめん。
太閤記・・・藤村志保
国盗り物語・・・太地喜和子
黄金の日日・・・十朱幸代
おんな太閤記・・・佐久間良子
徳川家康・・・吉行和子
独眼竜政宗・・・八千草薫
春日局・・・香川京子
信長 KING OF ZIPANGU・・・中山美穂
秀吉・・・沢口靖子
葵徳川三代・・・草笛光子
利家とまつ・・・酒井法子
武蔵MUSASHI・・・小林由利
功名が辻・・・浅野ゆう子
天地人・・・富司純子
江・・・大竹しのぶ
軍師官兵衛・・・黒木瞳
真田丸・・・鈴木京香 徳川家光が乳母である春日局が病に伏した際に、
元気付けようと薬を淹れて渡したとされる
かの有名な国宝「曜変天目茶碗」は現在稲葉家(春日局の子孫)が所有している。
徳川家の家宝を渡すというのはどれほどのことか、家光の気持ちがひしひしと伝わってきます。 玉の輿の由来 3代将軍家光の側室「お玉」が由来 八百屋の娘として産まれたお玉が 5代将軍家綱を産んで、春日局の官位を超え 女性としては最高位である従一位となった。 これが「玉の輿」の由来 「家光が行く」若き家光 仲雅美さん、家康公 山村聡さん、柳生但馬守 中村敦夫さん、大久保彦左衛門 ハナ肇さん、春日局 加藤治子さん、町娘おるい 吉沢京子さん、鳶の弥平次 目黒祐樹さん、腰元志津 小柳ルミ子さんという豪華な俳優陣。 『春日局』がエポックだと思うのは、橋田壽賀子の個人的事情でそれまで脚本家が直接やっていた史料調査をNHKに丸投げするシステムができてしまい、史料を直接読まない脚本家による執筆が始まったのも問題があると思ってる。 「ちちんぷいぷい」は、徳川第3代将軍・家光の乳母であった春日局が
子供をあやすときに
「知仁武勇は御代の御宝」=「知力と武力に長けている貴方は将軍家の宝」
なので泣かないで、という意味の前半「知仁武勇(ちじんぶゆう)」が訛って「ちちんぷいぷい」となった、という説がある(諸説あり) 堂本直宏(堂本剛)映画1990 「女帝 春日局」七之丞 役 春日局(十朱幸代さん)の息子役。竹千代(のちの家光)の身代わりに毒を飲んで死んでしまうという健気な役柄を好演。その姿が涙を誘いました。 我が殿が出てくる大河ドラマ。太閤記、春の坂道、黄金の日日、おんな太閤記、徳川家康、独眼竜政宗、春日局、秀吉、葵徳川三代、利家とまつ、功名が辻、天地人、江。 関ケ原歴史を語る会歴史講演会
『春日局の虚像と実像』
7/7(木)13:30〜
関ヶ原ふれあいせんたー小ほーる にて 「お局様」という流行語を生み出した作品。 当時該当していた古参OLたちはイヤだっただろうな…。 「いくさはイヤじゃ」「ありがたいと思わなければ」というセリフが何回流れたことか。
永井路子がすかさず「異議あり春日局」なる文章を発表したのには笑った。 2009年8月、遂にお局様が…、ご冥福をお祈りします。 まさか竹千代君の正体がちびノリダーで成長して電車男になるとは・・・ 家光が武芸に達者であれるのは、春日局。お前のような腕利きが、常日頃から指導してくれたおかげだろうな 家光:久々に江戸城に帰ったら
春日局に「なんで帰って来られたのですか?」と聞かれ戸惑いながらも「ここが私の帰るべき場所だから、だな」と答えた。
そしたら春日局が「そうですか。駕籠で帰って来られたのですか?」と聞いてきて、ひょっとして私(家光)はすごく恥ずかしい部類の勘違いをしてしまったのか? 初代は家康 2年で将軍息子に譲って大御所なのさ 2代目は秀忠 改易・転封幕藩体制基礎築いたよ 3代目は家光 島原の乱で鎖国すべきだね春日局 バイバイ戦国 戦はオーバー 徳川の治世は ラブ&ピース (戦国鍋) 6・7話。
やっと4人で暮らせると思ったのに・・・。
でもまた会えた時、やっぱりお安に感情移入してるって思った。
お仕えする人が見つかって、利宗が挨拶した時、頼もしかったなぁ。
あれが最後の出演シーン?・・・だよね? 8話。
この回からは、おふくちゃんも成長して、大原麗子さんにチェンジ。
冒頭は、まだ幼い感じで演じてますね。可愛いなぁ〜って思っちゃいました^^;
でも、『2人の母親になりたい』って気持ちが強く伝わってきた。
山下真司さん演じる稲葉正成って、「次はおふく殿のええ婿殿を探さねばのっ」って言ってたイケメン(笑)が、成長した姿だよね?
あの時既に、おふくちゃんは正成に恋してたもん。
そりゃ、母親になりたい、妻になりたいって思うよ。
良明くんの出演は無かったけど、思い出話の中で利宗の名前は出てきたな。
ちょっと切ないシーンだったけど。(8話の後半あたり) 9話。
おふくちゃんが可哀想すぎたなぁ。。
お江与もね。
でも、この頃はいい旦那さんだったんだなぁ〜、中村雅俊さん。
まぁ後々浮気したけど(¬。¬)
人が良すぎて、それがあだになったって感じ?
(もちろん、↑は全て芝居上ですよ^^;) 10・11話。
香川照之さんと山下真司さんがメインで、おふくちゃんはあんまり出てこない。。
でも、ひたすらに切ないおふくちゃん・・・。
お母さんになっても、“可愛い”です。 12・13話。
お父さん(利三)の話は出てきたけど、むごい思い出話だけで、利宗の名前は出てこなかった。
正成がお仕えする秀秋は、単なるガキでムカつくし。
挙げ句の果てには、「正成を斬れ」とか言っちゃうし。
香川照之さんの演技が光る回ではあるんだけど、残したい回ではないかな。。 14話。
秀秋、、、「何ゆえじゃ!」って・・・
あんたが「斬れ!」とか言うからじゃん!!!
じゃなかったら、正成はあんたのそばにずっと居たよ。。
それが、21歳で死んじゃうなんて。。
正成も正成だよね。
ショックで余裕ないのは分かるけど、、
ちったぁー女房子供の気持ちも考えやがれっ!!! 15話。
キャスト陣の中に、利宗の名前が・・・。
でもそれは、やっぱり良明くんではなく。。
成長した利宗を演じたのは、「金八先生」の乾先生役でお馴染み、森田順平さんです。
お安、おふく、利宗、三存(出来丸)の4人が思い出話をしてる時、泣きそうになった。。
やっぱり、良明くんは7話がラストだったんだね。。
なんか、、やっとあきらめがついたって感じ。
まぁでも、一応全話見るつもりではいますm(_ _)m
おふくちゃんの運命も気になるしね。
はぁ。。せっかく利宗が頼んでくれたのに。。 あ、そうそう。
良明くんは関係ないんだけど、、三条西実条(さんじょうにし さねえだ)役の橋爪淳さん!
春日局を見ていて、若干空気の読めない実条(笑)が大好きで、
「今でも役者さんなのかな?」と思い、お名前を検索。
そしたら!!
めちゃめちゃ見た事あるよ!!!!!
つか、「メイちゃんの執事」のお父さんじゃん!!!
なんで今までつながらなかったのか、逆に不思議なくらい!^^;
15話まで見終わって、やっと気付きました(苦笑)
ビックリしたぁー^^;
でもなんか、、嬉しいビックリです♪(笑) >>706
おばちゃん、日記にでも書いとけよ
絵文字もすげぇ気持ち悪い youkuで大河ドラマ春日局見てるけど
これは面白い …では、春日局様は…っ、水尾様の手が上様に及ぶと分かっていて、それを黙って見ていろと仰るんですか…! 6・7話。
やっと4人で暮らせると思ったのに・・・。
でもまた会えた時、やっぱりお安に感情移入してるって思った。
お仕えする人が見つかって、利宗が挨拶した時、頼もしかったなぁ。
あれが最後の出演シーン?・・・だよね? 8話。
この回からは、おふくちゃんも成長して、大原麗子さんにチェンジ。
冒頭は、まだ幼い感じで演じてますね。可愛いなぁ〜って思っちゃいました^^;
でも、『2人の母親になりたい』って気持ちが強く伝わってきた。
山下真司さん演じる稲葉正成って、「次はおふく殿のええ婿殿を探さねばのっ」って言ってたイケメン(笑)が、成長した姿だよね?
あの時既に、おふくちゃんは正成に恋してたもん。
そりゃ、母親になりたい、妻になりたいって思うよ。
良明くんの出演は無かったけど、思い出話の中で利宗の名前は出てきたな。
ちょっと切ないシーンだったけど。(8話の後半あたり) 9話。
おふくちゃんが可哀想すぎたなぁ。。
お江与もね。
でも、この頃はいい旦那さんだったんだなぁ〜、中村雅俊さん。
まぁ後々浮気したけど(¬。¬)
人が良すぎて、それがあだになったって感じ?
(もちろん、↑は全て芝居上ですよ^^;)
----------
10・11話。
香川照之さんと山下真司さんがメインで、おふくちゃんはあんまり出てこない。。
でも、ひたすらに切ないおふくちゃん・・・。
お母さんになっても、“可愛い”です。 12・13話。
お父さん(利三)の話は出てきたけど、むごい思い出話だけで、利宗の名前は出てこなかった。
正成がお仕えする秀秋は、単なるガキでムカつくし。
挙げ句の果てには、「正成を斬れ」とか言っちゃうし。
香川照之さんの演技が光る回ではあるんだけど、残したい回ではないかな。。
----------
14話。
秀秋、、、「何ゆえじゃ!」って・・・
あんたが「斬れ!」とか言うからじゃん!!!
じゃなかったら、正成はあんたのそばにずっと居たよ。。
それが、21歳で死んじゃうなんて。。
正成も正成だよね。
ショックで余裕ないのは分かるけど、、
ちったぁー女房子供の気持ちも考えやがれっ!!! 15話。
キャスト陣の中に、利宗の名前が・・・。
でもそれは、やっぱり良明くんではなく。。
成長した利宗を演じたのは、「金八先生」の乾先生役でお馴染み、森田順平さんです。
お安、おふく、利宗、三存(出来丸)の4人が思い出話をしてる時、泣きそうになった。。
やっぱり、良明くんは7話がラストだったんだね。。
なんか、、やっとあきらめがついたって感じ。
まぁでも、一応全話見るつもりではいますm(_ _)m
おふくちゃんの運命も気になるしね。
はぁ。。せっかく利宗が頼んでくれたのに。。 16話。
おふくが乳母の役目を受けて、千熊と共に旅立ち。
友松殿と、長盛殿と、実条と、おふく。
4人で酒盛りしてるシーンは、“明日嫁ぐ娘と、その父親”みたいに思えた。
まぁ、父親代わりだったからね。。
家族との別れも、切なかったなぁ・・・。
とくに、まだ幼い千熊と、孫と離れる寂しさが隠しきれないお安のシーン。
----------
17話。
千熊が可愛かった。そして切なかった。。
産まれてきたのが、女の子だったら良かったのにね。。
親子として接してはいけないお母さんが、すぐ側にいるからこそ、余計切ない。。 18話。
千熊とおふくが、ほんのちょっと交わした“親子の会話”。
千熊、ちっちゃいよ。。切なくて、愛おしくて、泣きそうになった。。
おふくとお江与も、一時はうまくいってたんだなぁ・・・。
つか、本当茶々は変わったな。。姉妹愛とか、どこやった!?(苦笑)
----------
19話。
この回は、ねねが切なかった。。
まぁ、茶々がひねくれてるだけなんだけど・・・。
にしても、、、中村雅俊ムカつく(ーー#)
ファザコンかっちゅーの!!(怒)
家族の元に帰れるといいけど、、まだまだそんな訳にはいかないんだよなぁ・・・。
(そうなると、ドラマ終わっちゃうしね^^;) 20話。
おふじと正吉、両想いのはずなんだけどなぁ〜。
家康は、ひたすらに信用できん。
----------
21話。
おふじと正吉、うまくいって良かった良かった(笑)
お安とおふくの会話。お安、死ぬの?って感じだな。。
でも出家するんだね。まぁ、それがお安のやりたい事なら・・・。
でも・・・生きてるのに会えないなんて。。
チラッと出てきた回想シーンは、お父さんとお兄ちゃんだけだよね?
むごいシーンだったけど、残します。。
てかもしかして、、成長した利宗役の森田順平さんは、15話だけの出演?
良明くん時代の思い出話をしてくれるから、切ないけど出演して欲しいんだけどなぁ。。 22話。
母であるお江与に相手にされない竹千代と、
やっと産まれた子供の嫁ぎ先が早々に決まっちゃったお勝、、切なすぎでしょう・・・。
つか、、お江与、子ども産み過ぎ(苦笑)
おふくの身内の不祥事。やっぱり家康は信用できん。
そして、中村雅俊は頼りなさ過ぎてムカつく。
でもまぁ、お江与があれじゃ浮気したくもなるわな。そこは同情するよ。
小姓たちの争いは、今とあんまり変わんないんだろうな。
でも千熊、頼もしくなったね^^ 23話。
まずは、、おふじ、妊娠&出産おめでとうっ♪
千熊、、いろいろ察してたんだね。全部お見通し・・・。それが余計切ないわ。。
高丸も苦労するだろうなぁ・・・。
お江与、家康に「ひいきし過ぎ!」って言うけど、自分が一番ひいきしてんじゃん!!
どんだけ可哀想なんだよ、竹千代・・・。
にしても・・・お勝、最終的にはいい人になったなぁ^^;
----------
24話。
そうだ。そうだった。
この回から伊藤くん(伊藤淳史さん。私と同い年)じゃなくなったんだった。
自分と同い年の人が、映像の中であんなにちっちゃいと、、
「そりゃ私も記憶ないはずだわ。。」って、あきらめがつく。(当時5歳)
せめてあと3年、早く生まれてたらなぁ。。
ちょっとは記憶あったかもしれないのに・・。(←全然あきらめついてない。爆)
お江与は、まじムカつく。 25話。
24話と同じく。ただただ、お江与がムカつく。
そして、中村雅俊に同情します。
あ、お勝の子が死んじゃったんだね。。可哀想に。。
お静が妊娠して、利勝とおふくがかばって、でもお江与にはバレバレで。
・・・ め ん ど く せ っ っ っ (怒)
----------
26話。
冒頭から、ほのぼの♪ 正成の家で、一家団らんか^^
お安が居ないのは、やっぱり寂しいけど。。
中盤からは、サスペンスタッチ。
あぁ、この回か。。
家康と秀頼の、“殺るか、殺られるか”的な。『全然好きじゃない』って思った回。(苦笑)
千姫も、ツラい立場やのぉ。
そして家康は、ますます信用できん。お勝も、ブラックお勝だな(苦笑)
お静に男の子が産まれて、、
お江与は、家康からの手紙でヒステリーを起こしそう。
そんなところで、また次回・・・か。 27話。
お江与のワガママで、何人死んだ?
つか、死にかけたのも含めて、何人が被害者よ!?
(お江与のせいじゃないけど)お安も死んじゃったし。。
最初ので名前を見た時、『なんで出んの!?』って思ったけど、、幽霊かいっ。
おふく、ツラい事が続くね。。
あ。千熊役の男の子が好きな人にとっては、サービスショット満載だったな(笑)
思春期だろうに、ふんどしで海って・・・^^;
----------
28話。
且元が可哀相だったなぁ。
嘘ついてないのに、全然信じてもらえなくて。
挙げ句の果てには、殺されそうになっちゃうし。
茶々はアホだな。。
てか!!千熊が唐沢寿明さんになってる!!(笑)
七之丞は中村獅童さんだし!若いっっっ!!!(爆)
いや、若いっていうか“幼い”!!20年という月日を感じるなぁ^^;
※君丸→正次、千熊→正勝、七之丞→正定・・・に、名前が変わったらしい。
家康 vs 秀頼(というか茶々)、、どうなるんだろ。。
歴史を知らないので、展開が全く読めません^^; 29話。
竹千代もおふくも、間違ってない。
中村雅俊は、八つ当たりにしか見えん。
それでキモい事になってるし(ーдー;)
てか、家康にお願いしても無駄だって、なんで分かんないかなぁー、且元。
ねねは鋭いっ。
“無事”っつっても、人いっぱい死んでんじゃん。
どこが“無事”なんだよ。
はぁ・・・。
キライ。
----------
30話。
家康は、やっぱり豊臣を潰す気だったんだね。
てか、中村雅俊。
戦へ行く父親に、素直に「嫌だ!」って言った竹千代に会わないなんて。。
ただただ、みんなの身を案じてただけじゃん!
竹千代が可哀想すぎるよ。。
後半はずっと戦で、、ひたすらに家康が嫌い。
千姫を救い出す気があるなら、なんでその千姫が愛する夫や身内を攻めるのさ!?
アホなガキの発想としか言いようがない。
おふくの家族(夫と子ども2人)は、死んじゃうのかなぁ。。 31話。
竹千代は間違ってない。
千姫の気持ちは、竹千代が楯突いた通りだよ!
最愛の夫や、義理の母を失ったばかりで、、
しかもその死を促した人のススメで、すぐにも嫁ぐなんて、、
そんなバカな事ある?!
千姫の幸せを願うなら、なんで大坂城を攻めたのよ?!
マジで、家康と中村雅俊(が演じてる役)嫌い(▼皿▼#)
----------
32話。
竹千代が世継ぎに決まって、、
お江与も認めてくれて、中村雅俊も許してくれて、、
本っっっ当に良かった・・・。
やっぱり、素直でまっすぐな竹千代が好きだっ(笑)
家康・・・嫌いだけど、死んじゃうと寂しいね。。
あ、そうそう。
大阪城に出陣したおふくの家族も、みんな無事で良かった・・。
最近の中で、一番好きな回でした。 33話。
竹千代に生涯お仕えすると決めた、おふく・・・
正成との離別・・・
お江与から竹千代へ、世継ぎとしての教え・・・
遠くへ行ってしまう正成・・・
離別したとはいえ、まだ愛してるのに・・・
再婚か。。
でもそれは、しょうがない事なんだよね。。
正成にとって良い事だって事も、分かってる。。
おふくより、見てるこっちのほうが未練がましいわ(苦笑)
なんか、、つらい回だったなぁ。。。
----------
とりあえず、ここまでm(_ _)m 34話。
三条西実条!!!
久々見たわ!(笑)
私の好きな“空気が読めない感じ”は無かったけど(笑)
そして、江口洋介さん!!!
ついに、竹千代が江口さんになってもうた^^;
でも、性格は変わらないのね(苦笑)
忠長(国千代)・・・後々、家光(竹千代)に戦いを挑みそうな勢いだな(汗)
家光も、身を滅ぼしそうな勢いで(苦笑)
まぁ、確かに“紫”(若村麻由美さん)は綺麗だけどねぇ・・・。
お互いに、一目惚れだったんだろうな。。
だから紫も「もう来るな」って。。
吉原の事。
これを見ただけなら誤解してたかも。
まぁ、早乙女太一関連で勉強してたからいいけど。
忠長をかばった正利、偉かったね^^
正勝(唐沢さん)も、どうなる事やら。。(汗)
んで、堀田正盛。
おふくの孫って・・・堀田正吉とおふじの子って事!?
13歳になってるし・・・( ̄∇ ̄;)
なんか、、いろいろ頭がこんがらがる回だったな(; ̄〜 ̄)
・・・「こんがらがる」って方言?
まぁ、分かんなかったら調べて^^; 35話。
紫が死んじゃうなんて。。
でも、おふくのせいじゃない・・・。
家光の言う通り、、2人が出会ったのは悲運だったんだよ。。
でもね、『家光と出会わなきゃ良かった』なんて、きっと思ってないよ。
だからこそ、最後に気持ちを伝えた。
もし、おふくじゃなくて、家光から身請けの話を聞いていたら、
自分の気持ちを伝える事すら出来なかったと思う。
「何勘違いしてんの!?」って、突っぱねたと思う。
はじめの時のように。家光を思って。。
・・・そうとでも思わないと、辛すぎる。。。(泣)
正勝は、好きな人と一緒になれて良かったね♪ 36話。
将軍になっても、お江与に釘を刺されても、、
心ここにあらず・・・だね。家光。
妹の妊娠祝いに会いに行って、、
寝耳に水な結婚話を聞かされて、、
紫の事があった直後なのに・・・そりゃ無理だよな。。
んでも、、鷹狩に行くと言って、正勝の家に逃げ込むなんて・・・。
子どもかっ!!(苦笑)
まぁ、コンパニオン的な人たちを呼んで憂さ晴らしっていうのは、子どもじゃ無理だけど(爆)
正勝は、、家光を思って、家光の憂さ晴らしに付き合ってくれてるんだね。
正利も、、忠長のことを思って、忠長の大口や愚痴を聞いてくれてる。
優しい兄弟だな^^;
てか中村雅俊。
「おなごの腹は借り物じゃ!徳川の丈夫な男子を産んでくだされば、それでええ!」って・・・
はあぁぁぁぁぁ!?!?(▼皿▼#)
もう・・・ひたすらに嫌い(ーдー#)
聞いてたおふくも、きっとムッとしたはず。
「春日局」の中で、嫌いなセリフ第1位です。
にしても・・・正成は、本当に変わんないね(苦笑)
自分の思う道を行く。
カッコイイよ。
家光も、、おふくの両親を弔う為に寺を建てろって・・・。
その気持ち、おふくがどんなに嬉しかったか・・。(泣) 37話。
連れて来られて1年。
やっと家光の正室になった孝子。
でも、愛してもらえないどころか、嫌われて、
結婚式以来会ってもくれないなんて・・・。
そりゃ、帰れるくらいなら帰りたいよな。。
お江与も可哀想だったけど、、それ以上だよ。。
まぁ、紫を想うがゆえなんだけどさ。。
千姫の夫、、亡くなったんだね。。
戻ってくるのかな。。
でも、、その前にお江与が・・・。
自分が死ぬかもしれない時に、家族には知らせるなって・・・。
何も知らないのに、夫と息子2人がお江与の話をしてるのは、鳥肌だったな。。
知っても、忠長しかすぐには帰れないなんて・・・。
お江与の看病をするおふく・・・。
お互い、もはや“戦友”って感じなんだろうな。
急いで帰ってきたのに間に合わなかった忠長の気持ち、、わかりすぎて辛い。。(泣)
てか、、忠長役の斉藤隆治さんって、斉藤由貴さんの弟なんだね!!
今さら気付いた(苦笑)
似て・・・る?^^; 38話。
正成の説教と、千姫の気持ち、、家光の心に響いてくれて良かった。
でも、正勝はツラいね。。
いい奥さんだったのに・・・(泣)
てか最近の春日局、、
悲しい事も嬉しい事も、いろんな事が盛り沢山で、
なかなか編集できなくて困る(汗)
でも、正成の説教は残したいな。。 39話。
忠長、、駿府城で満足しとけば良いものを・・・(ーー;)
大阪城が欲しいなんて言わなければ。。
いやそもそも、兄・家光への反抗心なんて持たなければ。。
正利も、本当の兄弟より大事に思ってる忠長から、
「非力な小姓」とか言われて。。
辛い立場だね。。
それでも信じて仕える覚悟、、格好いいよ。
そして、正成・・・(泣)
『いかにも』って感じの見せ場と展開で、薄々気付いてはいたけど・・・
おふくにとって、一番辛い死だったんじゃないかな。。
んで、家光。
疱瘡になって、水も飲めないって辛いな。。
でも、おふくが口移しで薬を飲ませた時は、ビックリした。
治ったのは、本当におふくのおかげだね。
でもこれが、忠長の未来を変えるきっかけになってしまうとは。。
素直に、家光の回復を祈ってれば良かったものを・・・。
ひたすらに可哀想なやつ。。 40話。
朝廷に嫁いだ和子(家光の妹)の夫が、譲位したいって。
なんか、かかってる病気に効く“お灸による治療”が、譲位しないと出来ないんだそうな。
でも、2人の間には娘しか居ないから、、
『女帝なんて!!』と幕府は認めてくれない。。
おふくが“実条の妹・春日局”として、直接説得にあたったのが、最悪の結果に・・・。
実条のせいじゃないとはいえ、、嫌な役割だなぁ(ーдー;)
でも、おふく一人を悪者にして、どっちも満足のいく結果になったんなら、、
それも良かったのかもしれないね。。
てか朝廷も幕府も、最初からそのつもりだったのかなぁ・・・?(ーー;)
ただ、それならそれで、、忠長にもちゃんと事情を説明してやればいいのに。
何も知らないから、『おふくを追放すべき!!』とか思うんでしょうがっ。
そりゃ、利用されただけとはいえ、、
事情を何も知らない忠長にとっては、『おふく=不祥事を起こした奴』だもんね・・・。
“可哀想”としか言いようがないよ。。 41話。
忠長・・・本格的に逆らってきたなぁ。。
江戸城の修築を手伝う事を拒否って、、
ますます中村雅俊の怒りをかっちゃって・・・
てか、自分の死期を悟った中村雅俊が、、
怒りというより愛情で、、
バカな道に走ろうとしてる忠長を救う為に、忠長を切り捨てた。。
忠長が『訳わかんない!!』って思うのも、、
心配するなって言ってた正利が、おふくに救いを求めるのも、、
気持ちは分かる。。
でも、忠長があそこまでひねくれると、こうするほか無かったよなぁ。。
申し訳ないけど、、
『最後に一目だけでも、病床の父上に会いたい』って泣いた言葉すら、、
本心かどうか疑った。。
でも多分、本当にそう思ってたんだよね・・・。
ごめん。。
結局、みんなの愛情が伝わらないままになってしまって・・・
中村雅俊も本当は、死ぬ前に一目会いたかっただろうな。。
そして、いつかの中村雅俊の浮気相手の子。
初耳だった家光が、すんなり受け入れたのにはビックリしたけど(笑)
生きてるうちに、もう一度会えて良かった。
おふくも家光も、気が利くね。
てか、、お江与と同じ歳で死んだって事は、、姉さん女房だったんだね。
今さら気付いた^^; 42話。
忠長の処分も視野に入れた、加藤忠広の処分。
家光の本意じゃなくても、土井利勝らには逆らえないよね。。
でも、忠広の父・加藤清正は、、
良明くんが演じた斎藤利宗がお仕えした人。。
忠広の自業自得とはいえ、、あの時の恩人の息子を処分する事になるなんて・・・。
でもこれ、おふくが言ってくれなかったら気付いてなかった(汗)
たぶん、チラッとでも利宗の話が出てくるのは、これが最後だろうなぁ。。
んで忠長も、、大事な弟を家光が憎む訳ないじゃん!
誤解したまま、自殺しちゃうなんて・・・。
家光がちゃんとした力を持つまで、もうちょっと辛抱していれば。。。(泣)
てか正利!!
忠長が自殺しそうな事くらい、気付けよっっ!!
・・・って言っても無理か。。
っていうより、、気付いてたからこそ、酒を飲もうって提案したんだよね。。
やりきれない。。 43話。
忠長を亡くした家光・・・見てて辛すぎる。。
こんなに苦しんでる顔を見て、“弟殺し”なんて誰が思うのさ!?
(正利を除いて・・・)
後追いしたくなる正利の気持ちも、分からなくはないけど・・・
どんな時代でも、命を粗末にする奴は嫌いだ。
家光を恨むのはともかく、、兄貴や母親の気持ちも分からないなんて。。
体調を崩した正勝・・・相手は母親なんだから、無理しなくていいのに。。
いかにも死にそうなメイクだし(汗)
そして小田原で・・・38歳って・・・
なんでこんなに辛い事ばっかり。。(泣)
家光、、ありがとう。(泣)
正勝の葬儀のために集まった、おふくの家族たち。
久々の再会が葬儀っていうのもやりきれないけど。。
でも、利宗が正則(正勝の息子)の後見人を任されて、、ものすごく安心したっていうか・・・
その頼りになりそうな姿が、、良明くんの最後の出演シーンと重なって。。
なんか、やっと同じ役(同一人物)に見えた。
遅いね(苦笑)
そして、紫にそっくりな“お楽”が登場。
・・・まぁ、似てるのは顔だけなんだろうな(苦笑) 44話。
ポンコツな武士に絡まれてるお楽を助けた、おふくとお勝。
カッコイイ〜!! 2人とも、さすがです(笑)
おふくとお楽、、境遇が似てるんだね。
おふくの心も決まってるみたいだし。
頼まれたお勝は、『何が何でも!!』って感じで、ちと怖い(苦笑)
いつぞやの“ブラックお勝”がよぎったよ^^;
んで、再会したお楽とおふく。
春日局様、怖ぁ〜〜〜(苦笑)
てか、側室の事を孝子に相談するって、微妙じゃね?
私が孝子ならナシだな。。
家光と妹の会話。
言葉遣いはよそよそしいけど、内容や表情から兄妹愛が感じられる。
このシーン、ちょっとだけ心が穏やかになりました♪
茶道特訓中のお楽。
親の事を言われちゃ、頑張るしかないわな。
でも火事に目を輝かせるって・・・ 45話。
引き続き、茶道特訓中のお楽。
先生厳しいっす(汗)
まぁ言う通りだけど。。
家光、、側室や世継ぎの事に関しては、逃げ回りすぎてガキにしか見えん(ーー;)
今でも紫の事・・・それは分かるけど。。
てか日光東照宮の建設って、家光がやったんだ(゜д゜;)
んで、それを祝いに来た三条西実条!
久々で嬉しいけど、おふくと思い出話なんかしちゃって、、ちょっと嫌な予感(汗)
てかやっぱり、実条にとっては初恋だったのかな。
兄妹のような、初恋のような。
2人のシーンには、すごく優しい空気が流れる^^
正利の事。
家光を恨んで、おふくを憎んで・・・そうする事で生きていけるなら、それでもいい。
それでもいいから、、生きて。
大奥の忘年会。
あぁ〜あ、家光に見つかっちゃった。
あんな形で“お楽”を見たら、居ても立ってもいられなくなるのは当然だよ。。
・・・でも、あんなにガッツリ覗いてて、よくバレないね(苦笑) 46話。
家光からの呼び出し。
まぁ、無理はない。。
でもお楽は、“紫”とは別人。その事をちゃんと受け入れられるといいんだけど・・・。
じゃなかったら、暴漢と同じだよ。。
おふくから紫の事を聞いた、お楽。
おふくの境遇や、家光の配慮も知って・・・
子どものように泣くお楽が、愛おしくてたまらなかった。
(今すぐではないにしろ)側室になる決心、ついたんだね。
恋してるように見える♪^^
お楽の両親も、わかってくれるといいな。。
家光にもストレートにものを言う、お楽。
家光は、お楽はお楽として好きになっていきそうだね。
なんか、、内容が濃すぎて編集できるポイントが無かった(汗)
HDDヤバいのにー(苦笑) 47話。
おふくに領地、、ありがたいけど・・・ますます標的にされちゃうよぉー(汗)
あっでも、お勝のお隣さんか。
ちょっとは心が休まるかな^^;
(またすぐ事件が起こってるけど・・・)
農民たちとの内乱。
それを指導した天草四郎って、、16〜17歳で自害したんだね・・・
それも、幕府が攻め落としたから・・・
知らなかった。。
家光に、農民の実状を話したお楽。
お楽自身がキリスト教徒って訳じゃないけど、、
彼らの肩を持つような発言で、家光の怒りを買っちゃった。
・・・まぁ、家光ならそのうち分かってくれるでしょう。
農民たちとの戦いに加勢した信綱。
今になってまた、戦のキモいシーンを見る事になるとは。。(汗)
それも、完全防備の幕府に潰された、鎧ひとつ無い農民たちの姿。。
戦を知らずに育った信綱にとって、トラウマになりそうなくらい衝撃的な光景だっただろうな。。 48話。
“鎖国”について、めちゃめちゃ誤解してた。(歴史が大の苦手・・・)
本編前の説明VTRがあって良かったです^^;
んで、戦のむごさを知った信綱。
わかってくれたのが、不幸中の幸いかな。。
そして、土井利勝。
事実上の引退かぁ。。
若い世代にバトンタッチ完了って感じだね。。
久々の一家団らんを果たした、お楽。
お姉さん役が石野真子さんでビックリしたけど^^;、、
家光に仕える自分の思いを、家族に伝えられて良かったね♪
でも、オランダ人の妻子は国外追放って・・・
お楽のお姉さんも・・・
それが、家光の決めた事だなんて・・・
こればっかりは、いくらおふくやお楽が頼んでも無理だろうな。。
まぁ、頼んだところで殺されはしないだろうけど。
お楽を責める事は出来ないよ。。
お楽の思いを知った家光も、苦しいね。。
国外追放を受け入れるほかない、お姉さん。
鎖国250年って・・・どんだけ長いんじゃ!!(泣)
そして、お楽の妊娠。
その事でおふくに新たな苦難が・・・って言ってるけど、、
最終回まであと2話しかないのに、まだ何かあんのかよっ(汗) 49話。
お楽の妊娠、孝子は本当に喜んでくれてるっぽいね。
でも、お楽は辛すぎる(汗)
乳母の事はどうにもならないし。。
昔のお江与や、昔のおふくを思い出したよ。。 50話。(最終回)
おふく、最後の最後まで頑固すぎっ。
まぁ家光を思っての事だけど。。
んで、「春日局」の生涯を描いたドラマだから、ここで終わるのはしょうがないんだけど・・・
心が凍り付いてしまったように見える、お楽の事が気がかりです。。
家光の愛で、ゆっくりでもいいから、笑顔を取り戻してもらいたいな。。
----------
そんなこんなで、、私の感想も終わりますm(_ _)m
大河ドラマを最初から最後までガッツリ見るのは初めてだったんだけど^^;、、
良明くんの最後の作品、見れて良かったです。
ファミリー劇場さん、、ありがとうございましたっ!m(_ _*)m 家光:久々に江戸城に帰ったら春日局に「なんで帰って来られたのですか?」と聞かれ
戸惑いながらも「ここが私の帰るべき場所だから、だな」と答えた。
そしたら春日局が「そうですか。駕籠で帰って来られたのですか?」
と聞いてきて、ひょっとして私はすごく恥ずかしい部類の勘違いをしてしまったのか? 庄吾:江戸城に蜂が侵入してきて皆がギャーギャー騒いでる中、
春日局様が懐から扇子を取り出したから
(うわぁめっちゃ動揺してる!扇いで風で撃退するのか?!)とか思ってたら、
おもむろに扇子を縦にして勢いよく蜂を叩き切ってた… 石田三成の子孫が気になって、いろいろ系図を追っかけている。
初音の姫こと千代姫君の曾祖母も実は三成の女だと…!?
千代姫の母・自証院は、春日局の従兄牧村利貞の孫。
利貞は稲葉一鉄の内孫で、美濃の有力な豪族だった稲葉氏と斎藤氏は、
周辺の豪族も含めて複雑な姻戚関係。系図もこんがらがる〜 初代は家康 2年で将軍息子に譲って大御所なのさ
2代目は秀忠 改易・転封幕藩体制基礎築いたよ
3代目は家光 島原の乱で鎖国すべきだね春日局 バイバイ戦国 戦はオーバー 徳川の治世は ラブ&ピース (戦国鍋) 鷹司孝子(1602〜1674)
3代将軍家光正室 結婚程なくして離縁。
春日局らが対立するお江与が送り込んだ人物として敵対心を抱いた結果とする説、
朝廷の力の増大を恐れた春日局の策略という説、
家光が男色好きであったという説などがある。 家光が武芸に達者であれるのは、春日局。お前のような腕利きが、常日頃から指導してくれたおかげだろうな 戦う女性はいつの時代も美しいと思うの 額田王、(光明皇后、)紫式部、 北条政子、日野富子、茶々、江、 春日局、篤姫、平塚らいてう 大河ドラマ・春日局
お江与の2人目の夫・豊臣秀勝は名前すら登場しないのな 明智家臣の娘という立場で戦国の乱世を生き抜き、
その器量を徳川家康に見込まれて大奥の取り仕切りと後の三代将軍徳川家光の乳母を任された女性・春日局の生涯を描く。
それまで「強い女」「烈女」のイメージが強かった春日局を、平和な世を希求し、献身的に家光の母代わりになろうと生きた女性として描く。 春日局と葵徳川三代と真田丸の三成には力を貸したくなる 竹千代擁立派と国千代擁立派で、日本を二つに分けた大合戦が起きれば、
徳川の天下は壊れた 家康に直訴して家光を将軍家の後継者にさせたこの人,
その後も家光に讒言を重ね忠長への憎悪を吹きこみ
まくってそう(実際にはどうだったかは知らんけど)。
春日局としては
家光=自分の息子(母はお江だけど乳母として育てたのは春日局)
お江=ライバル
忠長=ライバルの子
って認識があったんかな。 >>758
春日局って北条政子となんか被るイメージ
・政子=春日局
・北条家=家光
・頼家&実朝=忠長
真ん中を盛り立てるために一番下を徹底的に排除
しようとしたように見えるとことか。
でも「草燃える」で北条政子を演じた岩下志麻って
「葵徳川三代」だと皮肉にもお江の役なのねww >>759
あと
・朝廷=お江
も。まあ朝廷はラスボスとして最後に立ちはだかる存在
だけどお江は先に退場しちゃうんだよな。 長男乳母・福(大原麗子) VS 次男溺愛実母・お江与(長山藍子)
長男乳母・福(樹木希林) VS 次男溺愛実母・お江(岩下志麻)
長男乳母の母・比企重子(横山道代) VS 次男溺愛実母・北条政子(岩下志麻)
長男乳母・喜多(竹下景子) VS 次男溺愛実母・お東(岩下志麻)
北条政子って春日局じゃなくてお江与じゃないの? 1代目は家康 2年で将軍息子に譲って大御所なのさ 2代目は秀忠 改易・転封幕藩体制基礎築いたよ 3代目は家光 島原の乱で鎖国すべきだね春日局 バイバイ戦国 戦はオーバー 徳川の治世は ラブ&ピース (戦国鍋) >>28
それにひきかえ、豊臣秀頼は名君に描かれておる。
まんかか様の助言にも素直に耳を傾けていた 夏の陣の家康本陣特攻シーン、幸村が家康を討ち取る目前で援軍が来て引くのはありえんだろw
自分も討ち取られるがそのまま家康の首取れただろ。 日本の歴史でも1.2を争うバカ女
だろうな
春日は 山崎の戦いで明智が虐殺されたwwwってことは
気味のいいことでしょうがない。
明智を殺した奴ら神だね 斎藤家の女ってどっかの勧誘の 強引な宗教団体と同じwww? 本当にキモいからやめてくれん? 春日局は日本三大悪女
で独裁者だから日本の悪女として
末代まで悪人として扱うべきだな
お江さんは清らか優れた謙虚な
女性だから悪女とか言われないと思うけどね! ★★【盗聴盗撮犯罪者・イエローハウス高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)の激白】★★
☆食糞ソムリエ・高添沼田の親父☆ &☆変態メス豚家畜・清水婆婆☆の超変態不倫バカップル
東京都葛飾区青戸6−26−6 東京都葛飾区青戸6−23−19
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/食糞ソムリエ・高添沼田の親父の愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6−23−19)の
五十路後半強制脱糞
http://img.erogazou-pinkline.com/img/2169/scatology_anal_injection-2169-027.jpg
⊂⌒ヽ γ⌒⊃
\ \ 彡 ⌒ ミ / /
\ \_<(゚)д(゚)>_./ / 食糞ソムリエ・高添沼田の親父どえーす 一家そろって低学歴どえーす 孫も例外なく阿呆どえーす
\ \_∩_/ / 東京都葛飾区青戸6−26−6に住んどりマッスル
/( (::)(::) )\ 盗聴盗撮つきまとい嫌がらせの犯罪をしておりマッスル
⊂_/ ヽ_,*、_ノ \_⊃ くれぐれも警察に密告しないでくらはい お願いしまふ
 ̄][ ̄ ̄] [ ̄ ̄][ ̄
 ̄ ̄][ ̄] [ ̄][ ̄ ̄
 ̄][ ̄ ̄] [ ̄ ̄][ ̄
 ̄ ̄][ ̄] [ ̄][ ̄ ̄
 ̄][ ̄ ̄] [ ̄ ̄][ ̄
"~"~"~"~"~"~"~"~"~"~"~"~"~"~"~ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています