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【東京】目黒の庚申塔 地域つないだ祈りの跡[10/13]
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0001坊主 ★
垢版 |
2018/10/18(木) 17:00:29.36ID:CAP_USER
無病と長命を祈る民間信仰の遺構が散らばる(東京都目黒区)
https://www.nikkei.com/content/pic/20181013/96958A9F889DE1E4E6E4E0E4E7E2E3E1E3E2E0E2E3EA9191E2E2E2E2-DSXMZO3646266013102018SHJ001-PB1-2.jpg
庚申塔の典型例
https://www.nikkei.com/content/pic/20181013/96958A9F889DE1E4E6E4E0E4E7E2E3E1E3E2E0E2E3EA9191E2E2E2E2-DSXMZO3646269013102018CC0001-PB1-2.jpg

「今日は目黒あたりまで行ってみようか」。現代の感覚だと東急東横線・中目黒駅周辺のしゃれた飲食店でちょっと一杯、というニュアンスだろう。都心から30分。再開発が進む街は流行の発信地でもある。

目黒あたりまで〜、は江戸時代の人々もよく口にしていたセリフのようだ。目黒区めぐろ歴史資料館の研究員、中島丈晴さん(45)は「大都市、江戸の近郊農村としての役割を果たしていたのが目黒です」。江戸の消費を支える生産地であり、目黒不動尊は「足を延ばして」訪れる観光スポットだった。

今は鉄道各線が乗り入れ、幹線道路が走るアクセス至便の目黒だが、目をこらして街を歩くと農村の名残を見つけられる。その一つが区内に散らばる庚申(こうしん)塔だ。

庚申信仰は中国の道教をルーツに仏教や神道が溶け込んだ、無病と長命を祈る民間信仰である。中島さんによると、目黒地域は「根柄」「組」と呼ばれる集落に分かれ、その中の有志が講を結んだ。旧暦で60日に1度巡ってくる庚申の日に集まり、祈りと飲食を共にしたのだという。

旧地名を「田道(でんどう)」という一画が目黒区目黒にある。山手通りを1本入って住宅街を進むと、小さなお堂に収まる庚申塔群に行き当たった。基部に見猿、聞か猿、言わ猿。上部には青面金剛が彫りつけられた石像。延宝、元禄、正徳の文字があり、17〜18世紀の造立と分かる。お堂の前の道を100メートルほど行ったところでまた塔を見つけた。こちらは「庚申塔」の文字が刻まれただけで、ずっと簡素だが、手入れは行き届き、真新しい奉納の幕がかかっていた。

「昭和50年代ぐらいまでは、まだ各家持ち回りで講をやっていましたよ」と、2つの庚申塔を管理する橋本良子さん(73)。講のメンバーが定期的に集まるのは、地域の楽しみになっていたそうだ。橋本さんは「世代の入れ替わりとともに、だんだんと抜ける人が多くなって今は年に1度だけお坊さんを呼んでお祭りをしています」と話す。古くから地域を結んできた遺構が埋もれてしまうのは忍びない。橋本さんは近所に嫁いだ娘に自分がやってきた庚申塔の守り方を伝えている。(稲沢計典)

■庚申信仰

 旧暦の庚申(かのえさる)の日、眠っている間に人の体内にいる三尸(さんし)の虫が天帝に日ごろの行いを告げる。罪状次第では寿命が縮まってしまう。そこで、虫が出ていかないよう、眠らずに夜を過ごす――。遅くとも平安期にはこんな風習が始まったとされる。

 江戸時代には農村などで大流行。祈りとともに飲食しながら語り合う習慣が全国に広がった。集まりを3年間18回続けると、記念に庚申塔が建てられた。目黒区には約70基が残っており、区のホームページで紹介している。

日本経済新聞 2018/10/13 14:11
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36462650T11C18A0CC0000/
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